【アフター・パンケーキと、大人の選択】
【アフター・パンケーキと、大人の選択】
「(……ちょ、ちょっと二人とも! 押し合わないでよ、ドアに耳がめり込むじゃん!)」
合気武道部・部室の前の廊下。
一般科二年生の阿部凛花は、引き戸にへばりつきながら、背後から迫る二人の美少女に小声で抗議していた。
「(静かにして、凛花。中の声が聞こえないじゃない。……ほら、また蒼真が格好いいこと言ってるわよ?)」
凛花の頭の上に綺麗なあごを乗せるようにして聞き耳を立てているのは、完璧主義の女優であり、主将・門蒼真の恋人でもある高橋玲央だ。
「(うふふ、二人とも仲良しだね。でも本当に、中の声がよく聞こえるよ……?)」
そのさらに後ろから、おっとりとした笑みを浮かべて南原紗良が覗き込んでいる。
そんな女子三人がこっそりと盗み聞きしている部室の中からは、男二人の熱い友情トークが漏れ聞こえていた。
『お前ってやつは、本当に男前だな……ッ!』
『いいか、佐藤。これからも……俺はお前を頼りにしているぞ』
『……任せておけ、相棒!』
『相棒、か。……ふっ、そうかもな。任せた』
「(ぶっ……ハハハッ! 『相棒』だって! 陽翔のやつ、めちゃくちゃ感激して声が震えてるじゃん!)」
凛花は必死に笑いを堪え、お腹を抱えて身悶えした。
「(ふふ、蒼真も蒼真よ。『そうかもな、任せた』なんて、あんなニヒルで格好いいセリフ言っちゃって……。もう、あんな顔、私にしか見せなくていいのに、惚れ直しちゃうじゃない)」
玲央は顔を少し上気させながら、どこか嬉しそうに溜息をつく。
「(本当に素敵な友情ですね。門くんも佐藤くんも、とっても男らしくて格好いいです)」
紗良も優しく目を細めて、部室内的雰囲気を楽しんでいる。
一通り男たちの絆の深まりを確認したところで、凛花がふと真面目な顔になり、抱えていたスクールバッグから、ぽてっとした厚みのある封筒を取り出した。
「(……で、さ。これ、どうする? 一年生たちの分のパンケーキ代、私持ってきたんだけど)」
「(私も用意してきたわ。流石にあの、ラーメン二郎何杯分だか知らないけれど、あの恐ろしい金額を佐藤くんに全部押し付けるのはね。同じ二年生の仲間として、あと主将の彼女として寝覚めが悪かったし)」
玲央も同様に、上品なデザインの封筒をバッグから取り出す。
「(私も持ってきたよ。佐藤くん、昨日レシート見たとき、本当に今にも消えちゃいそうな青い顔をしてたから……)」
紗良が取り出した封筒にも、しっかりと一年生たちの負担分(+αの気遣い)のお金が入っていた。
実は女子三人は、昨日の今日で同級生である佐藤の財布の安否を本気で心配し、それぞれお金を出し合って補填するために集まっていたのだ。
しかし、玲央は手元の封筒と、今まさに『相棒』としての絆を強めたばかりの部室のドアを交互に見つめ、うーんと綺麗に眉をひそめた。
「(……ねえ、凛花、紗良。今、このタイミングで私たちが『はい、これ一年生の分の代金ね!』って入っていったら、どうなるかしら?)」
「(どうなるって……。あー……)」
凛花は想像して、苦笑いを浮かべた。
「(蒼真のあの『主将としての器の大きさ』と、陽翔の『お前男前だな!』っていう熱い涙と感動が、一瞬で木っ端微塵に消え去るね)」
「(うん……。男の人のプライドを傷つけちゃうかも。それに、せっかく今、二人の間に生まれた『強まった男の友情』が、私たちのせいで台無しになっちゃうのは、ちょっともったいないよね)」
紗良の言葉に、玲央と凛花は深く頷いた。
せっかく門が男気を見せて半分を負担し、佐藤が救われ、二人の信頼関係が最高潮に達しているのだ。そこに女子が現実的なお金を持って割り込むのは、あまりにも野暮というものだった。
「(結論が出たわね。ここは――見なかったふりをするのが、イイ女の選択よ)」
玲央がフッと不敵に、それでいて同級生への優しい笑みを浮かべた。
「(おっ、流石は玲央。じゃあ、このお金は一回引っ込めるとして……私たちはどうするの? 手ぶらで入る?)」
凛花が首を傾げると、紗良が人差し指をチチッと振って、名案を口にする。
「(ううん、お金じゃなくて、ちゃんと言葉で伝えようよ。佐藤くんにお礼を言うの。――『ご馳走様、とっても美味しかったよ、ありがとう』って)」
「(それよ! 紗良、冴えてるわ。男の子ってね、女の子から満面の笑みでそう言われるのが、一番の救いになる生き物なのよ。プライドも満たされるしね)」
「(確かに! 陽翔のやつ、単純だからそれだけで財布の傷も、精神的なダメージも一瞬で消えて、秒で調子に乗ると思う!)」
「(ふふ、決まりね。じゃあ、行くわよ?)」
玲央の合図で、三人は一斉に表情を「たった今部室に着いた女子」へと切り替えた。
ガラッ!!
