01. 自分勝手な婚約解消
「君との婚約を解消しようと思うんだ」
恒例となっているお茶会の中、まるで天気の話でもするような軽い言葉は、けれどアリエノールの居ずまいを正すのに十分な破壊力を秘めていた。
勿論、その言葉で取り乱すようなことはしなかったが。
淑女らしくと心掛けた穏やかな微笑みで、目の前の婚約者に尋ねる。
「ガブリエル殿下がそのお考えに至りました理由をお聞きしても?」
理由は察しているつもりだが、答え合わせは必要だ。
なによりアリエノールとしても、自身が納得できる回答がほしかった。
「フェラン男爵令嬢だよ」
予想通りの名前が出てきたことに、アリエノールは嘆息を漏らしそうになる。
学園の誰もが知る関係。
それが誇張でないくらい、ここ一年のガブリエルとフェラン男爵令嬢の距離は近すぎた。
話が回り始めたころにやんわりと、フェラン男爵令嬢ではなくガブリエルに釘を刺したが、「思惑あってのことだ」と返されれば何も言うことはできないまま見守るだけしかできず。
結局、一年後に卒業を控えてのこれだ。
「お二人の関係は知っておりましたし、もう少し早くに言ってくだされば」
アリエノールの口から恨み言が出るのは無理のない話だった。
既に高位の貴族のみならず、下位貴族の子女達でも婚約は調えられている。
未だ婚約をしていない令息は、将来の見込みがないか、素行不良のどちらかだ。
そうではない令息がいたとしても、全員調べていたのではキリがない。
「婚約解消になった令嬢の次の相手が見つかりにくいことは、私とてよく承知している。
だが、これは王族の婚約だ。私の相手を代えるにしても、見極める期間が必要なのは当然のこと」
「さようでございましたか」
もっともらしいことを、もっともらしく言う。
それがガブリエルにとって自分を正当化するだけでしかなくても、侯爵令嬢であるアリエノールが王族相手に指摘することはない。
いや、一度だけ絹に包みこんだ言葉で、わからぬ程度に言ったことはある。
だがガブリエルも王族であり、それ相応に聡かったし、ある程度は察することもできた。
結果として半年もの間、ガブリエルから「わきまえぬ令嬢」と呼ばれ続けたのだ。
入学する前の話で本当に良かったと思う。
もし学園に入ってからそう呼ばれたら、他の貴族子女達に「婚約者から嫌われている令嬢」として、アリエノールは侮られることになっただろう。
その一件以来、アリエノールはガブリエルに対して意見することを止めたのだ。
「ではフェラン男爵令嬢は、ガブリエル殿下のお眼鏡に適ったということでございますか」
アリエノールの脳裏に浮かぶのは、貴族らしからぬ満面の笑みを浮かべた、可愛らしい少女だ。
肩で切り揃えた燃えるような赤毛と、時として議論を交わすときに見せる、感情のままに輝く金色の瞳。
一時、三つ向こうの王家と同じ色から、やんごとない身ではないかと噂されていたが、それも男爵から否定されて終わっている。
「彼女は首席で入学し、そして私や君を押さえて、座学は常に首位であり続けた。
先ず、これが彼女を優秀たらしめる証拠だ」
彼女は確かに優秀だ。
学園の大掲示板に貼り出される座学の成績順位は、いつだって彼女が一位でガブリエルが二位。
そしてアリエノールは三位だった。
「私は男子生徒だけの実技で一位を取っているので問題ないが、婚約者である君が彼女より劣るのは明らかだ」
意気揚々と語るガブリエルの後ろに控える従者達は、諫めることなく立ち続けている。
ただ、ほんの僅かに浮かんでいるのは諦めと同情か。
きっとガブリエルは、アリエノールのと同じく彼らの意見など聞かないのだから。
「次に彼女は政にも関心を寄せるほど、意識が高い。
彼女の論文は読んでいて、男に負けぬ大胆さと潔さがある」
まるで自身のことのように誇らしく語るガブリエルの表情には、自信が満ち溢れている。
彼の望む基準を、フェラン男爵令嬢は満たしているのだろう。
アリエノールへの態度と比べると雲泥の差だ。
「彼女が学園内で発表された、フロベール公爵領での二期作による生産力向上でしたか」
「そうだ。自領を持たぬゆえか、その視野は大きく広げられている。
君と違って、国家単位で物を考えられる令嬢だ。
だが身分ゆえか、発言力がないことから実現できないと悔しがっていた」
アリエノールも彼女の論文には目を通している。
二期作は同じ年に同じ作物を二回栽培する農業施策だ。
単純計算で考えれば、生産量は二倍になる。
彼女の書いた論文は、公爵領の一部で飼料目的のメイズという作物に目を付けており、収穫量を増やすことで他の領が飼料を安く購入することを前提にしている。
そして、それによって後ろに続く生産物の安価が見込まれるという内容だった。
