【相棒と、適正価格のパンケーキ】
【相棒と、適正価格のパンケーキ】
パンケーキの塔に財布のHPをゼロどころかマイナスまで削り取られた、あの大惨事から一夜明けた翌日。
放課後のチャイムが鳴り終わるか終わらないかのうちに、佐藤陽翔は足早に合気武道部の部室へと向かっていた。
目的は一つ。主将である門蒼真への借金返済である。
「失礼するッス」
ガラッと引き戸を開けると、そこには案の定、一番乗りで長机に向かい、真剣な面持ちで参考書を広げている門の姿があった。
彼はいつも他の部員よりも早く部室を訪れ、武道の鍛錬と同じくらいストイックに学業に励んでいる。主将として、そして完璧主義な高橋の恋人として、決して成績を落とすわけにはいかないからだ。
「……おお、佐藤か。今日は早いな」
門はシャーペンを置き、鍛え上げられた分厚い胸板を逸らして振り返った。
「おうッス。ちょっと野暮用があって早く来たんスよ」
佐藤はずかずかと門の前に歩み寄ると、制服のポケットから封筒を取り出し、長机の上にスッと差し出した。
「昨日立て替えてもらった金、返すッス。マジで助かったッスよ」
「わざわざすまんな。後ででも良かったんだが」
門が封筒を受け取ろうとした瞬間、佐藤は封筒から手を離さず、机に顔を突っ伏すようにして怨嗟の声を漏らし始めた。
「……パンケーキって、何であんなに高すぎなんスか……!!」
突然の悲痛な叫びに、門は目を瞬かせた。
「ラーメン二郎の『大豚ダブル』よりも高い! カツ丼の『特上』よりも高いって、どう考えてもおかしいだろうッス! 小麦粉と卵と牛乳の塊が、なんであんな値段になるんスか! 豚肉より高いなんてバカなんですか、原宿の物価は!!」
血涙を流さんばかりの勢いで愚痴をこぼす佐藤。副主将としての威厳も何もなく、ただ財布を完全に破壊された一人の男子高校生としての切実な魂の叫びであった。
門はそんな親友の姿に呆れるでもなく、どこか遠い目をして深く頷いた。
「……そんなもんだ、佐藤。実は俺も、玲央……高橋と付き合ってから知ったのだがな」
門の口から飛び出した恋人の名前に、佐藤はピタリと愚痴を止めて顔を上げた。
「スイーツの相場や高級店の金額というものは、俺たち普通の高校生には異常に高く感じるものだ。だが、あれは場所代やブランド代、そして『特別な空間』への対価でもある。それが適正価格なのだと、自分自身の認識を改めるしかないのだ」
硬派な武道家の口から語られる、あまりにもリアルで大人びた「適正価格」の概念。
高橋玲央という洗練された女優と付き合う中で、門自身も幾度となくその金銭感覚の違いに直面し、それを乗り越えてきたのだろう。その瞳には、確かな説得力と諦念が宿っていた。
「ウウウウウウウ〜……ッ」
理屈は分かっても、感情と財布の中身が追いつかない佐藤は、犬のように悲しげな唸り声を上げる。
「まあ、そう落ち込むな。俺たちは放課後に東京ダンジョンへ潜って、魔物の素材やドロップ品でそれなりに稼いでいるからな。普通の高校生よりは、まだ金銭的に余裕がある分マシだと思うんだな」
「分かるんだが……頭では理解できるんスけど、やっぱり納得はできないッスよ……!」
未練たらしく机に突っ伏し続ける佐藤。
そんな彼の前に、門は受け取ったばかりの封筒から半分のお札を抜き出し、スッと差し出した。
「え?」
「半分は俺が出す」
「え、でも……」
驚く佐藤を制するように、門は静かに、だが力強く続けた。
「あの場には俺も参加したからな。主将として、全部お前一人に背負わせるわけにはいかん。後輩たちへの奢りの足しだ。……だから、もうこれで泣くな」
ぶっきらぼうだが、そこには門特有の不器用で深い優しさと、主将としての責任感が詰まっていた。
佐藤は目を丸くしてそのお札と、門の厳つくも男らしい顔を交互に見つめた。
「お前……ッ。お前ってやつは、本当に男前だな……ッ!」
佐藤は感激のあまり、大袈裟に涙を拭う仕草を見せた。
「あのプライドが高くて完璧主義の高橋が、お前に惚れまくってデレデレになっているのも、心の底から納得できるッスよ!」
「バカ、からかうな」
門は照れ隠しのようにそっぽを向き、ゴホンと咳払いをした。
しかし、すぐに真っ直ぐな、武道家としての力強い視線を佐藤へと向け直す。
「いいか、佐藤。これからも合気武道の稽古や、魔物退治、それに部をまとめる諸々のこと……。俺はお前を頼りにしているぞ」
真剣なトーンで告げられたその言葉に、佐藤の顔からもおどけた表情が消えた。
彼らは同じ二年生として、そして数々のカオスな日常と死線を共に潜り抜けてきた仲間なのだ。
「……任せておけ、相棒!」
佐藤はニカッと、いつもの太陽のように爽やかな笑顔を浮かべ、ドンッと自身の胸を叩いた。
「相棒、か。……ふっ、そうかもな。任せた」
門の硬派な顔に、柔らかく信頼に満ちた笑みが浮かぶ。
「おーッス!」
夕焼けに染まり始めた部室に、二人の頼もしい声が響く。
高すぎるパンケーキの代償は、確かに佐藤の財布を空っぽにした。
だが、すっかり財布が軽くなった分、仲間との信頼は少しだけ重くなったようだ。




