03. 終わりにしたのは殿下でしょう?
「それで、殿下。
私へのご用をお伺いしてもよろしいでしょうか」
アリエノールは対面に座る元婚約者を見る。
卒業パーティーという卒業生の旅路を祝う催事の中、目の前のガブリエルはどことなく疲れ、そして以前と変わらぬままに、アリエノールに対しての苛立ちを表情にありありと浮かべていた。
学園内にある面会用の応接間の一室。
人払いを済ませたここで、二人は向かい合って座っている。
「君の横に立っていた男は誰だ?
あの色合い、私に対する当てつけか」
刺々しさを感じる問いかけに、ついつい笑い出したくなるのを堪えて表情を崩さず、微笑みを貼り付けたままに答える。
「嫁ぎ先の関係者でございます」
「君が嫁ぐなど聞いていない」
即座に返された言葉に、アリエノールの表情は変わらぬまま。
「殿下が知らなかったという事実について、お知らせされなかった国王陛下の意図を私は存じ上げません。
王族間でのお話を、私にお話しされてもどうにもなりませんわ」
ガブリエルの婚約者ではないアリエノールには、王家などもはや関係のない相手だ。
だから理由をわざわざ聞かされる必要もなければ、興味を持つこともない。
「私を騙して婚約解消に持ち込んだ悪女が、私を差し置いて婚姻できると思ったか」
こちらを追い詰めようとする声は、怒気を孕んで荒々しい。
昔であったら後々面倒くさいからと、機嫌を直してもらうために心にもない謝罪していただろう。
ガブリエルは元々感情的なところがあったが、大体は自分が優位である前提ゆえの自信に驕った姿ばかりだった。
今夜に限って怒りや焦りを露わにする理由を、アリエノールは知っている。
今夜の卒業パーティーで、ガブリエルがエスコートする令嬢はいない。
フェラン男爵令嬢は彼のもとを去ったのだ。
「おっしゃられる意味がわかりませんが、私とフェラン男爵令嬢を比較し、彼女の方が優秀だと選んだのは他ならぬ殿下でございます。
私が何を言ったところで、お聞きにならないのはご自身が一番知っておいででしょうに」
「だが、君は卒業試験で首位を取った。
それこそが手を抜き、私に相応しくあろうと努力しなかった証拠ではないか」
堪えきれない怒りからか、ドンと強くテーブルが叩かれたが、アリエノールは視線だけ向けるもすぐに戻す。
「心外です。努力はしておりました。
殿下がどう思われていたかは別として」
再びテーブルが叩かれる音。
婚約者でもない相手とのことだからと部屋の扉はしっかり開き、外で待機する者にもよく聞こえているだろう。
ガブリエルは外で待機している者が、自分よりはるかに身分の低いメイドや護衛だと思っている。
そしてアリエノールのハレの日のために来てくれた人物だって、見下せる相手だと思っているのだ。
「殿下はお忘れのようですが、学園在籍時に王子妃教育も行われておりました。
幼少期から王子としての教育を始められていた殿下と違い、私の教育は学園に入る少し前からとなります。
妃教育と学業を両立させるには、時間と労力の配分が必要でしたので三位に甘んじることになりましたの」
おっとりとした笑みを浮かべるアリエノールの言葉に、ガブリエルの体が前のめりになる。
「やはり努力をしていなかったのではないか。
時間や労力を惜しむ時点で、私の婚約者としての意識が足りないと言えよう」
「そんなことをしたら、疲弊して倒れていたでしょう」
アリエノールがそろそろ表情を取り繕うのも面倒だと思いながら返せば、すぐさま鼻で笑われる。
「そういって自分を甘やかすだけの人間に、妃としての素質があったとは思えない」
こういうところは本当に婚約当時から変わらない。
どこまでもアリエノールが優秀であることを求め、そのくせ優秀であることも許せない。
相反する矛盾を彼は理解しないまま、その都度の正論だけを振りかざすのだ。
結局彼は難癖をつけたいだけなんだよ。
新たに出会った婚姻相手は、そう優しくアリエノールを諭すと、つまらぬ男は忘れるようにと言ってくれたのに。
最後に友人達と出会えることだけを楽しみに、卒業パーティーへと参加したが、これでは台無しだ。
「なんにせよ、既に私たちの婚約は解消されています。
殿下が私に用があると言われる理由がわかりませんわ」
それとも、とアリエノールは言葉を続ける。
「フェラン男爵令嬢が去られたからでしょうか」
フェラン男爵令嬢の婚約と婚姻は唐突だったと、友人たちから聞いている。
アリエノールが学園に通うのを止めて以降、二人が歓談室で言い争いをする姿はよく見かけられていたらしいが、それがピタリと止まった後、普段通りに過ごしていたはずのフェラン男爵令嬢が退学したのだ。
