第227話 アーガの戦い
アーガが塔の中から出てきたとき、第四城区はすでに完全な混乱へ陥っていた。鉱夫たちは『血祭』の妨害を突破し、もともと吸血鬼のために鉱山を監視していた者たちも二つに分かれている。
それでも必死に吸血鬼を守ろうとする者もいれば、赤黒い外套を脱ぎ捨て、そのまま反抗する群衆へ加わる者もいた。
夜の闇の中で松明が激しく揺れる。
叫び声、怒号、武器同士がぶつかる音。
そのすべてが入り混じり、第四城区全体がようやく二年間続いた悪夢から目を覚ましたようだった。
アーガがライドを探そうとした、そのとき。
少し離れた場所から、狼狽した人影が飛び出してきた。
ライドだった。
鉱山で見せていた高圧的な姿はもうない。服は何か所も破れ、顔は怒りに歪んでいる。
さらにその背後から、かつて『血祭』を率いていた校尉級中位の男が追いかけてきていた。長刀を手にし、険しい表情を浮かべている。完全にライドと決裂したらしい。
「止まれ!」
ライドが振り返る。
「この裏切り者が!」
元『血祭』の頭目は答えず、魔力をまとった刀を横薙ぎに振るった。
ライドは歯を食いしばって避け、そのまま逃げようとする。
だが前方には、アーガが立っていた。
通りの中央で、静かにライドを見つめている。
ライドの足が止まった。
追いついた男もアーガを見て僅かに眉を寄せ、まだ自分でライドを追おうとした。
だがアーガが片手を上げて制した。
「このライドは、俺に任せてくれ」
男はアーガを見て、それからまだ混乱の続く遠くの戦場へ目を向けた。
しばらくして頷く。
「逃がすなよ」
「逃がさない」
返事を聞くと、男は踵を返し、再び抵抗を続けている吸血鬼と『血祭』の狂信者たちへ向かって走っていった。
それを見たライドの顔がさらに険しくなる。
だがアーガと戦おうとはしなかった。
踵を返し、そのまま逃げ出す。
アーガも何も言わず、後を追った。
二人は前後して第四城区外縁部の鉱道を駆け抜け、崩れた石壁をいくつも越え、最後には広々とした採掘場へ辿り着いた。
周囲には大量の砕石と、使われなくなった鉱車が放置されている。地面は至るところが抉れ、遠くには高塔と暴動を起こした人々の姿も見えた。
ライドはようやく足を止め、巨大な岩へ片手をついて荒い息を吐く。
「この野郎……俺が二年間かけて作り上げてきた計画を、全部ぶち壊しやがって……」
アーガも立ち止まり、冷たい目でライドを見た。
「お前が昔受けた仕打ちには、同情する。正体を知られて、拷問されて、奴隷として扱われて、第四城区へ追いやられ、鉱山で働かされた。確かに酷い目に遭ったと思う」
ライドの目が僅かに動く。
アーガの声が低くなった。
「でも、その後にお前たちがしたことはやりすぎだ。くだらない掟を作って、好き勝手に人の血を吸った。嵐湾城の人間たちは二年間、お前たちに怯え続けた。鉱夫たちは消耗品扱い。リナも、エラも、イタも捕まえて血を抜いた」
その目がさらに冷たくなる。
「俺は、お前を許さない」
ライドの表情が少しずつ歪んでいった。
次の瞬間、両腕を大きく広げる。
体内の血の魔力が完全に暴走した。
「暴血!」
暗赤色の魔力が身体から爆発するように噴き出す。
肌はさらに青白くなり、牙が伸び、瞳は完全な血色へ染まった。背中から衣服を突き破り、一対の蝙蝠の翼が広がる。骨組みは禍々しく歪み、その縁から粘り気のある血液が滴り落ちていた。
それまで人型を保っていたライドは、ついに完全な吸血鬼の戦闘姿勢へ変わった。
「随分と舐められたもんだな。本当に俺に勝てると思ってるのか?」
魔力はなおも上昇し続けている。
「本気で、俺を倒せると思ってるのか!?」
腕を振ると、周囲の血液が無数の暗赤色の刃光へ変わった。
「勝てるっていうなら、試してみろよ!」
爆発的に魔力を高めるライドを見ても、アーガは退かなかった。
むしろ口元を上げる。
「いいぞ。喜んで相手してやる」
片手を上げると、腰へ魔力が集まり、ベルトがゆっくりと形成された。
四枚のカードを一気に挿入する。
赤4――風。黄3――カンガルー。青3――集中印。緑3――重撃。
ベルトから強烈な光が放たれた。
青色の半透明な魔力鎧が腰から上へ広がり、四肢と胴体を素早く覆っていく。肩鎧には螺旋状の風紋が浮かび上がった。
「気流形態。333号」
アーガが拳を握る。
ライドが怒鳴り、血液を数本の短剣へ変化させた。次の瞬間、一気にアーガへ突進する。
血の短剣が喉へ突き出された。
アーガは左拳を上げ、真正面から受け止める。
ガンッ!
