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第64話 凛冬王国

アーガはリサの手を引き、学院の外へ向かって走った。


「アーガ、あそこを見て!」


リサが図書館の方角を指さす。


数十人もの黒装束の集団が、学院の上級教師たちと交戦していた。


黒装束の一人が片手を上げる。


次の瞬間、図書館の壁の半分近くが轟音とともに崩れ落ちた。


「何だよ、あれ……!」


二人はさらに速度を上げ、混乱する人々の間を駆け抜けた。


周囲では、爆発によって次々と建物が崩れている。


砕けた石や窓ガラスの破片が、あちこちへ飛び散っていた。


大きな破片がこちらへ飛んでくる。


アーガは反射的にリサの前へ出ると、彼女を庇いながら、いくつかの瓦礫を腕で払い落とした。


やがて二人は、ようやく学院の正門へたどり着いた。


しかし、そこもひどく混乱していた。


普段は門を守っている衛兵たちさえ、学院内の戦闘へ参加するため、すでに持ち場を離れている。


そのとき。


アーガは避難する人々の中に、見覚えのある姿を見つけた。


「ムハン?」


思わず名前を呼ぶ。


かつてアーガが誘拐された際、救出に関わった王城護衛隊第九隊の隊長。


ムハンが振り返った。


制服は土埃にまみれていたが、鋭い目つきは以前と変わっていない。


「お前か」


ムハンは燃え上がる学院を一度だけ見た。


「どうやら、学院でとんでもないことが起きたようだな」


アーガがうなずく。


しかし、詳しい事情を話すより早く、ムハンは片手を上げた。


「昔話をしている時間はない」


腰の剣を抜く。


そして振り返ることなく、煙と炎に包まれた学院の中へ駆け込んでいった。


正門の外では、避難した生徒たちが数人ずつ集まっていた。


誰もが不安そうな顔で、爆発の続く学院を見つめている。


アーガとリサも人混みの中で立ち止まった。


二人とも全身を埃で汚していたが、大きな怪我はない。


夕陽の残光が二人を照らし、足元から長い影を伸ばしていた。


◇ ◇ ◇


やがて黄昏の光は完全に消え、王都を夜の闇が覆った。


しかし、聖イース学院の周囲だけは、昼間のように明るかった。


爆発による炎と色とりどりの魔法光が入り交じり、夜空を鮮やかに染め上げている。


アーガとリサは、学院から少し離れた高台に立ち、戦況を見守っていた。


いつの間に到着したのか。


以前リサに付き添っていた女性護衛が、三人の完全武装した護衛を連れ、彼女の背後に立っていた。


護衛たちは扇状に広がり、周囲を警戒している。


鎧に刻まれたベルマン家の紋章が、遠くの炎を反射して輝いていた。


「王都が戦場になりそうだな」


アーガは遠くの戦いを見つめ、低い声で呟いた。


リサの金色の髪が、夜風に揺れている。


彼女は黒装束たちの戦い方を注意深く観察していた。


やがて深い青色の瞳に、何かに気づいたような光が浮かぶ。


「たぶん、あの人たちが何者なのか分かったわ」


「誰なんだ?」


アーガが彼女を見る。


「前に、ヴィルヘ・グルバートの家へ一緒に行ったことを覚えている?」


リサの声には、わずかな緊張が混じっていた。


アーガは記憶をたどる。


「ああ。あれは一年前だったか」


「あのとき、私の両親は来ていなかったでしょう?」


リサは少し間を置いた。


