第91話 炎熱形態
クロードは、アーガの全身を覆う鎧を見つめた。
数秒ほど沈黙したあと、楽しそうに口元を吊り上げる。
「面白い」
上着の一番上にある二つのボタンを外し、右手をゆっくりと身体の前へ持ち上げた。
「なら、俺も少しだけ本気を出すとしよう」
言葉が終わった瞬間。
クロードの両腕が、同時に長刀へと変形した。
さらに両肩と背中から、鋭い骨刃が何列も生えていく。
先ほどまでとは違い、刃は無秩序に外側へ伸びているわけではない。
すべての刃が身体の輪郭に沿って形成され、まるで刀剣によって作られた甲冑を身にまとっているようだった。
次の瞬間。
二人は、ほぼ同時に地面を蹴った。
――轟ッ!
訓練場の中央で、重い衝突音が響き渡る。
炎をまとったアーガの手刀には、《穿刺》による鋭い魔力の外殻が重ねられていた。
その一撃が、クロードの刀腕へ激突する。
真紅の火花が四方へ飛び散った。
それまで余裕を崩さなかったクロードの表情が、わずかに変わる。
彼の足が、地面を削りながら半歩後ろへ滑った。
アーガは距離を取らせない。
すぐさま身体を回転させ、側面からクロードの顔へ手刀を振るう。
クロードは頭を傾けて回避した。
同時に、肩から伸びる骨刃がアーガの胸を斬りつける。
半透明の赤い鎧へ、深い斬撃痕が刻まれた。
「うわ……強いな」
アーガは胸元の傷を見下ろし、思わず感嘆の声を漏らした。
「さすがは校尉級だ」
「謙遜するのは、お前の方だろう」
クロードも、鎧に刻まれた傷を眺めている。
「今の攻撃を受けても、まだ鎧が崩壊しないとはな」
その言葉が終わるよりも早く、アーガの右腕から伸びる緑色の甲刃が、クロードの頭部へ突き出された。
クロードは上体を大きく後ろへ反らす。
刃先が、顎のすぐ下を通り過ぎた。
そのまま両手を地面へつく。
直後。
背中から生えた骨刃が一斉に伸びた。
十数本の長刀のような刃が、あらゆる方向からアーガへ襲いかかる。
「くっ……!」
アーガは両腕を上げ、頭部を守った。
連続する斬撃が、赤い鎧へ容赦なく叩き込まれる。
《治癒体》の力が傷ついた肉体を絶えず修復していた。
だが、その速度さえクロードの攻撃には追いつかない。
最後の一本が、正面から大きく薙ぎ払われた。
アーガの身体が再び吹き飛ばされる。
地面を長く滑り、砂利の上へ深い痕を残した。
全身を覆っていた鎧にも、無数の亀裂が浮かび上がっている。
クロードは背中の骨刃をゆっくりと元へ戻した。
「確かに、先ほどよりは格段に強くなった」
ひび割れた鎧を見ながら問いかける。
「だが、そんな強引に融合させた力を、あとどれほど維持できる?」
「長くは持たない」
アーガは地面へ手をつき、ゆっくりと立ち上がった。
呼吸はすでに大きく乱れている。
「だから、最初から長期戦をするつもりもない」
アーガはカードケースの最も奥へ指を入れ、一枚のカードを取り出した。
そのカードには、数字が記されていない。
描かれているのは、王冠を被り、笑みを浮かべた人型の絵だけだった。
大ジョーカー。
アーガは大ジョーカーを、ベルト右側にある独立したスロットへ差し込んだ。
そして、カードの表面を手のひらで強く叩く。
――カチッ!
ベルト中央にある四つのスロットが、同時に眩い光を放った。
次の瞬間。
アーガの魔力が爆発的に膨れ上がる。
炎が右腕の甲刃を包み込んだ。
腕の筋肉が急速に膨張し、《ヒグマ》の魔力が骨格と筋肉を強引に支える。
さらに《穿刺》の力が、拳の前方へ集まっていった。
四種類の魔力が圧縮され、細長く鋭い円錐を形成する。
訓練場の地面が、小さく震え始めた。
クロードの顔から、ゆっくりと笑みが消えていく。
両腕を身体の前で交差させた。
背中にあるすべての骨刃が、元の位置から外れる。
刃は肩と両腕に沿って前方へ集まり、次々と組み合わさっていった。
やがて形成されたのは、幅が半メートルを超える巨大な白い剣だった。
クロードは両手でその柄を握る。
「来い、坊主」
アーガは腰を低く落とした。
足元の炎が、一気に爆発する。
「《業火・貫星》!」
アーガの姿が、黒と赤の残像へ変わった。
右拳の前方に形成された緑色の錐が、空気を引き裂く。
大気を震わせる轟音を伴いながら、クロードの胸へ一直線に突き進んだ。
クロードも、巨大な白刃を握ったまま一歩前へ出る。
「《天刃断岳》!」
白い巨刃と、四色の魔力によって形成された尖錐が、真正面から激突した。
その瞬間。
訓練場から、すべての音が消えたように感じられた。
次の刹那。
二人の間から、目を焼くほどの光が爆発する。
――ドォォォン!
