【放課後の移動と、スノーの地下要塞】
【放課後の移動と、スノーの地下要塞】
「よし、今日の学校での基本稽古はここまでだ! 各自、息を整えて速やかに着替えろ!」
主将である門蒼真の号令が、夕暮れの空気が入り込む合気武道部の専用道場に響き渡った。
「「「「「押忍!!」」」」」
一年生五人の気合いの入った返事が重なる。
朝練の時は大パニックと口喧嘩で二時間が完全に吹き飛ぶという前代未聞の失態を演じた彼らだったが、放課後の稽古では二年生たちの徹底的な管理と厳しい指導が入り、なんとか「武道部らしい」泥臭い基礎練習をこなすことができていた。
「はぁっ、はぁっ……! な、なんとか死なずに一日目が終わった……」
桐生蓮が道着のまま大の字になって畳に倒れ込み、イケメンの顔を汗まみれにして息も絶え絶えに呟いた。
「ああん、佐藤先輩の汗ばんだ道着姿、最高ですぅ♡ わたしが丁寧に拭いてあげますねぇ」
桃井琉生がタオルを持って佐藤陽翔のお尻へ向かって這い寄っていくが、高橋玲央の扇子でピシャリと叩かれて動きを封じられている。
「全く、少しは疲労というものを感じなさいな。……ですが、これで今日のカリキュラムがすべて終わったわけではありませんわよ」
高橋が乱れた息を整え、美しく扇子を閉じながら一年生たちを見下ろした。
「えっ? まだ何かあるんですか?」
丸眼鏡をズレさせた雨宮千歳が、肩をすくませた。
「ああ。学校での『合気武道』の稽古は終わりだが、ここからは『能力の覚醒と実戦的開発』の時間だ。……着替えたら、外に停めてあるロケバスに乗り込め」
門が道着の帯を解きながら、厳格なトーンで告げた。
***
十分後。
二年生五人と一年生五人を乗せた大型の黒いロケバスは、夕闇が迫る帝都のネオンを縫うようにして走り、国内最大手の芸能事務所『スノー』の本社ビルへと滑り込んだ。
「うわぁ……何度見ても、スノーの本社ビルってデカいよなぁ」
桐生が窓の外を見上げて感嘆の声を漏らす。彼は南原紗良の幼馴染であり俳優志望のため、芸能界の頂点に君臨するこのビルの持つ権力と威容を誰よりも理解していた。
一行は裏口のVIP専用ゲートからビル内へと入り、専用のエレベーターへと乗り込んだ。
しかし、主将の門が押したボタンは、上層階のレッスンスタジオや会議室ではなかった。彼が特殊なIDカードをかざし、指紋認証を済ませて押したのは――『地下五階』のランプである。
滑らかなモーター音と共に、エレベーターは地の底へと向かって下降していく。
「あ、あの……。芸能事務所の地下に、何があるんですか……?」
雨宮が、どんどん気温が下がっていくのを感じて身震いしながら佐藤の袖をきゅっと掴んだ。
「まあ、着けば分かるッスよ。俺たちも初めてここに入れられた時は、あまりの空圧の違いに息が詰まりそうになったッスからね」
佐藤が安心させるように、ポンと雨宮の頭を撫でた。
チーン、と静かな電子音が鳴り、重厚な金属製の扉が左右に開いた。
「――っ!?」
一年生五人が、一斉に息を呑んだ。
扉の向こうに広がっていたのは、華やかな芸能事務所のイメージとは完全にかけ離れた、無機質で広大な地下要塞だった。
天井は十メートル以上の高さがあり、壁と床はすべて魔力を吸収・反射する特殊な黒い装甲板で覆い尽くされている。数百平方メートルはあろうかという巨大な空間の四隅には、微かに青白く発光する巨大な水晶柱が鎮座しており、空間全体にビリビリとした静電気のような「気」を充満させていた。
「う、うおおおっ……! 肌が、空気が、ピリピリするッス! ここは一体……!?」
大文字鉄平が、自身の筋肉を硬直させて興奮の声を上げた。
「ここは『スノー』が管理する、対怪異および能力者用の特殊地下演習場ですわ」
南原がタブレットを操作し、空間の数値をモニタリングしながら一年生たちに端的に説明した。
「地上の設備とは根本的な強度が違います。いざという時は、あなたたちが全力で暴れても問題ない構造になっています」
「全力で、暴れる……!」
神品蘭の目に、バチッと静電気の火花が散った。
その時である。
カツン、カツン、カツン。
広大な地下空間の奥から、足音が近づいてきた。
一年生たちがそちらへ視線を向けると、そこに立っていたのは――驚くほど小柄で可憐な「美少年」であった。
身長は155センチほど。月の光を紡いだような銀髪のショートボブに、透き通るような白磁の肌。その儚げな容姿だけを見れば、誰もが守ってあげたくなるような美しさを持っていた。
