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第73話 死――絶望

三人は夜の王都を全力で駆け抜けていた。


人気のない通りに、いくつもの足音がはっきりと響く。


ロイスの呼吸は次第に激しくなっていた。


それでも速度を落とさず、走りながら説明を続ける。


「あの少女が渡した物には、高濃度のカフェインが混ぜられていたんだ!」


ロイスは怒りを押し殺すように歯を食いしばった。


「夜になっても眠れなくなり、宿の外へ出るよう仕向けたんだよ!」


アーガは、自分があの水を一口飲んだことを思い出した。


悔しそうに拳を握る。


「だから、まったく眠くならなかったのか……」


走りながら、疑問を口にした。


「でも、俺が必ず外へ出るなんて、どうして分かったんだ?」


「グルバート家の情報網を甘く見るな!」


ロイスは声を抑えた。


「お前が七歳で初めて王都へ来たとき、眠れなくて夜中に外へ出た結果、誘拐されたことがあっただろう?」


「モルブとモルハンに捕まった事件だ。あれを記事にしたのは、当時記者だった俺なんだ!」


アーガとラスティの表情が同時に変わった。


「確かに……『王都日報』に載っていました」


ラスティの声が震える。


「ですが、その一件だけで――」


「それだけじゃない!」


ロイスが言葉を遮った。


「学院にいた間も、お前は眠れない夜に何度か一人で散歩へ出ている」


「連中は、その行動の記録まで持っていたんだ!」


夜風が汗に濡れたアーガの背中を吹き抜ける。


身体の奥まで冷たくなった。


「俺の行動の癖を調べて、カフェインで無理やり外へ出させたのか……」


声が硬くなる。


「そんな方法まで使うなんて……俺は……」


「長い間、外の世界と関わっていなかったせいで、警戒心が鈍っていたんだ」


ロイスは責めるようにアーガを睨んだ。


「こんな見え透いた手口に引っかかるなんて!」


「ですが、そこまでしてアーガ様を外へ出し、何をするつもりなのですか?」


ラスティの靴が水たまりを踏む。


跳ね上がった水が、ズボンの裾を濡らした。


月光の下で見るロイスの顔は、異常なほど青白かった。


「三日前、凛冬王国がグレイクリフ王国へ正式に宣戦布告した」


「何ですって!?」


アーガの足が一瞬止まる。


ロイスはその腕を引っ張り、強引に走らせ続けた。


「知らせが王都へ届いたのは、昨日の朝だ」


「今は王都の守備兵の半数以上が、すでに前線へ送られている」


ロイスは周囲を警戒しながら、さらに声を低くした。


「それだけじゃない」


「凛冬王国は王都の中に、まだ何人もの重要な工作員を潜ませている」


「そいつらの任務は、王都の内部で混乱を起こすことだ」


「半年前に学院が襲撃された事件にも、グルバート商会が裏で協力していた!」


アーガとラスティの瞳孔が大きく縮んだ。


「グルバート商会が……買収されていたのですか?」


「そうだ!」


ロイスは荒い息を吐きながら、細い路地へ曲がった。


「お前がリサを暗殺する計画を邪魔したせいで、凛冬王国の連中はお前を憎んでいる」


「ただ殺すだけでは満足しない」


「お前の名誉をすべて奪い、生きていることを後悔させるつもりなんだ!」


「そんな……!」


ラスティの目に、強い動揺が浮かぶ。


アーガの喉が強張った。


「具体的に……何をするつもりなんだ?」


「グルバート商会は、ずっと前からラインハルト家の鉱山へ注文を出していた」


ロイスの声が震えている。


「お前たち一家が王都へ来たところで、連中は……」


言葉が途中で止まる。


「連中は、何をするんだ!」


アーガはロイスの肩を強くつかんだ。


ロイスは苦しそうに顔を歪めた。


そして、歯の隙間から絞り出すように答える。


「お前の家族を殺す」


アーガの表情が凍りついた。


「その罪を、お前になすりつけるつもりだ!」


「お前が狂気に陥り、自分の家族を皆殺しにしたと、王都中の人間へ信じ込ませる!」


アーガは雷に打たれたように身体を震わせた。


足元がふらつく。


月明かりの下で、その顔は紙のように白くなっていた。


「でも……」


唇が震える。


「俺が王都へ来るなんて、確実には分からなかったはずだ……」


「グルバート商会の準備が、これだけだと思うのか?」


ロイスが冷たく笑った。


「今回お前が来なかったとしても、王都まで引きずり出す方法はいくらでもある」


「相手は、この国の交易の三分の一を支配する巨大商会だぞ」


前方に分かれ道が現れた。


ロイスは迷うことなく、左側の暗い路地を選ぶ。


アーガもすぐ後ろへ続いた。


そのとき、ある疑問が浮かぶ。


「待て」


「ロイスは、どうしてそこまで知っているんだ?」


「グルバート商会が、学院の襲撃を手伝っていたことも……新聞社は最初から知っていたのか?」


「俺たちも、ついさっき知ったんだ!」


ロイスの声には、隠しきれない怒りが混じっていた。


「一時間ほど前、商会の人間が俺たちの編集長を訪ねてきた」


「大金を渡して、明日の朝一番に『アーガ・ラインハルト、実の家族を惨殺』という記事を出すよう要求したんだ!」


「俺は偶然、その話を盗み聞きした」


苦しそうに呼吸しながら続ける。


「それで、命懸けでお前を捜しに来たんだ!」


アーガの心臓が、胸を突き破りそうな勢いで鼓動した。


突然速度を上げ、ロイスを追い越す。


ラスティもすぐに加速して、その後ろへ続いた。


「もっと急ぐぞ!」


アーガが叫ぶ。


「連中が動く前に、宿へ戻らないと!」


三人は最後の細い路地を抜けた。


『銀の樫亭』の建物が、ようやく視界へ入る。


その瞬間。


アーガの瞳孔が鋭く縮んだ。


自分たちが泊まっている二階。


その窓の奥で、不自然な赤い光が揺れていた。


「まずい!」


ロイスが声を上げる。


「もう始まっている!」


アーガは返事をしなかった。


正気を失ったような勢いで、宿の入り口へ向かって走る。


両親と兄たちの顔が、次々と脳裏へ浮かんだ。


心臓を見えない手で強く握り潰されているようだった。


石畳を踏みしめる靴音が、命の終わりを告げる太鼓のように夜の街へ響く。


入り口へたどり着こうとした、その瞬間。


宿の二階から、耳をつんざく爆発音が響いた。


轟ッ――!


