【極寒の禊と、受け継がれる光の神術への道】
【極寒の禊と、受け継がれる光の神術への道】
ドッッッバァァァァァァァッ!!!
十メートルの高さから絶え間なく落下してくる、数十キロの水圧。そして、五月の山の湧き水という、全身の感覚を麻痺させるほどの氷のような冷気。
魔力を完全に封じられた生身の高校生たち十人は、ただひたすらに身を寄せ合い、ガタガタと歯を鳴らしながら、その圧倒的な自然の暴力に耐えていた。
「が、がはっ……!! 息、が……っ!」
「さむぃぃぃッ! 痛い、痛いッス!!」
「あ、阿部お姉さま……っ、私が、盾に……ぐぶっ!」
「無理ですぅっ、帰りますぅっ……!!」
一分が、一時間のように長く感じられる地獄。
濡れた白衣が肌に張り付くことによる羞恥心など、最初の十秒で完全に吹き飛んでいた。煩悩を抱く余裕など一ミリもなく、ただ「生命を維持する」という本能だけが彼らをその場に繋ぎ止めている。
「――はい、そこまで! 五分経過よ!」
岸辺から響いた本多鮎の声は、彼らにとってまさに天使の福音であった。
「「「「「はぁぁぁぁぁぁっ……!!」」」」」
ザバシャッ、バシャッ!
十人は這うようにして滝壺から抜け出し、岸辺の岩場へと転がり込んだ。
全身の皮膚は真っ赤を通り越して青白くなり、小刻みな震えが止まらない。
「あ、あ、あ、足の感覚が……ない、ッス……」
佐藤陽翔が、真っ白な褌一丁の姿でガクガクと膝を震わせ、崩れ落ちた。
「か、完璧な、私が……鼻水を、垂らしそうに……っ」
高橋玲央も、濡れて透けた白衣を気にする余裕もなく、両手で自身を抱きしめてうずくまっている。
基礎体力の低い桐生蓮に至っては、すでに白目を剥いて仮死状態になりかけており、大文字鉄平の「押忍……」という声も虫の息だった。
最初の五分。全員が逃げ出さずに耐え抜いたものの、ただ冷たさと痛みに耐えただけであり、「精神を洗う」だの「何かを感じ取る」だのといったスピリチュアルな余裕は全くなかった。
「ほらほら、早くこちらにいらっしゃい! 身体を拭いて、温まりなさいな!」
ルージュの声に顔を上げると、岩場の少し開けた場所に、いつの間にか『大きめの焚き火』が用意されていた。赤々と燃える炎の熱が、周囲の空気を優しく温めている。
さらにルージュは、バスタオルを十枚、素早く全員の肩へと掛けて回った。
「「「「「あ、あたたかぁぁぁいぃぃっ……」」」」」
火の温もりとタオルの感触に、十人は焚き火の周りに群がり、魂が抜けたような顔で炎に手をかざした。
「……ふふっ。初めての禊はそんなものよ。よく逃げ出さずに五分間耐え抜いたわね」
鮎が、腕を組んで優しく微笑みながら彼らを見下ろした。
「でも、いいこと? あなたたちはまだ五月の水だから耐えられたのよ。……持子様と私、そしてあの泥棒猫(花園美羽)の三人はね、二年前の『一月』に、朝から日が暮れるまで、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も……」
鮎の瞳のハイライトが、スゥッと消えた。
彼女の口から無意識に発せられた「何度も」という反復が、異常なほどのトラウマを物語っている。
「あの恐ろしい風間楓さんのドSな御指導のもと……雪が降る中、ここで禊をしたのよ。……本当に、文字通り死にかけたわ……オエッ」
当時を思い出した鮎は、美貌を青ざめさせ、突然口元を押さえてえずき始めた。
「ちょ、マスター!? しっかりなさい! トラウマがフラッシュバックしてますわよ!」
ルージュが慌てて鮎の背中をさする。
氷川神社を実家とするTIA特級エージェント・風間楓。彼女の冷酷無比なスパルタ指導は、狂戦士である鮎の心に深い傷(あるいは強烈なマゾヒズムの記憶)を刻み込んでいたのだ。
「……っ、ふぅ。ごめんなさい、少し取り乱したわ」
鮎は大きく深呼吸をして、再び真っ直ぐに部員たちを見つめた。
「あ、鮎先輩。質問いいッスか?」
バスタオルに包まりながら、佐藤が少しだけ体温を取り戻して尋ねる。
「何故、鮎先輩たちはそんな冬の時期に、死にかけるような滝行をしたんスか?」
その問いに、鮎は少しだけ真面目な顔になり、静かに語り始めた。
