第75話 流刑
夜明け前。
重い鎖が引きずられる音で、アーガは目を覚ました。
牢の外には、完全武装した三人の看守が立っていた。
手にした松明が、暗い地下牢を赤々と照らしている。
「起きろ、屑ども!」
先頭の看守が鉄棒で格子を激しく叩いた。
「裁判の時間だ!」
モルブは怯えたように牢の隅へ身を縮めた。
「もうなのか……?」
看守は醜い笑みを浮かべ、牢の扉を開ける。
「さっさと歩け。余計な口を利くな」
冷たい手枷が三人の手首にはめられた。
さらに太い鉄鎖が首輪へつながれ、三人は一列に結ばれる。
アーガは中央へ押し込まれた。
一歩進むたび、拷問で受けた全身の傷が激しく痛んだ。
◇ ◇ ◇
裁判所は、想像していたよりもずっと狭かった。
十二人の陪審員は、すでに席へ着いている。
誰もが高価そうな服を身につけていた。
だが、囚人たちと目を合わせようとする者は一人もいない。
高台に座る裁判官は、山羊のような髭を生やした痩せた男だった。
眼鏡の奥にある瞳は、二つの氷の塊のように冷たい。
「被告人を前へ!」
アーガは被告席へ乱暴に押し込まれた。
膝が硬い床へ強くぶつかる。
痛みに顔を歪めながら周囲を見回した。
傍聴席には、高価な衣服をまとった見知らぬ者たちが大勢座っている。
だが、そこに知っている顔は一つもなかった。
「アーガ・ラインハルト」
裁判官の声が、鈍い刃物のようにゆっくりと空気を切り裂いた。
「お前は実の家族を殺害した罪に問われている」
書類へ目を落とす。
「証拠は明白だ。罪を認めるか?」
「俺は無実だ!」
アーガは鎖を鳴らしながら立ち上がろうとした。
「俺には、魔法で人を殺すことなんてできない!」
傍聴席から、一斉に嘲る声が上がった。
金縁眼鏡をかけた陪審員が、冷笑を浮かべる。
「『王都日報』には、お前自身の自白まで掲載されている」
「今さら供述を翻すつもりか?」
裁判官が木槌を叩いた。
「静粛に!」
そして、アーガへ冷たい目を向ける。
「お前の主張には、何の根拠もない」
「商会から提出された証拠によれば、事件現場からは確かにお前の魔力が検出されている」
アーガは縋るように陪審員たちを見た。
「考えてください!」
「本当に俺に家族を殺せる力があるなら、どうして今、こんな手枷すら壊せないんですか!」
陪審員たちは互いの顔を見た。
しかし、誰も言葉を発しない。
最も若い女性の陪審員が、何かを言おうと口を開きかけた。
だが、隣に座る老人が、その手を強く押さえた。
「続いて、モルブ、モルハン」
裁判官は双子の兄弟へ視線を移す。
「お前たちは窃盗罪、誘拐罪、そのほか複数の罪に問われている」
モルブが即座に声を張り上げた。
「裁判官様!」
「確かに物は盗みました! アーガも誘拐しました!」
「でも、殺してはいません!」
裁判官は冷淡な表情で書類をめくる。
「盗品の総額は五千金貨を超えている」
「さらに、貴族の子弟を誘拐しようとした」
「戦時特別法に基づけば、流刑に処すには十分な罪だ」
モルハンが突然、アーガを指さして叫んだ。
「だとしても、家族を殺した悪魔と同じ扱いはおかしいだろ!」
裁判官は冷ややかな目をモルハンへ向けた。
「お前の写生魔法は多くの魔法を真似られる。本当に面倒だった。やっとの思いで捕まえたんだ。これで見逃してもらえるとでも思ったのか?」
モルハンは慌てて言いかけた。
「ち、違う、俺が言いたいのは……」
裁判官は即座に彼の言葉を遮り、咳払いをした。
「刑は本日、直ちに執行する」
裁判所が一瞬で騒然となった。
傍聴席に座っていた者たちは、興奮したように声を上げた。
中には、拍手を始める者までいる。
そのとき、アーガは気づいた。
