第211話 気絶
「こっち!」
ティアはそう叫ぶと、旧鉱道の方角へ走り出した。アーガもそのあとを追ったが、速度を完全に解放することはできなかった。
旧鉱道の奥では、今も背後から落石が次々と転がってきていた。坑道内は暗く湿っており、足元には砕石や腐った木材が散乱している。少し進むたびに頭上から埃が落ち、まるで旧鉱道全体がいつ崩壊してもおかしくないような状態だった。
ライドの放った血弾も、なお背後から追ってくる。
ドンッ! ドンッ!
数個の血弾が岩壁を砕き、上から石の破片が降り注いだ。ティアは危うく足元の石に躓きそうになる。
アーガは一度振り返り、目を鋭くした。このままでは、ティアがついてこられない。
彼は迷わなかった。
次の瞬間、アーガは突然振り返り、片腕でリナを抱き直すと、もう一方の腕でティアの身体まで抱き上げた。
ティアが驚きの声を上げる。
「アーガ?」
「動くな」
アーガは歯を食いしばりながら言った。《チーター》の力は今も両脚で燃え続けている。二人を抱えているにもかかわらず、その速度はほとんど落ちなかった。
ティアは全身を硬直させ、呼吸さえ大きくしないようにしていた。リナは大量に血を失ったことで意識が朦朧としており、アーガの腕の中へ身体を預けたまま、指先で彼の服を弱々しく掴んでいる。
アーガが旧鉱道の反対側から飛び出した頃には、空の端が僅かに灰白色へ染まり始めていた。
彼は嵐湾城の方角へは向かわず、街から遠ざかる荒れた道を進み、そのまま山林と湖岸の間にある開けた場所へ走った。
背後では、ライドが旧鉱道の出口まで追いついていた。しかし空に現れた僅かな朝の光が手の甲へ触れた瞬間、その白い皮膚から薄い焦げ跡が浮かび上がる。
ライドは険しい表情で足を止めた。
遠ざかっていくアーガの背中を睨みつけ、その瞳に宿る赤い光が燃え上がりそうなほど強くなる。
「この野郎……」
その声からは、先ほどまでの気怠げな笑いが完全に消えていた。
「この街の人間は全員、俺を恐れている。それなのに、お前は俺の手から人を奪うとはな」
ライドが片手を持ち上げると、指先へ血液が集まり、鋭く細い糸を形成した。しかし朝の光は刻一刻と近づいており、それ以上外へ追いかけることはできない。
彼は強く歯を食いしばり、冷たい声で吐き捨てた。
「吸血鬼女王様を怒らせないように気をつけるんだな。そのときは、お前たち全員をまとめて殺してやる」
アーガは振り返らなかった。
リナとティアを抱えたまま走り続け、第四城区からの追跡が届かない場所まで完全に離れてから、ようやく人目につかない林のそばで足を止めた。
そこはすでに嵐湾城からある程度離れていた。遠くには湖面が見え、その向こうには山の上にある第四城区と、あの灰黒色の高塔も僅かに確認できる。
背後に追っ手がいないことを確認し、アーガはようやく安堵の息を吐いた。
しかしその瞬間、変身も同時に解除された。
次の瞬間、全身の痛みと疲労が一気に押し寄せる。アーガの脚から力が抜け、片膝を地面へついた。
「アーガ!」
ティアが慌てて彼の身体を支えた。
アーガは最初にリナを草地へ慎重に横たえ、それから片手をついて立ち上がろうとした。しかし僅かに身体を動かしただけで、視界が一気に暗くなる。
肩も、腕も、脇腹も、すべてが痛んでいた。
先ほど二人を抱えたまま旧鉱道を駆け抜け、魔力と身体の力を限界以上に絞り出したことで、アーガはすでにとっくに限界へ達していた。
ただ、倒れずに耐え続けていただけだった。
今はリナを救出し、ひとまず安全な場所まで逃げることができた。
それまで無理やり保っていた気力が、ついに途切れた。
アーガはリナを一度見た。
まだ呼吸していることを確認し、掠れた声で言う。
「まだ……街へは戻るな……」