拳によって短剣が弾かれた。
ライドはそのまま距離を詰め、もう一本を下から腹部へ突き出す。
アーガは身体を横へ逸らし、同時に右拳を下から振り上げた。
顎へ直撃する。
頭が勢いよく跳ね上がり、身体まで僅かに宙へ浮いた。
だがライドの反応も速い。
仰け反った勢いを利用し、胸へ蹴りを放つ。
アーガも瞬時に脚を上げる。
二人の脚が激突し、鈍い音が響いた。
次の瞬間、アーガはライドの脚を外側へ蹴り流し、右拳を再び腹部へ叩き込む。
「ぐっ……!」
ライドが血を吐き、身体が地面を滑るように後退した。
「この野郎!」
強引に体勢を整え、再び飛び込んでくる。
採掘場の空地で、二人の激しい接近戦が始まった。
拳、蹴り、血刃、風圧。
絶えずぶつかり合う。
ライドの血短剣はあらゆる方向から襲ってきた。正面から連続で斬りつけることもあれば、突然分離して背後へ回り込み、死角から戻ってくることもある。
だが集中印によって、アーガの反応速度は極端に高められていた。
攻撃を防ぎ、位置を変え、隙を見つけるたびに打撃を叩き込む。
ライドの刃が肩へ走る。
アーガは身を低くして避け、そのまま脇腹へ拳を入れた。
ライドは血液で身体を覆って防御するが、それでも二歩後ろへ押される。
血刃が横薙ぎに振るわれる。
アーガは飛び上がって回避し、着地した瞬間に重撃を乗せた拳を膝へ振り下ろした。
ライドは慌てて後退する。
アーガの拳が石板へ叩き込まれ、地面を一撃で砕いた。
そのまま十数合にわたって打ち合う。
暴血状態のライドは速度も力も凄まじい。
だがアーガのこの形態は、そもそも接近戦のために組み合わせたものだった。
ライドが血短剣で押し込もうとするたび、アーガは体術で真正面から押し返す。
少しずつ、アーガが優勢になっていった。
ライドの呼吸が荒くなり、顔に浮かぶ怒りもますます濃くなる。
突然、口を開いた。
五発の血弾が一気に吐き出される。
ほとんど顔へ密着するような距離だった。
だがアーガの目には一切の動揺がない。
頭を勢いよく横へ振る。
一発。二発。三発。四発。
連続して避けた。
五発目だけが頬の横を掠め、頬骨の辺りに一本の傷を作った。
ライドは素早く距離を取る。
「なんて集中力だ……この距離で避けるのか?」
だがアーガの頬に残った傷を見ると、すぐに冷笑した。
「まあ、全部は避けられなかったみたいだがな」
アーガは指先で頬の血を拭う。
むしろ目は、先ほど以上に楽しそうに輝いていた。
「もう一回来いよ」
ライドは歯を食いしばったが、すぐには突っ込んでこなかった。
もう分かっている。
アーガのこの形態は、近接戦闘能力があまりにも高い。
このまま続ければ、押し切られる。
両手を振るい、血液を何本もの長鞭へ変えた。
異なる方向からアーガへ襲いかかる。
アーガは一回転しながら地面を転がり、最初の一撃を避けた。
同時に黄3――カンガルーを抜き、黄4――ヤマアラシへ交換する。
ベルトの光が変化した。
「融合変身。気流形態。433号」
ヤマアラシの防御特性が身体へ加わり、気配が先ほどより重くなる。
血鞭が連続して飛んでくる。
今度のアーガは、避け続けようとはしなかった。
血鞭へ向かって真正面から走る。
一本目。
側面から薙ぎ払われた血鞭を、頭を下げて避ける。
二本目。
脚を狙う血鞭を、風に乗って前方へ回転しながらかわす。
三本目。
非常に嫌らしい角度から背後へ回り込み、一気に振り下ろされた。
完全には避けられない。
アーガは肩で受けた。
バシンッ!
服が裂け、皮膚にも赤い鞭痕が刻まれる。
だが身体は僅かに揺れただけだった。
後退しない。
ヤマアラシのカードが衝撃の一部を強引に受け止めていた。
それどころか、ライドが操る血鞭の方に一瞬だけ震えが走る。
ライドの表情が変わった。
慌てて翼を広げ、空へ飛び上がる。
アーガは地面を強く踏み込んだ。
身体が砲弾のように跳び上がり、そのまま飛び蹴りを放つ。
ライドは身体を横へ逸らした。
飛び蹴りは外れる。
アーガはまだ空中で、すぐには姿勢を立て直せない。
ライドはその隙を逃さなかった。
十本の血短剣が四方から飛び出し、空中のアーガへ襲いかかる。
アーガは無理やり身体を捻り、空中で何度も回転した。
大部分は避けた。
それでも数本が腕と腰へ突き刺さる。
鮮血が飛び散った。
ライドの顔に、ようやく凶悪な笑みが浮かぶ。
だが次の瞬間、全身の筋肉が一気に膨れ上がった。
空中から斜め下へ急降下し、拳を振り下ろす。
アーガは避けられない。
地面へ着地すると同時に片膝をつき、拳を持ち上げて真正面から受け止めた。




