第62話 決勝戦
夕陽はすでに、温かな橙色へと変わっていた。
アーガとリサは重厚な樫の机の前で、力尽きたように椅子へもたれかかっている。
机の上に散らばった写真が、斜めから差し込む夕陽を受けて淡く光っていた。
「駄目だ。本当に勝つ方法が思いつかない」
アーガはこめかみを揉んだ。
灰青色の瞳には、隠しようのない疲労が浮かんでいる。
指先が無意識に机を叩き、低い音を響かせた。
リサが突然、机を強く叩いた。
衝撃で何枚かの写真が跳ね上がる。
「どうして学院は、あの人たちに戦闘用のカードを先に選ばせたのよ! そんなことをしなければ、とっくに勝てていたのに!」
夕陽を受けた金色の髪は、まるで炎のように輝いていた。
深い青色の瞳にも、悔しさを示す光が揺れている。
シーリンは少し離れた場所に、静かに立っていた。
淡い青色のスカートは窓から差し込む夕陽に染まり、紫色に見える。
彼女は何度か口を開きかけたものの、結局何も言えなかった。
わずかに身体を動かすたび、髪につけた銀色の鈴が細かな音を鳴らす。
アーガは壁の時計へ目を向けた。
「もう十六時か」
声には、かすかな諦めが混じっていた。
「あと一時間で決勝だ」
リサは長いため息をつき、身体を椅子の背もたれへ預ける。
「もういいわ。できるだけのことをしましょう」
その口調は、意外なほど穏やかだった。
アーガは驚いたように顔を向ける。
「おや? てっきり優勝にこだわっていると思ってた」
「ふん」
リサは顔を背けた。
夕陽が横顔の輪郭を金色に染める。
「別に、優勝なんてどうでもいいわ」
声が急に小さくなった。
「ただ、あなたと一緒に、この大会へ出てみたかっただけよ」
夕陽のせいなのか。
アーガの顔も、わずかに赤くなっていた。
彼は誤魔化すように軽く咳払いをする。
「だって……」
リサは話を続けながら、金色の髪を一房、指先へ巻きつけた。
「あなたと一緒に何かをすると、いつも驚くようなことが起きるから」
口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
「普段の生活では味わえないことばかりだし……とにかく、楽しかったわ」
図書室が、短い沈黙に包まれた。
聞こえるのは、古びた時計が刻む規則正しい音だけだった。
やがてアーガが笑う。
夕陽が灰青色の瞳へ映り込み、小さな金色の光を浮かべていた。
「分かった、分かった。それなら、できるだけのことをしよう」
二人は同時に椅子から立ち上がった。
木製の脚が床を擦り、かすかな音を立てる。
アーガは机へ立てかけていた二本の短剣を手に取り、リサは腰の細剣を整えた。
夕陽によって長く伸びた二人の影が、床の上で重なり合っている。
「行きましょう」
リサが図書室の扉を押し開ける。
夕方の風が入り込み、金色の髪を優しく揺らした。
アーガは振り返り、シーリンへうなずく。
「情報を集めてくれてありがとう。本当に役に立った」
シーリンの頬が、夕陽の下で赤く染まる。
「け、決勝も頑張ってください……」
二人は図書室を出ると、長い廊下を通って闘技場へ向かった。
沈みかけた太陽の光が、学院全体を金色に染めている。
遠くの時計塔から、ゆったりとした鐘の音が響いてきた。
闘技場の入り口へ到着しようとしたとき。
背後から、背の高い人影が早足で近づいてきた。
マール・ホルトだった。
濃い茶色の長髪が夕方の風になびいている。
彼女は正面だけを見たまま、アーガの横を通り過ぎようとした。
しかし、すれ違う瞬間、不意に口を開く。
「弟の件については、もう事情を聞いたわ」
声は静かで、迷いがなかった。
「こちらが失礼だった。謝るわ」
そう言い残すと、マールは一度も振り返らず、選手用の通路へ歩いていった。
アーガはその場で呆然とする。
「意外と話の分かる人だったんだな……」
リサが片方の眉を上げた。
「あの人が、前に洗面所の前で会った相手?」
「ああ」
アーガはマールの背中から視線を戻した。
「最初の試合で戦った、マーチ・ホルトの姉さんだよ」
二人は顔を見合わせ、小さく笑った。
そのまま同時に闘技場へ足を踏み入れる。
瞬間。
耳をつんざくほどの歓声が、二人を飲み込んだ。
観客席は空席が一つも見当たらない。
観客たちは色とりどりの旗や横断幕を振り、決勝戦の開始を待ちわびていた。
夕陽の最後の光が中央闘技場へ降り注ぎ、木製の床を血のような赤色に染めている。
地鳴りのような歓声の中、四人の選手が左右の通路から入場した。
マールとコニーは、濃紺の四年生用制服を身につけている。
二人から漂う威圧感は、闘技場の反対側にいても伝わってきた。
対するアーガとリサは、簡素な三年生用制服を着ている。
夕陽の中で並ぶ姿は、観客席からでもひときわ目立っていた。
ミロ、ケイミ、ユノ。
エドウィン、ノエル、マーチ、クララ。
これまで二人と関わってきた生徒たちも、観客席から試合を見守っている。
審判は闘技場の中央に立ち、片手に持った旗を高く掲げた。
旗が夕方の風を受け、激しくはためく。
決勝戦を前に、闘技場の熱気は最高潮へ達していた。
審判が旗を頭上まで持ち上げる。
「決勝戦――開始!」
旗が振り下ろされた瞬間。
最初に動いたのはコニーだった。
低い唸り声を上げる。
身体の表面が急速に暗緑色へ変わり、皮膚の上を何層もの鱗が覆っていく。
両手が長く伸び、指先は鋭い爪へ変化した。
背後からは、太く頑丈な尾が生えてくる。
変身が完了した瞬間。
ドンッ!
