【転換:地下室の静寂と、這い寄る真の恐怖】
【転換:地下室の静寂と、這い寄る真の恐怖】
ゴァァァァァァァァァァッ……!!
ガラガラガラッ……ドスゥゥゥゥンッ!!
「ゲホッ、ゴホッ……! み、みんな、無事か……っ!?」
もうもうと立ち込める粉塵と、砕け散った古い木材の破片が降り注ぐ中。
桐生蓮は、むせ返りながらも手元のランタン型LEDライトを点灯させ、周囲を照らし出した。
「お、押忍ゥ……! 自分は無事ッス……。カップルのお二人も、ギリギリで庇いきれたッス……!」
瓦礫の中から、大文字鉄平が砂埃まみれになりながら立ち上がる。彼の強靭な巨体と『剛体化』の能力が、落下時の衝撃から民間人の男女をすんでのところで守り抜いていた。
カップルの二人は恐怖と衝撃で完全に腰を抜かし、ガタガタと震えて互いにしがみついている。
「わたしも大丈夫ですぅ……でも、せっかくのスーツが汚れちゃいましたぁ……」
桃井琉生が、極薄のブラックスーツについた埃を払いながら、艶やかなため息をつく。
「僕も生きてる……っ。雨宮さん! あんた、なんてことしてくれたのさ!」
神品蘭が、雷晶のブレスレットを光らせながら、暗闇の奥に向かって怒鳴った。
「ひぃっ! ご、ごごごごめんなさいぃぃっ!!」
瓦礫の隅で、雨宮千歳が両手で頭を抱え、土下座の勢いで縮こまっていた。
「怖くて、無意識に力が出ちゃって……っ! 本当にごめんなさいぃっ!」
「……まあ、結果的にあの霊の群れからは逃げられたし、分断の罠もぶち抜けたから良しとしよう。それより……」
桐生がライトの光を前方に向け、言葉を濁した。
その場にいる全員が、ハッと息を呑む。
「……なんか、急に……寒くないですかぁ?」
桃井が自身の両腕をさすりながら、声を震わせた。
そう、寒いのだ。
物理的な気温の低下というよりも、魂の芯まで凍りつくような、嫌な冷気だった。
ここは、洋館の地下に広がる広大な『ワインセラー』のようだった。壁際には古びた木製のワイン棚がずらりと並び、割れたボトルから漏れ出した赤ワインが、まるで血だまりのように床にこびりついている。
だが、何よりも異常なのは――『音』だった。
先ほどまで、洋館の上層階には、常にギシギシと床が軋む音や、低級霊たちのうめき声、ポルターガイストによる破壊音が響き渡っていた。
しかし、この地下ワインセラーに落下した途端、それらの気配が『ピタリ』と完全に消え失せてしまったのだ。
「……静かすぎる。さっきまであんなに群がっていた霊の気配が、一つもない」
桐生が冷や汗を流しながら、周囲を警戒する。
「押忍……。まるで、何かとてつもなく『巨大で恐ろしいもの』のテリトリーに入り込んでしまって、他の小魚たちが逃げ出してしまったような……そんな嫌な静けさッス」
大文字が両拳を固く握りしめ、顔を強張らせた。
「ひっ……! な、何か、中央に……ありますぅ……っ」
千歳が震える指で、部屋の中央を指差した。
桐生がライトの光を、ワインセラーの中央へと向ける。
そこに転がっていたのは――ボロボロの衣服を纏った、人間の『死体』だった。
「うわあああっ!?」
カップルの男女が悲鳴を上げ、後ずさる。
「おい、あれって……!」
桐生が『千里眼』の眼を凝らす。
暗闇に浮かび上がったその死体は、全身を鋭い何かでズタズタに引き裂かれていた。
