第6話 王都の夜
馬車はそのまま街道を進み続けた。
車輪が道を踏みしめる音が、夕暮れの中ではひときわはっきりと聞こえる。
空が少しずつ暗くなっていくと、御者はもう一度鞭を振るった。
それに合わせて、馬たちの速度が上がる。
ラスティが馬を進め、車窓のすぐ横までやってきた。
そして片手を伸ばし、窓枠を軽く叩く。
「もうすぐ着きます。あと半刻ほどで街へ入れますよ」
その声でノエルが目を覚ました。
身体を起こして目をこすり、窓の外へ顔を向ける。
遠くの地平線には、すでに無数の明かりが浮かんでいた。
「あれがセント・ローラン?」
「ええ」
ラスティはうなずいた。
「今夜は街の宿に泊まって、学院への手続きは明日にしましょう」
街へ近づくにつれ、遠くに見えていた明かりは次第に数を増していった。
道も少しずつ平らになり、馬車は先ほどまでのように激しく揺れなくなる。
ラスティはそのまま馬車の隣を進み続けていた。
腰に下げた鞘が、ときどき鐙に触れ、小さな金属音を立てている。
馬車がセント・ローランの外へ到着した頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
巨大な城門は、夜になっても開かれたままだった。
門の両側では大きな松明が燃え、周囲を明るく照らしている。
門番の兵士たちは、馬車に刻まれた子爵家の紋章を簡単に確認しただけで、すぐに道を空けた。
車輪が城門下の石の段差を越える。
その先には、石畳の街路が続いていた。
アーガはすぐに窓際へ寄り、外の様子を熱心に眺める。
セント・ローランは、フランの町とは比べものにならないほど大きかった。
通りの両側には、二階建てや三階建ての石造りの建物が並んでいる。
それぞれの店先には、ガラスの覆いがついた灯りが掲げられ、夜の道を明るく照らしていた。
すでに日が暮れているというのに、通りには多くの人が行き交っている。
隣を何台もの馬車が通り過ぎていった。
「王都って、こんなに大きいんだ……」
アーガが小さく呟いた。
ノエルも身体を寄せ、窓の外を数秒眺める。
だが、何も答えなかった。
すぐに元の席へ戻ると、両手を膝の上へ置き、何を考えているのか分からない表情で黙り込んだ。
馬車は街の中で何度か角を曲がり、やがて三階建ての宿屋の前で止まった。
入口の上には、丁寧に磨かれた看板が掲げられている。
そこには『銀鹿亭』と書かれていた。
軒下には二つの真鍮製の灯りがともされ、温かな黄色い光が階段の下まで伸びている。
ラスティは馬から降りると、二人のために馬車の扉を開いた。
「着きましたよ。降りてください」
アーガが先に馬車から飛び降りた。
ノエルはラスティが差し出した手を取らず、自分で踏み台へ足をかける。
地面へ降りた瞬間、わずかに身体をよろめかせたが、すぐに姿勢を立て直した。
ウムは一足先に宿へ入り、部屋の手続きを済ませていた。
建物から出てきた彼の手には、数本の鍵が握られている。
「全部二階だ。部屋も隣り合っている。兵士たちは二部屋に分かれて、お前たちは一人一部屋だ」
アーガは差し出された鍵を一本受け取った。
ノエルもウムの手から別の鍵を取り、札に書かれた部屋番号を見下ろす。
二人は並んで二階へ上がった。
ノエルの部屋は、アーガの部屋のすぐ隣だった。
彼は扉を開けて一度中を確認すると、何も言わずに入っていき、そのまま扉を閉めた。
アーガはしばらく廊下に立っていた。
一緒に下へ行って夕食を食べないかと、声をかけようと思っていた。
しかし、すでに閉じられた扉を見つめ、結局はノックをしなかった。
◇ ◇ ◇
宿の一階にある広間には、大勢の客が集まっていた。
その多くは、学院の入学試験を受ける子供を連れてきた家族だった。
少し年上の少年少女が、一人でテーブルについている姿もある。
話し声や食器の触れ合う音、暖炉で薪が弾ける音が重なり合い、広間全体が賑やかな空気に包まれていた。
ラスティとウムは、すでに窓際の席へ座っていた。
テーブルの上にはパンとバター、それから運ばれてきたばかりの温かいスープが並んでいる。
ラスティがアーガへ手を振った。
「こちらへ来て、食べてください。明日はやることが多いですから、今夜は早めに休みましょう」
アーガは彼女の隣へ座り、差し出されたスープを受け取った。
中には野菜と細かく刻まれた肉、それに香辛料が入っている。
一口飲むと、一日中馬車に揺られていた疲れが、少しだけ和らいだ。
ウムが階段の方へ目を向ける。
「ノエルは?」
「部屋で食べるって」
アーガはそれ以上説明しなかった。
ラスティとウムは一度顔を見合わせたが、深く尋ねようとはしなかった。
広間には、次々と新しい客が入ってくる。
アーガは食事をしながら、自分と同じくらいの年齢の子供たちを観察していた。
親の隣でもたれかかり、眠そうに目をこすっている子もいる。
試験の内容について、興奮した様子で話し合っている子供たちもいた。
隣のテーブルでは、青い上着を着た少年が、自分の覚えた魔法について仲間へ身振り手振りを交えて説明している。
話が盛り上がるにつれ動きも大きくなり、手に持ったパンを食べることさえ忘れていた。
「こんなに大勢が試験を受けるんですね」
「これでも、まだほんの一部ですよ」
ラスティが答えた。