コニーの足元で、木製の床が大きくへこんだ。
次の瞬間には、本物のワニのような勢いで、アーガとリサへ突進してくる。
マールはあとに続かなかった。
コニーの背後に立ったまま、両手の指を大きく広げる。
銀白色の蜘蛛の糸が指先から射出された。
夕陽の中では、注意して見なければ分からないほど細い。
しかし、糸は二人へ直接向かわなかった。
まず闘技場の四隅へ飛び、釘を打つように床へ張りついた。
「先に場所を作るつもりか?」
アーガが眉をひそめる。
「完成させては駄目」
リサが即座に言った。
彼女は床を蹴り、細剣を抜く。
淡い緑色の葉刃が、剣身に沿って形成されていった。
アーガも同時に右方向へ飛び出した。
二本の短剣を交差させたまま、コニーの横を通り抜け、直接マールを狙うつもりだった。
だが、コニーの速度は二人の予想を超えていた。
太い尾が横薙ぎに振るわれる。
重々しい風切り音が響いた。
アーガは前進を続けることができず、片手を前へ出す。
「防御魔法!」
ドンッ!
光の盾が形成された直後、コニーの尾が正面から叩きつけられた。
盾全体が激しく震える。
アーガの身体は衝撃に耐え切れず、二歩後方へ押し戻された。
腕全体が痺れる。
(力が強すぎるだろ……!)
その隙に、リサがコニーの脇腹を狙った。
葉刃が鱗の隙間へ正確に突き刺さる。
しかし、表面に浅い白色の傷を残しただけだった。
コニーが片手を振るう。
鋭い爪がリサへ迫った。
リサは身体を横へ傾けて回避する。
爪が生み出した風圧によって、金色の髪が数本切り落とされ、空中へ舞った。
「防御を抜けない」
リサの声が低くなる。
「分かってる」
アーガは歯を食いしばった。
手のひらへ赤い炎が灯る。
「それなら、別の方法だ」
炎が短剣の刃に沿って燃え上がった。
アーガは一歩踏み込み、炎をまとった短剣をコニーの肩へ振り下ろす。
炎が爆発した。
今度は、コニーの動きが一瞬だけ止まる。
だが、鱗に亀裂は入っていなかった。
表面が黒く焦げただけだ。
コニーがわずかに眉を寄せる。
胸が大きく上下していた。
その様子を見たアーガの目が、わずかに細くなる。
(何の代償もないわけじゃない)
(あの姿を維持するだけでも、かなり魔力を消耗しているのか)
しかし、詳しく考える時間はなかった。
横方向から、マールの蜘蛛の糸が飛んでくる。
三本の銀色の糸が、それぞれアーガの手首、足首、短剣の柄を狙っていた。
どれも避けにくい角度から迫っている。
アーガはすぐに後退した。
炎で二本を焼き切る。
だが、三本目は左手をかすめ、そのまま短剣の柄へ巻きついた。
アーガは力を込めて引っ張った。
しかし、簡単には切れない。
「粘着力が強すぎる」
マールが指先を小さく動かした。
蜘蛛の糸へ、淡い紫黒色の光が浮かぶ。
「毒よ! 気をつけて!」
リサが叫んだ。
アーガは即座に左手の短剣を手放した。
紫色の毒液が蜘蛛の糸を伝い、床へ落ちる。
周囲に薄紫色の霧が広がった。
ほんの少し吸い込んだだけで、左手の指先に軽い痺れが走る。
「本当に面倒な能力だな……!」
アーガは後退しながら、風圧を起こして毒霧を吹き散らした。
短時間で三種類の魔法を切り替えたせいで、胸元を流れる魔力が大きく乱れる。
リサはその変化に気づいた。
「無闇に使わないで。後半のために残しておきなさい」
「分かってる。できるだけな」
しかし、マールは二人に態勢を整える時間を与えなかった。
少しずつ後退しながら、楽器を演奏するように指先で糸を操る。
闘技場の上に、銀白色の糸が次々と張り巡らされていった。
縦横に交差する糸によって、アーガとリサが動ける範囲は、少しずつ中央へ狭められていく。
一本一本の蜘蛛の糸に、致命的な威力はない。
しかし、触れないように避けるか、炎で焼くか、剣で切断しなければならない。
その一つ一つの対処で、魔力と体力が確実に削られていく。
リサは地面から蔦を伸ばし、マールを拘束しようとした。
だが、そのたびにコニーが正面へ割り込んでくる。
床から生えた蔦は、踏みつけられて砕かれるか、太い尾によって引きちぎられた。
「このままでは駄目ね」
リサは短く息を吐いた。
「やっぱり、これを使うしかない」
身体の表面へ、淡い緑色の光が浮かび上がる。
葉のような緑色の鎧が、腕と肩へ沿って成長し始めた。
胸元、腰、膝にも、細かな葉脈の紋様が次々と形成されていく。
自然の鎧が、再びリサの身体を包み始めていた。