しかし、桐生の視線は、死体が身につけているボロボロの制服と、辛うじて原型を留めている腕章に釘付けになった。
「TIAの……腕章……! 間違いない、事前のブリーフィングで聞いていた、以前この洋館の依頼を受けて失踪したっていう『E級能力者』だ……!」
桐生の言葉に、一年生全員の背筋に氷柱を突き立てられたような悪寒が走った。
「失踪したって……もう、死んでるじゃないか……っ」
神品が顔面を蒼白にし、後ずさる。
張り詰めた静寂。
自らの鼓動だけが、耳元で早鐘のように鳴り響いている。
そんな中、大文字鉄平が重い足取りで、ゆっくりと死体へと近づいていった。
「大文字!? 何してるんだ、不用意に近づくな!」
桐生が叫ぶが、大文字は首を横に振った。
「押忍……。同じ任務を帯びた先輩ッス。せめて、安らかに眠れるように、目を閉じさせてやりたいッス……」
大文字の武道家としての、あまりにも愚直で真面目な敬意。
彼は死体の側に片膝をつき、そっと手を伸ばした。
そして、大文字の太い指先が、死体の冷たい肩に触れた、その瞬間――。
『……タ、スケ、テ……』
「……え?」
大文字の動きが、ピタリと止まった。
『……ダレカ……タスケ、テ……コワイヨォ……ッ』
死体の、ズタズタに引き裂かれた顎が、カクン、カクン、と不自然に動き始めた。
そして、その潰れた喉の奥から発せられた声は――。
「えっ……? う、嘘……」
背後で守られていたカップルの女性が、絶望的な表情で自分の口を覆った。
死体が発している声。それは、今まさに彼らが背後で保護している、『カップルの男女の声』と全く同じだったのだ。
恐怖で泣き叫ぶ女の声。パニックになって助けを呼ぶ男の声。
それらが混ざり合い、一つの死体の口から、狂ったテープレコーダーのように再生されている。
「な、なんだこれ……! 悪趣味にも程があるッスよ!!」
大文字がバッと手を離し、後退する。
だが、恐怖はそれだけでは終わらなかった。
ズズズズズズズズッ……!!
「ひぃっ!? な、何か、壁が……っ!」
桃井が指差した先。死体の背後にある石造りの壁が、まるで巨大な心臓のようにドクン、ドクンと脈打ち始めたのだ。
赤黒い『何か』が、壁の隙間からドロドロと滲み出し、死体を飲み込むように這い寄ってくる。
『ズルッ…………ゴボァァァァッ……!』
嫌悪感を催すような、肉と肉がすれる湿った音が地下室に響き渡る。
壁から溢れ出した赤黒い怨念の塊は、死体をその内部へと取り込み、瞬く間に巨大な『肉の塊』となって膨れ上がった。
「う、うわあああああああっ!?」
「な、なんですかアレぇぇぇっ!?」
一年生たちが絶叫する。
ライトの光が照らし出したのは、身の丈5メートルを優に超える、醜悪で巨大な肉塊だった。
その表面には、これまでこの洋館で死んでいったであろう、何十人分もの人間の苦悶の顔が、ボコボコと浮かび上がっては消えている。
さらに、肉塊の側面や頭頂部からは、壁や天井の闇と癒着するように、皮を剥がれた無数の『人間の腕』が生え伸び、ウネウネと狂ったように蠢いていた。
「(これが……洋館の怨念そのものが受肉した怪物……!?)」
桐生の『眼』が、その怪物から放たれる圧倒的な魔力量を測り、脳内で警鐘を鳴らす。
事前のD判定などとうの昔に超えている。神品最大火力を無効化し得る密度、洋館の支配、死体の利用、擬態、怨念の集合。これは実質、B-級に迫る真の脅威だ!
