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第69話 副作用

ベルマン家の医務室には、無数の蝋燭が灯されていた。


アーガは天蓋付きの大きなベッドへ寝かされている。


柔らかな深紅の敷布とは対照的に、その顔は紙のように青白かった。


室内には薬草の苦い匂いが立ち込め、数人の医師と薬師がベッドの周りを慌ただしく動き回っていた。


リサから事情を聞いたセレ・ベルマンは、すぐに一族で最も腕のいい治療師たちを呼び集めた。


彼女は窓辺に立ち、眠るアーガを見つめている。


月明かりが、緊張で強張った横顔の輪郭を照らしていた。


「体内の魔力量は、ひとまず安定しています」


薬師が検査を終えて言った。


アーガの額へ置かれた水晶検査器に、指先で軽く触れる。


「魔力を補充する薬を飲ませましたか?」


リサがうなずいた。


金色の髪は乱れたまま、肩へ垂れ下がっている。


別の医師は、アーガの腕へ指を当て、筋肉の状態を確かめていた。


「筋力は低下していますが、萎縮は予想していたよりも軽い」


医師が顔を上げる。


「細胞活性化薬も飲ませましたか?」


「二本目の、金色の薬がそうです」


女性護衛が答えた。


鎧についた血は、まだ拭き取られていなかった。


薬師は眉をひそめる。


「おかしいですね……」


低く呟きながら、もう一度アーガの状態を確認した。


「その二種類だけでは、あの毒を抑えられるはずがありません」


しばらく考え込んだあと、突然目を見開く。


「待ってください。狂化薬も飲ませたのではありませんか?」


「狂化薬?」


リサが勢いよく顔を上げた。


深い青色の瞳には、困惑が浮かんでいる。


「それは何?」


「一時的に、使用者の階級を引き上げる薬です」


薬師は説明しながら、指先で空中に弧を描いた。


「ただし、その代償として、効果が切れたあとに階級が大幅に低下します」


アーガを見つめ、慎重に続ける。


「今の状態を見る限り……」


女性護衛が息を呑んだ。


「なるほど……だからですか」


声が重くなる。


「今の彼からは、見習い級中位ほどの魔力を感じます」


「薬の効果が完全に切れれば、以前よりも弱くなる可能性が高いということですね……」


「先のことは、今は考えないでください」


薬を調合していた医師が、会話を遮った。


「命を救えただけでも奇跡です」


小瓶の中身を慎重に混ぜ合わせる。


「残る二本がどのような薬だったのかは分かりません。しかし、複数の薬が何らかの相乗効果を生み、毒の進行を抑えたのでしょう」


薬師もうなずいた。


「念のため、魔力回復薬と治癒薬を追加しておきましょう」


薬箱から、柔らかな光を放つ二本の瓶を取り出す。


アーガの頭をわずかに持ち上げ、少しずつ口へ流し込んだ。


◇ ◇ ◇


夜が更けるにつれ、医務室は少しずつ静かになっていった。


医師と薬師たちは別室へ移り、定期的に様子を確認することになった。


セレはリサへ休むよう何度も言った。


しかし、リサは頑として聞き入れなかった。


ベッドのそばに椅子を置き、眠り続けるアーガを見守っている。


揺れる蝋燭の光が、疲れ切った顔を照らしていた。


壁へ映る細い影は、ひどく寂しそうに見える。


「馬鹿……」


リサは小さな声で呟いた。


指先で、金色の髪を一房巻きつける。


「誰が格好をつけて、あんなことをしろって言ったのよ……」


返事はない。


聞こえるのは、アーガのかすかな呼吸と、蝋燭が燃える音だけだった。


◇ ◇ ◇


月が西へ沈み始める。


やがて夜明けの最初の光が、ステンドグラスを通して医務室へ差し込んだ。


アーガの瞼が、かすかに震えた。


朝の光の中で、灰青色の瞳がゆっくりと開く。


「俺……生きてる……」


声はひどくかすれ、ほとんど音になっていなかった。


「ここは……どこだ……?」


首を動かすことさえ難しい。


どうにか横へ視線を向けると、リサがベッドへ突っ伏すようにして眠っていた。


長い金髪が白い敷布の上へ広がり、朝の陽射しのように輝いている。