しかし、その外見とは裏腹に、彼から放たれているのは完全なる「肉食系の雄」の覇気であり、同時に、陰陽庁執行部『六壬』に所属する天才陰陽師としての凄絶な呪術のプレッシャーであった。
「――よく来たな、合気武道部の諸君。それと……初めましてだな、一年生ども」
美少年の口から発せられたのは、外見からは想像もつかないほど自信に満ちた、堂々たる男の低い声だった。
「お疲れ様です、土御門副社長!」
二年生五人が、一斉に姿勢を正して深く頭を下げた。
土御門朔夜。
わずか一年足らずで『スノー』の新人副マネージャーから「副社長」へと異例の大出世を遂げた、若き天才陰陽師である。
「土御門……副社長!?」
桐生が目を限界まで見開き、隣にいる阿部凛花に小声で囁いた。
「ちょ、ちょっと阿部先輩! あの人が、今芸能界の裏側を完全に牛耳っているっていうスノーの副社長!? 縁故もコネも一切使わず、純粋な実力と手腕だけで十九歳にしてあの立花雪社長の右腕になったっていう……しかも、あんな美少年なのに、中身のプレッシャーが完全にバケモノだよ!?」
「こら、失礼なこと言わないの。朔夜さんはすっごく有能で頼りになる、私たちの恩人なんだから」
阿部が桐生の脇腹を小突いた。
朔夜は一年生たちの畏怖と驚愕の視線を、余裕のある笑みで受け流しながらコツコツと歩み寄り、二年生たちの前で足を止めた。
「相変わらず、騒がしい連中を抱え込んでいるようだな、蒼真、玲央」
朔夜はポケットに手を入れたまま、かつて苦楽を共にした戦友に向けるような、気安い笑みを浮かべた。
「お世話になります、朔夜さん。無理を言って、この地下演習場の手配を頼んで申し訳ない」
門が主将として、和気藹々(わきあいあい)とした調子で感謝を述べる。
「気にすんな。雪さん(社長)からの特命でもあるし、お前らの実力アップはスノーにとってもTIAにとっても有益だからな」
朔夜はそこでニヤリと肉食獣のような笑みを深くした。
「……それに、持子が帰ってきた時、あの子らに怪我でもさせてたら、俺が何をされるか分かったもんじゃねぇからな。まあ、心置きなく使ってくれ」
「ふははは! 朔夜さんも相変わらず持子様には頭が上がらないみたいね!」
「マジで助かるッス、土御門副社長!」
二年生たちも「確かに」「それは間違いないですわ」とクスクスと笑い合った。
一年生五人は、その光景を見て完全に気圧されていた。
十九歳にして大企業の副社長であり、規格外の呪術のオーラを放つ朔夜。そんな彼と、自分たちの先輩たちが、まるで対等の仲間のように笑い合っているのだ。
「す、すごい……。門主将たち、あんな雲の上の人と普通に談笑してる……」
大文字がゴクリと息を飲んだ。
朔夜は再びスッと表情を引き締め、一年生たちへと極めて冷徹な、しかし頼もしい視線を向けた。
「さて、一年生ども。この地下空間には、俺と土御門家の精鋭が構築した『五芒星結界』と、物理ダメージを完全に吸収する『無明の壁』が張り巡らされている。お前らのC級やD級程度の能力がどれだけ暴走しようと、この空間にはかすり傷一つ付かねぇよ。……だから、安心して限界まで暴れろ。そして先輩たちの指導で、己の力を制御する術を骨の髄まで叩き込まれな」
「ひぃっ……!」
雨宮が朔夜の鋭い眼光に射抜かれ、ヒクッと喉を鳴らした。
「は、はい! よろしくお願いします……!」
「お、押忍!!」
底知れない威圧感と、美少年という外見のギャップに脳の処理が追いつかず、一年生たちはガチガチに緊張したまま、簡単な挨拶を返すことしかできなかった。
「ふん、初々しいことだ。……じゃあ蒼真、あとは任せるぜ。俺は上の階で、部下のシャーロットに指示を出して、お前らが稼いできた魔石の市場価格の調整とTIAとの会議に出なきゃならねぇからな」
「はい。何から何まで、本当に感謝します」
朔夜はスマートに背を向け、銀髪を揺らしながらエレベーターへと戻っていった。
扉が閉まり、彼の凄まじい気配が完全に消えた瞬間。
「ぷはぁっ!!」
一年生五人が、一斉に堰を切ったように息を吐き出した。
「な、なんなんですかあの人!? 美少年なのにオーラがヤバすぎますよ!!」
神品が南原に詰め寄る。
「先輩たち、なんであんなスゴい人と普通に喋れるんですか!? 芸能界の裏のトップですよ!?」
桐生も目を丸くして阿部を質問攻めにする。
