【華やかなる檻と、表向きの宣言】
【華やかなる檻と、表向きの宣言】
私立聖ミカエル学園。
表向きは従来通り「一般科」と「芸能科」の二科体制を敷き、未来のスター候補生や一般の生徒たちが集う華やかな学び舎は、新学期最初の全校集会において、かつてない異様な緊張感に包まれていた。
広大な体育館の壇上に立つのは、一人の女性。
身体のラインに沿った漆黒のパンツスーツを見事に着こなし、冷たくも美しい銀髪を揺らすその姿は、周囲の空気を凍りつかせるほどの威圧感を放っていた。
国内最大手芸能事務所「スノー」の社長であり、日本の霊脈を巡る裏社会の重鎮でもある女――立花雪である。
「――本日より、私、立花雪が、私立聖ミカエル学園の『総長』に就任いたします」
よく通る涼やかな声が、数千人の生徒がひしめく体育館に響き渡った。
静寂。
あまりにも現実離れした宣言に、一般生徒たちは息を呑み、言葉を失う。
「今年度より、本学園の経営母体は『スノー』と、複数の有力企業群による共同出資へと変わりました。それに伴い、今年度は一年生はもちろんのこと、二年生、三年生にも数多くの『転入生』を迎え入れています。本学園は生徒個人の意志と個性を最大限に尊重し、放課後には特別なカリキュラムや課外活動を用意しています。皆さんが有意義な学園生活を送れるよう、全力でサポートを約束しましょう」
一般生徒には、それはただの「新経営陣からの手厚いサポート宣言」にしか聞こえなかった。
「なぁ、聞いたかよ。あの人が立花雪……本物の『スノー』の社長だろ!? 俺たちの学校、とんでもないエリート校になるんじゃないか?」
「二年生や三年生にも転入生がいっぱい来たって言ってたけど、もしかして芸能人の卵とかかな? 放課後の特別カリキュラムって絶対オーディション対策とかだよね!」
一般の生徒たちは目を輝かせ、無邪気な期待に胸を膨らませていた。
しかし――一般生徒の列に紛れ込んでいる「能力者」の転入生や関係者たちにとって、その言葉の意味は全く異なっていた。
彼らは事前に、学園が裏社会のクラン「TIA」と共同で買収されたこと、そして放課後に行われるのが「異形と殺し合うための裏社会のカリキュラム」であることを熟知している。
雪の言葉は、表向きは穏やかな挨拶でありながら、裏を返せば「力を持つ者たちは、死なないためにここで徹底的に防衛術を学べ」という絶対者からの通達であった。
【混沌のクラスメイトと、絶対なる指導者】
全校生徒の好奇の視線が飛び交う中、一般科と芸能科の列の中には、すでに裏社会の事情を抱えた能力者たちが、全く異なる空気を纏って紛れ込んでいた。
一般科の列の端で、あからさまに制服のネクタイを緩め、鋭い三白眼で周囲を威嚇しているのは、元不良の少年だった。
ある日突然発火能力に覚醒してしまい、裏社会の末端から追われる身となった彼――東忠は、苛立たしげに舌打ちをしている。
その斜め後ろで、周囲から完全に孤立するように俯いているのは、青白い肌をした儚げな少女だ。
彼女は、妖怪の血を色濃く引く「半妖」の末裔である喜多川宵子。彼女の周囲だけ、異常なほどの冷気と濃密な妖気が漂っている。
そんな一触即発の能力者たちを束ね、牽制しているのは、一般科の三年生として制服を着こなす少女――風間楓であった。
「……あなたたち。ここは表の学校よ。少しでもボロを出したら、私が直接『指導』するからそのつもりでいなさい」
楓が伊達メガネの奥から絶対零度の視線を走らせると、2人とも背筋を凍らせて小さく頷いた。
TIAの特級エージェントであり、神話級の宝具を息をするように召喚できる彼女は、この学園における実質的な「現場の指導者」であった。
各クランから送り込まれた若き能力者たちでさえ、楓の圧倒的な力と実績の前では冷や汗を流して沈黙するしかない。
裏社会において、各クランで風間楓に敵対しようとする者は誰一人として存在せず、また物理的にも不可能であった。
彼女の存在こそが、この混沌とした学園の絶対的なストッパーとなっていたのだ。
【深淵からの特別顧問たち】
「放課後の特別なカリキュラムに伴い、皆さんの活動をサポートする『特別顧問』の先生方をお招きしています」
雪が片手を上げると、体育館の袖から、常人とは次元の違う重圧を纏った大人たちが静かに姿を現した。
表向きには「伝統文化の講師」や「特別カウンセラー」として紹介されているが、能力者たちは彼らの正体を知っている。彼らは各クランから派遣された、生粋の「実戦指導者」たちであった。
古神道結社『八咫烏』の神官。
修験道集団『鳳翼山伏衆』の武闘派山伏。
『曼荼羅浄土門』の結界師である僧侶。
『聖三条騎士団』の悪魔祓い(エクソシスト)を担う神父。
そして公的な陰陽道組織『六壬』の執行官。
能力者たちは、事前に知らされていた通り、彼らから「対悪魔戦闘学」「呪術防衛論」「霊災避難手順」といった、人類の敵と殺し合うための知識と技術を学ぶことになる。
禁忌を扱うような泥臭い無法者たちの介入は雪によって完全にシャットアウトされており、学べるのは純粋な「防衛と生存」のための技術だけであった。
【歪む日常と、合気武道部の戦慄】
