02.ままならぬ思惑
どうして上手くいかないんだ。
このところのガブリエルの機嫌は、最悪の一言に尽きた。
アリエノールとの婚約解消は、事前の根回しが功を奏してスムーズに終えられた。
だが、いざフェラン男爵令嬢との婚約を望んでも、父である国王の首が縦に振らないのだ。
学園で二人の関係は知られ、外堀も既に埋めたようなもの。
誰もが新しい婚約者はフェラン男爵令嬢だと思っている。
男爵も涙を流して喜んでいたし、すぐに婚約が成立すると思っていたのに。
あれの生家であるアルジャン侯爵家が何か言ってきているのかと聞いても、向けられるのは呆れを含んだ視線だけ。
では何故と理由を聞いても、「自分でよく考えるように」としか言わない。
既にガブリエルは最終学年となっていて、そろそろ卒業パーティーのことを考えると、贈るドレスの準備もしなければならない。
こういったことが段取り良く進まないのは、ガブリエルの最も嫌うことだ。
フェラン男爵令嬢を認めてもらおうと、公務の一環として彼女の論文内容を政策の一つとして提案したが、貴族会議であっけなく却下されたのも納得していない。
国のことを考えないフロベール公爵に抗議しようと手紙を送ったが、聞くに値しないといったことが婉曲に書き綴られた簡素な手紙が返されただけ。
また、再度同じ内容の手紙を送り付けてくるようならば、国王陛下にガブリエルの手紙を渡して公式に抗議するとも。
グシャリと握りつぶした紙を怒りに任せて投げつければ、当たった従者が拾い上げ、何も言わずにそっと片付けた。
その従者からも側近辞退の申し出が伝えられたのは数日後のことで。
これによって、今度は兄である第一王子と第二王子からの説教だ。
ガブリエルを諭そうとしてか、長々と続く説教はガブリエルの好きなものではない。
何事も効率的であるべきなのだ。
必要なことだけ的確に伝えるべきだと口にすれば、さらに長い時間をかけて説教されることになったのも納得いかない。
そもそも従者の辞退に、ガブリエルの非はない。
三番目のガブリエルでは、兄二人のように優秀な従者が宛てがわれることがなく、主の意図を汲み取らないところも不満しかなかった。
それでも長く置いてやったというのに、途中で責務と栄誉を放り出した従者の方が無責任なのだ。
すぐに新しい従者が選ばれたが、前の従者よりも質が悪く、けれど不満を口にしたところで誰にも取り合ってもらえなかった。
さらには途中までアリエノールにさせていた三つ向こうにある王国の調査も、良い結果を得られなかった。
フェラン男爵令嬢がどこかの王族と縁続きであれば箔が付くと思ったが、噂を男爵が否定したとおり、得られたのは単に髪や瞳の色が似ているだけだという結果。
あちらの王族とはアリエノールの兄が面識を持っているらしいが、離れた国との縁などと無駄なことでしかない。
最近はその国との国交について話があるのだと、アルジャン侯爵と一緒に登城しては国王と話し込んでいるのだが、詳細は全く聞いていない。
ただ、アリエノールと同じ髪色を見るのは、ガブリエルの癇に障った。
結局何一つ打開策を見つけられず、もしかしたら虚偽の報告をしているのではないかと、元婚約者の姿を学園で探せば、彼女の友人たちから学園を休んでいると言われる。
ならば確認の手紙を送ろうとしても、誰も彼もが非常識だと許してくれない。
どうせ逆恨みも甚だしく、悪辣なことをしているのはアルジャン侯爵家だというのに。
誰もがガブリエルの話を聞いてくれず、日々が過ぎるばかりではフェラン男爵令嬢が向けてくる視線には疑心暗鬼が宿るのも当然のこと。
「ガブリエル様はいつになったら約束を守ってくれるの?」
卒業生の姿を見かけなくなり始めた、卒業半年前のこと。
これ以上お待ちするのは難しいと、冷めた視線がガブリエルを射抜く。
「わかっている、サラ。もう暫く待て」
何の解決にもならない言葉を並べれば、フェラン男爵令嬢の表情がより険しくなるだけ。
「ガブリエル様が婚約などすぐだと言うから、私も婚約解消をして後の無い状況なのよ。
それなのに婚約どころか、卒業パーティーのドレスの相談もしてくれないじゃないの」
学園にある歓談室内で、カシャンとカップが騒々しい音を立てる。
今日に限って酷く不愉快な音だった。
「婚約者ではない君相手に、予算が回るはずもないだろう。
当たり前のことだ。君は優秀だが私の横に立つのならば、もう少し謙虚さを覚えた方が良い」
苛立ちのままに、けれど立場が上の者として常識を説いてやる。
そんなガブリエルを見つめること数秒。
「それってアリエノール様と比べての話?」
