【憧れの監督に拒まれて】
【憧れの監督に拒まれて】
都内近郊のドラマ撮影現場。
煌々(こうこう)と焚かれた照明の下、慌ただしくスタッフたちが駆け回っている。
「はい、カット! そこ、もう少しカメラ引いて!」
メガホンを持った監督の声が響く中、パイプ椅子が並ぶ待機スペースの隅で、佐藤陽翔は首から『マネージャー』のパスを下げ、腕を組んで待機していた。
(……紗良のチョイ役の出番、そろそろかな。にしても、現場の空気ってピリピリしてて緊張するッスね……)
佐藤が南原の出番を気にしながらスケジュール帳をめくっていると、ポケットのスマートフォンが『ブルルルルッ!』と激しく振動した。
画面を見ると、時刻は午後五時。発信者には『阿部凛花』の文字が表示されている。
「おっ、凛花からだ。時差があるから、パリは今……朝の九時くらいか?」
佐藤は通話ボタンを押し、明るい声で耳に当てた。
「凛花! 初めての海外がパリって凄えなッス! 撮影はどうだ? パリでも活躍してるか!」
受話器の向こうから、凛花の元気な声が返ってくる――と、佐藤は信じて疑わなかった。
しかし。
『……う、うん……』
「ん? どうした?」
『……ひぐっ……ふぎゃゃゃゃゃんっ!!』
耳元で、突如として大音量の号泣が爆発した。
「うおっ!? ど、どうしたどうした?! 何かあったんスか!?」
『わたし、わたしぃぃっ……ダメダメなのぉぉっ! ふぎゃゃゃゃゃんっ!!』
「お、落ち着け! 深呼吸しろッス!」
『ふぎゃゃゃゃゃんっ! ふぎゃゃゃゃゃんっ! ふぎゃゃゃゃゃんっ!』
周囲のスタッフがチラチラとこちらを見始めた。
佐藤は慌ててスタジオの隅へ移動しながら、通話口に向かって腹の底から声を張り上げた。
「うるさァァァァァいッ!! 泣き止んでちゃんと喋れッス!!」
ピタッ。
佐藤の怒鳴り声に、電話越しの凛花がビクッと息を呑み、嘘のように静かになった。
「……はぁ。で? 何があったんスか」
佐藤がため息まじりに問いただすと、凛花がズズッと鼻をすする音を立てて話し始めた。
『……あのね、今日の撮影……リュクス・アンペリアルの新作なんだけど……』
「お、おおっ! あの超有名ブランドッスね!」
『うん……。それでね、カメラマン兼監督が、世界的な巨匠のロレンツ氏なの。わたしの、ずっとずっと憧れの人……!』
「そりゃすげえッス! 大抜擢じゃないッスか!」
佐藤が感心して頷くが、凛花の声はどんどん沈んでいく。
『……でもね、その憧れの人に……「もう帰れ」って言われちゃったのぉぉぉ……っ。ふぎゃゃゃゃゃんっ!』
「ちょっ、また泣くなッス! なんで帰れなんて言われたんスか!?」
『ロレンツ監督の、イメージ通りに出来ないからぁ……っ』
佐藤は首を傾げた。
「イメージ? 凛花なら、どんな服でも着こなせるんじゃないッスか?」
『それが……今回のコレクションのテーマが、「魔王」なの』
「魔王?」
『うん。それも、ただの魔王じゃないの。……「魔王持子」……圧倒的で、畏怖されるような、「神」のイメージを求められてるの……!』
「なんだって……持子先輩のイメージ?」
佐藤が目を丸くしていると、背後からスッと冷たい声が降ってきた。
「五月蝿いですね。電話の声、ここまで丸聞こえですよ」
振り返ると、自分の出番の撮影を終えた南原さら(なんばら さら)が、呆れたように腕を組んで立っていた。
南原は佐藤のスマホをジト目で睨みながら、すらすらと解説する。
「無理もありません。持子先輩といえば、世界中のモデルやトップクリエイターの間でも『魔王』の象徴として語られる絶対的な存在ですからね。それを体現しろというのは、並大抵の要求ではありませんよ」
「持子先輩は世界的なスーパーモデルッスからね!?」
南原が小さく頷くと、スピーカー越しに凛花がしゃくり上げながら言葉を続けた。
『そ、そう思ったから! わたしも途中から、極黒の魔力も全開にして撮影に挑んだの! でも、ダメだったのぉ〜っ!』
「ダメだった? 魔力まで使ったのにッスか?」