それはあっという間のことで、他国の裕福な商会に嫁いだらしいと聞く頃には、フェラン男爵自体も爵位返上していなくなっていた。
どうも嫁ぎ先が男爵家よりも裕福らしいという話から、親子揃ってお世話をしてもらえるくらいだったのだろうというのが、もっぱらの噂だった。
当然ガブリエルは怒り狂って行方を探そうとしたが、そもそも婚約すらしていない相手である。
令嬢が婚約解消するまでの期待を与え、そのくせ王位継承権を捨てる気すらなく相手に忍耐を強いたのはお前だと、国王に言われてしまえばどうしようもなく。
結果が卒業パーティーまでの謹慎の上、婚約者不在でのパーティー参加である。
アリエノールからしてみれば、自業自得だとしか思えない。
だが、彼が焦る理由はそれだけではない。
「もしくは、殿下の新しい婚約のお話の件でしょうか」
アリエノールが続ける言葉に、表情を強張らせるガブリエル。
どうやら正解だったらしい。
「そのご様子ですと、お話がまとまりそうですのね。
フロベール公爵家とのご縁、おめでとうございます」
会釈程度に頭を下げて、祝いの言葉を述べる。
これまでのガブリエルの行動は、悪い意味で噂となった。
自分勝手に侯爵令嬢と婚約を解消し、他の令嬢の婚約も解消させながら婚約することもなく、責任も取れない王子。
これでは国王夫妻がどれだけ手を尽くそうとも、より良い相手など見つかるわけがない。
実際、年の近くて適当な令嬢たちは婚約していたし、そうでなくても持病や虚弱を理由に断られている。
それはアルジャン侯爵家の家門にまで及んだが、全てアリエノールの父がお断りしていた。
曰く、恥知らずと。
そこに救いの手を差し出してくれたのが、フロベール公爵だった。
否。ガブリエルから見れば、それは救いの手には見えないだろう。
フロベール公爵が娘とガブリエルとの婚約に際して提示した条件は、そう多くはない。
十歳である末娘が成人するときに伯爵位を譲るので婿入りすることと、それまでは広大なフロベール公爵領の一画にある狭い土地で、存分に二期作を試して成功させることを要求されたのだ。
完全に意趣返しである。
フロベール公爵領地は縦に長くて広大なだけに、土壌の豊かさに大きな差がある。
川付近の豊かな土壌から、長きに渡る木々の伐採と実際にしていた二毛作によって豊かさを失った土壌の地。
メイズや豆を栽培しているのは後者の土地である。
それだって数年前にあった他領の虫害によってメイズの収穫量が著しく下がる中、物価の高騰を避ける国内での安定供給を図るために暫定処置として行われた施策だ。
フロベール公爵自体の領地運営能力が劣るわけではない。
今は収穫の早い作物だけを植え、そうしてから残りの期間は土地を休ませている。
植林も行っているが、数世代に渡って続けられる気の長い話になるだろう。
フェラン男爵令嬢が広い視野を持つのは結構だが、公爵領の内情を調べないままに論文を書いたのはよろしくなかった。
そして成績優秀だと言うだけで、中身の精査をしないままに採用したガブリエルも問題である。
フロベール公爵から見れば、何も知らない学生の案を採用する無能は王子として相応しくなく、そして理由も理解できずに却下されたという行為にだけ反発した底なしの馬鹿がガブリエルだ。
きちんと調べればわかるだろうに、彼の矜持はここで非を認めることはない。
フロベール公爵の態度も王族に対して不敬ではあるが、フロベール公爵と国王は従兄弟同士のため、そう問題にならずに済まされている。
というよりも、国王がガブリエルに非があると思われたからこそ、フロベール公爵家との縁談がまとめられそうになっているといっていいだろう。
「そういう嫌味しか言えない君にだけ婚約者がいようとは」
侮蔑の籠った眼差しを向けられて、そろそろアリエノールも微笑みで取り繕うのを止めることにした。
「殿下が私を嫌悪していることは、よくよく理解できましたわ。
これ以上お話をしていても無意味でしょうし、私はこれで」
笑顔を捨てて立ち上がるアリエノールに、待て、という言葉がかかる。
見下ろす形でガブリエルを見れば、目を逸らしながらギリギリと歯を食いしばり、ゆっくりと口を開いた。
「君は私の望む条件を何一つ満たしていないが、それでも王子妃教育の時間と費用が勿体ないので、再度の婚約をしても問題ないと判断した」
「私から見て、問題だらけですので結構です」
即答だった。