険のある言葉が、二人以外に誰もいない歓談室に響く。
空虚な空間で咎める声はすぐに消えたけれども。
そうではないと言おうとしたガブリエルは、じゃあ何と比べたのかと考えたときに黙り込んでしまう。
「ガブリエル様の考えはよくわかったわ」
無表情に変わったフェラン男爵令嬢がそれだけ言って、その場はお開きとなった。
ガブリエルは賢い女は矜持が高いのだから、上手に扱わなければならないと思ったが、特にそれ以上のことは考えるのを止めた。
とにかく今、ガブリエルがやるべきことは多いのだ。
彼女の機嫌を気にしている暇などない。
最近よく起きる痴話喧嘩と進まぬ婚約を除けば、目障りになるかと思っていたアリエノールの姿はないので、学園生活自体は平穏だ。
このまま学園に来ないで卒業試験も受けなければ、やはりガブリエルに見合う令嬢ではなかったのだと結論付けられるはず。
そうなればガブリエルが選んだ令嬢が正しいと、両親が認めてくれると信じて疑わない。
けれど裏で、アリエノールが卒業試験を受けにだけ来ていたことを知るのは、すぐのことである。
貼り出された成績表。
そこで首位に輝くアリエノール・アルジャンの名前を、ガブリエルは信じられない顔で見ていた。
いつの間にか試験だけ受けていたこともそうだが、今までずっと三位だった元婚約者が一位に躍り出たのだ。
咄嗟に浮かんだ考えは不正の二文字。
すぐさまアリエノールの不正を学園長に訴えるも、そんなはずはないと却下される。
彼女は学園の関係者が立ち会って、一対一で卒業試験を受けていたので、不正できるはずがないというのが理由だ。
ならば、賄賂か色仕掛けで教師を買収したのだと言えば、学園長から心底残念そうな目で見られた。
「ガブリエル第三王子殿下。彼女の試験に立ち会ったのは私ですが、それでも不正があったとでも?」
どうせ耄碌した老人が不正を見逃したのだと言おうとしたが、学園内における学園長の特権は身分が影響しないものとなる。
ガブリエルの態度を理由に、成績を下げられてはかなわない。
不満は解消されないままに、これ以上は良い結果を出せないと判断したガブリエルは学長室を出ることになった。
アリエノールの首位に心をかき乱されたガブリエルは忘れていた。
貼り出された成績表の中に、新しい婚約者にと望んだサラ・フェランの名前がないことに。
***
卒業パーティーの場は、騒がしいという表現にぎりぎり至らないまでの賑やかさだ。
肩を叩き合って卒業を祝い合う者。
婚約者とのダンスを三度披露して、口笛を吹かれる者。
既に社交が始まっているのか、ドレスを褒め合い、布の産地を聞いている者や、自身が広告塔になっている者。
成人となる前の最後の日。
誰もが少しばかり羽目を外すものだと、教師たちも温かな目で見守っていた。
同時にこの場で悪目立ちする者もいる。
それは現時点で婚約者のいない者達で、屈辱的なことにガブリエルも一人での参加である。
誰もが事情を知っているくせに、そこに触れないように挨拶と祝いの言葉だけ述べると去っていく。
悠然とした態度で周囲と言葉を交わしてはいるが、それでも隠れるようにして向けられる好奇の目に晒されると、神経がすり減りそうだった。
手近なスタッフから受け取った軽めの酒が入ったグラスを重ね、苛立ちを見せぬように近くにあった椅子に座る。
一人掛けの椅子はしっかり綿が詰められて、座り心地は申し分ないが心は落ち着かない。
言い得ぬ怒りを誰かにぶつけたくて仕方がない。
だが、目的の人物は姿を現さないのだ。
アリエノール・アルジャン侯爵令嬢。
こんな祝いの場ですら、身支度すらまともにできずに遅れてくる始末。
やはりガブリエルの婚約者に相応しくなかったのだ。
どうせ婚約者がいないのを恥じて。参加することができないのだろう。
自分のように高位の身としての責務を認識できない、出来そこないの女。
立場を理解し、そのうえで弁えることを再三言ってやったというのに、何一つガブリエルの善意が伝わっていないのだ。
卒業すれば婚約者のいない令嬢など社交界に居場所はない。
せめて最後ぐらいは益となる教訓を与えてやっても構わない。
それなのに彼女は来ない。
一体何をしているのか。
もはや執着や依存とも呼べる思考に気づかず、一息でグラスの中を飲み干す。
そうしてグラスを手近なテーブルに手を伸ばして置いたとき、小さな歓声が上がったのに気が付いた。
何気なく視線を向けた先。
そこにいたのはアリエノールだった。
黄金のドレスを身に纏い、髪は結い上げて生花が挿されている。
