表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
46/206

第 46 話 夜鴆は誰だ

アーガは何も言わず、静かに室内を観察していた。


北側のステンドグラスは完全に砕けている。


残ったガラスの縁は、月光を受けて鋭く輝いていた。


化粧台は壁際へ倒れ、香水瓶や鏡の破片が辺り一面に散らばっている。


床には乱れた足跡が大量に残されていた。


護衛たちのものだけではない。


ベラと刺客が戦った際についたものも混じっている。


アーガの視線が、ふと少し離れた場所で止まった。


一本の短刀が、木製の床へ深く突き刺さっている。


柄の先には金属製の薔薇が取りつけられ、その花弁には細い茨が絡みついていた。


「《黒薔薇》……」


アーガが小さく呟く。


ロイスの表情が、明らかに変わった。


間もなく、扉の外から重い足音が聞こえてきた。


レイモンが部屋へ戻ってくる。


鎧には夜露と泥がびっしりと付着し、呼吸も普段より荒くなっていた。


その手には、引き裂かれた黒い布の切れ端が握られている。


「閣下」


レイモンが言った。


「北側の窓の下で、これを発見しました」


ロイスは布を受け取ると、端に縫い込まれた金糸の茨模様を指先でなぞった。


そばに立っていたアーガは、黒い布からロイスの手首へ視線を移した。


ロイスの袖口の内側には、少量の暗赤色の泥が付着している。


アーガは一秒ほど長くそこを見た。


しかし、すぐには何も言わなかった。


————


関係者たちは、すぐに一階の大広間へ集められた。


ヴィルヘは長机の端に座っていた。


顔からは、普段の笑みが完全に消えている。


指先が一定の間隔で机を叩いていた。


小さな音が響くたび、周囲の者たちの緊張がさらに強まっていく。


レイモンは長机の前で片膝をついていた。


鎧についた泥水も、まだ乾いていない。


ヴィルヘは彼を見下ろした。


「説明しろ」


「私の失態です」


レイモンは頭を下げたまま答えた。


「刺客は北側の窓から侵入しましたが、外周の警備は発見できませんでした」


「現在、屋敷は完全に封鎖しております。すべての出入口へ護衛を配置しました」


「封鎖だと?」


ヴィルヘは冷笑した。


「刺客が入り込み、ベラを襲ったあとになって、ようやく封鎖を思いついたのか?」


冷や汗がレイモンのこめかみを伝った。


「いかなる処罰も受ける覚悟です」


「処罰?」


ヴィルヘは机を強く叩き、立ち上がった。


「ベラが死ねば、お前に命が十個あっても償えん!」


レイモンは言い訳をせず、さらに深く頭を下げた。


そのとき、大広間の隅から鈍い音が響いた。


カーンが拳を壁へ叩きつけたのだ。


指の関節から、たちまち血がにじみ出る。


顔には今も涙の跡が残り、胸元も涙で濡れていた。


彼は壁へ背を預け、そのままゆっくりとしゃがみ込んだ。


今回の出来事によって、完全に打ちのめされてしまったかのようだった。


ウォーカー執事と副官のガレスは、今も絶えず人員を動かしていた。


ウォーカーの額には汗が浮かんでいる。


ガレスの制服には多くの埃がついていたが、赤い泥はどこにも見当たらなかった。


窓の外では、空の色が少しずつ変わり始めていた。


遠くの雲の向こうから、弱い朝の光が差し込んでいる。


それでも、大広間の重苦しい空気は少しも和らがなかった。


ヴィルヘは再びウォーカーへ目を向ける。


「魔動儀には、どのような記録が残っている?」


ウォーカーは額の汗を拭った。


「記録は一件だけです。場所はベラ様の部屋の前。時刻は、襲撃から数分後でした」


彼は一度言葉を切った。


「ですが、それはレイモン様が救援へ向かわれた際に反応したものと思われます」


「つまり、刺客は最初から最後まで魔法を使わなかったということか」


ヴィルヘは拳を机へ叩きつけた。


卓上に置かれた赤葡萄酒の杯が激しく揺れ、何度もぶつかり合って音を立てる。


レイモンは深く息を吸った。


胸の動きに合わせて鎧が擦れ、小さな金属音が響く。


「御当主様。刺客は無傷で逃げたわけではありません」


ヴィルヘが目を細めた。


「どういう意味だ?」


「追撃の際、腹部へ攻撃を命中させました」


レイモンは低い声で続けた。


「それに、私が三階から飛び降りたとき、外にはすでに刺客の姿がありませんでした」


「私の視力と速度を考えれば、あれほど短い時間で完全に姿を消すことは不可能です」


「したがって、刺客は屋敷から逃げていません。再び城館の中へ戻ったものと考えられます」


「確かなのか?」


ヴィルヘは冷たく問いかけた。


「何らかの能力を使って逃げた可能性はないのか?」


「ありません」


レイモンは首を横に振った。


「私はあの男を知っています」


「通り名は《夜鴆》。以前、同じ冒険者ギルドに所属していました」


「その後、ある事件をきっかけにギルドを離れ、刺客になった男です」


その場にいた全員の視線が、レイモンへ集中した。


レイモンはゆっくりと顔を上げる。


「奴の能力は、タロットカードのペンタクルの2――《相似変形》です」


「ですから、奴はまだ城館のどこかに隠れているか……」


「すでに、ここにいる誰かへ姿を変えている可能性があります」


大広間の各所から、声を抑えた囁きが上がった。


「相似変形?」


「どんな能力なんだ?」


レイモンの声が、静まり返った大広間へ響いた。


「三級カード、《相似変形》」


