【第一の演習領域:鋼の肉体と、武人の先見】
【第一の演習領域:鋼の肉体と、武人の先見】
「シィィィッ!!」
ズドォォォォンッ!!
スノー本社ビル地下五階、特殊地下演習場。
その広大な空間の中央で、爆発でも起きたかのような凄まじい打撃音が響き渡った。
「ぐぅぅぅぅぅッ!! 押忍!! 押忍ゥゥゥッ!!」
主将・門蒼真の放つ、岩を穿つような重い正拳突き。それを真正面から腹部で受け止めた大文字鉄平が、口から唾液を散らしながらも、一歩も後ろへ下がることなく耐え抜いていた。
大文字の固有能力である『剛体化』。
魔力を肉体に巡らせ、筋肉と骨格の密度を一瞬にして鋼鉄並みに引き上げるその能力は、合気武道という近接戦闘において無類のシナジーを発揮していた。
「ほう。今の踏み込み、俺の魔力を乗せた突きをノーダメージで受け切ったか。大文字、お前の肉体のポテンシャルは俺の想像以上だ」
門がゆっくりと拳を引き、満足げに口元を綻ばせた。
「あ、ありがとうございますッス!! 門主将の圧倒的な『武の圧力』、この身で受け止められること自体が誉ッス!! もっと! もっと自分を鍛え上げてください!!」
大文字は全身から湯気をもうもうと立ち昇らせながら、ギラギラとした熱い瞳で門を見据えている。彼にとって、圧倒的な強者である門からの直接指導は、まさに至福の時間だった。
「うむ。お前の長所は、その尽きることのない闘志と、剛体化による『肉体的な防御力』の高さにある。まずはこの長所を極限まで伸ばし、どんな物理攻撃も通さない『不沈艦』を目指すぞ」
「はいッス!! 押忍!!」
元気よく返事をする大文字を見つめながら、門は主将としての冷静な分析を巡らせていた。
(……確かに、物理的な強度だけで言えば、こいつはすでに二年生である俺たちに迫るものがある)
だが、先日自分たちが死闘を繰り広げた東京ダンジョンの深層を思い返すと、門の表情は自然と引き締まった。
(裏社会の実戦、特に第三層を超える深層域では、肉体の強さだけでは生き残れない。怪異の放つ『呪い』や『恐怖支配』といった精神攻撃を防ぐ『精神防壁』を持たねば、一瞬で心が壊れる)
真っ直ぐで武道バカな大文字は、搦め手や精神攻撃に対する耐性がまだ皆無に等しい。
(だが、焦る必要はない。精神防壁は、確固たる己の『武の軸』が完成して初めて構築できるものだ。……まずは、こいつの『長所』を徹底的に磨き上げ、絶対の自信を植え付ける)
「よし、大文字! 次は俺が連続で蹴りを放つ! 剛体化のオンとオフの切り替え速度を上げろ!」
「押忍ッッ!! どこからでも来てくださいッス!!」
二人の巨漢による、泥臭くも熱気溢れる筋肉の対話は、広大な地下空間にひたすら響き渡っていた。
【第二の演習領域:理詰めの測定と、爆発する百合の狂気】
一方で、演習場の右端。
そこには、汗と筋肉の熱気とは無縁の、まるで大学の理系研究室のような異質な空間が形成されていた。
「さて、神品さん。ここにあるのは、スノーとTIAから特別に援助してもらった最新型の『魔力電圧測定器』と『霊力波形スキャナー』です。あなたの能力の基礎値を、まずはデータとして可視化します」
南原紗良が、持ち込んだ無骨な機材のケーブルをタブレットに繋ぎながら、冷徹なトーンで指示を出した。
「はぁーい。……でも、僕、お姉さまから離れるとあんまりやる気が出ないんですけどぉ」
神品蘭が、遠くで訓練している阿部凛花を恨めしそうに見つめながら、だらんと両手を下げた。
「やる気の問題ではありません。測定です。まずは普段通り、何の感情も込めずに電気を発生させてみてください。ターゲットは……私で構いません」
「えっ? 南原先輩に向けて撃つんですか? 僕の電気、一応D級ですよ? 感電しても知りませんよ?」
「いいから、やりなさい」
南原が眼鏡を指でクイッと押し上げ、一切の防御姿勢をとらずに無防備に立った。
「……じゃあ、いきます。えいっ」
バチチチッ!!