「……当時の持子様の『極黒の闇の魔力』が、あまりにも強大になりすぎたからよ。あのままでは、あの方から直接魔力を注がれていた下僕の私と泥棒猫が、その闇に当てられて、『人間で無くなってしまうかもしれなかった』の」
「「「「「えっ……!?」」」」」
「に、人間で無くなる……?」
阿部凛花が、信じられないというように目を見開く。
「どういう、ことですか……?」
高橋も、震える声で問いかけた。
「簡単な話よ。闇の魔力は、身体能力を爆発的に引き上げ、絶大な防御力を与えてくれる。でも、それは同時に『化け物』の力でもあるの」
「……なるほど。強すぎる力は、器だけでなく理性すらも壊してしまう危険があるということか」
主将である門蒼真が、腕を組みながら険しい顔で頷いた。
「俺たちも、あの極黒の魔力を使う時、時々自分の中の破壊衝動が抑えきれなくなる感覚がある。……それに飲まれないための防波堤が必要だったと?」
「そういうことよ」
鮎は門の理解の早さに頷いた。
「圧倒的な闇の力には、それを中和し、制御するための『光』もなきゃダメなのよ」
その言葉に、理詰めの頭脳派である南原紗良がハッとして声を上げた。
「……陰陽の理、ですか。光と闇、プラスとマイナスが釣り合ってこそ、初めて均衡が保たれる……」
「その通りよ、南原さん」
鮎がパチンと指を鳴らす。
「強すぎる闇は、器を壊し、理性を食い潰す。だから私たちは、風間楓さんの導きで『光』を得るために、この神聖な氷川神社の滝で穢れを祓い続けたの。……あの地獄の禊を経て、光と闇の均衡を保つ術を得たからこそ、私たちは今も人間のままでいられるのよ」
「……だから、俺たちは大丈夫だったんスね」
佐藤が、腑に落ちたように呟いた。
去年の夏、彼らが魔力を分け与えられた時、その魔力はすでに、ただの破壊的な闇ではなく、温かな光を内包した『極黒の魔力』へと昇華されていた。
「あなた達が得た魔力には、最初から闇だけでなく『光』も混ざっていた。だから、あなた達は暴走することなく、人間のままでいられるのよ」
「ああっ……! どこまでも私たちに慈悲深く、偉大なお方……っ!」
阿部が、その事実を知り、両手を組んで空へ向かって深く祈りを捧げた。
「でもね」
鮎の声が、少しだけ厳しさを帯びる。
「あなた方が魔力を得たのは、彼女が光の神術を完全に会得される『前』だった。だから、あなたたちの魔力はまだ圧倒的に闇が強く、光の力が弱いのよ」
言われて、佐藤は自身の手のひらを見つめた。
スゥゥ……。
極黒の霧が立ち昇る中、彼は意識して『光』の魔力を抽出しようと試みる。だが、昨日鮎が道場で見せてくれたような、あの暖かく純度の高い黄金色の光には到底及ばず、頼りない淡い光がほんの少し灯るだけだった。
「……確かに。俺たちの回復魔法じゃ、鮎先輩のあの『光の神術』には遠く及ばないッス」
「佐藤くん、高橋さん、南原さん」
鮎は、光の回復魔法を使える二年生の三人を真っ直ぐに見つめた。
「あなたたちには、間違いなく光の才能がある。けど、今のままじゃその才能は引き出せない。だから、まずはこの滝行で自分の中の『穢れ(ノイズ)』を祓いなさい。そうすれば、必ず洗練された光の神術を得るための回路が開かれるわ」
そして鮎は、ぽかんとしている一年生たちにも視線を向けた。
「一年生達も、ただ冷たい思いをするだけじゃないわよ。この禊で心身を清めれば、あなたたちの偏った能力の『土台』が整う。大文字くんの剛体も、雨宮さんの念動力が暴発してしまう恐怖心も、桐生くんの眼も……桃井くんの変身能力がどうなるかは分からないけど必ず、自分の能力の制御にプラスに働くわよ!」
「「「「「……っ!!」」」」」
その言葉は、凍え切っていた十人の心に、強烈な炎を点火した。
ただの理不尽な水行ではない。これは、自分たちが次の次元へと進むための、絶対に必要な『儀式』なのだ。
偉大なる先輩たちが命懸けで切り開いてくれた道を、自分たちも歩むための。
「……やってやるッス。俺、絶対にもっと完璧に魔力をコントロールして、みんなを支える最高の遊撃手になるッス!」
佐藤が、バスタオルをバサリと脱ぎ捨て、真っ白な褌一丁で立ち上がった。
「ええ。完璧な女優になるため、そして……愛する人を守るため。どんな苦行も、私の完璧な演技と精神力で乗り越えてみせますわ!」
高橋も、眼鏡の奥に強い決意を宿して立ち上がる。