窓ガラスが粉々に砕け、四方へ飛び散る。


燃え盛る炎が窓から噴き出し、夜空を血のような赤色へ染めた。


直後。


全身を血で染めた人影が、壊れた窓から勢いよく投げ出された。


地面へ激しく叩きつけられる。


ラスティの顔から、すべての血の気が引いた。


足から力が抜け、その場へ座り込む。


声は激しく震えていた。


「あれは……ウム……?」


アーガはすぐに宿の中へ飛び込んだ。


濃い煙が一気に鼻と喉へ入り込み、激しく咳き込む。


焼けつくような熱風が、正面から吹きつけてきた。


二階の廊下は、すでに炎に包まれている。


木製の階段が、今にも崩れそうな音を立てていた。


「入るな!」


背後からロイスが叫ぶ。


その声は、燃え上がる炎の音にかき消されそうだった。


「今のお前が中へ入ったら、ただ死ぬだけだ!」


アーガは聞こうとしなかった。


玄関に置かれていた濡れた布をつかみ、口と鼻を覆う。


一切迷わず、燃える階段へ足を踏み出した。


木の段が、足元で危険な音を立てる。


あちこちから火の粉が飛び散った。


「正気なのか!」


ロイスは階段の下で、焦ったように足を踏み鳴らした。


「今逃げれば、まだ疑いを晴らすことができる!」


「ここで死んだら、お前が犯人だったと認めるようなものだぞ!」


アーガは振り返り、怒鳴った。


「ここから逃げた方が、罪を認めたように見えるだろう!」


「それに、今の俺が戍佐級の護衛を殺せるわけがない!」


「まともに考えれば、誰だって濡れ衣だと分かる!」


「お前は世間を甘く見すぎている!」


ロイスの声が、絶望に震えた。


「普通の人間は、真実なんて気にしない!」


「新聞に書かれていることを、そのまま信じるんだ!」


「世論が、お前がやったと言えば、お前が犯人になる!」


「何を言っても、誰も聞いてくれなくなるんだぞ!」


アーガは答えなかった。


再び前を向き、濃煙の中へ飛び込んでいく。


ロイスはその背中を見つめたあと、懐中時計を確認した。


そして、苦しそうに呟く。


「俺は行かなければ……」


「これ以上ここにいたら、俺まで疑われる……」


宿を離れる直前、燃える階段へ向かって叫んだ。


「新聞が出るのは、できるだけ止めてみる!」


「でも……できる限りだ! 約束はできない!」


熱気は、目に見えない壁のようにアーガの進路を塞いでいた。


煙に焼かれ、両目から絶えず涙が流れる。


それでも目を細め、家族が泊まっていた部屋へ向かって手探りで進んだ。


廊下の天井からは、燃えた木材が次々と落ちてくる。


何度も、アーガのすぐそばへ落下した。


ようやく両親の部屋へたどり着く。


扉は黒く焦げていた。


だが、まだ固く閉ざされている。


アーガは肩から扉へぶつかった。


一度。


二度。


三度目の体当たりで、扉はついに耐え切れず、轟音とともに内側へ倒れた。


その先に広がっていた光景を見た瞬間。


アーガの血が凍りついた。


アルドリックの大きな身体が、血の海の中へ倒れていた。


胸には、冷たい光を放つ短刀が深く突き刺さっている。


少し離れた場所には、アイランが倒れていた。


金色の髪は、流れ出た血によって赤黒く染まっている。


その手には、道中で菓子を入れていた籐籠が、今も強く握られていた。