「明日は受付だけで、試験が始まるのは明後日です。王都の近くに住んでいる人たちは、明日の朝になってから来るでしょう」
アーガはうなずき、もう一度広間を見回した。
周囲の子供たちが浮かべる表情は、それぞれ違っている。
期待に胸を膨らませている者もいれば、緊張で顔をこわばらせている者もいた。
このときになって初めて、アーガは学院の試験が目前まで迫っていることを実感した。
不意に、宿の入口が開いた。
深い青色の長衣をまとった若い女性が、中へ入ってくる。
襟元には銀色の徽章がつけられ、片手には巻かれた羊皮紙を持っていた。
広間へ入ると、女性はまず受付へ向かい、宿の主人と短く言葉を交わした。
それから広間の中央まで歩いてくる。
女性が軽く咳払いをした。
騒がしかった広間は少しずつ静まり、全員の視線が彼女へ集まる。
「お食事中のところ、失礼いたします。私は聖イース学院の教師、セシ・ウィンスローと申します」
彼女は手にしていた羊皮紙を広げた。
「明日の午前八時より、学院南門にて入学受付を開始します。身分証明書と推薦状をご用意のうえ、門に設置された案内に従って、指定された教室で登録を行ってください」
一度周囲を見渡し、説明を続ける。
「学院の寮を希望する生徒については、受付終了後にまとめて部屋を割り当てます」
広間のあちこちで、保護者たちが小声で書類の確認を始めた。
セシはしばらく待ってから、さらに言葉を加える。
「明日は多くの手続きがあります。今夜はなるべく早めにお休みになり、受付時間に遅れないようお願いいたします」
「私も今夜はこちらの宿に滞在しています。何か問題が起きた場合は、直接お声がけください」
広間の中から、いくつもの返事が上がった。
子供たちは、セシの襟元にある学院の徽章を見つめている。
その目には、先ほどまでよりも強い憧れが浮かんでいた。
ラスティは最後のパンを食べ終え、指についた屑を軽く払った。
「聞きましたね。明日は八時です」
「分かりました」
◇ ◇ ◇
夕食を終えたあと、アーガは一人で部屋へ戻った。
しばらくベッドの縁へ腰掛ける。
それから『上級魔法概論』を取り出し、数ページ読んでみた。
だが、どうしても内容に集中できない。
結局、本を机へ戻し、窓辺まで歩いていった。
通りは、先ほどよりもかなり静かになっていた。
ときおり誰かが街灯の下を通り過ぎ、石畳を踏む音が遠くまで響いていく。
向かい側にある雑貨店には、今も明かりがついている。
窓の向こうには、整然と並べられた布や陶器の壺が見えた。
さらに遠くでは、周囲の建物の間から一本の高い塔が突き出している。
塔の頂上には淡い青色の光がともっており、かなり離れた場所からでもはっきりと見えた。
おそらく、あれが聖イース学院の魔法塔なのだろう。
アーガはしばらく塔を眺めた。
やがてカーテンを閉め、ベッドへ戻って明かりを消す。
部屋の中はすぐに暗くなった。
街灯の光だけがカーテンの隙間から差し込み、天井に細長い光の筋を作っている。
アーガは長い間横になっていたが、なかなか眠れなかった。
屋敷の前に立ち、自分たちを見送っていたアイランの姿が浮かぶ。
旅の間、ほとんど何も話さなかったノエルのことも思い出した。
明日の受付を終えれば、ほかの受験生たちと顔を合わせることになる。
そして明後日には、この半年間で学んできたことが、本当に試される。
ほかの受験生たちは、すでに何枚のカードを使えるようになっているのだろう。
アーガは寝返りを打ち、目を閉じた。
やがて隣の部屋から、ベッドが小さく軋む音が聞こえた。
ノエルが眠ったまま姿勢を変えたのだろう。
再び、静寂が戻ってくる。
アーガはもうしばらく横になっていた。
しかし、それでも眠気は訪れなかった。
上着を羽織ると、音を立てないように扉を開け、廊下の突き当たりにある小窓へ向かう。
初春の夜風が外から吹き込み、肌に冷たく触れた。
アーガは窓の前へ立ち、しばらく風に当たっていた。
そろそろ部屋へ戻ろうとした、そのときだった。
外の通りから、慌ただしい足音が聞こえてきた。
直後、夜の静けさを破るように、切羽詰まった叫び声が響く。
「魔晶石を奪われた! 紅薔薇盗賊団だ!」
アーガはすぐに窓へ身を寄せた。
通りを歩いていた人々が、声のした方へ一斉に顔を向けている。
数人の衛兵が魔法灯を手にし、角の向こうから走ってきた。
彼らは、服を乱した商人の周囲を取り囲む。
先頭に立つ衛兵は八の字髭を生やし、全身を覆う鎧を身につけていた。
「相手の姿は見たのか?」
商人は荒い息を吐きながら、通りの先を指さした。
「黒い仮面に、灰色の外套です! 痩せた男でした! ついさっき、こちらへ逃げてきたんです!」
衛兵たちはすぐに散開し、周辺の通りへ捜索に向かった。
アーガも宿の外へ出て、入口の軒下から通りの様子を眺める。
ノエルの部屋の窓は、今も暗いままだった。
外の騒ぎには気づかず、眠っているらしい。
数分が過ぎ、捜索に向かった衛兵たちが次々と戻ってきた。
「隊長、証言と一致する者は見つかりませんでした」
「そんなはずはない!」
商人は、裏返りそうな声で叫んだ。
「この目で、あいつがこの通りへ入るのを見たんだ! それなのに、どうして突然消えるんだ!」
衛兵隊長は眉をひそめる。
そして、周囲に集まっている人々を一人ずつ、改めて見回し始めた。




