第207話 救出計画
空が完全に暗くなる前に、アーガは第四城区から山を下りた。
顔にはまだ鉱石の粉が付着し、古びた服も灰にまみれている。その姿は、鉱山で一日中重労働をしてきた、ごく普通の少年にしか見えなかった。
しかし、その眼差しは山へ向かう前よりも遥かに澄んでいた。
ようやくリナの居場所を突き止めることができたからだ。
ティルの家へ戻ると、アイラとイータがほとんど同時に駆け寄ってきた。
「アーガ様!」
アーガの姿を見たアイラは、すぐに尋ねる。
「どうでした? リナは見つかりましたか?」
イータもアーガをじっと見つめていた。
急かすようなことは何も言わなかったが、その目を見れば何を聞きたいのかは明らかだった。
アーガは頷いた。
「五階だ」
部屋にいた全員が、一瞬動きを止めた。
「本当に見つけたの?」
ティアが驚きと喜びの混じった表情で目を見開く。
「ああ」
アーガは答えた。
「リナが合図を送ってくれた」
「合図?」
アイラが不思議そうに首を傾げる。
アーガは、高塔の窓が割れたことと、捕らえられた少女が泣きながら暴れたと鉱夫たちが話していたことを簡単に説明した。
「俺が鉱山へ潜り込んだことに、リナも気づいたんだと思う。それでわざと騒ぎを起こし、自分が捕らえられている階を知らせてくれた」
話を聞き終えたアイラは、思わず感心したように言った。
「リナ、すごく賢いですね」
「アーガ様が鉱山にいると分かったんですね」
イータも静かに頷いた。
ティルは机へ歩み寄り、第四城区の地形を大まかに描いた地図を広げた。
「五階に捕らえられているなら、かなり厄介ね」
地図に描かれた高塔を指差す。
「塔の入り口は正面に一つしかない。昼間は『血祭』の人間が守っているし、夜になれば鉱山付近の人間は多少減るけれど、その代わりに吸血鬼が活動を始めるわ」
「正面から強引に入ることはできないの?」
アイラが尋ねた。
「無理よ」
ティルは首を振り、アーガへ目を向けた。
「昨夜、あなたは血祭の四鬼を見ているでしょう。あの四人が全員高塔にいるなら、正面から入るのは死にに行くのと同じよ。それに第四城区の外にも、『血祭』の人間が大勢いる」
アーガも地図へ視線を落とした。
昼間の鉱山では、校尉級中位の男を見ている。
吸血鬼たちを考慮しなくても、今のアーガでは、あの男と正面から戦って勝てる可能性は低かった。
「外へ誘い出す必要があります」
突然、イータが口を開いた。
アーガは顔を上げ、彼女を見る。
「塔を守る人を減らします」
アイラもすぐに意味を理解した。
「別の場所で騒ぎを起こすの?」
「はい」
アーガは手を伸ばし、地図へ指先を置いた。
「夜明けが近づく頃に行動を始める」
ティアは理由が分からない様子で尋ねた。
「どうして夜明け前なの?」
「夜は吸血鬼が最も自由に動ける時間だ。『血祭』の連中も警戒を強めている」
アーガは説明を続ける。
「だが夜明けが近づけば、奴らも日の出を意識しなければならなくなる」
ティルの目が僅かに動いた。
「日の出まで引き延ばすつもり?」
「引き延ばすんじゃない」
アーガは首を振った。
「戦力を分散させる」
最初にアイラへ目を向ける。
「アイラは街の中で騒ぎを起こしてくれ」
「分かりました」
アイラはすぐに頷いた。
「ただし、長く戦おうとするな」
アーガは真剣な表情で念を押した。
「目的は敵を倒すことじゃない。山の下で誰かが騒ぎを起こしていると思わせ、第四城区にいる『血祭』の人間を何人か街へ向かわせることだ」
「分かりました」
アイラは拳を握り、表情を引き締めた。
アーガは続いてイータを見る。
「イータは鉱山の近くで騒ぎを起こしてくれ」
「任せてください」
「鉱山は高塔から近い。そちらで問題が起きれば、塔の外と鉱山にいる『血祭』の構成員は必ず確認に向かう」
