第223話 追撃
リナが第一城区まで追いついたとき、グルンはすでに湖畔の大通りで足を止めていた。昨夜ここでは数え切れないほどの人が死んだばかりで、通りの両側に並ぶ家々の扉や窓はいまだ半開きのまま。冷たい夜風が軒下を吹き抜け、息苦しいほどの静寂を運んでいた。
グルンは振り返り、真紅の瞳でリナを見つめながらゆっくり口元を吊り上げた。
「追ってきたのはお前か。お前の血は特別な味がする。いずれゆっくり楽しもうと思ってたんだが、まさか自分から来てくれるとはな」
リナの顔色はまだ少し青白く、身体も完全には回復していない。それでも一歩も退かず、片手を上げた。地面の亀裂から何本もの蔓が一気に伸び、表面を硬化させながら緑色の鉄鎖のようにグルンへ絡みつく。
グルンは冷笑し、掌を裂いた。溢れ出した血液が空中で凝固し、二本の細長い血刃へ変わる。次の瞬間には蔓の間へ飛び込み、両手の血刃を横薙ぎに振るった。硬化した植物は次々に切断され、鈍い音を立てて地面へ落ちる。
リナはすぐに後退し、足元から蔓を幾重にも重ねて聖木の盾を作った。グルンの血刃が盾へ叩きつけられる。刃そのものでは切り裂けなかったが、血液は生き物のように盾の表面を這い、次の瞬間には鋭い棘となって側面からリナを狙った。
リナは身体を後方へ翻しながら、碧葉の刃を数枚投げる。鋭い葉が夜を切り裂き、グルンの身体へ命中したが、切れたのは衣服と浅い傷だけだった。
「遅い」
低い笑い声とともに、グルンの姿が消える。リナが完全に振り返るより早く、腹部へ強烈な膝蹴りが叩き込まれた。身体が吹き飛び、通り沿いの木製扉を突き破って静まり返った家の中へ転がり込む。
立ち上がる暇もなく、グルンはもう目の前にいた。腕の表面を覆う血液が真紅の鎧へ変わり、息苦しいほどの圧力を放っている。
「お前の能力は厄介だ。だが本人の実力が足りない。一度捕まえられたんだ、二度目も同じだ! 身の程知らずなんだよ。俺は――」
血刃が振り下ろされる直前、リナは歯を食いしばって床下から無数の蔓を噴き上げた。蔓は瞬時にグルンを包み、巨大な絞殺籠を作る。だがグルンが両腕を激しく振るうと、血刃が狂ったように回転し、籠を強引に引き裂いた。
飛び出した直後、その足がリナの肩へ叩き込まれる。リナは再び吹き飛ばされ、家の外へ転がって石畳へ強く叩きつけられた。口元から一筋の血が流れ、片手を地面について身体を起こそうとするが、全身から力が抜けていく。
グルンは血刃を地面へ引きずりながら、ゆっくり家の中から歩み出た。
「終わりだ」
リナは顔を伏せ、肩を僅かに震わせた。だが次の瞬間、笑った。
「誰が……終わりだって言ったんですか?」
顔を上げる。疲労は隠せない。それでもその瞳には、再び強い光が宿っていた。
「私の実力は、こんなものじゃありません」
◇ ◇ ◇
同じ頃、第二城区の荒れ果てた通りでは、イタがワイトの前へ立ちはだかっていた。
ワイトは急いで彼女を殺そうとはせず、崩れた石橋のそばで面白そうに笑っている。周囲を漂う暗赤色の血液は、グルンのような近接武器ではなく、無数の細長い蛇のように空中を蠢いていた。
「嬢ちゃん、お前は氷系だったな? ちょうどいい。俺は氷が血で赤く染まるところを見るのが好きなんだ」
イタは答えず、片手を上げた。足元から冷気が広がり、石畳が瞬く間に白い霜に覆われる。次の瞬間、何本もの氷槍が地面から突き出したが、ワイトの周囲に浮かぶ血液が三本の血鞭へ変化し、鋭い音とともにすべて叩き砕いた。
砕けた氷が空中へ舞う。イタはその氷霧を目隠しにして両手を合わせた。
氷晶千針。
無数の細かな氷針が四方八方からワイトへ降り注ぐ。
「血幕」
ワイトの前で血液が大きく広がり、分厚い赤色の幕となって氷針を受け止めた。氷晶は血幕へ突き刺さったものの、粘液へ絡め取られたように少しずつ速度を失い、最後にはすべて空中で止まる。
ワイトが指を動かすと、血幕は一瞬で巨大な血鞭へ変わり、大量の氷針を巻き込みながらそのままイタへ叩き返された。
イタはすぐに氷壁を作る。血鞭が氷壁へ叩きつけられた。第一撃で亀裂が入り、第二撃で壁全体へ広がり、三撃目で完全に粉砕される。余波を受けたイタは数歩後退し、飛び散った氷片が腕へ傷を刻んだ。