アーガは身体を起こそうとした。


だが、動いたのは指先だけだった。


ほんの小さな動き。


それでも、浅い眠りについていたリサを起こすには十分だった。


「アーガ!」


リサは勢いよく身体を起こした。


深い青色の瞳が、一瞬で涙に潤む。


次の瞬間には、人目も気にせずアーガへ抱きついていた。


「無事なのね!」


声が大きく震える。


「本当に……本当によかった……!」


アーガは強く抱き締められ、少し息苦しそうに眉を動かした。


それでも口元には、弱々しい笑みが浮かんでいる。


「ああ……戻ってきたみたいだ」


窓から差し込む朝日が、抱き合う二人を温かな金色で包み込んだ。


リサの髪がアーガの頬へ触れる。


そこからは、かすかなクチナシの香りがした。


静かな朝。


何もかもが、これまで以上に大切なものに感じられた。


◇ ◇ ◇


朝の光が、食堂のステンドグラスを通して長いテーブルへ降り注いでいた。


アーガはベルマン家が用意した朝食を、夢中になって食べている。


黄金色に焼かれたパン。


蜂蜜で味つけされたハム。


瑞々しい果物。


一口食べるたび、自分が生きていることを強く実感できた。


「もう少しゆっくり食べなさいよ」


向かい側へ座るリサが、頬杖をつきながら眺めていた。


「誰も取らないわ」


アーガが返事をしようとしたとき、セレ・ベルマンが静かに食堂へ入ってきた。


朝日の中で見る彼女は、昨夜よりもずっと疲れているように見えた。


「アーガ・ラインハルト」


セレはアーガの前へ立つ。


その表情は、とても真剣だった。


「私の娘を救ってくださり、ありがとうございました」


アーガは慌てて口の中の物を飲み込んだ。


布で口元を拭う。


「大したことじゃありません」


少し気まずそうに答えた。


「そのあと、俺も皆さんに助けてもらいましたし」


セレは静かにうなずいた。


その目には、以前よりも強い好意と感謝が浮かんでいる。


「ベルマン家は、決してこの恩を忘れません」


朝食を終えたあと。


アーガは椅子から立ち上がり、屋敷を出ようとした。


一歩を踏み出した瞬間。


身体が、その場で固まった。


体内の奥深くに、奇妙な空虚感があった。


本来そこにあるはずの何かが、すっぽりと抜け落ちているような感覚。


「どうしたの?」


リサはすぐに異変へ気づいた。


アーガは答えなかった。


意識を集中させ、体内の魔力を動かそうとする。


普段なら、考えるだけで手足のように動くはずだった。


しかし今は、深い沼の底へ沈んだ水のように、まったく反応しない。


どれほど強く呼びかけても、動く気配すらなかった。


額から冷たい汗が流れ落ちる。


「何だよ……これ……」


震える手で、蠍座のカードを取り出した。


ありったけの力を込め、魔力を注ぎ込もうとする。


だが、指先に弱々しい光が一つ生まれただけだった。


光は形を作ることすらできず、一瞬で消えてしまう。


リサが目を見開いた。


「昨日、緊急だったから狂化薬を飲ませたでしょう?」


「その副作用なの?」


「違う……」


アーガの声には、はっきりとした恐怖が混じっていた。


「狂化薬の効果が切れれば、力が弱くなる。それだけのはずだ」


再び魔力を動かそうとする。


その瞬間。


アーガは、体内にある魔力が自分を拒絶しているような感覚を覚えた。


「分かるんだ……」


声が震える。


「俺の中の魔力が……俺の言うことを聞こうとしない」


セレはすぐに侍従へ命じ、医師と薬師を呼びに行かせた。


検査を待つ間。


アーガは椅子へ座り、震える両手を見つめていた。


リサがそっと手を伸ばす。


しかし、触れられる直前。


アーガは反射的に手を引いてしまった。


リサの指が、何もない空間で止まる。


間もなく医師と薬師が慌ただしく食堂へ入ってきた。


すぐに複数の検査が始まる。


額へ当てられた水晶検査器が、不規則な光を繰り返した。


検査が進むほど、薬師たちの表情は険しくなっていく。


長い沈黙のあと。


医師が重い口を開いた。


