第 37 話 これからは私が教える
アーガは看護師に支えられながら、医務室を出た。
医師は扉の前に立ってその背中を見送り、呆れたように首を振ると、再び手元の記録を整理し始めた。
訓練場の木製の扉を開けると、リサが一人で剣を振っていた。
動きやすい訓練着へ着替え、長い金髪を後ろで束ねている。
手にした木剣は、目の前の訓練用人形へ何度も振り下ろされていた。
普段よりも明らかに力が入っている。
剣が当たるたびに鈍い音が響き、まるで何かへ怒りをぶつけているようだった。
「リサ」
入口から聞こえた声に、リサの動きが止まった。
勢いよく振り返る。
扉の前には、アーガが立っていた。
顔色はまだ青白い。
身体の大半を看護師へ預けており、衣服の隙間からは胸や肩に巻かれた包帯も見えていた。
「アーガ……」
リサの手から、木剣が地面へ落ちた。
彼女は急いで駆け寄る。
そのまま抱き締めようと両手を伸ばしたが、直前で動きを止めた。
アーガの背中にある傷を思い出したらしい。
代わりに、彼の手首をつかんだ。
「どうして出てきたんですか?」
「三日も寝ていたから、少し歩きたくなった」
アーガはリサの脚へ目を向けた。
「そっちの傷は?」
「もう大丈夫です」
リサはズボンの裾を少し持ち上げた。
脛にあった腐食傷は、すでにかさぶたになっている。
肩や胸の脇にあった傷も、完全には消えていないものの、薄い痕を残すだけだった。
看護師はリサがアーガを支えられることを確認すると、訓練場を出ていった。
ただし、長居はしないようにと、二人へ念を押すことも忘れなかった。
リサはアーガを支え、訓練場の端まで連れていく。
二人は壁際へ腰を下ろした。
「ノエルは?」
アーガが尋ねる。
「もう学院の授業へ戻っています」
その名前を口にしたリサの声には、明らかな不満が混じっていた。
「まるで何も起きなかったかのように」
「あの結晶に触れたのはノエルなのに、最後にはあなたが死にかけたんですよ」
「結晶には、近くにいる人を誘導する力があった」
「そのとき選ばれたのがノエルだっただけだ。俺たちを落とそうとして、わざと触ったわけじゃない」
「まだ彼をかばうんですか?」
「このことで、いつまでも責め続けるわけにはいかないだろ」
リサは小さく鼻を鳴らしたが、それ以上は言い争わなかった。
アーガは壁へ背を預け、訓練場に散らばっている木剣を眺めた。
地下城で起きたことが、再び頭の中をよぎる。
セシがあと少しでも遅れていれば、本当にあの場所で死んでいただろう。
せっかく得た二度目の人生が、始まって数年で終わるところだった。
それでは、あまりにも割に合わない。
「アーガ?」
リサの声で、意識が現実へ戻った。
「何を考えているんですか?」
「別に」
アーガは軽く手を振った。
「ただ、生きて帰れてよかったと思っただけだ」
リサはしばらく黙っていた。
やがて、突然後ろへ身体を倒し、訓練場の端に敷かれた柔らかなマットへ仰向けになった。
金色の髪が周囲へ広がる。
何本かが顔へかかったが、彼女は手で払おうともしなかった。
「あのとき、私は何もできませんでした」
「一緒に翼竜を一体負傷させただろ」
「でも、そのあとは?」
リサは片腕で目元を覆った。
「脚を動けなくされてからは、ただ座って、あなたが私の代わりに攻撃を受けるのを見ていることしかできなかった」
「ずっと訓練してきたのに」
「同年代の中では、自分はかなり強いと思っていたのに……本当に危険な状況になったら、立ち上がることさえできませんでした」
アーガも、ゆっくりとマットへ横になった。
服越しに、二人の肩がわずかに触れ合う。
「あれは地下城の第三層にいる魔物だ」
「今の俺たちが勝てないのは、別におかしくない」
「ずいぶん簡単に受け入れるんですね」
「それなら、俺も今から泣きながら、自分は弱すぎるって嘆いた方がいいか?」
リサは腕を下ろし、横を向いてアーガを見た。
アーガは訓練場の天井を見つめたまま、話を続ける。
「俺たちは、まだ魔力の量が足りない」
「術式を発動する速度も遅すぎる。数回全力で魔法を使っただけで、魔力より先に身体が耐えられなくなった」
「これから魔力が増えて、今持っている進階カードも本当に使いこなせるようになれば、次に同じ魔物と戦っても、今回のようにはならない」
リサはしばらく彼の横顔を見つめていた。
「たった今、命を拾ったばかりなのに、もう次はどうやって勝つか考えているんですか?」
「一度死にかけたからって、二度と地下城へ入らないわけにもいかないだろ」
アーガが顔を向ける。
リサは、顔にかかった金髪の隙間から彼を見つめていた。
「それに、俺を守れなかったことを、ずっと気にする必要もない」
アーガは笑った。
「君を守ると約束したんだ。前に立ったのも、俺が自分で決めたことだよ」
リサはすぐに視線をそらし、身体を起こした。
乱れた髪を手で整える。
「これから剣術の授業では、私が個別に教えます」
「何を?」
「あなたは剣術が下手すぎます」
リサの耳がわずかに赤くなっていた。
それでも、口調は相変わらず強気だった。
「魔物に遭遇しても、魔法を使って逃げることしかできないでしょう」
「もう少し剣を使えれば、あれほどひどい怪我をすることもなかったはずです」
「君が自分から、俺の練習に付き合ってくれるのか?」