最後まで言い終えることなく、アーガの身体が地面へ倒れた。
「アーガ!」
ティアは顔を青ざめさせ、すぐにその場へ膝をついて状態を確認した。
アーガはすでに意識を失っていた。
リナも依然として目を覚まさない。
林のそばで意識を保っているのは、一瞬にしてティア一人だけになった。
彼女は地面へ倒れている二人を見つめ、強い不安に襲われた。それでもすぐに唇を噛み、無理やり自分を落ち着かせる。
今、慌てるわけにはいかない。
自分まで取り乱してしまえば、二人の面倒を見る者がいなくなる。
ティアはまずアーガが身につけていた『血祭』の上着を開き、傷の状態を調べた。見た目は酷かったが、幸い大部分の傷は急所まで達していない。
本当に問題なのは、力を使いすぎたことだった。身体の中身をすべて抜き取られてしまったかのように、完全に消耗している。
続いてリナの状態を確認した。
こちらはさらに深刻だった。
目立つ外傷はそれほど多くないが、顔にはほとんど血の気がなく、指先も冷え切っていた。首筋や腕の傷からはすでに血が止まっているものの、連日血を抜かれ続けたことで、身体は明らかに限界まで弱っている。
ティアは事前に用意していた包帯と薬を取り出し、二人の傷を慎重に処置した。
空は少しずつ明るくなっていく。朝の光が木々の間を通り抜け、草地へ降り注いだ。
嵐湾城の方角は、今も静かなままだった。
夜が明けたため、吸血鬼が外へ出られないのかもしれない。あるいは『血祭』の者たちも、まだこの場所まで追いついていないのかもしれない。
どちらにしても、三人はひとまず生き延びることができた。
ティアはそばに座り、意識を失ったアーガとリナを見守り続けた。
眠ることはできなかった。二人から遠く離れることさえ怖かった。
時折近くまで水を汲みに行き、濡らした布でリナの額を拭き、アーガの傷口に付着した血を丁寧に取り除いた。
時間は非常にゆっくりと過ぎていった。
朝から昼へ。
昼から、再び夕方へ。
夕日が遠くの湖面を赤く染め始めた頃になって、アーガはようやく目を覚ました。
最初に目へ入ったのは、薄暗い木々の影だった。
次に、そばへ座っているティアの姿が見えた。
ティアは薬瓶を整理していたが、物音に気づくと、すぐに顔を上げた。
「アーガ、目が覚めたの?」
アーガは片手をついて起き上がろうとした。傷口が引っ張られ、思わず眉をひそめる。
ティアは慌てて声を掛けた。
「動かないで。かなり酷い怪我をしているのよ」
しかしアーガは、自分の身体を気にする様子を見せなかった。
すぐに隣へ顔を向ける。
リナは今も横たわっていた。
まだ目を覚ましていない。顔色は依然として青白く、呼吸も弱かった。
アーガの胸に強い不安が走り、すぐに彼女のそばまで這うように移動した。
「リナ?」
返事はない。
リナの額へ手を当て、続いて片手を握る。
冷たかった。
アーガの表情が一気に険しくなる。
ティアが小さな声で言った。
「傷の処置はしたけれど、ずっと目を覚まさないの」
アーガはしばらく黙ったあと、掠れた声で答えた。
「ティア、ありがとう」
ティアは首を振る。
「今はそんなことを言っている場合じゃないわ」
その言葉を聞いた瞬間、アーガは突然何かを思い出したように顔を上げた。
「アイラとイータは?」
ティアは一瞬動きを止めた。
すぐにその表情も不安に染まる。
「わ、私は……二人を見ていない」
アーガの目つきが一瞬で変わった。
「見ていない?」
ティアは声を落とした。
「私はずっと第四城区の外であなたを待っていた。そのあとは一緒に逃げてきたから、山の下で何が起きたのかは分からないの」
アーガはその場へ座ったまま、少しずつ呼吸を重くした。