「え、もしかして佐藤先輩も、あんなスゴい男の子にいじめられたりしてるんですかぁ? わたしが先輩を慰めてあげますよぉ♡」
桃井がどさくさに紛れて佐藤のお尻を触ろうと手を伸ばす。
「わ、私……あんな偉い人の前で、息もできませんでした……っ」
雨宮がその場にへたり込みそうになっている。
地下空間が一瞬にして、朝練の時のようなどうしようもないカオスな喧騒に包まれそうになった、その時だった。
「――無駄口を叩くな!!」
門蒼真の、怒気を孕んだ咆哮が地下空間に轟いた。
一年生たちの動きが完全に停止する。
「お前たちは遊びに来ているわけではない! ここを使える時間は、朔夜さんの計らいで確保された貴重な時間だけだ! 質問攻めにして一秒たりとも無駄にするな!」
門の主将としての厳格な威厳が、浮ついていた一年生たちの空気を一瞬で「実戦」のそれへと引き戻した。
「ええ、門くんの言う通りです。あなたたちの感情の波形を分析し、能力の制御回路を構築するのに、無駄にする時間はありません!」
南原がタブレットを構え、冷徹なシベリアの永久凍土のような視線で神品蘭を睨み据えた。
「神品さん、来なさい。まずはあなたの電気の最大出力と、感情の閾値を理詰めで測定します」
「う、うぅ……。お姉さまと離れるのは嫌だけど……はい、南原先輩……」
神品が肩を落しながら、南原の指示に従って空間の右端へと移動していく。
「桃井くん。あなたも来なさいな」
高橋玲央が、優雅に扇子を開きながら、女優としての気高いオーラを放って桃井を呼んだ。
「まずは私の前で、あなたの『変身』をすべて見せなさい。骨格のズレ、魔力のブレ、視線の配り方……そのすべてを、私の演技論で徹底的に解体し、再構築して差し上げますわ」
「はぁい、高橋先輩♡ わたしの完璧な変身、見ててくださいねぇ!」
桃井はウインクを飛ばし、高橋の後を追って空間の左端へ向かう。
「よし! 桐生くん、私たちも行くよ!」
阿部凛花が満面の笑みで、桐生蓮の腕を力強く掴んだ。
「ひぃっ!?」
桐生の顔が再び蒼白になる。
「私の神速の入り身の軌道を、その『圧倒的な目の良さ』で限界まで見切ってもらうからね! 見失ったら、私の蹴りが桐生くんの顔面にクリーンヒットしちゃうかもしれないから、死ぬ気で目を開けててね!」
「(痛い痛い!! 手が千切れる!! そして指導内容が完全にサイコパスだよぉぉぉっ!!)」
桐生は心の中で絶叫しながら、長身のモデルにズルズルと引きずられて空間の奥へと連行されていった。
「大文字! 俺とお前は中央だ!」
門が道着の袖を捲り上げ、闘志を剥き出しにして構えをとった。
「お前の『剛体化』を維持したまま、俺の攻撃をどこまで捌けるか! 筋肉の限界まで打ち合おうぞ!!」
「はいッス!! 門主将の胸を借りるつもりで、全身全霊でいかせていただきます!! 押忍ッ!!!」
大文字も気合いを放ち、二人の巨漢が真正面から激突する準備を整えた。
五組の師弟が、それぞれの能力開発のために広大な地下空間へ散っていく。
残されたのは、佐藤陽翔と雨宮千歳の二人だけだった。
佐藤は、四組が激しい音を立てて稽古を始めようとしているのを横目で見ながら、ふぅと息を吐き、怯えて縮こまっている千歳に向かって、いつもの爽やかな笑顔を向けた。
「よし、千歳ちゃん。俺たちはこっちだ」
佐藤は優しく声をかけ、空間の隅、一番静かなエリアへと歩き出した。
「あの人たちはこれから物理的にも魔力的にもドンパチ激しいことやり始めるから、少し離れるぞ〜!」
「は、はいっ……!」
千歳はホッと胸を撫で下ろし、小走りで佐藤の背中を追う。
「千歳ちゃんは、多種多様な能力を持ってるんだろ? 念力とか結界とか。だから、まずは焦らずに、一つずつ俺に向かって力を使ってみてよ」
佐藤は千歳と向き合い、両手を広げてみせた。
「俺の『極黒の魔力』なら、千歳ちゃんがどれだけ暴発させても絶対に全部受け止められる。だから、失敗してもいい。ビビらなくていい。俺の魔力に、千歳ちゃんの力をぶつけてみてくれ」
佐藤の、理屈ではない、感覚と包容力に満ちた言葉。
それが、極度のビビリである千歳の強張った心を、春の雪解けのようにじんわりと溶かしていく。
「……はい! 私……やってみますっ!」
千歳は丸眼鏡の奥の瞳に確かな決意を宿し、両手を佐藤へ向けて構えた。
かくして、スノーの地下要塞における、五組五様の『狂気の育成カリキュラム』が、ここに本格的な幕を開けたのであった。




