第96話 それぞれの道
かつてアーガとともに学んでいた生徒たちは、全員無事に学院を卒業していた。
卒業後は、一年間実家で休む者もいれば、自分で修行場所を探し、魔法を鍛える者もいた。
そして一年後。
十二歳になった彼らは、それぞれ王都高等魔法学院へ進学し、再び学び始めていた。
◇ ◇ ◇
王都高等魔法学院の訓練場に、重い金属音が響き渡った。
ミロが振り下ろした鉄槌が地面へ激突する。
青灰色の石床が大きく陥没し、砕けた石片が四方へ飛び散った。
「鉄槌魔法――《二重圧》!」
ミロは鉄槌を持ち上げ、再び正面へ振るう。
武器の先端と対戦相手の間には、まだ数メートルもの距離があった。
それにもかかわらず、目に見えない重圧が相手の身体へ叩きつけられる。
「そこまでだ」
試験を担当していた教師が片手を上げた。
両者の間に、透明な魔力障壁が出現する。
ミロの鉄槌から放たれた重圧が障壁へ衝突し、鈍く重い音を立てた。
魔力障壁の表面に大きな波紋が広がり、ようやく衝撃が止まる。
ミロは鉄槌を肩へ担ぎ直し、大きく息を吐いた。
「もう少し耐えられると思ったんだけどな」
「試験が終わったあとまで攻撃を続けるなんて、先生まで一緒に殴るつもりだったの?」
訓練場の端から、クララの声が飛んできた。
彼女は観戦席の最前列へ座っている。
背中からは、淡い紫色をした四本の蛸の触手が伸びていた。
二本の触手が本と水杯を持ち、残りの二本は、エドウィンが地面へ散らかした道具を拾い集めている。
ミロが振り返った。
「今のはちゃんと手加減したぞ」
地面へしゃがみ込んでいたエドウィンは、重圧によって亀裂の入った腕当てを調べていた。
その言葉を聞くと、顔を上げてミロを見た。
「この腕当ては、昨日強化したばかりなんだ」
「それを一撃で壊された」
「だったら、お前の強化がまだ足りなかったってことだろ?」
「お前の頭が、だんだん鉄槌に近づいている証拠かもしれない」
観戦席の周囲から笑い声が上がった。
ミロは不満そうに眉を寄せたが、それ以上言い返そうとはしなかった。
鉄槌を脇へ置き、二人の隣へ腰を下ろす。
高等魔法学院へ進学してから、彼らが学ぶ内容は以前とは大きく変わっていた。
かつての授業では、カードの使い方や、基本的な戦闘技術を身につけることが中心だった。
しかし、この学院の教師たちは、魔法の基礎を最初から教えることはほとんどない。
生徒一人一人がすでに持っている能力を、さらに深く開発するよう求めていた。
ミロの鉄槌魔法も、今では武器の重量を変えるだけの能力ではない。
鉄槌へ込めた重圧を、実際に武器が触れるよりも先に放出できるようになっていた。
相手と短い距離が空いていても、強烈な衝撃を与えられる。
エドウィンは、魔法道具・武器研究科へ進んでいた。
彼の硬化魔法は、以前まで武器全体を一時的に強化するだけだった。
今では素材の性質に応じ、強化する位置や範囲を細かく調整できるようになっている。
そしてクララの蛸魔法は、最初の二本から六本の触手へ成長していた。
「次の組!」
訓練場に立つ教師が声を上げた。
「クララとケイミ!」
クララは水杯を置いた。
背中から伸びていた触手が、同時に身体へ引き戻される。
席を立ったとき、訓練場の反対側からケイミが歩いてくるのが見えた。
二年が過ぎても、ケイミの外見はそれほど変わっていない。
クララは訓練場へ入りながら、思わずため息をついた。
「どうして、よりによってあなたなの?」
「怖いの?」
ケイミが尋ねた。
「もちろん、あなたの魔法が心配なのよ!」
クララはわざと大げさな声を上げた。
「水流魔法! ものすごく強い魔法だものね!」
「ははは! 今のケイミは学年十位だからな!」
ミロはなぜか自分のことのように嬉しそうだった。
教師は彼らの会話を無視した。
周囲の防護障壁が完全に展開されたことを確認すると、すぐに試験開始を宣言する。
クララの背中から、六本の触手が同時に広がった。
二本の触手が地面を押し、彼女の身体を一気に空中へ持ち上げる。
残る四本は、それぞれ異なる方向からケイミへ襲いかかった。
触手の速度は、以前の学院にいた頃とは比べものにならない。
先端には、防御用の硬質な魔力までまとわせていた。
ケイミは避けなかった。
右手を持ち上げると、身体の正面へ水の幕が急速に形成される。
四本の触手が水幕へ打ち込まれた。
隔てているのは、ただ流れ続ける薄い水の層だけ。
それにもかかわらず、触手は柔らかな力に絡め取られたように、次第に速度を失っていった。
