第 47 話 袖口の赤い泥
アーガ、リサ、ロイスの三人は、一階西翼の廊下を通って客室へ戻っていた。
窓から差し込む月明かりが床へ落ち、三人の影を長く引き伸ばしている。
「まさか、こんなことになるなんて……」
アーガはこめかみを揉んだ。
「本当だね」
ロイスが欠伸をする。
「晩餐会だけでも十分疲れたというのに、今度は眠ることすら許してもらえない」
そのとき、リサが突然足を止めた。
「ロイスさん」
ロイスが振り返る。
「袖口についている赤い泥について、説明していただけますか?」
リサの女性護衛は何も言わなかった。
ただ、無言で半歩前へ出る。
ロイスは、すでに擦れて薄くなった袖口の内側の泥跡を見下ろした。
「ああ、これか」
彼は笑った。
「外で、うっかりついたものだと思うよ」
アーガが尋ねる。
「いつ?」
「晩餐会の途中で、ある人から外で少し話をしたいと誘われたんだ」
ロイスは説明した。
「赤土の近くにはいたけれど、ずっと脇の小石を敷いた道に立っていた。泥の中へ入ったわけではない」
「本来なら、赤土からは少し離れていたはずなんだけどね」
リサは眉をひそめた。
「仮に泥がついたとしても、場所がおかしくありませんか?」
「普通なら靴や裾につくはずです。なぜ袖口の内側についたんです?」
「そうだね」
ロイスは両手を広げた。
「だが、もし僕が北側の窓から逃げた刺客なら、やはり泥は靴や裾につくはずだ」
「袖口にこれだけしかついていないのは、むしろ不自然だろう?」
「僕自身、最初は気づかなかった。ベラ様が襲われたあと、上着を手に取って着たときに、ようやくここに赤い泥があるのを見つけたんだ」
「それで、さっきからずっと擦っていた」
説明を聞いたリサは、少しだけ表情を緩めた。
「確かに、一理ありますね」
アーガはさらに尋ねる。
「でも、どうしてそれまで気づかなかったんですか?」
「泥がついているのは手首の近く、それも袖口の内側だ」
ロイスは答えた。
「意識して裏返さなければ、なかなか見えない場所だよ。先ほど服を着たときに袖口がめくれなければ、今でも気づいていなかったかもしれない」
アーガは小さくうなずいた。
ロイスが突然笑う。
「どうしたんだい? 探偵にでもなるつもりか?」
「君が事件を解決して、ついでに僕の疑いも晴らしてくれるなら、新聞社に頼んで、また一面記事を書かせてあげるよ」
アーガは首を横に振った。
「とりあえず、部屋へ戻って休みましょう」
三人は廊下の奥で別れ、それぞれの部屋へ戻った。
アーガは寝台へ横になった。
しかし、いつまで経っても眠ることができない。
刺客は、まだ屋敷の中に潜んでいる。
しかも、いつでも別の誰かに化けられる可能性がある。
そう考えるだけで、安心して目を閉じることなどできなかった。
しばらく寝返りを繰り返したあと、アーガは再び上着を着て、部屋を出た。
湿った石段を踏み、西塔へ向かう。
窓の外では、月が少しずつ黒い雲に隠されていた。
城館全体も、先ほどより暗くなっている。
レイモンの部屋の扉は、完全には閉じられていなかった。
隙間から、暖かみのある黄色い燭光が細く漏れている。
アーガは静かに扉を押した。
その際、指が扉の枠をかすめ、袖口が小さな湿った跡へ触れた。
水気には、微かな生臭さが混じっていた。
沼地に生える苔のような匂いだった。
レイモンは机の前へ座り、柔らかな布で剣を拭いていた。
「レイモン隊長」
アーガは入口に立ったまま尋ねる。
「《夜鴆》は、どうして冒険者ギルドを離れたんですか?」
机の脇に置かれた銅盆の水面に、小さな波紋が広がった。
レイモンの手が、一瞬止まる。
「奴の本名は、モコだ」
レイモンは手にした剣身を見下ろした。
「両親が、土地の貴族に迫害されて死んだ」
「その事件のあと、奴はギルドから姿を消した」
彼は長剣をゆっくりと鞘へ収めた。
「二年後、貴族ばかりを狙う刺客が現れたという噂を聞いた」
「体格、行動の癖、使っているカードの能力。そのすべてがモコと一致していた」
「そのときから、俺は《夜鴆》の正体が奴だと分かっていた」
アーガは後ろ手に扉を閉めた。
「では、彼の標的はすべての貴族なんですか?」
「《相似変形》は、具体的にどこまでのことができるんです?」
レイモンの指が、剣の柄に刻まれた蛇の目の模様をゆっくりとなぞった。
「俺の知る限り、奴はすでに八つの貴族家の子供を殺している」
「その大半は、その場で殺されたわけではない」
「毒を盛られ、少しずつ苦しめられながら死んでいった」
レイモンは一度言葉を切り、説明を続けた。