神品の指先から、青白い電撃が放たれた。それは直線的な軌道を描いて南原の胸元へと直撃したが――。
『シュンッ』
南原の制服の下に巡らせてある『極黒の魔力』の防壁が微小な波紋を立てただけで、電撃は完全に霧散してしまった。南原は髪の毛一本焦がすことなく、手元のタブレットに視線を落とす。
「……なるほど。通常出力時の電圧および魔力量は、規定のD級の範囲内。悪くはありませんが……実戦で通用するほど『良くもない』ですね。この程度の出力では、私をくすぐることもできません」
「むっ……。一応、家電をショートさせるくらいの威力はあるんですけど」
神品が少し不満げに唇を尖らせる。
「では、ここからが本題です。神品さん、あなたの能力は感情の起伏に激しく依存している。……その『上限』を測ります」
南原はタブレットから顔を上げ、底知れない冷酷な笑みを浮かべた。
「神品さん。実は……阿部さんは、桐生くんのことが結構お気に入りらしいですよ?」
「……は?」
神品の動きがピタリと止まった。
「今日の朝練でも、イケメンの彼にだけ特別優しく指導していましたし。高身長の美男美女ですから、芸能科の中でも『お似合いのカップルだ』と噂になっているそうです。……もしかしたら、この放課後にお付き合いが始まるかもしれませんね」
「…………」
ピキッ、ピキキキキッ!!
神品の瞳孔が、微かに震え始めた。
足元の装甲板に青いスパークが走り、彼女の髪の毛が逆立ち始める。タブレットの測定グラフが、ギュンッと右肩上がりに跳ね上がった。
(出力、通常時の300%増。……やはり、嫉妬の感情で魔力回路が強制的に開かれていますね。では、さらに)
南原は悪魔のような冷静さで、追撃の言葉を投下した。
「ああ、でも阿部さんが一番気になっているのは、やっぱり親友であり悪友であり『心の友』である、佐藤くんでしょうね」
「……ゴミ虫の……佐藤……」
神品の目が、完全に光を失い、真っ黒に濁った。
指先から、バチッ、バチッ、と危険な火花が漏れ出し始めている。
「そういえば、以前お風呂に一緒に入った時、阿部さんが言っていましたよ。『私、陽翔くんに裸を見られても平気かも』って。実際、阿部さんの裸は神々しいほどに綺麗でしたし——」
「アァァァァァァァァァァァァァァッッッ!!!!!」
ドッガァァァァァァァァンッッ!!!!
南原の言葉が最後まで終わる前に、神品蘭の全身から、文字通り『落雷』のような凄まじい大電流が爆発的に放射された。
周囲数十メートルの空気がプラズマ化し、バチィィィン!!という轟音が地下演習場を揺るがす。
南原は咄嗟に多重防壁を展開したが、それでも靴底がズルリと後退し、周囲の空気が焦げる匂いが鼻を突いた。
タブレットの画面には、『WARNING(計測不能)』の真っ赤な文字が点滅している。
「ハァッ……ハァッ……! お、お姉さまの裸を、あのゴミ虫がぁぁっ……!! 許さない、絶対に殺しゅぅぅ……」
バタンッ。
限界を超えた出力を無理やり引き出した神品は、魔力回路が完全にオーバーヒートを起こし、白目を剥いてその場に気絶して倒れ込んだ。
「……ふむ。出力はB級に肉薄するレベルまで跳ね上がりましたが、完全に自滅ですね」
南原は何事もなかったかのように機材を片付けると、倒れている神品のそばにしゃがみ込み、その胸に手を当てて『回復の魔力』を注ぎ込んだ。
「ん……ぁ……? ぼ、僕……お姉さまの裸を守らなきゃ……」
数分後、むくりと目を覚ました神品に、南原は冷徹な事実を突きつけた。
「神品さん、今の実験であなたの課題が明確になりました。あなたは現在、極端な『感情』をトリガーにしなければ、本来の力を引き出せていません」
「……南原先輩、さっきの阿部先輩の話は……」
「ええ、もちろんすべて私が捏造した『嘘』です」
「この悪魔ァァァッ!!」
神品が涙目で抗議するが、南原は完全に無視して説明を続ける。
「感情で力を引き出すのは、暴発のリスクが高すぎます。これからのあなたの課題は、怒りや嫉妬に頼ることなく、純粋に『思考』だけで、今と同じ最大出力の電気を自在にコントロールできるようになることです。……それが出来なければ、あなたは一生、阿部さんの隣で戦うことはできませんよ」
「思考だけで……お姉さまの隣に……」
その言葉に、神品は悔しそうに唇を噛み締めながらも、自分の未熟さを自覚したように静かに頷いた。
「分かりました……。やってやりますよ!」
南原は眼鏡の奥で密かに満足げな笑みを浮かべ、次なる測定の準備に取り掛かった。
【第三の演習領域:スローモーションの死と、地獄のランウェイ】
「そぉれッ! 桐生くん、足が止まってるよー! もっと動いて動いて!」
「ひぃぃぃぃぃぃっ!?」
ヒュゴォォォォォンッ!!