『アァァァァァァァァァァァァッッッ!!』
肉塊に埋まった無数の顔が、一斉に断末魔の悲鳴を上げた。
その凄まじい音波と威圧感に、一年生たちは足がすくみ、一歩も動けなくなってしまった。
**【絶望と反撃:一度の敗北と、立ち上がる5人】**
「……ひぃっ、あ、あわわわわわ……っ」
カップルが泡を吹いて気絶寸前になっている。
千歳も腰を抜かし、完全に戦意を喪失していた。桃井もワイヤーを構える手がガタガタと震え、桐生に至ってはマッスルスーツの補助がなければ、その場に崩れ落ちていたかもしれない。
その絶望的な威圧感の中、ただ一人、前に出た者がいた。
「舐めないでよ……っ!!」
神品蘭だった。
彼女は恐怖で顔を蒼白にしながらも、右手首に装着された『雷晶のブレスレット』を強く握りしめた。
「お姉さま(凛花)の隣に立つために……僕は、こんなキモい肉塊なんかで、立ち止まるわけにはいかないんだよぉっ!!」
バチバチバチバチィィィッ!!
神品の強い決意と感情の昂りが、ブレスレットの蓄電メーターを一気に跳ね上げさせる。
青白いスパークが彼女の全身を包み込み、地下室の空気がオゾン臭で満たされた。
「私が……一撃で決める!! 消し飛べぇぇぇぇっ!!」
バヂィィィィィィィィンッ!!!!!
神品が両手を突き出し、彼女の現時点での最大火力である極太の雷撃を、真正面から肉塊へ向けて放った。
暗闇の地下室が、真昼のように青白く照らし出される。
これほどの雷撃なら、いかに巨大な怪物であろうと、黒焦げになって消し飛ぶはずだ――。
全員がそう信じた、その直後だった。
『……ギギギギギ……』
「――えっ?」
神品の口から、間の抜けた声が漏れた。
眩い閃光が収まった後。
そこには、無傷の肉塊が鎮座していた。
「う、嘘でしょ……?」
神品が絶望に染まった声を震わせる。
肉塊から生え伸びていた無数の腕。それが瞬時に怪物の前面に集結し、幾重にも重なり合う巨大な『肉の盾』を形成していたのだ。
雷撃は、表面の何本かの腕を黒焦げにしただけで、怪物の本体には全く届いていなかった。
『ゴァァァァァァァァァッ!!』
怪物が、防ぎきったと同時に反撃に転じた。
盾にしていた無数の腕を解き放ち、今度は巨大な鞭のように束ねて、神品めがけて薙ぎ払ってきたのだ。
「危ないッス!!」
ドッゴォォォォォンッ!!!
神品を庇うように飛び出した大文字が、両腕をクロスして『剛体化』の最大出力を展開した。
しかし――。
鋼鉄の硬度を誇るはずの大文字の巨体が、怪物の圧倒的な質量の前に、まるでピンポン玉のように軽々と吹き飛ばされたのだ。
「がはぁっ!?」
大文字が空中で血を吐き、後方のワイン棚に激突して、棚ごと粉々に粉砕しながら壁に叩きつけられた。
「大文字ぃぃぃぃっ!?」
桐生が絶叫する。
「お、押忍……っ。だ、大丈夫ッス……骨は、折れてない……ッス」
大文字はバンテージに守られた腕を震わせながら、なんとか立ち上がろうとするが、ダメージは明白だった。
(勝てない……! 僕たちの力じゃ、どう足掻いても勝てない! このままじゃ、全滅だ……!)
桐生の心に、冷たい絶望が死神の鎌のように迫り来る。
化け物は次なる一撃を放つべく、無数の腕を再び振り上げている。パニックに陥り、誰も動けない。
だが。
『桐生くんの長所は、圧倒的な目の良さでしょ?』
『目が良すぎて反応できないあなたの肉体を、マッスルスーツが強引に動かしてカバーしてくれるわ』
先輩たちの言葉が、絶望の淵に立たされた桐生の脳裏に閃いた。
(そうだ……! 僕のこの『眼』は、絶望を見るためについているんじゃない! 生き残るための、希望を見つけるためについているんだ!!)