計画では、アイラが街の中で騒ぎを起こし、イータは鉱山の近くで敵を引きつけることになっていた。
二人の役割は、敵を誘い出したあと全力で逃げることだけだった。
しかし、すでに夕方になっている。
二人は戻ってこなかった。
何の知らせもない。
アーガの拳がゆっくりと握り締められた。
「二人は……」
最後まで言葉にはしなかった。
しかし心の中では、すでに一つの可能性へ辿り着いていた。
アイラとイータも、捕らえられたのかもしれない。
そのことに気づいた瞬間、隣にいるリナが小さく咳き込んだ。
目を覚ましたわけではない。
身体が僅かに震え、顔色は先ほどよりもさらに白くなっている。
アーガはすぐに身を屈めた。
「リナ?」
それでもリナは目を開かなかった。
アーガは彼女の状態を確認し、その顔を完全に曇らせた。
「血を失いすぎている」
声は非常に小さかった。
しかし今にも崩れそうな感情を、必死に押し殺しているようだった。
「輸血が必要だ」
ティアも慌てた。
「それなら、どうすればいいの?」
アーガは答えなかった。
草地へ膝をつき、意識を失っているリナを見つめながら、指へ少しずつ力を込めていく。
リナは大量に血を失っている。
アイラとイータは、捕らえられた可能性が高い。
そして自分自身も、重い傷を負っている。
リナを救い出すことはできた。
それなのに状況は何一つ好転していない。
むしろ、さらに悪化していた。
アーガは顔を伏せた。
前髪が目元を覆う。
「くそ……」
その声は低かった。
「どうして、こんなことに……」
ティアはそんな彼を見つめ、胸を締めつけられるような痛みを感じた。
アーガが必死に戦ったことは分かっている。
たった一人で高塔へ入り、リナを背負って五階から逃げ出し、ライドの手からも力ずくで逃げ切った。
しかし、この街はあまりにも恐ろしい。
敵が多すぎるうえ、一人一人が強すぎた。
ティアはアーガの隣へしゃがみ込み、静かな声で言った。
「アーガ、今はここで考え込まないで」
アーガは顔を上げなかった。
ティアは続ける。
「リナお姉ちゃんにはベッドが必要よ。お医者さんにも診てもらわないといけない。ここでは輸血なんてできないわ」
「一度、街へ戻りましょう」
アーガは顔を上げ、ティアを見た。
「私の家へ戻るの」
ティアは真剣な表情で言った。
「今はまだ夕方で、完全に日が暮れていない。『血祭』の人たちも、夜のように自由に捜し回ることはできないはずよ」
「まずリナお姉ちゃんをベッドへ寝かせて、それからお医者さんを探す方法を考えましょう」
アーガは黙り込んだ。
街へ戻ることが危険なのは分かっている。
しかしティアの言うとおりだった。
今のリナを、これ以上この場所へ置いておくことはできない。
林の中には薬も、医者も、輸血を行える設備もない。
ここへ留まり続ければ、リナの状態はさらに悪化するだけだった。
アーガは深く息を吸い、心の中の混乱を無理やり押さえつけた。
「分かった」
立ち上がると、最初に身につけていた『血祭』の赤黒い上着を脱いだ。
あまりにも目立つ服だった。
これを着たまま街へ戻れば、余計な問題を引き起こすだけだ。
アーガは上着をその場へ捨て、ティアが持ってきた古い外套で傷を隠したあと、リナを慎重に背負った。
その身体の軽さが、再びアーガの胸を痛ませる。
リナはほとんど力の入らないまま、彼の肩へ頭を預けていた。
アーガは両手で彼女の身体をしっかりと支え、低い声で囁いた。
「もう少しだけ耐えてくれ」
ティアは薬瓶と残りの包帯を片づけ、二人の前へ立って道案内を始めた。
夕暮れの光が、遠くの湖面へ降り注いでいる。
嵐湾城の輪郭が、再び三人の前へ現れた。
アーガはリナを背負い、ティアのあとを追って、一歩ずつ街へ向かって歩き始めた。




