第 50 話 夜明けのあと
兵士たちは、すぐに《夜鴆》を引きずって大広間から連れ出した。
夜明けの最初の光が砕けたステンドグラスから差し込み、床に散らばるガラス片や血痕、剣気によって切り裂かれた家具を鮮明に照らし出す。
ガレスが突然眉をひそめ、顎へ手を当てた。
「待ってください」
「《夜鴆》がカーンへ化けていたのなら、ロイスの袖口についていた赤い泥は、どう説明するのですか?」
人々の視線が、再びロイスへ集まった。
アーガは笑いながら彼のそばへ行き、肩を軽く叩いた。
「それは、かなり単純です」
「晩餐会の途中、誰かが城館の外にある赤土の近くで話をして、うっかりズボンの裾へ泥をつけたんだと思います」
アーガは、ズボンの裾を手で払う動作をしてみせた。
「裾が汚れたことに気づけば、最初にするのは、目立つ泥を手で払い落とすことです」
「そのとき、指や手首の内側にも赤い泥がついた」
「そのあと城館へ戻り、化粧室で靴や裾をきれいにした。でも、袖口の内側はもともと見えにくい場所です。本人も泥が残っていることに気づかなかった」
リサの目が、突然明るくなった。
「それが、社交舞踊のときに?」
「そう」
アーガはうなずいた。
「ロイスさんがその人と踊ったとき、互いの手首と袖口が触れた」
「その際に、相手についていた赤い泥が、ロイスさんの袖口へ移ったんです」
「もともと気づきにくい場所ですし、ロイスさんは昼頃からずっと屋敷にいて、一度も休んでいませんでした」
「疲れていて、すぐに気づけなかったとしても不思議ではありません」
ロイスは金縁の眼鏡を押し上げ、隠そうともせず感心した表情を浮かべた。
「さすがは、かつて僕が記事にしたアーガ・ラインハルトだ」
「やはり、僕の見る目に間違いはなかったね」
アーガは少し気まずそうに鼻へ触れた。
「実は、ロイスさんが化粧室から出てきたあとで、ようやく確信したんです」
「あのとき、ウォーカー執事にずっと暗がりから監視されていたせいで、ロイスさんは落ち着いていませんでした」
「手を洗ったあとも、水を完全に拭き取っていなかった」
アーガは自分の手首を持ち上げた。
袖口の内側には、すでに大半が乾いた小さな水染みが残っている。
「俺が部屋へ戻ろうとしたとき、ロイスさんは俺の手首をつかみました」
「手が濡れていたので、俺の袖口にもすぐ水が移った」
「その瞬間、袖口についていたものが、接触によって別の人へ移ることもあると分かったんです」
「ロイスさんの袖についていた赤い泥は、本人が赤土の場所へ行った証拠にはならない」
ヴィルヘはすぐにロイスの前へ進み、深々と頭を下げた。
「ロイス閣下、誠に申し訳ありませんでした」
「屋敷の主人である私が、客人を信じるべきでした。それなのに、わずかな泥を理由にウォーカーへ監視を命じてしまった」
ロイスは慌てて彼の身体を支えた。
「伯爵閣下、どうかおやめください」
口調は変わらず穏やかだった。
「あの状況では、誰が刺客と入れ替わっていてもおかしくありませんでした」
「僕を疑ったのも、当然のことです」
朝の光が砕けたステンドグラスを通り、疲れ切った人々の顔へ降り注いだ。
一晩中続いた混乱を経て、屋敷を覆っていた緊張は、ようやく少しずつ薄れていった。
————
すべてが片づくと、アーガは長い欠伸をした。
「眠い……」
こめかみを揉む。
瞼は、もう開けているのもつらそうだった。
「一晩中眠ってないし、こんなにいろいろ考えたし……」
言葉の途中で、身体がわずかに揺れた。
「もう限界です。先に少し寝てもいいですか?」
ヴィルヘはすぐに彼の前へ来ると、改めて丁寧に一礼した。
「もちろんです」
「今回は、本当にありがとうございました。アーガ閣下」