地下演習場の左端。
そこでは、阿部凛花の放つ空気を切り裂くような凄まじい前蹴りが、桐生蓮の鼻先数ミリのところをかすめて通り過ぎていた。
「(死ぬ……! 今の、本気で当たってたら僕の頭、スイカみたいに破裂してたよぉぉぉっ!!)」
桐生は尻餅をつき、冷たい装甲板の床を這いずるようにして後退した。
桐生蓮。
彼は実家が芸能一家であり、莫大な財力と恵まれた環境で育ってきた。身長180センチの完璧なスタイルと誰もが振り返るイケメンの顔立ち。日頃から特別なトレーニングなどしなくても、腹筋は見事に割れており、カメラの前に立てば「観られる身体」を生まれつき持っているという、正真正銘の『人生勝ち組』だった。
踊りや芝居の才能も天才的で、他者の動きや感情の機微を読み取る観察能力は芸能界で大いに役立ってきた。彼の能力である『E級・超動体視力と広域遠視』は、まさに彼をスターダムへと押し上げるための最高の才能だと思っていた。
(なのに……なんで僕、こんなところで死にかけてるの……!?)
桐生が合気武道部に入部した理由。
それは、幼馴染である南原紗良の存在だった。自分がどれほど売れても、決して特別視しない彼女とまた普通の友達になりたくて、この修羅の部活に足を踏み入れた。
(僕の『視覚の能力』があれば、相手の動きを真似して、演技のように合気武道もすぐに上手くなると思ってた……。でも、違った!! 演技の筋肉と、本物の戦うための筋肉は、根本的に別物なんだ!!)
桐生の絶望は、まさにその『能力』があるからこそ深まっていた。
「まだまだ行くよー! 次は入り身投げの軌道からの、裏拳!!」
シュッ!!
阿部が長身を沈め、チーターのような神速の踏み込みで桐生の懐へ飛び込んでくる。
桐生の『超動体視力』は、阿部の動きを完璧に捉えていた。筋肉の収縮、極黒の魔力が右腕に集束していく様。そして次に放たれる裏拳が、自分の側頭部を粉砕する死の軌道までが、スローモーションのようにハッキリと見えてしまっているのだ。
(来る! 見える、軌道は完全に読めてる! だから、頭を下げて右に避ければ——ッ!)
脳は完璧な回避の指令を出している。
しかし——彼の貧弱な肉体が、その神速の動きに全くついていけない。
「(あ、これ……本当に死——)」
ピタッ。
凄まじい殺気を纏った阿部の裏拳が、桐生の側頭部の産毛を撫でる数ミリの距離で、ピタリと静止した。
「あはは! 惜しい! 今のはちゃんと軌道見えてたね! でも身体が動いてないよー!」
悪意ゼロの、底抜けに明るい笑顔。
「あ……あわわ……っ」
桐生は腰が抜け、再び無様に尻餅をついた。
心臓が早鐘のように打ち鳴らされ、イケメンの顔は涙と冷や汗でぐしゃぐしゃだ。
「ほらほら、休む暇なんてないよ! 実戦なら今ので死んでるからね! 起き上がって!」
阿部が無邪気な笑顔で手を叩く。
「ひぃぃ……っ、紗良ぁ、助けてよぉ……」
遠くでマッドサイエンティストと化している幼馴染に助けを求めるが、南原は一瞥もくれない。桐生は震える足に鞭を打ち、なんとか立ち上がった。
「よし! じゃあ次は三連撃で行くからね! しっかり見て、身体を動かす! いくよー!」
阿部が再び、死のランウェイを駆け抜けるように突撃してくる。
(クソッ……! 負けてたまるか……! 紗良の前で、こんな無様な姿ばっかり見せて終わってたまるかよ!!)
桐生は恐怖で逃げ出したい本能を必死にねじ伏せ、目を見開いた。
シュンッ!!
放たれた最初の手刀。
見える。
桐生は無理やり身体を捻り、ギリギリのところでそれを避けた。
「おっ!」
続く二撃目の蹴り。
見えているが、身体が重い。桐生は半ば転がるようにして床へ身を投げ出し、なんとか直撃を免れる。
「そうそう!! いい感じ!!」
阿部がパァァッと顔を輝かせて喜んだ。
「その調子だよ桐生くん! ちゃんと見えてるんだから、あとは身体をそれに合わせるだけ! ほら、まだまだ行くよー!!」
「い、いや待って! 少しは休ませて——」
「休ませないよ! はい、四方投げのフェイントからの——!!」
「ぎゃあああああああああっ!!」
地下演習場に、モテ男・桐生蓮の悲痛な絶叫が木霊する。
生まれ持ったイージーモードの人生から、突然放り込まれた死と隣り合わせのハードモード。
だが、何度も尻餅をつき、何度も死の恐怖を味わいながらも……桐生の身体は、ほんの数ミリずつだが、確実に阿部の神速の攻撃を躱し始めていた。
それぞれの演習領域で、先輩たちから叩き込まれる過酷な能力開発。
スノーの地下要塞の夜は、汗と悲鳴、そして確かな成長の熱気を帯びて、まだまだ深く更けていくのであった。