「うおおおおおおおおっ!!」
桐生が咆哮を上げ、高出力マッスルスーツのモーターを限界まで駆動させた。
キュイィィィンッ! という機械音と共に、桐生の身体が、彼自身の筋力では絶対に不可能な速度で横へとスライドする。
ズドォォォォンッ!!
怪物の巨大な腕が、桐生がコンマ一秒前まで立っていた床を粉砕した。
桐生はマッスルスーツの圧倒的な機動力を活かし、壁を蹴り、宙を舞いながら、怪物の周囲を高速で旋回する。
そして、彼の『千里眼』を極限まで凝らした。
動体視力が極限まで引き上げられ、周囲の時間がスローモーションのように引き伸ばされていく。
怪物の表面で蠢く無数の顔。防御のために重なり合う腕の筋肉の繊維。
そして――神品の雷撃が防がれたあの瞬間、一瞬だけ腕の隙間から見えた、肉塊の奥深く。
(……見えたッ!!)
桐生の眼が、遂にそれを捉えた。
死体を取り込み、巨大に膨れ上がった肉塊の、さらにその中心。
最初に取り込まれた『E級能力者の死体の胸の奥』に、赤黒く脈打つ、高密度な魔力の結晶体――『真の核』が隠されているのを!
(でも、分かっても駄目だ……! さっきみたいに『右から来る』とか『核を狙え』だけの指示じゃ、みんなの動きは噛み合わない。僕は、監督にならなきゃいけないんだ!!)
桐生蓮の中で、何かが完全に弾け、覚醒した。
司令塔としての、本当の目覚めだった。
桐生は空中で姿勢を制御し、床に着地すると同時に、息を吸い込んで腹の底から大音声を張り上げた。
「みんな、僕の声を信じろ!! 僕の目と、みんなの力を合わせるんだ!!」
その迷いのない、絶対的な自信に満ちたイケメンボイスが、パニックに陥っていた一年生たちの心に、一筋の強烈な光を突き刺した。
「大文字! 痛いのは分かってる、でもお前の剛体化しかないんだ! まっすぐ三歩前へ出て、あいつの右から来る薙ぎ払いを全力で受け止めろ!!」
「……押忍ゥゥゥッ!! 了解でありますッ!!」
桐生の明確な指示に、大文字の迷いが消えた。彼は激痛に耐え、己の肉体を鋼の壁へと変えて、寸分違わず三歩前へと踏み出し、怪物の右腕の連撃を真正面から受け止め始めた。
「桃井! 大文字が防いでいる間に、左側に回れ! ワイヤーを使って、怪物の左側に生えている腕を、下から三本だけまとめて縛り上げろ! 隙間を作るんだ!」
「はぁいっ! 任せてくださいよぉ、監督さん♡」
桃井が艶然と微笑み、華麗なステップで左へ回り込む。手首から放たれた『魔導糸のワイヤー』が、怪物の腕を的確に三本束ね、ギリギリと締め上げて動きを封じた。
怪物の右側は大文字に止められ、左側は桃井に縛られ、中央の防御が手薄になる。
「千歳! 怖いなら目をつぶっててもいい! その場でカップルの前に、お前の持ってる護符を三枚使って『最高の結界』を張れ! 背後は絶対にお前が守るんだ!!」
「ひぃぃっ! や、やりますぅぅ! 絶対に守りますぅぅっ!!」
千歳がボロボロ涙を流しながらも、天城特製の護符を掲げ、青白い強固な結界を展開してカップルを完璧に保護した。
そして、桐生の眼は、怪物の防御が完全に崩れ、奥深くに隠された『真の核』が一直線に露呈した瞬間を、完璧に見切っていた。
「神品さん!!」
桐生蓮の、声帯が引き裂かれんばかりの絶叫が地下室に轟いた。
「ブレスレットの温度限界まで溜めろ! 僕が『今だ』と言ったら、その隙間の奥、赤く光る死体の胸の奥めがけて、お前のすべてを撃ち込め!!」
「……っ! 分かった!!」
神品蘭は、桐生への不信感を完全に捨て去っていた。
彼女は自身の右腕を真っ直ぐに突き出し、『雷晶のブレスレット』に己の全魔力を注ぎ込む。
ジジジジッ……バチィィィンッ!!