「また水幕?」
クララは言った。
「その技なら、もう何度も見ているわ」
二本の触手を左右へ回り込ませ、水幕を避けて側面からケイミを捕らえようとする。
だが、触手が近づいた瞬間。
ケイミの足元から、小さな水の波紋が円形に広がった。
クララの表情が変わる。
身体を支えていた二本の触手が、すぐに地面を押して身体をさらに上空へ持ち上げた。
水の波紋が、その真下を通り過ぎる。
見た目には、まったく破壊力がないように思えた。
しかし訓練場に転がっていた石片は、波紋が通過した瞬間、すべて同じ位置から綺麗に二つへ切断された。
「水波紋の威力が、また上がっている」
エドウィンは眼鏡を押し上げた。
「今の彼女は、水流の振動する速さまで調整できるらしい」
「ただ水で相手を押し返すだけの魔法じゃない」
「だから前から言っているだろ。ケイミは強いって」
ミロは訓練場から目を離さなかった。
「でも、クララもまだ本気じゃない」
その言葉へ応えるように、クララの触手が突然内側へ巻き込まれた。
水幕に動きを止められていた四本の触手が、同時に水流を巻き上げる。
ケイミが生み出した防御魔法を、触手の表面へまとわせたのだ。
次の瞬間。
水流を巻きつけた四本の触手が、異なる方向から一斉に振り下ろされた。
ケイミは一歩後退し、両手を同時に持ち上げる。
地面に散らばった水が急速に集まり、何本もの細長い水槍へ姿を変えた。
水槍と触手が、正面から衝突する。
大量の水飛沫が訓練場の中央で炸裂した。
周囲を囲む魔力障壁の表面に、無数の波紋が広がる。
最前列に座っていた生徒たちは、水を浴びることなどないと分かっていながら、反射的に身体を後ろへ引いた。
二人はその後も、何度か攻防を繰り返した。
最後には、ケイミの水流がクララの四本の触手へ巻きついた。
一方、クララも残った二本の触手を、ケイミの首と腰のすぐそばで止めていた。
どちらかがさらに攻撃を続ければ、相手へ傷を負わせる可能性が高い。
教師はすぐに引き分けを宣言した。
「また、こうなるのね」
クララは触手を引き戻し、表面についた水を振り落とした。
「あなたと戦うと、毎回最後には全身びしょ濡れになるわ」
「それは、あなたの魔法が巻き上げた水よ」
ケイミは平然と答えた。
「私には関係ない」
◇ ◇ ◇
試験が終わったあとも、四人はすぐには帰らなかった。
観戦席へ並んで座り、しばらく身体を休める。
ミロは水杯を手に取り、何口か水を飲んだ。
すでに誰もいなくなった訓練場を眺めながら、突然口を開く。
「アーガがここにいたら、さっきの戦いを横でずっと分析していただろうな」
「水幕を正面から破ろうとするべきじゃない、とか」
「魔力が一番薄い場所を探して、そこを攻撃するべきだ、とか言ってさ」
「確かに、言いそうだ」
エドウィンは手元の道具を整理しながら答えた。
「しかも言うだけじゃなくて、そのあと自分で試すだろうな」
クララはしばらく黙っていた。
やがて、小さな声で呟く。
「もう二年になるのね」
「今頃、どうしているのかしら」
アーガの名前が出た瞬間、全員の表情から笑みが薄れた。
事件が起きたばかりの頃は、学院のどこへ行っても、アーガに関する噂を耳にした。
しかし、時間が経つにつれて、彼を知る生徒たちは次々に卒業していった。
新しく入学した生徒の中には、アーガという名前すら聞いたことがない者もいる。
それでも彼らは覚えていた。
試合の前になると、いつも奇妙な作戦を考え出す人物がいたことを。
そして勝利したあとには、何でもないことのような顔をしていたことを。
ケイミは腕を組み、少し離れた場所に立っていた。
以前のように、皮肉を口にすることはなかった。
彼女はかつて、アーガと何度も衝突している。
正式な試合で、本気で戦ったこともあった。
だからこそ、普通の生徒たちよりもよく知っていた。
あの男は、簡単に諦めるような人間ではない。
「生きていると思う」
ケイミは静かに言った。
「ただ、今は戻る方法がないだけよ」
ミロもうなずく。
「俺もそう思う」
「リサだって、今も国境でアーガの情報を探している」
「俺たちが先に、死んだと決めつけるわけにはいかない」
夕日が、学院の塔の向こうへ少しずつ沈んでいく。
訓練場に落ちた四人の影は、長く伸びていた。
二年という時間によって、彼らは以前よりも強力な魔法を身につけた。
それぞれが、自分の進むべき道を歩き始めている。
ただ一人。
本来なら彼らとともに前へ進んでいたはずの人物だけが、今もまだ帰ってきていなかった。




