第88話 成功
夜明け前。
アーガは鉱山の入り口に立っていた。
腰に巻いたカードベルトが肌へ伝える微かな熱に、心臓の鼓動が速くなる。
向かい側では、クロードが両腕を組んでいた。
真紅の外套が朝風を受け、激しくはためいている。
クロードは値踏みするようにアーガを見た。
「始めろ」
「一人で行動させてほしい」
アーガは、わざと腰のカードケースへ触れた。
「探知には集中力が必要なんだ。誰かが近くにいると邪魔になる」
監督官が鼻で笑う。
「もったいぶりやがって」
だが、クロードは片手を上げ、監督官を黙らせた。
その口元に、危険な笑みが浮かぶ。
「作業員は好きに使え。もう一日だけ時間をやる」
クロードは親指で、自分の首を横へなぞった。
「手ぶらで戻ってきたら……分かっているな?」
アーガは何も答えず、暗い坑道の奥へ足を踏み入れた。
湿った空気には、金属と腐った土の匂いが混じっている。
◇ ◇ ◇
昨夜、一人で試したときと同じだった。
周囲に誰もいないことを確認すると、アーガは懐からヴィルヘにもらった上等魔晶石を取り出した。
深く息を吸い、余計な思考をすべて消していく。
意識を完全に静めた、その瞬間。
体内の魔力が、生き物のように動き始めた。
「うっ……」
強い眩暈がアーガを襲う。
次の瞬間、暗かった視界に無数の青い光点が浮かび上がった。
星空のように、坑道のあちこちへ散らばっている。
最も近い反応は、前方約五十メートル。
岩壁の向こう側にあった。
(本当に使える!)
込み上げる興奮を必死に抑え、アーガはつるはしを握った。
目印をつけた岩壁へ、何度もつるはしを振り下ろす。
硬い岩盤が少しずつ砕けていった。
間もなく、背中は汗でびっしょりと濡れる。
それから半時間ほど経った頃。
つるはしの先が、岩とは異なる硬い物へぶつかった。
乾いた音が響く。
岩の亀裂から、淡い青色の光が漏れ出した。
「……あった」
一個目の上等魔晶石だった。
アーガは慎重に岩から取り出し、服の内側にある袋へ入れる。
すると、カードベルトの光が先ほどよりも強くなった。
その後も同じ方法で探知を続ける。
間もなく、別の強い反応を見つけた。
そちらの上等魔晶石は、半分に割った拳ほどの大きさがある。
伝わってくる魔力の波動だけで、カードベルトが低く震え始めた。
だが、埋まっている場所が深すぎる。
アーガ一人の力では、とても掘り出せそうになかった。
仕方なく正確な場所を記憶し、近くの作業員たちを呼び寄せる。
目印を示し、その場所を掘るよう命じた。
(これで二個……)
(カードを二枚、強化できる量だ)
(今のところは、俺の物じゃないけどな……)
◇ ◇ ◇
採掘作業が終わった頃には、すでに午後になっていた。
アーガが疲れ切った足取りで坑道の外へ戻ると、クロードは刃へ変形させた指先で、苛立たしそうに岩壁を叩いていた。
アーガの姿に気づき、動きを止める。
「どうだった?」
アーガは、わざと困った表情を作った。
「もしかすると、感覚を間違えたかもしれない。見つかったのは、それらしい物だけで――」
「くだらない話はいい!」
監督官がアーガの背負っていた袋を奪い取った。
そして、その中身を地面へぶちまける。
二個の上等魔晶石が転がり落ちた。
日の光を受け、夢のような青い輝きを放っている。
「昨日、俺に渡した物を除けば、今日見つけたのは二個だ」
アーガが説明する。
クロードは大きく目を見開いた。
驚きのあまり、刃へ変わっていた指が無意識に元へ戻っていく。
「一日で……本当に二個も見つけたのか?」
クロードはアーガの肩を乱暴につかんだ。
「どうやった?」
「秘密だ」
アーガは肩から手を振り払い、半歩後ろへ下がった。
「俺だって、ただで協力するつもりはない」
クロードは目を細める。
「何が欲しい?」
探るような口調だった。
「金貨か? 強化薬か? 回復薬か? それとも、まともな家でも用意してほしいのか?」
「上等魔晶石が欲しい」
アーガは即座に答えた。
この機会を逃すつもりなどなかった。
隣では、監督官が上等魔晶石を貪欲な目で眺めている。
指先で表面を何度も撫でながら呟いた。
「これなら、城主様から相当な褒美が……」
「黙れ」
クロードが冷たく言い放った。
それから上等魔晶石を一個拾い、アーガへ投げ渡す。
「これは今日の褒美だ」
アーガは両手で受け止めた。
「今後は毎日、同じ時間に来い。報酬として、半年に一個の上等魔晶石を渡す」
「半年に一個だけか?」
アーガは不満そうに眉を寄せた。
クロードの声が、わずかに大きくなる。
「坊主、上等魔晶石がどれだけ貴重か分かっているのか?」
「半年に一個でも、限界に近い条件だ」
クロードは地面に転がる、もう一つの上等魔晶石へ目を向けた。
「それに、探知した上等魔晶石が一個だけで、しかも鉱脈の最深部に埋まっていたらどうする?」
「一日で必ず掘り出せると保証できるのか?」
「それなら……」