ブレスレットが限界を超えて赤熱化し、ジュワァァァッと彼女の腕を焼き焦がすような熱を放つが、神品は決して構えを解かなかった。彼女の瞳は、大文字と桃井がこじ開けている「一瞬の隙間」だけを真っ直ぐに見据えている。
(あと一秒……〇・五秒……今だッ!!)
「撃てェェェェェェェッ!!!」
桐生の合図が響いた。
「消え去れぇぇぇぇぇぇっ!!!」
神品の、すべてを懸けた『指向性雷撃』が、青白い光の槍となって放たれた。
大文字が支え、桃井がこじ開けた、完璧な一瞬の隙間。
桐生の眼が導き出したそのたった一本の射線を、神品の雷撃が寸分の狂いもなく貫き通していく。
ズドォォォォォォンッ……!!!
雷撃が、肉塊の奥深くに隠されていた『真の核』を、完全に、そして無慈悲に撃ち抜いた。
――ピタッ。
その瞬間、地下室の時間が止まったかのような錯覚に陥った。
巨大な肉塊の動きが完全に停止し、不気味な静寂がほんの一拍だけ降り下りる。
ドクンッ……。
直後、洋館全体が、巨大な心臓の鼓動のように大きく揺れた。
『アァァァァァァァァァァァァッッッ!!』
肉塊の表面に浮かび上がっていた何十人もの苦悶の顔が、一斉に目を見開き、天を仰いで声にならない絶叫を上げた。
天井や壁と癒着していた無数の腕が、力を失ってボロボロと崩れ落ち、赤黒い泥のように床へ溶け出していく。
『ギィィィヤアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!』
そして、断末魔の絶叫と共に、巨大な肉塊が内側から強烈な光を放ち、風船が破裂するようにドロドロと完全に崩壊していった。
「……や、やった……?」
桐生が肩で息をしながら、へたり込む。
「押忍ゥ……! 完全に、気配が消えたッス……!」
大文字が、バンテージから煙を上げながら膝をついた。
「ふぅ……あんなキモい化け物、わたしたちの敵じゃないですねぇ♡」
桃井がワイヤーを巻き取りながらウインクを飛ばす。
「僕の、僕の電気が……効いた……っ!」
神品が焦げた腕を抑えながら、安堵の涙を浮かべる。
「あ、あの……!」
部屋の隅で、完璧な結界を維持していた雨宮千歳が、保護していたカップルと共に立ち上がった。
「空間が……戻りますぅ……っ!」
千歳の言葉通り、怪物が消滅したことで洋館を覆っていた濃密な怨念の結界が霧散していく。
無限に続くかと思われた地下室の壁が崩れ落ち、そこには地上へと続く、見慣れた古びた石階段が現れていた。
「たす、助かった……! 君たち、すごいよ……秘密結社のエージェントか何か!?」
カップルの男が、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら一年生たちを拝むように拝み倒した。
「本当に、本当にありがとう……っ!」
女の方も千歳の手を握りしめ、ボロボロと泣いて感謝を伝える。
「ふふっ。エージェントだなんて大袈裟ですよぉ。わたしたち、ただの高校生ですから♡」
桃井が艶やかに微笑む。
疲れ切った五人は、互いに顔を見合わせ、泥だらけの顔で誇らしげに笑い合った。
**【結末:朝焼けの生還と、二年生の影】**
ギィィィッ……。
洋館の重い扉を開け、一年生五人とカップルが外へ出ると、そこには美しい朝焼けの光が差し込んでいた。
「「「「「――お疲れッス(ですわ、ね)!!」」」」」
「ひぃっ!?」
一年生たちが驚いて顔を上げる。