目の付けどころは良いと、教師が褒めていたのも知っている。
「最後に彼女は下位貴族との繋がりがある。
君と私とでは高位貴族との繋がりしかできないが、彼女となら幅広く人脈を作れるだろう。
第三王子である私が王家に役立つには、人脈は大事だからな」
「視野の広い考え方でございますね。
ガブリエル殿下らしいかと思います」
思わず嫌味を言ってしまったが、どうやらご機嫌な彼は気づかなかったらしい。
気づいたとしても、もう関わることがないのだから構わないのだが。
「君には王子妃教育を修了したという強みはあるが、それとて卒業した後ならばフェラン男爵令嬢も専念できるだろうから、早々に修了できるはず。
なにより第三王子の妃ともなれば、スペアにもならないのだから、そこまでの教育は必要としていない」
ガブリエルに言われ、今までの王子妃教育を思い出してみる。
確かに卒業後に専念するのであれば、そう苦労はしないのかもしれない。
そこはフェラン男爵令嬢次第だが、これもまたアリエノールが口にする必要のないことだ。
「まだ公務も始めていないから、君との婚約が解消されたところで、私の負担が増えることはない」
ガブリエルの言う通り、公務は結婚してから任されるので、アリエノールが責任ある仕事をしてはいない。
他の王子妃の手伝いをすることはあっても、あくまでメインは他の王子妃である。
アリエノールができることは、書類の内容を確認して優先順位をきめたり、計算の間違えているものを差し戻す程度だ。
「すぐに出てくるものは以上だ。
何か反論はあるだろうか?」
「いえ」
彼の言いたいことは理に適ってはいる。
言われたことのどれもが正論だ。
しかし。
「このことは、既に私の父と相談頂いておりますでしょうか?」
念のためにと確認すれば、ガブリエルが頷いて肯定する。
「当然だ。アルジャン侯爵からは『娘が了承すれば』と承諾してもらっている。
後は、君が受け入れさえすれば話は終いだ」
根回しは済ませ、そして物語のように公の場での婚約破棄を行わないだけマシだと思った方が良いのだろうか。
とはいえ父が承諾しているのであれば、アリエノールがここで抵抗する理由もない。
もう用は無いだろうと席を立つ。
「婚約解消につきまして、承知いたしました。
長らくの交流をありがとうございます。
ガブリエル殿下とフェラン男爵令嬢の幸福を、末永くお祈り申し上げますわ」
王子妃教育で身に付けた最上級の礼を一つ。
そうして淑女らしからぬ満面の笑みでガブリエルを見れば、面食らった顔でアリエノールを見返してきて。
「最後に一つ。
フェラン男爵令嬢をお名前で呼ばないでお話しされていたこと、大変誠意ある態度でいらっしゃったと思います。
ところで私の名前は覚えておりますでしょうか?」
「アリエノール・アルジャン侯爵令嬢だろう」
「さようでございます。
今まで一度も呼ばれませんでしたので、もしかしたら婚約者の名前を記号のようなものと思われていたのかと確認させて頂きました。
いえ、この質問に特に意味はございません。
それでは、ごきげんよう」
そうして返事を待つことなく、アリエノールは立ち去る。
お茶会の場に残されたのは、どことなく悔しさを滲ませたガブリエルと、笑いを堪えているのを見つからないようにする従者たちの姿だった。
***
そこからの婚約解消は早かった。
王城から辞した足で父である侯爵と兄に報告し、侯爵は目的を伝えた上で謁見の予定をねじ込んだ。
謁見に際しては、アリエノールが言われたことを反芻し続けて、最終的に頭を抱えた国王が婚約解消を了承したのだとか。
後日兄から聞いた時には少しばかり恥ずかしくなったが、アリエノールのためになりふり構わずに婚約解消にまで持ち込んでくれたのは感謝しかない。
落ち着くまでは学園は休むことにして、家で家庭教師に教わる日々。
侯爵は次の婚約者を探すために奔走し、兄も留学先での縁を頼って嫁入り先を探してくれる。
未来が見えない中にあっても、穏やかな日々はアリエノールの心を癒してくれた。
ガブリエルへの愛情があったといえば噓になるが、婚約すぐの頃はアリエノールも人として向き合おうとした。
王子妃としての責任や、人に見られる目の厳しさ。
どれもガブリエルと支え合っていけるのならば、王子妃として相応しくなれるのではないかと思ったのは最初だけ。
見えない手を払われることは何度も体験し、ガブリエルとの距離や対応を測りながら、手探りで関係を構築しようとした日々。
婚約者として王子妃として向いていないのではないかと何度も悩み、それでも王子妃教育で褒められることが増えれば少し自信を持てて。