「晩餐会の前に話したはずよ。国境でまた動きがあったから、父は前線へ向かったって」


アーガが大きく目を見開く。


「まさか……」


「ええ」


リサは小さくうなずき、遠くで戦う黒装束たちを指さした。


「北部の凛冬王国よ」


「一年前から不穏な動きを見せ始め、半年前には国境での睨み合いが始まった。でも、それから今まで大きな動きはなかった」


彼女の表情が険しくなる。


「おそらく、少数の部隊を密かにグレイクリフ王国へ侵入させ、王都まで送り込んだのよ」


遠くの戦闘は、すでに最も激しい段階へ入っていた。


突然、一人の黒装束が校舎の屋上へ立つ。


両手を広げ、空中に複雑な術式を構築し始めた。


夜空へ巨大な魔法陣が浮かぶ。


次の瞬間。


校舎ほどの大きさを持つ巨大な隕石が、魔法陣の中から姿を現した。


その直径は、建物一棟にも匹敵する。


圧倒的な破壊の気配を放ちながら、学院へ向かって落下を始めた。


「もう駄目だ……!」


周囲にいた市民の一人が、絶望的な声を上げた。


その瞬間。


隕石の真下へ、一人の人影が飛び出した。


セシだった。


彼女の持つ樫の杖。


その先端にはめ込まれた青い宝石が、目を焼くほどの電光を放つ。


周囲の魔力が激しく揺れ動いた。


「磁極!」


セシの鋭い声とともに、杖から奇妙な青色の光が放たれる。


光は落下する隕石と、その真下にある地面を同時に包み込んだ。


次の瞬間、信じられない光景が起きた。


地面まで残り数十メートルというところで、隕石が突然停止したのだ。


それどころか。


まるで目に見えない力に弾かれたかのように、落下時を上回る速度で夜空へ跳ね返されていく。


セシは動きを止めなかった。


杖を高く掲げる。


激しい電光が先端へ集まり、眩い光球を作り上げた。


「充填時間、三・二秒――」


電撃が夜空を埋め尽くす。


「電磁砲!」


轟ッ――!


極太の青白い光線が夜空を切り裂いた。


光線は寸分違わず、屋上に立つ黒装束へ直撃する。


通り道の空気が高熱によって歪んでいた。


黒装束は悲鳴を上げる暇さえない。


その身体は光の中で一瞬にして灰へ変わった。


「強すぎるだろ……!」


アーガは呆然と口を開けた。


「これが城主級の実力なのか?」


そのとき。


学院の中央から、目も眩むほどの白い光があふれ出した。


高い位置に、一人の大きな人影が浮かんでいる。


魔力の嵐の中で銀白色の長髪を激しくなびかせる人物。


ドレイク学院長だった。


「学院長です!」


リサの護衛たちが、興奮した声を上げる。


ドレイク学院長が持つ杖から、刺すような光が放たれた。


落ち着いた低い声が、学院全体へ響き渡る。


「《星雨》」


その瞬間。


夜空へ無数の光点が出現した。


まるで星々が地上へ降り注いでくるようだった。


光点は見る間に膨らみ、数千もの光線へ姿を変える。


それぞれが別々の黒装束を正確に狙い、地上へ降り注いだ。


爆発音が、絶え間なく響き続ける。


学院全体が、眩しく美しい魔法の光によって照らし出された。


しかし、その壮大な光景の中。


一つの黒い影が、突然ドレイク学院長の背後へ現れた。


黒装束の手にある長刀が、冷たい光を放つ。


目で追うことすら難しい速さで、学院長の背中へ振り下ろされた。


「危ない!」


近くにいた教師たちが同時に叫ぶ。


キィン!