彼らの多くが胸元に、グルバート商会の紋章をつけていた。
「こんなの不公平だ!」
モルブが鎖を鳴らし、狂ったように暴れる。
「俺たちが赤骸城へ送られるような罪かよ!」
裁判官は聞く耳を持たなかった。
木槌を強く振り下ろす。
「閉廷!」
看守たちが三人を乱暴に引き起こした。
陪審員席の前を通り過ぎたとき。
アーガは、あの若い女性が小さくすすり泣く声を聞いた。
「でも……証拠には明らかに不自然な点が……」
「黙れ!」
金縁眼鏡の男が鋭く叱りつけた。
「グルバート家を敵に回したいのか?」
三人はそのまま裁判所の外へ引きずり出された。
アーガの頭へ、突然麻袋が被せられる。
視界が闇に閉ざされた。
何も見えないまま、身体を馬車の中へ投げ込まれる。
耳元では、モルブ兄弟の罵声と泣き声がいつまでも響いていた。
やがて車輪が動き始める。
南へ。
陽光さえ飲み込むといわれる人の世の地獄――赤骸城へ向かって。
◇ ◇ ◇
夜明け前の冷気が、骨の髄まで染み込んでいた。
アーガが鉄鎖に引かれて地下牢から出されたとき、睫毛には薄い霜がついていた。
モルブとモルハンも、死にかけた犬のように衛兵たちへ引きずられている。
首へ巻かれた鎖が皮膚へ深く食い込み、赤黒い痕を残していた。
(これで、終わりなのか……)
(父さん、母さん、ノエル……)
(ヴィエンが生きているかどうかさえ、分からない……)
護送隊の松明が暗闇の中で揺れていた。
三人の影が歪みながら、冷たい石壁へ映し出される。
アーガはうつむいたまま歩いた。
視界へ入るのは、足につけられた重い枷と、泥にまみれた衛兵たちの靴だけだった。
「囚人車へ乗れ」
衛兵が乱暴に背中を押す。
「逃げようなんて考えるなよ。この道は何度も通っている」
木製の囚人車。
格子には、何年も前に付着したと思われる血痕が無数に残っていた。
腐臭と、染みついた恐怖の匂いが漂っている。
アーガは車内の格子へ鎖でつながれた。
モルブ兄弟は反対側の隅で、身体を丸めている。
御者が大きな声を上げた。
囚人車は夜明け前の霧の中を、ゆっくりと進み始めた。
(この道は……)
(地獄へ続いている……)
◇ ◇ ◇
一か月以上に及ぶ長い旅。
それは三人の心を、ほとんど壊してしまった。
最初の頃は、道の途中に小さな村も見えていた。
しかし、南へ進むほど人の姿は少なくなっていく。
やがて景色は、荒れ果てた平原と、枯れた木々だけになった。
衛兵たちは交代で囚人車を見張った。
その目には、何の感情もない。
ただ麻痺したような冷たさだけが浮かんでいた。
ある日の早朝。
「おい、あそこを見ろ!」
モルブがかすれた声を上げた。
アーガは重い頭を持ち上げる。
遠くの地平線に、暗赤色の輪郭が現れていた。
大地へ横たわる、醜い傷痕のようだった。
馬車が進むにつれ、その姿は少しずつはっきりしていく。
天へ向かってそびえる、黒い城壁。
その上には、錆びた無数の鉄杭が突き立てられている。
朝日を受けた鉄杭が、乾いた血のような赤い光を放っていた。
「赤骸城……」
一人の衛兵が小声で呟く。
無意識に、胸元の護符へ触れていた。
(あれが……)
(俺の墓場になる場所か……)
囚人車が突然大きく揺れた。
狭い山道へ入ったのだ。
左右にそびえる崖が、今にも閉じて押し潰してきそうな圧迫感を与える。
頭上では、何羽もの禿鷹が旋回していた。
耳障りな鳴き声を何度も響かせる。
「全員、気を抜くな!」
護送隊長が鋭い声を上げた。
「ここから先が最も危険だ!」
「去年も、この場所で囚人車が――」
言葉は途中で止まった。
だが、誰もがその先を理解していた。
衛兵たちは一斉に武器へ手を置く。