一般生徒たちが「なんだか凄そうな先生たちだ」と呑気な感想を漏らす中、一般科の列に並んでいた合気武道部の面々は、背筋に氷を当てられたような悪寒に震え、同時に事態を正確に把握していた。
日々極限の武道を追求している彼らは、一般人でありながら、異常な気配を察知する感覚が研ぎ澄まされている。
「……おい、見たかよ今年の転入生たち。あいつら、ただの人間じゃない。あの空気、間違いなく『能力者』っスよ……」
一般科の佐藤陽翔が、限界まで目を見開いて震え声で囁く。
「ああ……。雪社長の挨拶は表向きのものだ。だが、俺たちには分かる。この学園は裏社会の能力者たちをかき集めた、事実上の『軍事訓練施設』にされちまったんだ……。転入生たちは、放課後にあの化け物みたいな大人たちから戦闘訓練を受けるつもりだぞ」
同じく一般科の門蒼真は、強靭な肉体を硬直させ、冷や汗を流しながら周囲の転入生たちを睨み据えた。主将としての責任感が、直面する理不尽な暴力の世界を前に警鐘を鳴らしている。
「門くん、私たち、とんでもない箱庭に閉じ込められたのかもしれませんわね……。あんな本物の修羅たちと同じ校舎で過ごすだなんて、背筋が凍る思いですわ」
芸能科の高橋玲央が、青ざめた顔で眼鏡のブリッジを押し上げる。彼女の知性をもってしても、日常のすぐ隣で魔物や妖怪との殺し合いを前提としたカリキュラムが進行するという事実は、到底処理しきれなかった。
「ありえません! 文部科学省の学習指導要領を完全に無視しています! 妖との戦い方? 表向きは部活動? こんなオカルト染みたカリキュラムが同じ学校で行われるなんて、常識が崩壊しています!」
芸能科の南原紗良は、優等生としての常識が崩壊する音を聞きながら、悲痛な声で理詰めのパニックを起こしていた。
しかし、そのただ一人。
「えっ、でもこれって、本物の能力者と悪魔祓いのアドバイザーが同じ学校にいるなんて、さすが雪社長、最先端のメソッドね!」
芸能科の阿部凛花だけは、圧倒的な危機感の欠如と共に、完璧なモデルスマイルで両手を合わせて感嘆していた。
「お前は少しは生命の危機を感じろ、凛花!」
「バカ言えっス! 悪魔の標的にされたら一瞬で魂食われるっスよ!」
佐藤と門の切実なツッコミすら、もはや虚空に溶けていくようだった。
【絶対者の箱庭と、招かれざる老頭児】
「さて、私からの挨拶は以上です」
雪はパンッと手を叩き、涼やかな視線で生徒たちを見渡した。
「私は多忙につき、普段は学園に常駐しません。皆さんは、自ら選んだ道を悔いのないように歩みなさい」
雪が壇上から去ろうとし、能力者たちも一般生徒たちも、それぞれ異なる意味で新学期の重圧に押し潰されそうになった、その時だった。
「――ほっほっほ! ならば代わりに、ワシが毎日女子高生たちの若さ溢れるエキスを視察に来てやろう!」
バンッ! と体育館の重厚な扉が開き、一人の老人が堂々と乱入してきた。
手には成人向けの如何わしい雑誌『月刊・熟れた果実たち』を握りしめ、スケベな笑みを顔面に張り付けた白髭のジジイである。
彼こそが、TIAの現トップ、風間助平。
普段はエロ本を読みながら茶をすすっているただのスケベジジイだが、その正体は戦後の百鬼夜行を鎮めた『日本五大化け物霊能者』の最後の生き残りという、伝説級の怪物である。
彼の登場により、能力者や裏事情を知る指導者たちの間に、先程までとは全く別のベクトルを持つ強烈な戦慄が走った。
伝説の化け物が、ただエロ本を片手に笑っているという異常事態に、八咫烏や曼荼羅浄土門の大人たちすら冷や汗を流して硬直する。
「おお、素晴らしい! 今年の新入生も転入生もピチピチじゃのう! TIA代表として、まずは身体測定の補助から――」
ドゴォォォォンッ!!
凄まじい速度で二階ギャラリーから飛び降りた人影が、助平の顔面に完璧なドロップキックを叩き込んだ。
「ぐふぉあっ!?」
エロ本を宙に舞わせながら、凄まじい勢いで床を転がっていく伝説の霊能者。
彼を容赦なく蹴り飛ばして着地したのは、誰あろう風間楓だった。
各クランが恐れおののき、誰一人として逆らうことのできない絶対的な実力者である彼女は、倒れ伏す実の祖父を絶対零度の瞳で見下ろしていた。
「……アンタ、呼ばれてもいないのに何しに来たのよ、このクソエロジジイ」
「ひ、ひどいぞ楓! 愛する祖父に向かって……! ワシはただ、TIA代表として、若手たちの様子を見に……」
「嘘おっしゃい。ただの趣味のエロ鑑賞でしょうが。その手に持っている本は、何の呪術の触媒に使うつもりよ」
楓は伊達メガネの位置をくいっと直し、深い、深い溜息をついた。
立花雪という絶対者が君臨し、一般生徒の裏で能力者たちがひしめき合う箱庭。
各クランから送り込まれた修羅のような指導者たちと、それを一手に束ねる風間楓。
異常事態を正確に察知して震え上がる合気武道部の面々。
そして、その緊張感を一撃で破壊する祖父の乱入。
「……本当に、厄介が増えたわ」
楓の静かな呟きは、ひんやりとした体育館の空気に溶けていった。
誰もが緊張していた。
ただ一人、風間助平という最大の厄介者を除いて。