「ほらな。お前の氷じゃ、俺の血は止められない」
言葉が終わるより早く、血鞭がイタの側面へ回り込み、脚を打った。血液は散らず、そのまま脚へ絡みついて鎖のように締め上げる。イタが寒気で凍らせようとした瞬間、ワイトは強く引いた。
身体が地面へ倒れる。イタは氷槍を地面へ刺して踏ん張ろうとしたが、二本目の血鞭が上から背中へ叩きつけられた。身体が前へ転がり、石段の縁へ激突する。さらに三本目が手首へ絡み、身体を半分宙吊りにした。
「弱すぎる」
ワイトが軽く腕を振ると、イタはそのまま壁へ叩きつけられた。壁面が割れ、身体がずるりと落ちて膝をつく。呼吸は明らかに乱れていた。冷気はまだ周囲を漂っているが、ワイトの自在で粘つく血の攻撃に対し、氷槍や氷針はいつも半歩遅れていた。
「今から命乞いするなら、少しは楽に殺してやるよ」
イタは顔を上げた。恐怖はない。ただ静かな意地だけが、その目に宿っている。
そして小さく笑った。
「私の実力も、こんなものじゃありません」
◇ ◇ ◇
第三城区外側の通りでは、エラがセルへ追いついていた。
セルは最初こそ人間の姿を保っていたが、エラに食い下がられるうちに理性を失い始め、牙は長く伸び、背中から暗赤色の蝙蝠の翼まで生えていた。
半空へ飛び上がり、エラを見下ろして低く笑う。
「人間の小娘が一人で俺を追ってくるとはな。風魔法が少し使える程度で、空を飛ぶ吸血鬼に触れられると思ってるのか?」
エラは剣を上げ、刃へ風をまとわせた。
「うるさい」
一歩踏み込み、剣先から風刃を放つ。セルは翼を振って夜の中へ残像を残し、風刃を回避した。刃は肩を掠め、衣服の一部だけを切り落とす。
次の瞬間、セルは急降下した。掌から溢れた血が鋭い爪へ変わり、エラへ襲いかかる。エラは剣を横にして受け止め、衝撃を利用して後退しながら風壁を作った。
だがセルはそのまま風壁へ突っ込み、強引に破壊した。理性を失いかけた身体能力は凄まじく、血爪の一振りでエラの肩へ数本の傷が走る。
エラもすぐに反撃した。剣先へ風を集め、セルの胸へ風之穿刺を放つ。セルは完全には避けられず、剣先が身体へ食い込んだが、体表で蠢く血液が途中で刃を止めた。
セルは自分の胸へ刺さった剣を見下ろし、笑った。
「捕まえた」
直後、蹴りがエラの腹部へ入った。身体が吹き飛び、道端の木組みを砕く。立ち上がる前にセルは再び空へ舞い上がり、翼を一振りした。数本の血色の羽刃が雨のように降り注ぐ。
エラは地面を転がりながら避け、風刃でいくつかを叩き落とした。それでも数枚が腕と脇腹を掠める。
「くそっ、飛び回る奴って本当に面倒」
口元の血を拭い、足元から風を巻き上げる。小型の竜巻が通りを走り、砕石や木片を空へ巻き上げた。セルの身体も一瞬引かれたが、翼を大きく広げて強引に範囲外へ抜け出す。
そこから急降下し、血爪で剣身を叩いた。両手が痺れ、剣が抜けそうになる。続く第二撃にエラは風壁を展開したが、再び引き裂かれ、身体ごと街角へ吹き飛ばされた。肩を石柱へぶつけ、思わず息を呑む。
セルは屋根へ降り立ち、野獣のような興奮を宿した真紅の目で彼女を見下ろした。
「終わりだ、人間」
エラは剣を支えに立ち上がる。身体にはいくつもの傷が増え、呼吸も速い。それでもセルを見上げると、口元をゆっくり持ち上げた。
「終わり?」
手首を軽く回す。
「じゃあ、そろそろ本気を見せてあげる」
第一城区、第二城区、第三城区。
三つの戦場が、ほとんど同じ瞬間に僅かな静寂へ包まれた。
リナは長い通りの端まで追い詰められ、周囲には千切れた蔓が散らばっている。イタは崩れた石壁の前で片膝をつき、腕にはまだ完全に凍っていない血液が絡んでいた。エラは街角に立ち、肩から血を流しながらも剣をしっかり握っている。
それでも三人の顔には、ほとんど同時に笑みが浮かんだ。
敵を侮った笑いでも、強がりでもない。
相手の強さを確かめ終え、ようやく自分たちのすべてを出すと決めた笑みだった。
「私の実力は、こんなものじゃない」
植物、氷雪、そして風が、夜の中で再び爆発した。