アーガは商人のような表情を浮かべ、両手を擦り合わせた。
「毎日の食事代については?」
クロードは監督官を一度見た。
「こいつが面倒を見る」
監督官は嫌そうな顔をしたが、反論はしなかった。
「採掘が終わるたびに、こいつから賃金を受け取れ。普通の鉱夫の百倍だ」
「分かった」
条件を聞いたアーガは、満足そうにうなずいた。
そして何事もなかったかのような落ち着いた足取りで、鉱山をあとにした。
◇ ◇ ◇
帰り道。
汚水が流れる貧民街を通りかかると、ぼろぼろの服を着た子供たちが、黴の生えた黒パンを奪い合っていた。
アーガは足を止める。
今日、市場で買った黒パンを取り出すと、子供たちの方へ放り投げた。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
最も年上らしい子供がパンを受け取る。
汚れた顔に、明るい笑みが浮かんだ。
アーガは返事をしなかった。
そのまま歩く速度を上げ、小屋へ戻る。
裏庭へ回り、リナがついてきていないことを確かめた。
それから懐に隠していた上等魔晶石の欠片と、黄色の一を取り出す。
(前と同じように……)
アーガは上等魔晶石を口の中へ入れた。
尖った角が舌を切り裂く。
血の味と、奇妙な甘い香りが口の中へ広がった。
直後、魔晶石は一瞬で液体へ変わり、喉の奥へ流れ落ちる。
「ぐっ……!」
稲妻のような激痛が全身を貫いた。
アーガは必死に声を押し殺す。
両手の指が、土の地面へ深く食い込んだ。
(耐えろ……)
(まだだ……!)
その瞬間。
体内で暴れ回っていた力が、突然一つの出口を見つけた。
アーガの右腕が、意思に反して持ち上がる。
手のひらが空へ向けられた。
「――轟っ!」
激しい魔力の波動が、一瞬で周囲へ広がった。
アーガは驚愕しながら、自分の右腕を見る。
皮膚の下を流れていた光の筋が、黄色の一に刻まれた紋様と完全に重なっていた。
(成功した……)
◇ ◇ ◇
薄い布を広げたような朝霧が、いつもと変わらず赤骸鉱山を覆っていた。
アーガは、大勢の鉱夫によって踏み固められた石道を歩いている。
靴底へ伝わってくる感触は、すでに慣れ親しんだものだった。
この道を歩くのは、今日で三百六十七日目。
クロードと取引を結んで以来、アーガは毎朝、日の出前になると必ず鉱山の入り口へ姿を現していた。
(もう一年か……)
今のアーガは、闘技場で瀕死になっていた頃の少年とは違う。
毎日の採掘が終わると、一人で赤骸城西部にある廃棄された訓練場へ向かった。
夕闇に紛れ、何度もカードの扱いを練習してきた。
時間があれば図書館へ行き、魔晶石とカードに関する書物を読み漁った。
本に書かれた知識をもとに、自分の身体で起きている現象を一人で計算し、分析し続けた。
そしてアーガは、一つの可能性へたどり着いていた。
赤、黄、青、緑。
四種類のカードが持つ力を融合できれば、単体では得られないほど強大な力を引き出せるかもしれない。
すでに赤の一《火》は、三十メートル先にある岩を正確に溶かせるほど強化されている。
黄色の一によって得られる怪力を使えば、五百キロ近い岩でさえ簡単に持ち上げられた。
この一年で、闘技場の勢力図も大きく変化していた。
ロックは当時の二十位以内から勝ち上がり、今では十位以内へ入っている。
最近では、第五位の座へ挑戦しているらしい。
そして、最も皮肉な末路を迎えたのはモルハンだった。
かつてアーガを半死半生にまで追い込んだ男は、ある試合で両腕を折られたという。
それ以来、長い間闘技場へ姿を現していない。
アーガは無意識に、腰のカードケースを指先で撫でた。
クロードとの取引は、予想していた以上に順調だった。
半年ごとに支払われる上等魔晶石が遅れたことは、一度もない。
探知の成果がよかった日には、褒美として下級魔晶石を追加でもらえることさえあった。
クロードとも、時折短い会話を交わすようになった。
その会話から、アーガは少しずつ赤骸城の権力構造を把握していった。
現在の赤骸城主は、城主級下位。
並の者では相手にならないほどの実力者だった。
赤骸城には、二人の副城主がいる。
クロードの序列は、その中で二番目だった。
彼が最も警戒しているのは、もう一人の副城主だ。
将来、現在の城主が引退するか、別の土地へ異動することになった場合。
二人の副城主がどちらも城主級へ到達していれば、次の城主の座を争うことになる。
そして現状では、もう一人の副城主の方が、圧倒的に有利らしい。
「おはようございます、アーガ様!」
片腕の老鉱夫の声が聞こえ、アーガは思考を現実へ戻した。
軽くうなずき、挨拶を返す。
その指は、無意識のうちに腰のカードケースへ触れていた。
今のアーガは、すでに四枚の強化されたカードを手にしている。
この一年で、歩き方さえ以前より落ち着いたものへ変わっていた。
その姿は、どう見ても十二歳の少年には見えなかった。