「恐らく、昨夜注入された毒の影響です」


「命を救うことには成功しました。しかし、体内の細胞に異常な変化が起こり始めています」


アーガの拳が強く握られる。


「最も深刻なのは、魔力の総量が減っていることです」


医師は言葉を選びながら続けた。


「それに加えて……残った魔力そのものが、意思を持ったかのように、あなたの支配を拒絶しています」


薬師が補足する。


「現在、あなたの魔力は常人とは異なる構造へ変化しています」


「それらの魔力は、あなたの魔法回路を自分のものとして認識していません」


「そのため、あなたの意思に従って術式を構築することができないのです」


リサが薬師の袖を強くつかんだ。


爪が布へ食い込みそうなほど、指へ力が入っている。


「元に戻す方法はないの?」


必死な声だった。


「あるでしょう? 絶対に何か方法があるでしょう!」


食堂が静まり返る。


医師と薬師たちは、互いに顔を見合わせた。


だが、最後には全員が重々しく首を横へ振った。


「お嬢様……」


最も年老いた薬師が、苦しそうに口を開く。


「私は五十年以上、薬師として多くの患者を診てきました」


「しかし、このような症例は一度も見たことがありません」


深いため息をつく。


「魔力が宿主を拒絶するなど……魔法学の基本原理そのものに反しています」


別の医師が続けた。


「例えるなら……」


どう説明すべきか迷いながら、慎重に言葉を選ぶ。


「彼の身体が、魔力にとって見知らぬ器へ変わってしまったような状態です」


「魔力はその器を自分の持ち主だと認めず、中で留まっているだけです」


首を横へ振る。


「何を治療すればよいのかさえ、我々には分かりません……」


「本当に、何もできないの?」


リサの声が震え始めた。


「王都でもっと腕のいい医師を探すとか……」


「ほかの国へ行けば……」


薬師は申し訳なさそうに首を横へ振った。


「これは、医術の優劣で解決できる問題ではありません」


「このような魔力の変異は……たとえ大国最高峰の医師であっても、見たことがないでしょう」


「どうしてだよ……」


アーガが突然、椅子から立ち上がった。


椅子が倒れ、床へ激しい音を響かせる。


「何でこんなことになるんだ!」


声は、ほとんど叫びだった。


「こんなことになるなら……あのまま死んだ方がましだった!」


「何を言っているの!」


リサが駆け寄り、アーガの両肩をつかんだ。


「魔力が使えなくても、これからは私が守る!」


「全部、私が――」


その瞬間。


女性護衛が横から手を伸ばし、リサの口を塞いだ。


「それ以上は言ってはいけません」


低い声で告げる。


「彼の性格では、一生誰かに守られることなど受け入れられないでしょう」


リサの抵抗が、少しずつ止まった。


瞳から涙があふれ落ちる。


「でも……」


アーガは、死人のような顔で扉へ向かった。


足取りは頼りなく、柔らかな綿の上を歩いているようだった。


セレはその背中を見つめ、声を出さずにため息をつく。


「アーガ!」


リサがあとを追おうとした。


「来るな!」


アーガは振り返らずに叫んだ。


声は、聞いたことがないほどかすれている。


「同情なんていらない」


リサは、その場で立ち止まった。


涙によって、目の前が滲んでいる。


扉の前で、アーガの足が一度だけ止まる。


背中を向けたまま。


朝日が、その細い影を長く床へ伸ばしていた。


「リサを助けたことは、今でも後悔してない」


声は、ほとんど聞こえないほど小さかった。


「ただ……」


少しだけ間を置く。


「こんな身体で生きるくらいなら、死んだ方がよかったって思ってるだけだ」


それだけ言い残し、アーガは朝の光の中へ歩いていった。


細い背中が通りの向こうへ遠ざかり、やがて完全に見えなくなる。


リサはその場に立ち尽くしていた。


頬を伝った涙が、音もなく胸元へ落ちていく。


制服の布へ、次々と濃い染みを作っていた。


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