「普通の物体を、似た特徴を持つ武器へ変化させる能力です」


「たとえば、細い木の棒を長針へ変えたり、鉄片を刃へ変えたりすることができます」


「さらに、使用者自身を体格の近い人物へ変化させることも可能です」


「能力の開発度によっては、相手の声や記憶の一部まで再現できます」


ヴィルヘが机を叩いていた指を止めた。


「つまり、刺客は今、この場にいる誰かの姿で立っているかもしれないということか?」


その結論によって、大広間は完全に静まり返った。


アーガは、その場にいる全員を順番に見渡した。


ロイスは無意識に、袖口についた赤い泥を指で擦っている。


カーンの顔には今も涙の跡が残っていた。


しかし、再び顔を上げたとき、その目は異様なほど鋭くなっている。


ガレスは不安そうに周囲の者たちを観察していた。


すでに、視界に入るすべての人間を疑い始めているようだった。


リサの女性護衛は音もなく半歩前へ出て、リサを自分の背後へ隠した。


ウォーカーの額には、ますます多くの汗が浮かんでいる。


ヴィルヘ本人さえも、疑いの眼差しで大広間の全員を一人ずつ見ていた。


月光と朝の光が同時にステンドグラスを通り抜け、大理石の床へ濃淡の異なる影を落としている。


その光と影の中に立つ者は、誰であっても、すでに本物ではない可能性があった。


アーガは突然気づいた。


最も危険な時間は、まだ始まったばかりなのかもしれない。


————


ヴィルヘは、もう一度レイモンを見た。


「刺客の腹部を攻撃したことに、間違いはないのだな?」


「間違いありません」


レイモンは剣を抜いた。


刃には、すでに乾いた血が残されている。


ヴィルヘの顔に、冷たい表情が浮かんだ。


「それなら、全員の腹部を調べる」


「今しがたできた傷を見つければ、刺客も見つかるはずだ」


リサの女性護衛が、すぐに一歩前へ出た。


手はすでに剣の柄へ置かれている。


「全員にこの場で肌を見せるよう求めるのは、あまりにも無礼ではありませんか」


リサは手を上げ、彼女を制した。


「構いません」


声はとても落ち着いている。


「腹部を確認するだけです。今は、刺客を見つける方が重要でしょう」


女性護衛は、なおも何か言おうとした。


しかし最後には、元の位置へ下がった。


確認は、すぐに始まった。


最初に礼服を開いたのはウォーカーだった。


老人の白い腹部には、年齢による皺が刻まれているだけで、新しい傷はどこにもなかった。


次はガレスだった。


鍛えられた身体の左腹部には、古い矢傷が横へ伸びている。


しかし、こちらにも刃物で刺されたばかりの痕跡はなかった。


リサも衣服の裾を持ち上げた。


腹部に傷はなく、目立つ古傷すら見当たらない。


続いてロイス、アーガ、リサの女性護衛、そしてカーンも順番に確認を受けた。


全員の腹部に異常はなかった。


最後は、レイモン本人だった。


彼は焦った様子で鎧と下に着ていた服を外し、数多くの古傷が刻まれた身体を見せた。


刀傷と矢傷が複雑に交差している。


しかし、そのどれも新しくできた傷ではなかった。


ヴィルヘは、目の前に並ぶ者たちを見た。


その声は、すでにわずかに震えている。


「あり得ない……」


「刺客は、必ずお前たちの中にいるはずだ」


大広間では、誰も口を開かなかった。


ついにヴィルヘの忍耐が尽きた。


「もういい!」


長机を掌で強く叩く。


「ここで見つからないのなら、屋敷全体を隅々まで捜せ!」


「刺客が捕まるまで、お前たちは全員、自分の部屋へ戻れ。許可なく外へ出ることは認めない!」


この状況で反論する者はいなかった。


全員が次々と大広間を離れていく。


間もなく、広い空間には数名の護衛と、揺れる燭台の炎だけが残された。


ヴィルヘは今も長机のそばへ立っている。


その顔はあまりにも険しく、誰も近づこうとはしなかった。


ベラは、元の部屋の隣にある客室へ移されていた。


部屋の前には、十数名の精鋭護衛が一歩も動かず立っている。


治療師が治癒魔法を使用するたび、緑色の光が扉の隙間から漏れ、廊下の床を照らしていた。


ヴィルヘがその場を離れようとすると、ガレスが突然あとを追ってきた。


「伯爵閣下」


ガレスは眼鏡を押し上げ、声を低くした。


「ロイスが怪しいとは思われませんか?」


ヴィルヘは足を止めた。


「続けろ」


「彼の袖口には、赤い泥がついていました」


ガレスは自分の手首の近くを指さした。


「外の湿った土地へ出た可能性があります」


ヴィルヘの瞳が、わずかに縮まった。


「ロイスが、刺客の変装した姿かもしれないということか?」


「なぜ傷が見つからなかったのかは、まだ分かりません」


ガレスは続けた。


「ですが、袖口の赤い泥は調べる価値があります」


「刺客が北側の窓から逃げたあと、私は常に複数の兵士と行動していました。入れ替わられた可能性が最も低い人間です」


「少なくとも今ここにいる者の中では、私が犯人ではないと信じていただけます」


ヴィルヘはしばらく黙っていた。


「赤い泥については、私も気づいていた」


「だが、ロイスはグルバート家の大切な客人だ」


そう言うと、廊下の影の中に立っていたウォーカーへ目を向けた。


「奴を注意深く見張れ。少しでも異常な行動を取れば、すぐに拘束しろ」


ウォーカーは静かに腰を折った。


「承知いたしました」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