「……私も。足手まといのちょい役で終わるつもりはありません。この理不尽な滝の力学、必ず制覇してみせます!」
南原が、不敵な笑みを浮かべる。
「当然よ! 尊敬する神(持子先輩)と同じ修行ができるなんて、むしろご褒美じゃない! 絶対にやり遂げるわ!」
阿部が、濡れて透けた白衣のセクシーさも忘れて力強く拳を握る。
「主将として、一年生の手前、ここで引くわけにはいかん! 行くぞ!」
門が、彫刻のような筋肉を震わせながら吠える。
二年生たちの覚悟を目の当たりにし、一年生たちも次々と立ち上がった。
「阿部お姉さまが挑むなら、私も地の果てまでお供します!」
「陽翔センパァイ♡ 愛の力で乗り切りましょうね!」
「フッ……美しき水の試練。僕の新たな舞台にふさわしい」
「わ、わたしも……自分の力から、もう逃げませんぅっ!」
「押忍ゥゥゥッ!! この大自然の力、己の筋肉で受け止め、必ずや剛体を極めてみせますッ!!」
神品、桃井、桐生、雨宮、大文字が、それぞれ気合いの言葉を口にして、滝に向かって向き直る。
全員が、滝行の本当の意味を知り、完全にやる気を取り戻していた。
「ふふっ。暖まったかしら?」
鮎が、満足そうに頷いた。
「では、もう一度五分間よ。今度はただ耐えるだけじゃない。心身を磨くイメージで、自分の中の穢れを洗い流すイメージで……これだけで良いから、しっかりと感じ取ってきなさい!」
「「「「「おーーーーっ!!」」」」」
「「「「「はいっ!!」」」」」
「「「「「押忍ッ!!多様!」」」」」
十人の合気武道部員たちは、各々気合いの入る大声を張り上げながら、再び轟音を立てる滝壺へと駆け出していった。
ザバァァァァァッ!!
冷気に悲鳴を上げるのではなく、今度は自ら滝の重圧の下へと入り込み、座禅を組み、あるいは真っ直ぐに立って、必死に自分自身の内面と向き合おうとする。
「……ふふっ。いい目になったわね」
岸辺からその様子を眺めながら、鮎はクスッと笑った。
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それから三時のおやつ時間まで。
五分入っては焚き火で暖まり、また五分入る……という過酷なループが何度も繰り返された。
滝に打たれながら光の神術のインスピレーションを得ようと奮闘する二年生たち。自身の能力の暴発や偏りを整えようと精神を集中させる一年生たち。
そう簡単に答えが出るはずもなく、彼らは何度も滝の圧力と冷たさに心を折られそうになりながら、それでも必死に食らいついていた。
しかし、その終わりの見えない苦行の中で、ほんのわずかな『変化』が起き始めていた。
「……っ、ふぅぅ……!」
佐藤の手のひら。そこから立ち昇る光の魔力が、先ほどまでの頼りない明滅から、蛍の光のようにじんわりと安定した温もりを放ち始めていた。不純物が水に洗い流され、魔力の回路が少しずつクリアになっていく感覚。
「うぅぅ……冷たいですぅっ……でも……っ」
雨宮の周囲でも変化が起きていた。いつもなら恐怖で無意識に発動した念動力が、周囲の水を弾き飛ばして暴発してしまうところだが。今は彼女の念動力が、まるで薄い膜のように身体を覆い、激しい水流をわずかだが『丸く受け流し』始めていたのだ。影安先生に教わった「水のような脱力」が、少しずつ形になりつつあった。
「ま、私たちと違って、彼らには『死の恐怖』という命はかかってないから、成長スピードとしてはこんなもんよね〜」
鮎が、腕を組みながらも、どこか安心したように小さく呟く。
「でも、焦らなくていいわ。少しでも良いから、確実に前に進んでね、可愛い後輩たち」
「マスター。そろそろ学生たちの体力が限界ですわ」
背後で、ルージュが焚き火の火力を調整しながら声をかけた。
「私、社務所の厨房に戻って、三時のお茶とお菓子の用意をしてくるわね。冷えた身体には、温かいお汁粉と塩昆布なんてどうかしら?」
「最高ね。ありがとう、ルージュ。私もしばらくしたら、彼らを上がらせてそっちに向かうわ」
「ええ。頼みましたわよ」
轟音を響かせる滝の音と、若者たちの気合いの叫び声。
初夏の森の中、狂信のOGと常識人の使い魔による厳しくも温かい見守りの下で、チーム合気武道の『器』は、また一つ確かな成長の階段を上ろうとしていた。