声はわずかに震え、灰白色の髭も小さく揺れている。
「あなたがあらかじめ警告してくださらなければ、《夜鴆》は深夜にもう一度ベラを襲っていたでしょう」
「事前にベラを別の部屋へ移し、人形を用意することもできませんでした」
「そうなっていれば、私の娘は……」
「もういいです」
アーガは慌てて手を振った。
「とにかく、無事ならそれで十分です」
ヴィルヘはうなずき、ウォーカーへ顔を向けた。
「午後の茶と夕食を、あらかじめ用意しておけ。アーガ閣下がお目覚めになったら、部屋へ運ぶように」
床一面の惨状へ目を向け、さらに付け加える。
「最高のものを用意しろ」
「承知いたしました、旦那様」
ウォーカーは静かに腰を折った。
いつも濁って見えていた目にも、今はわずかな光が宿っている。
ロイスもアーガのそばへ歩いてきた。
「今回は、本当に君のおかげだよ」
声を落として続ける。
「もし《夜鴆》がベラ様を殺したあと、さらに僕を示す証拠を残していたら、僕が犯人だと思われていたかもしれない」
「少なくとも、共犯者だとは疑われていただろうね」
アーガは眠そうに手を振った。
「気にしないでください。たいしたことじゃありませんから」
「これは、たいしたことだよ」
ロイスは真剣に言った。
「一つ、君に借りができた。今後、何か助けが必要になったら、直接僕へ言ってくれ」
アーガはうなずいた。
「覚えておきます……」
声は、ますます曖昧になっていた。
レイモンも大股で近づいてくる。
歩くたびに重い鎧がぶつかり、金属音を響かせた。
校尉級上位の戦士はアーガの前へ来ると、なんとその場で深く腰を折り、正式な礼を取った。
「ベラ様を救っていただき、感謝いたします」
低く、かすれた声だった。
「刺客の侵入を事前に察知できなかったことは、私の失態です」
アーガはその動きに驚き、慌てて手を伸ばした。
「やめてください、やめてください」
気まずそうに頭をかく。
「深夜に誰も気づかなかったのは仕方ないです。《夜鴆》の準備が、あまりにも周到だったんですから」
そう言って、少し離れた場所に立つリサへ目を向けた。
朝の光が壊れたステンドグラスを通り、彼女の金髪を照らしている。
「君は、もう帰るの?」
リサの目元にも、はっきりと隈ができていた。
少し考えたあと、彼女も小さく欠伸をする。
「私も、もう眠くて仕方ありません」
女性護衛へ顔を向けた。
「宿へ行って、ほかの者たちへ伝えてください」
「護衛を一人だけ先に家へ戻し、母に、私は夕方に出発すると伝えさせてください。今夜中には帰れると思います」
「承知しました」
女性護衛は簡潔に一礼し、すぐにその場を離れた。
アーガには、もうそれ以上話す力も残っていなかった。
重い足を引きずりながら自分の客室へ戻る。
扉を開けると、上着すら脱がず、そのまま柔らかな天蓋付きの寝台へ倒れ込んだ。
頭が枕へ触れた瞬間、意識は完全に途切れた。
リサは廊下に立ち、アーガがふらつきながら扉の向こうへ消えていく姿を見つめていた。
気づけば、口元には小さな笑みが浮かんでいる。
彼女もすぐに自分の部屋へ戻り、寝台へ倒れ込むようにして深い眠りへ落ちた。
————
ひどく深い眠りだった。
アーガが再び目を開けたとき、窓の外はすでに橙色へ染まっていた。
夕陽が王都の尖塔や屋根へ降り注ぎ、遠くの建物まで暖かな金色に染めている。
アーガはぼんやりと身体を起こした。
寝台の端でしばらく動かずにいたあと、ようやく立ち上がって窓辺へ向かう。
遠くの教会から、夕方を告げる鐘の音が風に乗って届いた。
通りには今も多くの人々が行き交っている。
街全体は穏やかで平和に見え、昨夜の出来事がすべて混乱した夢だったようにさえ感じられた。
ぐうう――