そこには、洋館の外の木陰で腕を組んで待ち構えていた、副主将の佐藤陽翔、南原紗良、そして阿部凛花の二年生三人の姿があった。
「さ、佐藤先輩!? どうしてここに!?」
桃井が目を丸くする。
「そりゃあ、お前らの初任務ッスからね。心配で見張りに決まってるッスよ」
佐藤がいつもの爽やかな笑顔で笑う。
「見張りって……じゃあ、僕たちの戦い、見てたんですか!?」
神品が尋ねると、南原が眼鏡をクイッと押し上げて淡々と答えた。
「ええ、一部始終を完全に把握していました。佐藤君の『極黒の魔力』である『闇の霧の手』を細く糸のように洋館内部へ張り巡らせ、私の計算式で視覚と聴覚の情報を同期させていましたから」
「や、闇の霧の手を、館全体に……!?」
桐生が絶句する。外にいながらにして内部を完全に監視するほどの、異常なまでの繊細な魔力操作。自分たちが死闘を繰り広げていたあの空間は、常に先輩たちの手のひらの上にあったのだ。
「いやー、地下室で怪物が巨大化した時は、マジでヤバいと思って、俺、何度も飛び込んで助けに行こうと身を乗り出したんスよ! でも……」
佐藤が苦笑しながら後頭部を掻く。
「私が止めました」
南原が冷徹に言い放つ。
「あれは彼らの試練です。死なせないギリギリのラインまでは介入するべきではないと。……それに、桐生くんの眼と指示があれば、絶対にあの局面を打開できると計算していましたから」
「紗良ぁ……っ!」
桐生が幼馴染の信頼に胸を打たれ、感動の涙を流す。
「紗良が信じてくれてたなら、僕、もっと早く覚醒できたのにぃぃっ!」
ガシッ!
感極まった桐生が、そのまま南原に勢いよく抱きついた。
「っ……!」
南原の肩が微かに跳ねるが、彼女は桐生を突き飛ばさなかった。
ただ、冷たい視線で彼を見下ろし、眼鏡の奥でふんっ、と少し意地悪な笑みを浮かべた。
「……ほとんどの女の子は、こんなイケメンに抱きつかれたら喜ぶんでしょうが。私は違いますからね」
「へ……? い、痛っ!?」
言葉とは裏腹に、南原は持っていたバインダーの角で、桐生の脇腹を的確に突いた。
「調子に乗らないでください。汗臭いです」
「ご、ごめん……」
「じゃあ、阿部先輩は……? 先輩も、一緒に監視を?」
神品がキラキラとした尊敬の眼差しを阿部に向ける。
「ん? 私?」
阿部が180センチの長身を伸ばし、豊満な胸を張って無邪気に笑った。
「私はねー、陽翔や紗良みたいな繊細な魔力操作は全然できないからさ! 外でいつでも神速で飛び出せるようにアップしつつ、ついでにお尻の筋トレと、オッパイマッサージをして胸を大きくしようとしてたの!」
「なっ……! 命懸けの戦いを見守りながら、そんな野外で自ら神聖な胸を揉みしだいていたと!? 僕も手伝います!!」
神品が鼻息を荒くして阿部に飛びつこうとする。
「馬鹿が伝染します。やめなさい」
南原が的確に神品の頭をノートで叩き落とした。
「あぁん♡ 佐藤先輩の過保護な愛、感じちゃいましたぁ♡ ずっと見守ってくれてたんですねぇ……ぎゅーってしてくださいよぉ♡」
桃井が佐藤に抱きつこうと這い寄る。
「来るな変態ッス!! 俺はお前のその肉食獣の目が一番怖ぇんスよ!!」
佐藤が神速の体捌きで逃げ回る。
「押忍! 自分はまだまだ修行不足であります! 門主将の下で、さらに剛体化を極めるッス!!」
大文字が一人で腕立て伏せを始め、千歳は「よ、よかったぁ……っ」と安堵のあまり座り込んでいた。