だが、お茶会で語られるのはガブリエルの持論と、揚げ足を取るようなアリエノールへの批判ばかり。
自分の意見がない。自分よりも劣るのに意見だけはご立派。
努力が足りない。努力したところで結果が出せないなら意味など無い。
ガブリエルに対して媚しか売れない。ガブリエルの心に寄り添わない。
結局のところ、ガブリエルはアリエノールが嫌いだったのだろう。
そう結論付ければ納得できたものの、残されたのは空虚感と疲労感。
努力しても手に入らないものがあることは知っている。
ただ、それを知りながらも続けていたことに疲れただけだ。
「殿下はお幸せになれるのかしら」
王子妃教育によって最近は手にしていなかった、詩集を読みながら独り呟く。
ガブリエルとアリエノールの婚約解消は発表されたが、彼の新しい婚約については未だ発表されていない。
フェラン男爵令嬢の爵位を考えると、王家はいい顔などしないだろう。
そうなると説得中だろうか。
そう考えていると、侍女から声がかかる。
父と兄が呼んでいるということで、アリエノールは本を閉じると立ち上がった。
<2026/7/28追加:婚約解消すぐのお話>
「あんなのと婚約させてすまなかったね」
父親の言葉に、アリエノールは首を横に振って応えた。
「いいえ、王家からのお話とあれば断るのも難しく、それに婚約を結んでしまえば我が家からの解消の申し出など不可能でしたのですから」
元々ガブリエルの評判は、さして良くもなかった。
婚約まで会う機会などなかったので、あれ程まで拗らせていると思わなかったが。
「それにお父様はご存知ないかもしれませんが、市井では男性が思い通りにならない主人公が『おもしれー女』と呼ばれる恋愛小説が流行っていますの」
「つまり、殿下が『おもしれー男』だと言いたいのかな?」
どうでしょう、とアリエノールが笑えば、父が馬鹿馬鹿しいといわんばかりに肩をすくめて見せた。
「若者がこぞって読みたがる恋愛小説から手の離れた、老いぼれの私でもわかる。
それは暗愚と同一の意味ではなく、おそらくは意志の強い女性が、男性に押さえつけられることなく自由に生きる強さを言うのだろう」
「お父様、言い方」
アリエノールのたしなめる言葉に、やっぱり肩をすくめるだけ。
「アリエノール。殿下を表現したいならば、王家の規格外という一言でよい」
父の言葉は辛辣だ。
だが、父の態度もアリエノールには理解できた。
それはそうだろう。今の時期に婚約者を失ったのだ。
これからアリエノールは新しい婚約相手を見つけなければならない。
王家以上の立場の相手が見つからないのは当然だが、既に高位貴族の妻の座は埋まっている。
そこにこだわるならば後妻になるし、そうでなければ家格が低すぎて合わない相手も視野に入れなくてはならない。
既に届けられた釣書は、野心に満ちた男爵家か騎士、酷い場合は家の後ろ盾もない文官や司書、はたまた新しく起業したばかりの商会と、下へとレパートリーが豊かだ。
目の前の釣書の大半は焚火の火種となるだろう。
領地の隅に小さな屋敷でもお願いするか、いっそ修道院に行っても良いとは思っているが、父も兄もアリエノールにそういった判断はくださないはず。
「とにかく、今はあらゆる伝手を使って探しているから、少しだけ待ちなさい」
「わかりましたわ」
ここに兄がいないということは、きっと新しいご縁を探してくれているのだろう。
留学先から帰ってきたばかりだというのに、申し訳ない限りだ。
「そういえば、お母さまにはお知らせしましたの?」
「いや。あれの体調を悪くしてもいけないから、次の婚約が決まるまでは何も知らせずにいる予定だ」
アリエノールの母親は領地で静養中だ。
ベッドから出てこらない人に知らせる内容でもない。
父の言う通り、新しいご縁が見つかれば知らせた方が良いのだろう。
新しいご縁があればいいのだけど。
一介の令嬢でしかないアリエノールに、婚約でできることなどはない。
ひたすら待つしかできないのだ。
せめて、待っている間の時間は好きにさせてもらおうと思い、先日クラスメイトから届いたお菓子のことを思い出す。
あれはとても美味しかった。
噛めばバターが沁みだすような感覚になったフィナンシェは、今まで食べた中で一番だった。
あれを買いに行くのもよいかもしれない。
それに刺繍糸も流行の色を購入したい。
ガブリエルの為の色ばかり揃えていたが、あれはもう必要ない。
ほしいと言うメイドがいなかったら、孤児院に寄付しよう。
そう考えると気分が晴れる。
父の話から解放されたら、買い物に行く予定を調整してもらおう。
そんなことばかり考えていたら、話を聞いていないことをアリエノールが指摘されるのは、それから数分後のことであった。