夜空へ響いたのは、金属が折れる澄んだ音だった。


鋭い長刀は、確かに学院長の背中へ直撃した。


にもかかわらず。


刃の方が、根元から折れていた。


ドレイク学院長は、ゆっくりと振り返る。


手にした杖の先には、すでに骨まで凍りつかせるような冷気が集まっていた。


詠唱すら必要としない。


巨大な氷の竜が杖から飛び出し、咆哮を上げながら襲撃者を飲み込んだ。


氷竜はそのまま勢いを落とさず、地上へ向かって急降下する。


地面にいた二人の黒装束も巻き込み、一瞬で氷像へ変えてしまった。


「学院長、すごすぎる……!」


アーガは興奮を抑えられなかった。


「今のは何のカードの力なんだ?」


リサの隣に立っていた女性護衛が、小さく笑った。


「学院長が使える能力は、一つだけではありませんよ」


「まさか……」


アーガは驚いて振り返る。


「学院長は、複数のカードの能力を使えるのか?」


リサがうなずいた。


夜風が金色の髪を揺らす。


「学院長はすでに、タロットカードを一枚と、星座カードを二枚身につけているわ」


彼女は再び、戦場へ視線を戻した。


アーガも、遠くで堂々と立つドレイク学院長の姿を見つめる。


「さすが学院長だな……」


高台の下では、今も戦闘が続いていた。


しかし、戦況はすでに大きく傾いている。


学院長と上級教師たちの指揮のもと、王都の防衛部隊と学院側が連携し、侵入者たちを押し返し始めていた。


魔法の光線と剣の軌跡が、夜空で複雑に交差する。


それは残酷でありながら、目を離せないほど壮大な光景だった。


◇ ◇ ◇


しばらくすると、夜の学院はようやく静けさを取り戻した。


残っているのは、あちこちで燃える小さな炎だけだった。


夜九時を告げる鐘が鳴る。


その音が響く中、ドレイク学院長の氷竜が最後の黒装束を飲み込んだ。


突然始まった襲撃は、ようやく終わりを迎えた。


セシは疲れ切った足取りで、学院長のそばへ歩いていく。


「捕らえた者を何人か尋問しました」


その声は、ひどくかすれていた。


「確認は取れています。やはり、凛冬王国の者たちです」


いつもは穏やかな笑みを浮かべているドレイク学院長。


しかし今、その顔には厳しい表情が浮かんでいた。


学院長は隣に立つ王城の衛兵へ向き直る。


「隊長へ伝えてください」


「凛冬王国の潜入部隊であることが確認された、と」


その視線が、遠くの星空へ向けられる。


学院長は深いため息をついた。


「どうやら、また戦争が始まりそうですね……」


しばらく星空を見つめたあと、小さく呟く。


「この報告を聞いて、陛下は何を思われるでしょうか」


遠く離れた展望台では、アーガとリサも戦いの最後まで見届けていた。


二人はほとんど同時に、安堵の息を吐く。


夜風がリサの乱れた金髪を揺らした。


埃のついた頬が、遠くの炎に赤く照らされている。


「少数の部隊が潜入しただけで、これだけ時間がかかったんだ」


アーガは、無残に壊れた学院を見下ろした。


声は重い。


「本当に北部の国境で戦争が始まったら、いったい何年かかるんだろうな」


リサの深い青色の瞳に、遠くの炎が映っていた。


「二、三年は続くでしょうね」


少し考えてから付け加える。


「もしかしたら、それ以上かもしれない」


「それで、これからどうする?」


アーガは痛みの残る肩を回した。


「どこへ行けばいいんだ……近くの宿は、たぶん全部壊れてるよな」


「救援部隊が到着するのも、早くて夜中だろうし。野営しようにも、天幕なんて持ってないぞ」


「そうね」


リサは乱れた袖口を、興味なさそうに整えた。


「少し離れた宿へ行けばいいんじゃない?」


ふと顔を上げる。


口元に、悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。


「何なら、私の家に来てもいいけど」


アーガは危うく、自分の唾液でむせそうになった。


「は?」


耳の先が、暗闇の中でわずかに赤くなる。


「それなら、別の宿を探すよ」


二人は展望台の階段をゆっくりと下り始めた。


すぐにリサの女性護衛が前へ出る。


「お嬢様、馬車の準備が整っております」


リサは片手を振った。


「私はアーガと宿へ行くわ」


「いけません!」


女性護衛の声が突然大きくなった。


「我々には、お嬢様の安全を守る義務があります。今、最も安全なのはご自宅です」


鋭い視線が、アーガへ向けられる。


それから、少し口調を和らげた。


「奥様も、さぞご心配なさっているはずです」


リサは不満そうに唇を尖らせた。


火の光を受け、金色の睫毛が頬へ細かな影を落とす。


「分かったわよ……」


彼女はアーガの方へ向き直った。


声が少しだけ柔らかくなる。


「それじゃあ……また明日?」


アーガはうなずいた。


灰青色の瞳に、揺れる炎が映っている。


「ああ。また明日。気をつけて帰れよ」


リサは護衛たちに囲まれ、ベルマン家の馬車へ向かった。


乗り込む直前。


もう一度だけ、後ろを振り返る。


アーガは同じ場所に立ち、片手を振っていた。


夜風が黒い髪を乱している。


崩れた学院を背にした細い姿は、なぜかひどく孤独に見えた。


馬車はゆっくりと遠ざかり、やがて夜の闇へ消えていく。


アーガは長いため息をついた。


そしてリサとは反対の方向へ歩き始める。


王都の通りには、今も不安そうな市民たちがあふれていた。


遠くからは、衛兵たちを集める角笛の音が、何度も聞こえてきた。


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