部屋には濃い血の匂いが充満している。


燃える木材の焦げた臭いと混じり、吐き気を催すほどだった。


「父さん……!」


アーガは両親のもとへ駆け寄る。


「母さん!」


震える指を、二人の首筋へ当てた。


脈はなかった。


どれほど探しても、命の動きは感じられない。


隣の部屋から、かすかな呻き声が聞こえた。


アーガは足をもつれさせながら、廊下へ飛び出す。


そこには、ノエルが倒れていた。


腹部には、目を背けたくなるほど深い傷がある。


大量の血が、今も止まることなくあふれ続けていた。


「兄さん!」


アーガは自分の袖を引き裂いた。


震える手で、どうにか傷口を押さえようとする。


ノエルが苦しそうに目を開いた。


唇が、わずかに動く。


アーガは顔を近づけた。


息とともに漏れた声は、今にも消えそうだった。


「早く……逃げろ……」


「誰がやったんだ?」


アーガの声は、自分のものとは思えないほどかすれていた。


「グルバート家なのか!?」


ノエルの目から、少しずつ焦点が失われていく。


「グルバート……だ……」


「奴らが……」


言葉を最後まで続けることはできなかった。


ノエルの腕が、突然床へ落ちる。


瞳に残っていた光も、完全に消えた。


「嘘だろ……」


アーガは兄の肩をつかんだ。


「ノエル!」


何度も身体を揺さぶる。


「目を開けろ! ノエル!」


返事はなかった。


宿全体が、激しく揺れ始める。


炎はすでに建物の大半を飲み込んでいた。


アーガはふらつきながら立ち上がる。


煙に覆われた廊下で、ヴィエンと二人の護衛を捜した。


階段の近くには、護衛のレッドとホークが倒れていた。


二人とも、犯人を止めようとしたのだろう。


ほとんど抵抗する暇もなく、一撃で命を奪われたようだった。


だが、ヴィエンの姿はどこにもない。


床に残る一本の血の跡だけが、壊れた窓へ向かって続いていた。


「ヴィエン!」


アーガは窓へ駆け寄った。


下を覗き込む。


夜の路地の奥で、数人の黒い人影が急速に遠ざかっていた。


「待て!」


すぐに追いかけようとする。


しかし、燃え上がる太い梁が目の前へ落下した。


激しい火の粉が舞い、窓へ続く道が完全に塞がれる。


炎はますます強くなっていった。


アーガの視界が、煙によってぼやけ始める。


廊下の中央へ膝をついた。


周囲には、最も大切だった家族の亡骸が横たわっている。


聞こえるのは、すべてを焼き尽くす炎の咆哮だけだった。


涙が頬へ流れた。


だが、高温によってすぐに乾いていく。


大量の煙を吸い込んだ喉は、焼けるように痛んだ。


「どうして……」


アーガは拳を強く握り締めた。


「どうして、こんなことに……」


爪が手のひらへ深く食い込む。


それでも、痛みはまったく感じなかった。


胸の中を渦巻く絶望と怒りは、周囲の炎よりも激しく燃え上がっていた。


遠くから、警鐘の音が聞こえる。


騒ぎに気づいた人々の叫び声も、少しずつ近づいていた。


だが、アーガには分かっていた。


もう遅い。


すべてが手遅れだった。


グルバート家の陰謀は、すでに成功してしまったのだ。


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