装飾品は金とルビーで統一され、この国であまり採掘されないというのに、大ぶりなルビーが胸元で輝きを反射している。
そして信じられないことに、エスコートする男が彼女に寄り添っていたのだ。
燃えるような赤毛と、琥珀にも見える蜂蜜色の瞳に精悍な顔つき。褐色の肌。
この国では見ない顔だ。
他国の者だとはわかるが、立場までは把握できない。
見知らぬ男の手に誘導され、二人は軽やかに踊り始めた。
そんな二人を眺めながら、どこかの国の王家がこんな色だったという話を聞いたなと思い、それからアリエノールの思惑へと辿り着く。
これはガブリエルに対する当てつけだ。
ストンとガブリエルの中に落ちてきた考えは、実にしっくりときた。
赤と金。
どちらもフェラン男爵令嬢の色だ。
どうやら卒業パーティーでまで、ガブリエルに仕返しをしなければ気が済まないらしい。
そのためだけにわざわざエスコートする人間まで用意して。
品性のないことを、とガブリエルは侮蔑の目を向ける。
いくらガブリエルを逆恨みしているのだとしても、王族にしてよいことではない。
これは元婚約者として注意し、場合によっては不敬だとして拘束するべきだろう。
思えば婚約者であったときは、いつだってガブリエルが注意してやらなければ何もわからないような女だ。
交流の際には直すべきところを幾つも挙げてやれば、その身を恥じてか無言になって俯く。
ときおり聞こえてきたのは、ガブリエルの意見への肯定と謝罪だったか。
卒業パーティーは長い。
とりあえずアリエノールに、しっかりと貴族としての意識を説き、反省させなければならない。
今なら周囲にアルジャン侯爵も面倒な兄もいない。
ならば、さっさと事を運んだ方がよいだろう。
立ち上がり、彼らの向かう方へとゆっくり歩きだす。
さすがに婚約者のふりまではさせられないようで、アリエノール達が一曲で踊るのを止めたところで声をかければ、二人の視線が向けられた。
「そこのアルジャン侯爵令嬢」
「これは殿下。ご機嫌麗しゅう」
王子妃教育で徹底的に教え込まれた礼は、綺麗なものだ。
これもガブリエルが努力するよう言い続けた成果であるのに、まるで自分の成果のように澄ました顔でいるのが気に食わない。
「これから、友人達への挨拶を控えているのですが、何かご用でしょうか?」
貴族めいた言葉遊びの一つも囀らず、声をかけられたことが意外だといわんばかりに、そっと小首が傾げられる。
その仕草一つもガブリエルを馬鹿にしているようで。
「君の服装と態度がいかがなものかと思い、声をかけさせてもらった。
少しばかり時間を貰いたい」
「このドレスが、ですか」
しげしげと自身を見下ろすアリエノールは、本当に何もわかっていないふりをする。
それとも無意識でしているのだろうか。
どちらにせよ、悪女極まりない行為だった。
「ここで恥をかきたくなければ、素直についてくるんだ」
言い方はどうであれ、これは命令だ。
アリエノールはエスコートして気遣う素振りを見せる男に頷くと、「少しでしたら」とガブリエルに返した。
周辺を回るスタッフを捕まえて、どこか部屋を押さえるように言えば、すぐに応接間を一室整えてくれる。
学園生活ではあまり使うこともなかったが、ここで役に立つとは思わなかったとガブリエルは思う。
そうこうしている間にスタッフが誘導を始めたので、一応アリエノールも令嬢だからと仕方なくエスコートのために手を差し出したが、横にいた男が「私がいるので結構だ」とやんわり遮った。
そのままアリエノールに手を差し出してエスコートし始める。
「彼女との話し合いに君は不要だ」
牽制代わりに言えば、褐色味のある肌に白い歯が見えた。
「部屋まで送るだけだ。
婚約者でもない相手にエスコートされては、周囲に誤解を与えかねない」
まるで初対面の人間に警戒するかのような態度が、ガブリエルの癇に障る。
「以前は婚約者だ」
名すら聞いていない男の目が細くなった。
「今は婚約者でない。ただの他人だ」
何も知らないくせに。
アリエノールをエスコートする男は、どれだけ目の前の女が令嬢として欠点だらけなのかわかっていないのだ。
それを理解しているのが、唯一ガブリエルだけだというのに。
案内されている応接間は、少し歩けば見えてくるような場所だ。
扉は開かれたままにされ、姿の見えないところに彼女のメイドや護衛が控えることになる。
奥のソファはガブリエルに譲り、アリエノールは扉近くの一人掛けのソファに座る。
婚約解消から一年と少し。
久しぶりに二人は向かい合った。
一部、文章の欠損があった部分の報告をありがとうございました。
新しいパソコンに早く慣れたい…