「おーっす! 二人とも、早いねー!」
凛花が元気よく引き戸を開けて、部室へと足を踏み入れる。
「「ビクゥッ!?」」
案の定、部室内にいた佐藤と門は、ハッと肩を跳ね上がらせて女子三人を見た。特に佐藤は、今の「相棒トーク」を聞かれていたのではないかと、冷汗を流して激しく動揺している。
「あ、凛花! 玲央ちゃんに紗良ちゃんも! な、何スか、急に大勢で押し寄せてきて!」
「何って、決まってるじゃん」
凛花はずかずかと佐藤に歩み寄ると、その細い肩をバシバシと景気よく叩いた。
「昨日のことだよ、昨日! 陽翔、パンケーキご馳走様! マジで超美味しかった! ありがとね!」
「えっ……あ、いや……」
突然の直球のお礼に、佐藤は目を白黒させる。
続いて、紗良がトコトコと佐藤の前に進み出て、両手を胸の前で合わせ、上目遣いでふわりと微笑んだ。
「佐藤くん、本当にありがとう。あんなに高くて素敵なパンケーキ、私初めて食べたよ。すっごく美味しかったし、みんなでワイワイできて、本当に楽しかった!」
「さ、紗良ちゃん……。う、うん、お,おう……!」
紗良の聖母のような笑顔と感謝の言葉を至近距離で浴び、佐藤の顔が一気に真っ赤に染まる。
トドメとばかりに、玲央が腕を組んで、女優ならではの極上の笑みを佐藤に向けた。
「フフ、ご馳走様、佐藤くん。私も大満足だったわ。あの人数分をサラッと奢ってくれるなんてね……。さすがは我が合気武道部の副主将だわ。同級生として、鼻が高いわよ?」
「れ、玲央ちゃんまで……っ!」
完璧美少女三人からの、怒涛の「美味しかった」「ありがとう」「格好良かった」のトリプルコンボ。
佐藤の脳内麻薬は、この瞬間に完全にキャパシティをオーバーした。財布のダメージなど、すでにどこか遠い宇宙へと吹き飛んでいる。
「へ、へへへ……! いやあ、まあ、そ、それほどでも……いや、それほどでもあるッスかね!? 自分、合気武道部の副主将っスから! 後輩や同級生の女子に美味いもん食わせるなんて、当然の勤めを果たしたまでっスよ! お安い御用っス!!」
案の定、一瞬で調子に乗って胸を張る佐藤。鼻の下がこれでもかというほど伸びている。
「(……ふっ)」
その様子を見ていた門は、自分のブレザーの内ポケット(佐藤に返すはずだったお札が入っている)をそっと叩き、口元を綻ばせた。
同級生の女子たちの意図を完璧に察した門は、あえて何も言わず、主将としての威厳を保ったまま「やれやれ」と首を振る。
「あはは! ほら見なさい、すぐ調子に乗るんだから!」
凛花がゲラゲラと笑いながら佐藤の背中を叩く。
「もう、佐藤くんったら面白いね」
紗良の鈴が転がるような笑い声が部室に響き、玲央も楽しそうに目を細める。
「よし! 女子たちにもあんなに感謝されたんだ! 今日の稽古も、自分、バリバリ気合入れて指導しちゃうっスよ! ほら蒼真、さっさと着替えて道場行くっスよ!」
「ああ、そうだな。……行くか、相棒」
「おうよ、相棒!」
二年生の男たちが再び力強く頷き合い、女子たちはそれを見守りながらクスクスと笑う。
お金は確かにたくさん飛んでいってしまった。
けれど、部室を包むこの上なく温かい同級生たちの空気と、最高の仲間たちの笑顔。それだけで、佐藤の破産寸前だった心は、お釣りが来るほどに満たされているのだった。




