↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放された転生貴族の俺、基礎カード魔法で少女たちと運命を切り開く  作者: 夜神智
嵐湾城編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

216/290

第216話 嵐の湖

夕方、アーガは第三城区の通りに立ち、行き交う人々を長い間黙って見つめていた。ティアはずっと隣に立っていたが、急かすことはせず、ただ静かに付き添っていた。


アーガは彼女へ目を落とし、不意に声を掛けた。


「ティア」


「うん?」


少し疲れた様子の顔を見つめ、アーガは声を和らげた。


「ありがとう」


ティアは目を瞬かせた。


「何が?」


「今日一日、ずっとそばにいてくれただろう」


アーガは少し間を置いた。


「お前だって辛いはずなのに、それでも一日中付き合ってくれた」


ティアは顔を伏せ、指先で服の裾を軽く握った。


「私……人を慰めるのは、あまり得意じゃないから」


しばらくして、アーガは再び口を開いた。


「昨夜、お前は俺に力が欲しいと言った。あの問いにどう答えるべきか、まだ考えられていない」


「でも少なくとも今日は、お前の方が先に、俺へもう少し前へ進むための力をくれた」


ティアは顔を上げ、僅かに目を見開いた。


アーガは彼女へ笑いかけたが、その笑顔には疲労が滲んでいた。


ティアは彼を見つめるうちに、目元を赤くした。何も言わず一歩前へ出ると、アーガの肩へそっと腕を回す。


アーガは僅かに驚いた。


ティアは顔を彼の肩へ寄せ、小さな声で言った。


「アーガも悲しいんでしょう?」


「それなのに昨日は、先に私を慰めてくれた」


「どうすればアーガが元気になってくれるのか、私には分からなかったから……ただ、そばにいることしかできなかったの」


アーガは彼女へ目を落とした。


その瞬間、ずっと胸の奥へ重くのしかかっていた感情が、ようやく少しだけ緩んだように感じられた。


小さく笑う。


しかし同時に、目から涙が零れ落ちた。


ティアは片手を上げ、慎重にその涙を拭った。


「大丈夫だよ」


アーガは一度目を閉じ、ゆっくりと感情を整えた。


「ああ。大丈夫だ」


再び顔を上げ、遠くの通りを見つめる。


これまで、いくつもの困難を乗り越えてきた。


今回も同じだ。


ここで立ち止まるわけにはいかない。すべてを、このまま終わらせることもできない。


今、自分が諦めてしまえば、本当にすべてがここで終わってしまう。


アーガは深く息を吸い、もう一度第三城区の周辺を歩き始めた。ティアは何も尋ねず、そのまま隣についていく。


しばらく歩くうちに、アーガの眼差しは少しずつ落ち着きを取り戻していった。


「行こう」


「どこへ?」


「もう一度、第二城区を調べる」


ティアの顔から僅かに血の気が引いた。


彼女にとって、第二城区はすでに悪夢そのもののような場所だった。


それでも一瞬足を止めただけで、静かに頷いた。


「うん」


二人は再び第二城区へ戻った。


ここには相変わらず何の音もなかった。通りは空っぽで、家々の扉は開いたままのものもあれば、閉ざされたものもある。死者たちは今も室内へ残され、空気にはすでに薄い腐敗臭が混じり始めていた。


道中、ティアの顔色はずっと悪かった。


アーガは彼女を家の中へ入れず、通りで待つように言い、自分だけで室内を調べた。


最初のうちは、特に新しい異変は見つからなかった。遺体の状態も以前と変わらず、目立った外傷はない。街の外側や通りの入り口付近で死んでいた者の多くには、首筋へ二つの血の穴が残っていた。