「《相似変形》がどのような力になるかは、使い手によって多少異なる。だが、根本は変わらない」
「ある物を、似た特徴を持つ別の物へ変える能力だ」
「細い木の棒を長針へ変えることもできるし、使い手自身を、体格の近い別人へ変えることもできる」
「ただし、黄金や宝石のような高価な物を作り出すことはできない」
「元の物質との差が大きすぎて、相似変化の範囲を超えてしまうからだ」
そこまで話すと、レイモンは突然ため息をついた。
「本当に奴が俺たちの中におらず、屋敷のどこにも隠れていないのなら……すでに逃げ切ったということなのか?」
「だが、そんなはずはない」
アーガはしばらく考えたあと、不意に言った。
「でも、《夜鴆》が今夜したことは、ヴィルヘ伯爵家へ本当に壊滅的な打撃を与えたとは言えませんよね?」
レイモンが勢いよく顔を上げた。
「何を言っている?」
その手が、再び剣の柄を握る。
「ベラ様は、ヴィルヘ閣下が最も大切にしている長女だ!」
「俺が間に合わなければ、今頃はすでに命を落としていたんだぞ!」
アーガは静かに彼を見つめた。
レイモンの怒りは、あまりにも直接的だった。
考えるよりも先に、感情が表へ出ている。
(この反応……誰かが化けているようには見えない)
アーガは、それ以上尋ねなかった。
レイモンへ別れを告げ、部屋を出る。
続いて、カーンが泊まっている客室へ向かった。
扉の前には、完全武装した護衛が四人も立っていた。
アーガが近づこうとすると、護衛たちは同時に長戟を上げ、その進路を塞ぐ。
「お止まりください」
室内にいたカーンは、外の物音に気づいたらしい。
自ら扉を開けた。
目は今も赤く腫れている。
アーガを見ると、明らかに困惑した表情を浮かべた。
「君は?」
そこでアーガは、ようやく気づいた。
自分は晩餐会で特に重要な客だったわけではない。
カーンとも、まともに言葉を交わしていなかった。
「い、いえ。何でもありません」
アーガは気まずそうに後ろへ下がった。
「部屋を間違えただけです」
カーンは数秒間彼を見た。
しかし、それ以上は尋ねず、再び扉を閉めた。
(この反応も……誰かが化けているようには見えないな)
アーガは一階へ戻り、人のいなくなった大広間を一周した。
大半の机や椅子、食器はすでに片づけられている。
残っているのは、晩餐会の痕跡がわずかにあるだけだった。
男性用の厠の近くを通りかかったとき、アーガは隅の床の色が少し違うことに気づいた。
近づいてみると、暗がりの中に、ほとんど拭き取られた赤い泥がわずかに残っていた。
アーガはしゃがみ込み、指先で軽く触れる。
泥には、まだ少し湿り気があった。
混じっている腐葉土の匂いにも覚えがある。
屋敷の外にある湿地でよく見られる、赤い粘土だった。
床には、慌てて拭き取ったような跡も何本か残っている。
誰かが、この泥を消そうとしたことは明らかだった。
厠の中から、水の流れる音が聞こえた。
しばらくして、ロイスが袖口を整えながら出てきた。
普段より歩く速度が少し速い。
月明かりに照らされた顔も、ひどく青ざめて見えた。
同時に、少し離れた場所の影からウォーカー執事が姿を現した。
アーガはロイスを見た。
「まだ寝ていなかったんですか?」
ロイスの睫毛が、わずかに動いた。
無理に笑顔を作る。
「疲れてはいるけれど、眠れなくてね」
窓の外では、一羽の夜鳥が湿地の上を飛び過ぎていった。
翼が空気を叩く音が、静かな城館の中ではっきりと聞こえる。
「そうですか」
アーガは立ち上がった。
「それなら、俺は先に戻って寝ます」
背を向けた瞬間、ロイスが突然アーガの手首をつかんだ。
普段よりも、明らかに強い力だった。
アーガは反射的に眉をひそめる。
「待ってくれ」
ロイスは声を低くした。
「ウォーカー執事が、ずっと僕を監視している」
「どうも、この事件は想像していたより深刻なものらしい」
「そうですか?」
アーガは振り返り、周囲を見回した。
廊下には誰もいないように見える。
月光と柱の影しかなかった。
ロイスは、さらに少し顔を近づけた。
「僕の疑いを晴らすのを、手伝ってくれないか?」
三歩ほど離れた暗がりから、突然、咳払いが聞こえた。
ウォーカーの腰の曲がった姿が、柱の後ろから現れる。
まるで、枯れ木の一部が突然立ち上がったかのようだった。
「ロイス閣下」
「そろそろ、お部屋へお戻りください」
ロイスはアーガの手を離し、困ったようにため息をついた。
「見ただろう?」
そう言い残し、彼は自分の客室へ戻っていった。




