第81話 試行
アーガは静かに机の前へ座っていた。
右手のひらを上へ向けて膝に置き、目を閉じる。
意識を体内へ集中させ、わずかに残っている魔力の流れを探った。
目を覚ましてから、同じことを何度も試している。
魔力が完全に消えたわけではなかった。
胸元の辺りには、今もかすかな流れを感じる。
ただし、その力を外へ引き出そうとするたび、何かに塞がれているような抵抗が生まれた。
ほんの少しだけ動いたかと思えば、すぐに身体の奥へ縮こまってしまう。
アーガは呼吸を整え、もう一度試した。
淡い紫色の光が、指先へ浮かび上がる。
どうにか二、三秒ほど維持されたものの、小さく瞬いたあと、空気へ溶けるように消えた。
アーガは目を開け、自分の手をしばらく見つめる。
納得できず、続けて何度も魔力を引き出そうとした。
しかし、結果はほとんど変わらない。
指先を光らせることはできても、普通のカード一枚を発動させるために必要な魔力さえ集められなかった。
(やっぱり、これだけか……)
蠍座のカードをはじめ、これまで頻繁に使っていたカードは机の脇へ置いてある。
だが、試す気にはなれなかった。
今の魔力量で無理に発動させようとすれば、再び意識を失うだけだろう。
ほかの結果は期待できない。
「でも、最も基礎的な魔法ならどうだ?」
そう考えたアーガは外套を羽織り、市場へ向かった。
◇ ◇ ◇
赤骸城の通りには、食料や薬草、低級魔法道具を扱う露店が隙間なく並んでいた。
半刻ほど歩き回った末、アーガは古びたカード店の前で足を止める。
店内には、安価なカードが数多く並べられていた。
その中に、子供が魔法の練習に使うためのトランプもある。
どの札も、正式な一級カードとは比べものにならないほど弱い魔法しか発動できない物だった。
「これを買うのか?」
店主はアーガが選んだ箱を見て、不思議そうな顔をした。
「子供の玩具だぞ」
「中に組み込まれている魔法も弱い。蝋燭に火をつけることさえ、うまくいかない場合がある」
「分かってる」
アーガは代金を台の上へ置いた。
「これでいい」
◇ ◇ ◇
小屋へ戻ると、リナは台所で夕食の準備をしていた。
アーガは買ってきたトランプをすべて机の上へ広げ、その中から赤の1カードを一枚取り出した。
札の中央には、小さな炎が描かれている。
周囲に刻まれた魔力の紋様も、数本の単純な線しかない。
学院で使っていた本物のカードと比べれば、同じ種類の道具とは思えないほど簡素だった。
説明によれば、魔力を紋様に沿って一周させるだけで、カードの上へ炎が現れるらしい。
アーガは説明を二度読み返した。
カードを指の間に挟み、体内に残るわずかな魔力を、慎重に引き出していく。
札に刻まれた赤い紋様が、一本ずつ光り始めた。
最後の部分で一瞬止まる。
直後。
爪より少し大きい程度の小さな炎が、カードの上へ現れた。
炎はどうにか四、五秒ほど燃え続けた。
やがて札の光とともに、静かに消えていく。
少なくとも、成功はした。
アーガはもう一度試した。
今度の炎は、先ほどより少しだけ安定していた。
だが、大きさは変わらない。
温度も、驚くほど低かった。
その後、ほかのカードも試してみる。
どれも発動させること自体はできた。
しかし、本当にただ使えるというだけだった。
最も基礎的な魔法でさえ、今のアーガにはかつてとは比べものにならないほど弱い効果しか生み出せない。
「どうしてだよ……!」
突然、胸の奥から苛立ちが込み上げてきた。
アーガは勢いよく立ち上がる。
腕を机の上で大きく振るった。
トランプや道具が、すべて床へ叩き落とされる。
木箱が床板へぶつかり、鈍い音を立てた。
数十枚のカードが小屋中へ散らばる。
何枚かは床を滑り、扉の近くまで飛んでいった。
台所にいたリナが驚き、持っていた物を置いて急いで部屋へ出てきた。
机の横に立つアーガを見る。
次に、床へ散らばったカードへ目を向けた。
困惑した表情を浮かべたが、物を投げた理由を問いただすことはなかった。
すぐにしゃがみ込み、一枚ずつ拾い始める。
「アーガ様、どうされたんですか?」
カードを木箱へ戻しながら、心配そうにアーガを見上げた。
「どこか具合が悪いのですか?」
アーガは答えなかった。
物を床へ落としたことで、胸に燃え上がっていた怒りはすぐに消えていた。
代わりに、さらに苦しい空虚さだけが残る。
リナはカードを一枚ずつ丁寧に重ねていく。
その途中で何度も、アーガの様子を窺うように顔を上げた。
しばらくして。
カードを片づけるリナを見つめていたアーガは、ふと何かを思いついた。
「リナ」
「はい?」