訓練場中央の地面が陥没した。
最初に崩壊したのは、アーガの右腕を覆う鎧だった。
赤い甲片が砕け、魔力の粒子となって空中へ消えていく。
同時に、腰の中央へ差し込まれていた四枚のカードが、すべて弾き出された。
支えを失ったアーガの身体が、衝突の余波によって吹き飛ぶ。
空中で二回転し、そのまま地面へ激しく叩きつけられた。
腰から放たれていた魔力の光が急速に弱まっていく。
やがて黒いベルトも、光の粒となって消滅した。
ゆっくりと煙が晴れていく。
クロードは、先ほどとほぼ同じ場所に立っていた。
だが、手にしていた白い巨刃には、何本もの亀裂が走っている。
右肩の服も切り裂かれていた。
胸元には浅い傷が刻まれ、そこから一筋の血がゆっくりと流れ落ちている。
クロードは自分の胸を見下ろした。
指先で血へ触れる。
「面白い」
そう呟くと、倒れているアーガの前まで歩いていった。
地面に横たわる少年を見下ろす。
「今の一撃だけなら、すでに遊侠級へ届いているんじゃないか?」
アーガは地面へ倒れたまま、力なく笑った。
全身から力が抜け、声も弱々しい。
「さあな……」
◇ ◇ ◇
しばらく休んだあと、二人は再び屋敷の席へ戻った。
「焦る必要はない」
クロードは新しい酒を杯へ注ぎながら言った。
「まだ一年だ」
「魔法を失っていたお前が、ここまで戻ってきただけでも十分すぎる」
そう言うと、クロードは突然懐へ手を入れた。
取り出した赤い令牌を、アーガへ向かって放り投げる。
「持っていけ」
アーガは両手で受け止めた。
令牌は見た目以上に重い。
表面には、血を滴らせる剣の紋様が刻まれていた。
「これは?」
「血髑髏闘技場で使われる、最高位の通行証だ」
クロードが説明する。
「それがあれば、闘技場へ自由に出入りできる。他人の試合を観戦するだけなら、止められることもない」
「実戦をよく見て、自分に足りない戦い方を学べ」
アーガは令牌を懐へしまった。
「ありがとう」
「まだ礼を言うのは早い」
クロードは再び真紅の外套を羽織った。
その襟元を整えながら、声を低くする。
「お前が本当に生き残れたなら――」
わずかに身を寄せた。
「我が主は、グルバート家が所有する鉱脈にも興味を持っている」
アーガの瞳が、わずかに細くなった。
クロードは、その肩を軽く叩く。
「よく考えておけ」
「復讐の方法は、一つだけじゃない」
◇ ◇ ◇
屋敷を出ると、赤骸城の夜空から細かな雪が降り始めていた。
アーガが吐いた白い息は、風に流されてすぐに消えていく。
懐へしまった赤い令牌が胸へ当たり、わずかな痛みを与えていた。
遠くに見える血髑髏闘技場は、今夜も眩しいほどの明かりに包まれている。
風に乗り、観客たちの歓声が微かに聞こえてきた。
雪は次第に強くなる。
アーガの姿は、やがて長い通りの先へ消えていった。
◇ ◇ ◇
木造小屋の窓から、温かな橙色の光が漏れていた。
積もった雪の上に、四角い明かりが落ちている。
アーガが厚い雪を踏みながら小屋へ近づくと、突然木製の扉が開いた。
「アーガ様!」
温かな空気とともに、リナが外へ飛び出してくる。
長い金髪には、細かな雪の粒がついていた。
室内の暖かさによって、頬は健康的な赤色に染まっている。
一年前まで病弱で、今にも倒れそうだった少女は、すでにかなり背が伸びていた。
階段の上に立てば、アーガとほとんど目線が変わらない。
アーガは手を伸ばし、金髪についた雪を軽く払った。
「外は寒い。話は中でしよう」
小屋の中には、肉を煮込んだ香りが漂っていた。
質素な木の食卓には、二人分の夕食が並べられている。
料理は、この一年でリナが身につけた新しい技術の一つだった。
アーガは雪に濡れた外套を脱ぐ。
リナが慣れた手つきで鍋からスープをよそっている姿を、何となく眺めた。
かつては死にかけていた少女が、今では二人の暮らしを、これほど自然に支えている。
そのことに、改めて気づかされた。
「今日はどうして、こんなに遅かったんですか?」
リナは温かな布を差し出した。
「鉱山で、何かあったんですか?」
アーガは布を受け取った。
立ち上る湯気が、疲れ切った顔を覆い隠す。
「鉱脈が枯れた」
少し間を置いてから、続ける。
「俺たちの仕事は終わった」
リナの手が、空中で止まった。
スープをすくっていた匙から肉が落ち、鍋の中で小さな飛沫を上げる。
だが、すぐに表情を整えた。
何でもないことのように、明るい声を作る。
「それなら、よかったじゃないですか」
「アーガ様も、ようやく休めますね」
「いや」
アーガは、リナの目を真っすぐに見た。
「次は、血髑髏闘技場へ行く」
――カラン。
リナの手から匙が落ちた。
床へぶつかり、乾いた音を立てる。
少女の唇が、小さく震えていた。
「え……?」
「いつかは、自分を鍛えなければならない」
アーガは静かに続ける。
「まさか、一生この街で暮らしたいわけじゃないだろう?」
「でも……」
リナは屈み込み、落とした匙へ手を伸ばした。
垂れた金髪が、その表情を覆い隠す。
「今の暮らしも、悪くないと思います……」