崖の上を警戒しながら、周囲へ鋭い視線を向けていた。
山道は進むほど狭くなっていく。
最後には、一台の馬車がぎりぎり通れるだけの幅になった。
右側には切り立った岩壁。
左側には、底の見えない深い谷。
谷底では濃い霧が渦を巻いている。
時折、霧の隙間から鋭く尖った岩が姿を見せた。
「この下には、脱走した囚人の死体が山ほどあるらしいですよ」
若い衛兵が、小さな声で言った。
「毒霧の沼を、生きて抜けられる者はいないとか……」
モルハンの身体が、突然激しく震え始める。
首の鎖が音を立てた。
「俺を逃がしてくれ!」
「こんな場所へ送られるくらいなら、ここから飛び降りる!」
護送隊長は、今回は彼を殴らなかった。
ただ冷たい笑みを浮かべる。
「飛べばいい」
「落ちて死ねなかったとしても、沼の肉食魚が骨まで綺麗に食べてくれるぞ」
◇ ◇ ◇
正午。
囚人車はようやく、赤骸城の外側にある最後の関門へ到着した。
峡谷を横切る、巨大な石橋。
橋の入り口には、完全武装した守衛たちが二列に並んでいた。
鎧には、血とも錆とも判別できない暗赤色の汚れがこびりついている。
「囚人を引き渡す」
護送隊長が、羊皮紙を一巻き差し出した。
守衛の隊長は内容を簡単に眺めただけだった。
黄ばんだ歯を見せ、下品な笑みを浮かべる。
「また死にに来たのが三人か」
囚人車の近くへ歩み寄る。
濁った目が、三人の身体を順番に舐めるように眺めた。
「この柔らかそうな坊やは、三日持つと思うか?」
アーガは目を伏せた。
その気持ちの悪い視線を避ける。
守衛たちは大声で笑い始めた。
やがて石橋へ続く鉄格子が開かれる。
囚人車はゆっくりと橋の上へ進んだ。
そこでアーガは、初めて橋の下にあるものを見た。
流れているのは川ではなかった。
そこには、巨大な円形の穴が広がっている。
底には、数え切れないほどの白骨が積み重なっていた。
その間には、今も身体を動かしている人影がいくつか見える。
「赤骸城から逃げようとした連中だ」
そばにいた護送兵が説明しながら、アーガの脇腹を強く蹴った。
「ここの毒気に侵されると、皮膚が少しずつ腐り始める」
「十日ほど死ぬこともできずに苦しんでから、ようやく息絶えるんだ」
「赤骸城へようこそ」
守衛隊長の声が、背後から聞こえてきた。
「鉱山で死ぬまで働くか」
「それとも、闘技場で少しでも長く生き延びるか」
「好きな方を選べ」
石橋の先には、広い石造りの足場があった。
その床には、三つの複雑な魔法陣が刻まれている。
魔法陣のさらに奥には、巨大な壁がそびえ立っていた。
「この壁の向こうには、赤骸城を囲む毒霧の沼がある!」
守衛の一人が笑いながら叫ぶ。
「一度赤骸城へ入ったら、二度と生きて外へ出られないと思え!」
守衛たちは三人を囚人車から乱暴に引きずり降ろした。
それぞれを別々の魔法陣の中央へ押さえつける。
次の瞬間。
魔法陣から、目を焼くような白い光があふれ出した。
アーガの意識が暗闇へ沈む直前。
鼻を突いたのは、濃密な血の匂いだった。
そして耳に届いたのは――。
大地を揺らすほどの、凄まじい歓声だった。
この話から直接読み始めた方も、そのままお読みいただいて大丈夫です。
私としては、ここから物語が本格的に動き始めると思っています。少しでも楽しんでいただければ幸いです。
第1話からここまで読み進めてくださった方、本当にありがとうございます。皆さまのご期待を裏切らないよう、これからも精一杯書いてまいります。
面白いと思っていただけましたら、評価していただけると嬉しいです。今後も書き続けるための大きな励みになります。よろしくお願いいたします!