ガブリエルの自分勝手な言葉に嫌悪しながら、言葉を凶器に変えて切り捨てる。
お前、という言葉がガブリエルの口から漏れて、本当は君という呼び方すらしたくなかったのかと察して、ただただアリエノールの中で嫌悪が増すばかり。
「私の新しい婚約は王家からも祝われておりますので、これを違えることはございません。
どうか殿下もご自身に相応しい場所で、存分に才能を発揮頂ければと存じます」
「私を捨てるのか」
それはアリエノールへの未練のように見え、けれど全く異なるものだ。
ガブリエルがアリエノールを非難し、屈服させることで守りたいのは、自身の正論と立場だけでしかない。
これを愛情と呼ぶには、歪で、醜悪だ。
そんなものをアリエノールは認めない。
「最初に私を切り捨てたのは殿下ですわ」
冷たく返せば、憎悪に揺らめく瞳がアリエノールを見つめる。
「それはお前の、君の努力が足りなかったから」
「では、殿下の今の境遇は、ご自身の努力が足りなかったのでしょう。
私に何かできるものではございません」
そう返して歩き出すアリエノールの背後で、ガブリエルが席を立ったらしい音が聞こえる。
荒々しく床を踏み鳴らす音が近づいてくるが、アリエノールは振り向かない。
「お前如きが私を」
ここでガブリエルの言葉は途切れた。
視界に広がるのは今日のエスコートをしてくれる人物の服の色。
「我が叔父上の妻となる令嬢に、手をかけようとする愚か者がいるとは」
ゆっくりと振り返れば、剣の切っ先を喉元に突きつけられているガブリエルがいた。
先程までの憎悪は消し飛び、今や顔色は青を通り越して白だ。
ガブリエルが手にしていた短剣は、力が緩んだことで床へと落ちて刺さる。
「わ、私は王子だぞ。こんなことをしてどうなるか、貴様はわかっているのか」
震える声が虚勢を張る。
けれどアリエノールの同行者はせせら笑った。
「オウム返しは滑稽だが、こちらも王子。
しかも王太子だ。
そして彼女は我が国の王族となる令嬢だ。害を為すなら我が国の敵でしかない」
言われたことに理解が追い付かず、呆然とするガブリエルに、アリエノールが言い添える。
「こちらの方は三つ向こうにあるコリアロス王国の王太子、ヤニス殿下です。
既に殿下はご存知だと思い、わざわざ紹介などしておりませんでした」
そうしてアリエノールはにっこりと笑った。
それは淑女の微笑みでも、婚約解消の時に見せた笑顔でもない。
人を見下した蔑みの笑みだった。
「今起きたことは外交上の一大事でございますが、殿下ならばご自身の才で解決できるでしょう」
同時に学園の教師や護衛といった人々が流れ込んで、素早くガブリエルを拘束する。
簀巻きにして転がされたガブリエルに、学園長がうんざりした顔で退学処分を伝え、少しの間の後に声にならぬ声で叫び始めたガブリエル。
すぐに猿轡を噛ませて運ばれていかれてしまった。
それを見送りながら、ヤニスが感心したように言う。
「聞いていた以上に強烈だったなあ」
「今日は特にひどいですわ。
元々思い込みの激しい方だとは思っていたけど」
「そういえば、女子生徒専用の行儀作法試験について、言い忘れていなかったか?」
「話す余裕もなかったですし、言ったところで殿下は何一つ認めませんので」
学園の座学は男女共有、そして男子生徒専用の実技試験があるように、女生徒には行儀作法の試験があった。
そこでの首位はいつだってアリエノールだ。
言わなかったのは、ガブリエルが難癖をつけるだけでしかなく、常に最下位だったフェラン男爵令嬢のことを思いやってである。
それ以上の他意はない。
「それでは参ろうか。今日はこの国の料理をたくさん食べられると、楽しみにしているんだ」
「お願いですから、先に毒見は済ませてくださいね」
期待に満ちた表情のヤニスに、釘を刺すのを忘れない。
学園内で、素性を知らせずにいるので大丈夫だと思うが、間違いがあれば本当に一大事だ。
「ああ、大丈夫だ。従者が確認してくれるらしいからな。
こちらでの通訳代わりに紹介してくれた彼らは、大変役に立つので連れて帰るつもりだ」
「元々はガブリエル殿下の従者でしたから。
彼をサポートするためにと、教育も行き届いていて当然です」
アリエノールの言葉に、部下を大事にしないなんて勿体ないなあと言ったヤニスがそっと手を差し出す。
「叔父上でなく私で申し訳ないが。
さあ叔母上、お手をどうぞ」
言われ慣れない言葉に照れながらも、アリエノールはヤニスに手を重ねた。
これにて終了。
一話目の後書きに、婚約解消後すぐの小話を追加しています。
興味がありましたら、是非どうぞ。