腹の中から、はっきりと音が鳴った。
アーガは自分の腹へ手を当て、長い間何も食べていなかったことを思い出した。
大きく伸びをして、眠っている間に皺だらけになった服を簡単に整える。
それから扉を開け、階下へ向かった。
一階へ下りると、すでにリサが長机の前で食事をしていた。
簡素な普段着へ着替え、金髪は気軽な一本の馬尾にまとめられている。
今は、皿に載った焼き肉と格闘しているところだった。
アーガに気づくと、すぐに片手を上げる。
「こちらです!」
まだ口の中に食べ物が入っているため、声は少し不明瞭だった。
それでも力強く何度も手を振る。
「早く来て食べてください。体力を戻しましょう」
アーガは目をこすりながら近づき、彼女の隣へ腰を下ろした。
卓上には菓子や焼き肉、新鮮な果物が並んでいる。
アーガは果実のジャムをたっぷり塗ったパンを手に取り、一口かじった。
その瞬間、ようやく身体へ生気が戻ったように感じた。
「昨日の夜は、本当に疲れた……」
食べながら小声でこぼす。
声には、まだ目覚めたばかりの気怠さが残っていた。
リサはフォークを置き、片手で頬杖をついて彼を見た。
「それにしても、意外と頭がいいんですね」
口元には、少し楽しそうな笑みが浮かんでいる。
「犯人を見つけただけでなく、傷をどう隠したのか、魔動儀をどうやって避けたのかまで推理したんですから」
アーガは少し照れくさそうに笑い、さらに焼き肉を一切れ口へ入れた。
「ちょっとした思いつきだよ」
口に物が入っているため、言葉は少し聞き取りにくかった。
「《夜鴆》が自分で隙を残していたのが大きいし、君が何気なく言ったことにも気づかされた」
リサの目が、たちまち輝いた。
「つまり、私が重要だったということですか?」
突然、少し身を乗り出す。
「それなら次に何かあるときも、あなたを誘います」
嬉しそうに指を折り始めた。
「前回は地下城の第四層で、今回は暗殺事件でした。どちらも刺激的でしたね」
アーガは危うく食べ物を喉へ詰まらせそうになった。
慌てて杯を取り、水を大きく飲む。
「どこが刺激的なんだよ?」
嫌そうにリサを見た。
「地下城では死にかけたし、今回は一晩中眠れなかったんだぞ」
「こんなことばかり続いたら、そのうち心臓が持たなくなる」
リサは、すぐには言い返さなかった。
静かになり、まっすぐアーガを見つめる。
窓から差し込む夕陽が横顔を照らし、睫毛が目の下へ薄い影を作っていた。
「私も最初は、怖いと思っていました」
リサは小さな声で言った。
「でも、今は……」
一度言葉を止める。
やがて、口元がゆっくりと緩んだ。
「こんなことが起きても、あなたがそばにいると、すごく安心できるんです」
アーガの持っていたフォークが止まった。
先端に刺さっていた果物が、危うく皿へ落ちそうになる。
何事もなかったように果物を口へ運んだが、飲み込む動きは明らかにぎこちなかった。
「ば、馬鹿」
いつもより少し低い声だった。
視線は、ずっと目の前の皿へ向けられている。
「急に、そんなこと言うなよ」
リサは首を傾げ、彼の目の前で手を振った。
「ねえ、ちゃんと聞いていますか?」
「聞いてるよ」
アーガはフォークで、皿の果物を軽くつついた。
「俺がいないときも、勝手に危ないことをするな」
「何か起きたら、まずよく考えて。何も考えずに突っ込むのはやめろよ」
リサは不満そうに唇を尖らせ、手を引いた。
その指先が、何気なくアーガの袖口へ触れる。
「つまらないですね」
アーガは水の入った杯を持ち上げ、一口飲んだ。
その動作を使って、わずかに熱くなった耳を隠す。
窓の外から差し込む夕陽が、ちょうど彼の横顔を照らしていた。
不自然な赤みは、その暖かな光の中へ紛れていた。