しかし二人がさらに街の奥へ進むにつれ、アーガはある変化に気づいた。


第二城区の中心部へ近づくほど、遺体の首筋に残された血の穴が少なくなっている。


さらに奥では、吸血鬼に噛まれた痕跡がまったく見当たらない者まで増えていた。


「酷い……動物まで死んでいる」


ティアは一軒の家の外に置かれた鳥籠を見つめ、無意識にアーガの袖を掴んだ。


籠の底には、すでに硬くなった小鳥が倒れている。その身体にも、傷らしいものは一切なかった。


アーガは一度それを見て、僅かに首を振った。それからさらに先へ進み、何軒かの家の扉を開けた。


結果はどこも同じだった。


アーガは一軒の入り口に立ち、周囲の住宅街を見回した。


近くに並んでいるのは、ほとんどが背の低い家ばかりだった。高くても二階建てで、一階ごとの高さもそれほどない。


「どうして、この辺りにはもっと高い建物がないんだ?」


「前に泊まった宿も同じだった」


「昔はあったの」


ティアが答えた。


「でも吸血鬼がこの街を支配するようになってから、住民も旅人もどんどん減っていった。それで高い建物の多くは取り壊されたの」


「今は二階建てが一番高くて、それもかなり低いものばかりよ」


アーガは頷き、夕日が窓から差し込む光を頼りに、もう一度ベッドの上の遺体を見た。


すぐに違和感へ気づく。


「顔色が暗い紫色だ」


ティアも入り口から室内を覗いた。


「本当だ……」


アーガは、身体に血の穴がない死者たちを見つめた。


「白くない」


「昨日は暗すぎて、まったく分からなかった」


ティアも眉を寄せる。


「今見てみると、本当に白くないね」


アーガは再び考え込んだ。


本当に吸血鬼女王が自ら街を皆殺しにしたのなら、なぜ第一城区と第二城区だけを襲ったのか。


なぜ第三城区には、何の被害もなかったのか。


彼は第二城区の湖畔に沿って、ゆっくりと歩き始めた。


しばらく進んだところで、不意に足を止める。


ティアも続けて立ち止まった。


「どうしたの?」


アーガはすぐには答えず、目の前に広がる湖を見つめていた。


第二城区は、楕円形の小湖の南側に面している。昼間なら、ここから美しい水面の景色が見えるはずだった。


しかし今の湖面は暗いだけでなく、酷く濁っていた。


水際には湿った泥の岸が広く露出し、本来なら水中へ沈んでいるはずの場所まで、すべて空気に晒されている。


アーガはゆっくりと眉を寄せた。


初めて嵐湾城へ来たとき、湖はこんな状態ではなかった。


「ティア」


「うん?」


アーガは湖岸を指差した。


「湖の水位は、元からこの高さだったのか?」


ティアは指差された方角へ視線を向けた。


最初は何を聞かれているのか分からない様子だったが、しばらく岸辺を見つめているうちに、その顔色が少しずつ変わっていった。


「違う」


急いで岸へ近づき、露出した地面を注意深く見る。


「元はこんな状態じゃなかった」


「どれくらい違う?」


ティアは記憶を辿り、苔に覆われた石段の一つを指差した。


「前は、あそこまで水があったはず」


「今より少なくとも二メートル以上は高かった」


アーガの目つきが一瞬で変わった。


「二メートル以上?」


「うん。それに元の湖水は澄んでいた。こんなに濁ってはいなかったよ」


アーガはその場へしゃがみ込み、岸辺の泥へ手を触れた。


泥は今も濡れている。


まるで湖水が引いたばかりのようだった。


続いて水面を見る。


濁った水の中には細かな黒い沈殿物が混ざり、湖底全体が何かに激しく掻き回されたように見えた。


アーガはゆっくりと立ち上がった。


まず目の前にある楕円形の小湖を見つめ、次に第三城区の方角へ顔を向ける。


第三城区は琥珀長湖の左側にあり、第一城区や第二城区との間には、それほど高くない小山が横たわっている。


そして第一城区と第二城区は、目の前にある楕円形の小湖によって南北へ分けられていた。


アーガの目に、次第に強い光が戻ってくる。


嵐湾城の地形が、頭の中で改めて組み上がっていった。


山の上にある第四城区。


山の下にある小山。


楕円形の小湖。


第一城区、第二城区、第三城区は、一見すると湖や山によって自然に隔てられているように見える。


しかし湖の水位が、突然二メートル以上も下がったのだとすれば――


そこまで考えた瞬間、アーガの瞳に宿る光がさらに強くなった。


不意に笑みを浮かべる。


ティアは驚いたように彼を見た。


「アーガ?」


アーガは湖面を見つめ、続いて第三城区を隔てる小山へ目を向けた。


その口元が、少しずつ持ち上がっていく。


喜びから浮かべた笑みではない。


ようやく手掛かりを掴んだ者の笑みだった。


「ティア」


「うん?」


アーガは低い声で言った。


「もしかすると、吸血鬼女王なんて最初から存在しないのかもしれない」


ティアは大きく目を見開いた。


「え?」


アーガは明らかに水位が下がった湖を見つめた。


その目は、すでに完全な冷静さを取り戻していた。


「少なくとも、奴らが話しているような吸血鬼女王ではない」


顔を上げ、小山と湖が接する遠くの暗がりへ目を向ける。


「これは吸血鬼女王の仕業じゃない」


「少なくとも、今回の皆殺しはまったく別の原因で起きた」


ティアは僅かに息を呑んだ。


アーガは続ける。


「吸血鬼女王という存在そのものが、『血祭』と吸血鬼たちによって作り上げられた恐怖なのかもしれない」


ティアは彼の隣に立ち、長い間何も言わなかった。


湖面から風が吹きつけ、濁った水が露出した泥の岸へ絶え間なく打ち寄せている。


アーガは目の前に広がる湖を見つめた。


一度深く沈んでいた心が、ようやく再び動き始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。