リナは拾い終えた木箱を抱え、立ち上がった。
「お前、このカードを使えるか?」
リナは目を瞬かせる。
腕の中にあるトランプへ視線を落とし、ためらうような表情を浮かべた。
「わ、私……一度も試したことがありません……」
「大丈夫だ。簡単だから」
アーガはリナが抱えているカードの中から、赤の1カードを取り出した。
もう一度、少女の前へ差し出す。
「試してみろ」
「下から魔力を流し込んで、札に刻まれた紋様を一周させればいい」
リナはすぐには受け取らなかった。
指先を前掛けへ何度か擦りつける。
アーガがさらにカードを差し出すと、ようやく両手で慎重に受け取った。
言われたとおりに目を閉じる。
最初のうちは、カードに何の変化も現れなかった。
緊張のせいか、リナの頬も少し赤くなっている。
「一度に大量の魔力を入れようとするな」
アーガが声をかけた。
「もっとゆっくりでいい」
リナは小さくうなずき、魔力の流れを調整する。
数秒後。
カードに刻まれた赤い紋様が、下端から光り始めた。
進む速度は遅い。
それでも、光は途中で止まることなく、紋様全体を一周した。
直後。
完全な形をした炎が、カードの上へ現れる。
アーガが発動させた炎より、二倍近く大きかった。
明るい火の光がリナの顔を照らす。
本人も驚いたように、大きく目を見開いた。
「できました……」
自分の手にある炎を見つめる。
すぐにアーガへ視線を向けた。
「アーガ様、私……」
「貸してくれ」
アーガはカードを受け取った。
リナの手から離れた炎は、すぐに消える。
札の表面を細かく確認した。
だが、何も変化していない。
先ほどの炎は間違いなく、リナ自身の魔力によって生み出されたものだった。
これで、さらに分からなくなった。
トランプが最下級のカードとされている理由は、その構造が単純だからだ。
通すことのできる魔力量も少ない。
そのため、使用者がどれほど強くても、発動する魔法の威力にはそれほど大きな差が生まれない。
だが、カードそのものは、魔力を導くための道具にすぎない。
実際に魔法を発動させるのは使用者だ。
同じカードでも、使う人間によってこれほど明確な差が生まれる。
それなら、限界とされている威力も、完全に変えられないものではないのかもしれない。
学院の一年生だった頃。
アーガはすでにカードの扱いへ十分に慣れていた。
同じカードを使えば、教官が発動させる魔法に近い威力を出すこともできた。
それでも、何かが違うような気がする。
アーガはカードを持ったまま、再び椅子へ座った。
頭の中に、学院で行われた試合の数々が浮かぶ。
三級カードを使う者が、二級カードを持つ相手へ勝つことなど珍しくなかった。
カードの等級が、そのまま本当の強さを示すわけではない。
前回の学院大会の決勝。
アーガとリサは、どちらも四級カードを使っていた。
それでも、三級カードを使う相手と引き分けた。
互いに訓練期間へ一年の差があったとはいえ、それだけでもカードの等級がすべてを決めるわけではないと証明できる。
それなら。
なぜトランプだけが、これほど低い威力で止まっているのだろう。
カードそのものが、わずかな魔力しか受け入れられないからか。
それとも、この単純な紋様では、それ以上の魔力を通せないのか。
原因が素材の耐久力にあるのなら、より強い素材を使えば威力を上げられるはずだ。
しかし、トランプで本当に強力な魔法を発動させたという話は、一度も聞いたことがない。
問題が構造にあるのなら。
この簡単な紋様の中には、まだ誰も気づいていない何かが隠されているのかもしれない。
「アーガ様?」
長い間黙り込んでいたアーガへ、リナが小さく声をかけた。
アーガは我に返る。
手にしていたカードを机へ戻し、足元に落ちていた最後の一枚を拾い上げた。
先ほどまでの苛立ちは、少しずつ消えていた。
代わりに、答えの見えない疑問がますます膨らんでいる。
「何でもない」
木箱へ蓋を戻し、リナへ渡した。
「先に食事にしよう」
リナは木箱を受け取った。
それでも、まだ心配そうにアーガを見つめている。
アーガはそれ以上説明せず、散らばった紙と道具を元どおりに整理した。
赤の1カードだけは、机の上へ残しておく。
最初は、自分が基礎カードを使えるか確認したかっただけだった。
だが、思いがけず、さらに説明の難しい問題を見つけてしまった。
窓の外は、すでに暗くなっている。
台所では鍋の中のスープが静かに煮立ち、その香りが半開きの扉から部屋へ流れ込んでいた。
アーガは机に置かれたトランプを、長い間見つめ続ける。
(明日、図書館へ行って調べてみよう)