『うん……。「確かにお前は魔王そのものだ。だが、お前自身の魂が見えない。ただ力に頼っているだけの、空っぽの器だ」って……。もう、どうすればいいか、わかんないよぉ……っ!』
「魂が見えない……」
南原が小さくため息をつき、肩をすくめる。
「……はぁ。謎かけですか? 私には芸術家の考えることは分かりませんね」
だが、佐藤は違った。
何かを閃いたように、ニカッと不敵な笑みを浮かべる。
「……そのままじゃねえッスか」
『え……?』
「魔力も、身体も、もう十分に『魔王』なんスよ。なら……あとは、凛花、お前自身を出せばいいんだッス!!」
佐藤の迷いのない声が、スマホ越しにパリの空へ飛んでいく。
「圧倒的だろうが神だろうが、今の凛花は『凛花』だ! 明るくて、皆のことが大好きで、仲間を大切にする……バカなんだからよ!! その『阿部凛花』のまま、魔王を演じてこいッス! ……それでダメなら、堂々と帰ってこい!!」
佐藤の熱い言葉に、電話の向こうで凛花がハッと息を呑む気配がした。
隣で聞いていた南原も、フッと口角を上げてスマホに向かって口を開く。
「佐藤君の言う通りです。阿部さん、もう一度だけぶつかって、頑張りなさい。……それでダメなら、さっさと帰ってきなさい」
少しの沈黙の後。
電話の向こうから、パァァッと視界が開けるような、いつもの凛花の明るい声が響いた。
『……っ! うん……っ! ……って、ちょっと陽翔! バカは余計だよ! 帰ったら絶対、蹴り入れてやるんだから!』
「はははっ! 蹴りでもなんでも受けてやるッスよ!」
『ふふっ……ありがと。泣き止んだ。……もう一回、頑張ってくる! 行ってくるね!!』
佐藤と南原は顔を見合わせ、同時に声を張り上げた。
「「いけーーッ!!」」
ピッ。
通話が切れ、短い電子音が鳴った。
佐藤はスマホをポケットにしまい、少し心配そうに南原を見る。
「……紗良ちゃん。凛花、いけるよな?」
南原はいつもの澄ました顔に戻り、淡々と答えた。
「阿部さんは大丈夫です。あんなに単純で、図太いんですから」
「ははっ、だよなッス」
佐藤が安堵して笑うと、南原がジト目で佐藤を見上げた。
「……ところで佐藤マネージャー。私の撮影、とっくに終わりましたよ」
「えっ?」
「えっ、じゃありません。担当女優の撮影終了に気づかないなんて、マネージャー失格です。さっさと帰りのタクシーを呼んでください」
南原がツンとした態度で言い放つ。
佐藤はハッとして頭を掻いた。
「ご、ごめんごめんッス! 確かにマネージャー失格だッス。でも、紗良ちゃん! 今日の撮影、監督やスタッフさんたちが『あの子、存在感ある!』『あのワンシーンだけで完全に空気を持っていった!』ってベタ褒めだったッスよ! チョイ役なのに、すごいインパクト残してたッス!」
佐藤が慌ててフォローしながらタクシー配車アプリを開こうとした時、目の前にスッと冷えた缶コーヒーが差し出された。
「……え?」
佐藤が顔を上げると、南原が少しだけ照れくさそうに視線をそらしながら、もう一本の缶コーヒーを開けていた。
「タクシーが来るまで、一緒に飲みましょう。……駄目で、友達思いのマネージャーさん」
プシュッ、とプルタブを開ける音が響く。
佐藤は目を丸くした後、嬉しそうに缶コーヒーを受け取った。
「ありがとうッス。凛花は、『心の友』で『悪友』だから……放っておけなかったんスよ」
「知っていますよ。私にとっても阿部さんは大切な友達です。だから、私も一緒に背中を押したんじゃないですか」
南原はコクリとコーヒーを一口飲み、スタジオの天井の照明を見上げた。
「……それに、チョイ役でワンシーン褒められたくらいで満足してられません。阿部さんがパリで結果を出すなら、私も、もっと売れないとね」
ぽつりとこぼした南原の言葉には、確かな向上心と静かな闘志が宿っていた。
佐藤は力強く頷いた。
「大丈夫ッス! 紗良ちゃんの売り出し方、俺も色々考えてはいるッスから!」
その佐藤の真っ直ぐな言葉に、南原はほんの少しだけ目元を緩め――。
今日一番の、優しくて美しい微笑みを浮かべた。
「……ええ。期待していますよ、佐藤マネージャー」