「ついでに、間違った動きを直すだけです」
リサは顔を背けたまま、アーガを見ようとしなかった。
「私は滅多に他人へ教えません。断るのは禁止です」
アーガは地面へ手をつき、ゆっくりと身体を起こした。
そして、真剣な表情でうなずく。
「分かった」
間もなく、扉の向こうから看護師の足音が聞こえてきた。
「時間ですよ」
看護師は訓練場へ入り、アーガの額に浮かんでいる冷や汗を見ると、すぐに眉をひそめた。
「これ以上ここにいたら、傷口がまた開いてしまいます」
「分かりました」
アーガは看護師に支えられて立ち上がり、ゆっくりと入口へ向かった。
リサはその場へ座ったまま、彼の背中を見つめていた。
衣服の襟元から、包帯の端がわずかにのぞいている。
それを見ると、アーガが自分の目の前へ倒れたときの光景が、再び頭に浮かんだ。
「アーガ」
リサは突然、彼を呼び止めた。
アーガは足を止め、振り返る。
「どうした?」
リサは手にした木剣を強く握った。
「初めて会った頃、私はずっとあなたへ意地悪をしていました」
「学院へ入ってからも、私たちの関係は決してよくありませんでした」
一度言葉を止める。
それから顔を上げ、まっすぐアーガを見た。
「一時期は、本当にあなたが嫌いでした」
「それは見れば分かったよ」
「まだ話さないでください」
リサの声が、わずかに強張った。
「あなたも私のことを嫌っていたはずです」
「それなのに、どうして地下城で、あそこまでして私を守ったんですか?」
アーガはすぐには答えなかった。
訓練場に静寂が広がる。
遠くから、別の生徒が訓練する音だけが時折聞こえてきた。
「ああいうとき、人を助けるのに理由が必要か?」
アーガは少し考えてから、続きを口にした。
「普段どれだけ仲が悪くても、少し個人的な問題があるくらいで、君が殺されるのを横に立って見ているわけにはいかないだろ」
「でも、あなたは私のせいで死にかけました」
「あのときは、そこまで細かく考える時間もなかった」
アーガはうつむき、少し笑った。
「でも、あとから考えてみたら……君が本当にあそこで死んでいたら、俺はきっと長い間つらかったと思う」
リサは動きを止めた。
木剣を握っていた手から、少しずつ力が抜けていく。
柄が指の間を滑り、地面へ落ちて小さな音を立てた。
「長い間、つらい……」
「だから、全員が生きて帰れたのが一番だ」
アーガは彼女へ軽く手を振った。
「俺は先に戻るよ」
「傷が治ったら、剣術を教えてもらうから」
リサは腰をかがめ、落とした木剣を拾った。
再び顔を上げたとき、その表情は先ほどよりもずっと柔らかくなっていた。
「そうですか……」
彼女は小さな声で言った。
「それなら、早く休んでください」
アーガはうなずき、看護師に支えられながら訓練場を出ていった。
リサは、入口を見つめ続けていた。
アーガの姿が完全に見えなくなってから、ようやくゆっくりと窓辺へ歩いていく。
熱くなった顔を、冷たい窓ガラスへ押し当てた。
部屋の隅に置かれた魔法の砂時計から、最後の一粒が落ちた。
————
数日後。
アーガの傷は、ほとんど回復していた。
高級回復薬と学院の治療魔法のおかげで、傷口は急速に塞がった。
背中にはまだ完全に消えていない痕が数か所残っているものの、激しい運動さえしなければ、普段の生活に影響はない。
その夜、ミロは寮の部屋で、本や訓練道具を整理していた。
二年次の授業は、すべて終了している。
明日になれば、学院から三年次のクラス分けが発表される予定だった。
例年どおり、生徒たちは最初の二年間の総合成績によって、改めてクラスを分けられる。
特に成績のよい生徒は、一組と二組へ配属されることになっていた。
アーガはベッドのそばへ座り、ミロが本を一冊ずつ箱へ詰めていく姿を眺めていた。
「いよいよクラス替えか」
「そうだね」
ミロは訓練着を丁寧に畳み、箱の一番上へ置いた。
「僕は、どのクラスになるんだろう」
今のミロの成績では、上位二つのクラスへ入るのは簡単ではない。
一方、アーガの総合順位は常に学年上位にあり、一組へ入ることはほぼ確実だった。
来年から二人が同じクラスではなくなる可能性が高いことを、どちらも分かっていた。
アーガはしばらく黙ったあと、口を開いた。
「これから同じクラスじゃなくなっても、何か困ったことがあれば俺を頼ってくれ」
ミロは作業の手を止め、アーガへ顔を向けた。
「この二年間、アーガには本当にたくさん助けてもらった」
彼は笑いながら、アーガの肩を軽く叩いた。
「学院へ入ったばかりの頃は、最後まで続けられるかどうかさえ分からなかった」
「アーガがいつも一緒に訓練してくれなかったら、僕の成績も、こんなに上がらなかったと思う」
「友達なんだから、そんなことを言う必要はないよ」
「だから、アーガも困ったときは僕を頼ってほしい」
ミロは真剣な表情で言った。
「今はまだ、大きな力にはなれないかもしれない」
「でも、いつか必ず力になれるから」
アーガはうなずいた。
「分かった」
二人は、それ以上この話を続けなかった。
そのまま一緒に、部屋の荷物を整理していく。
窓の外では、夜の色が少しずつ濃くなっていた。
学院内に並ぶ魔法灯が、一つずつ明かりを灯していく。
開け放たれた窓から風が吹き込み、机の上に置かれた紙を静かに揺らした。