相変わらずのカオスな光景。
だが、互いの失敗をカバーし合い、背中を預け合った一年生五人の間には、昨日までにはなかった確かな『チームとしての絆』が結ばれていた。
**【エピローグ:残された謎と先輩たちの絆】**
保護したカップルをTIAの事後処理部隊(記憶処理と保護担当)に引き渡し、一年生たちを帰宅させた後。
朝焼けの空の下、佐藤、南原、阿部の三人は、洋館の跡地を静かに見下ろしていた。
「……それにしても」
佐藤が、いつものおちゃらけた空気を消し、真剣な表情で口を開いた。
「TIAの事前の『D判定』はともかく、昼間の俺の索敵判定すら完全に狂わせるなんて。あの怪物……一体なんだったんスかね」
佐藤の『極黒の魔力』による索敵は、裏社会でもトップクラスの精度を誇る。それをごまかしてあの地下室に潜んでいた原因、そして失踪したE級能力者を取り込んで受肉した起因などは、完全に謎のままだった。
「……今後、あんなイレギュラーな事件が無ければいいんスけどね」
佐藤の言葉に、南原も厳しい表情で頷いた。
「ええ。あの佐藤君の絶対的な索敵判定を覆すような存在が、意図的に隠れていたのだとしたら……素直に怖いですね。背後に、未知の怪異や組織の影があるのかもしれません」
二人の間に、重く不穏な空気が沈み込む。
裏社会の深淵は、彼らが東京ダンジョンでアモンを討伐した後も、依然として口を開けて待っているのだ。
「そう?」
その時、ポンッ、と。
阿部凛花が、底抜けに明るい笑顔で、二人の肩を力強く叩いた。
「え?」
「私たちなら、絶対に大丈夫だよ!」
阿部は太陽のような笑顔を弾けさせ、胸を張った。
「私はさ、ばーって敵の懐に突っ込んで倒すことしかできないけどさ! 陽翔の戦況を見る指揮は絶対に間違いないし、紗良のフォローやデータ分析はいつだって安心できる!」
「阿部さん……」
「門くんは、そこに存在してるだけで一緒に戦えるって思えるくらい頼もしいし! 玲央はどんな時でもクールで完璧で、絶対に崩れない! こんな最高に強くて頼もしい私たちがいるんだから、一年生たちだって、これからどんな敵が来たって絶対に大丈夫だよ!!」
迷いのない、絶対的な信頼。
阿部のその真っ直ぐすぎる言葉に、佐藤と南原は一瞬だけ目を丸くし――やがて、重苦しい空気を吹き飛ばすように、ふっと笑みをこぼした。
「ふふっ……」
南原が、珍しく口元をほころばせて笑う。
「阿部さんが言うと、どんな絶望的な状況や未知の脅威でも、なんだか簡単そうに聞こえるから不思議ですね」
「はははっ、違いないッスね!」
佐藤も腹を抱えて笑い声を上げた。
「凛花は、ただ敵をばーって倒すだけじゃなくて、そのバカみたいな明るさで、いつも俺たちの心を救って助けてくれてるッスよ!」
「ちょっと陽翔! バカは余計だー!」
阿部が頬を膨らませて、長い脚で佐藤に軽い蹴りを入れる。
「痛ててっ! すまんッス! 褒め言葉ッスよ!」
朝焼けの空が、三人の影を長く伸ばしていく。
未知なる脅威の謎は残されたままだ。
だが、共に死線を潜り抜け、揺るぎない絆で結ばれたこの先輩たちがいる限り、合気武道部の未来は決して暗くはない。
「さあ、帰るッスよ! 俺、徹夜で腹減ったッス! 牛丼特盛ね!」
「私も食べるー!」
「朝からカロリー過多です。バカが加速しますよ」
じゃれ合いながら歩き出す二年生たちの背中を、朝の温かい光が優しく包み込んでいた。