そこまで説明すると、アーガは二人を順番に見た。
「二人とも正面から戦う必要はない。勝てないと思ったらすぐに逃げろ。できるだけ長く相手を引きつけてくれればいい。日の出まで耐えれば、吸血鬼も自由に追い続けることはできなくなる」
「はい」
イータは静かに頷いた。
アーガの指は最後に、高塔の描かれた場所へ移動した。
「二人が敵を引き離したあと、俺が塔へ潜入してリナを救い出す」
ティアが不安そうに尋ねる。
「リナを助けたあとは、どうするの?」
「街には戻らない」
アーガの指は地図の上を西へ移動し、最後に目立たない一本の古い道で止まった。
「ここから直接、嵐湾城を出る」
ティルはその道を見つめ、低い声で言った。
「旧鉱道のそばにある下山路ね。確かに、そこを通れば主城門を避けられるわ。ただ、もう長い間誰も使っていないから、道の状態はあまりよくないかもしれない」
「通ることができれば十分だ」
アーガは迷わず答えた。
「リナを救出したら、そこから山を下り、そのまま次の目的地へ向かう」
部屋の中がしばらく静まり返った。
危険な計画だった。
しかも、どの段階でも失敗は許されない。
アイラは街の中で『血祭』の注意を引きつけ、イータは鉱山付近で混乱を起こす。
アーガは見張りが離れた僅かな時間を利用して高塔へ潜入し、五階に捕らえられているリナを見つけなければならない。
その後は旧鉱道のそばにある道を通り、第四城区から脱出する。
そして全員が、日の出まで生き延びなければならなかった。
しかし、この方法以外に成功する可能性の高い計画は思いつかなかった。
「今考えられる中では、これが最も成功する可能性の高い方法だ」
アーガは二人を見る。
「ただし、非常に危険でもある。アイラ、イータ。二人はどうしたい?」
「行きます」
アイラが答えた。
「私も行きます」
イータもすぐに続いた。
二人とも迷わなかった。
怯えた様子も、後退しようとする様子もない。
アーガは二人を見つめ、胸の奥が僅かに動くのを感じた。
今回の行動がどれほど危険なのかは、誰よりも理解している。
しかし同時に、アイラとイータがこの状況で仲間を見捨てるはずがないことも分かっていた。
長い間黙っていたティルが、ようやく口を開く。
「私が旧鉱道の場所を確認するため、案内するわ」
「私は着替えと、簡単な傷薬を用意する」
ティアも小さな声で言った。
「逃げるときに必要になると思うから」
アーガは姉妹へ目を向けた。
「ありがとう」
ティアは首を振った。
「あなたたちは、自分たちの仲間を助けようとしているだけよ」
「私たちは……できる範囲で手伝うだけ」
こうして救出計画は、ひとまず決まった。
その夜、誰もすぐには休もうとしなかった。
アイラは机のそばへ座り、自分の長剣を確認している。刃に付着した僅かな汚れまで、布で丁寧に拭き取っていた。
イータは部屋の隅に静かに座り、体内で少しずつ増している魔力を感じ取っていた。
自分の力が、もうすぐ再び一段階上がるような感覚があった。
ティルは行動経路を改めて確認し、第四城区の周辺で巡回隊と遭遇する可能性がある場所を、地図へすべて記していく。
ティアはその隣で荷物を整理していた。
傷薬、包帯、保存食、それに目立たない古い外套を数着、小さな荷物の中へ詰めている。
アーガは一人で窓辺に座り、外に広がる深い夜の闇を眺めていた。
次に何をするべきかは、すでに分かっている。
それでも心を落ち着かせることはできなかった。
リナは今も高塔へ閉じ込められている。
あの者たちは毎日、彼女の血を抜き取っている。
そのことを考えるたび、アーガの指には無意識のうちに力が入った。
しばらくして、ティアとティルが一緒に彼のそばへやってきた。
「アーガ」
ティアは少しの間アーガを見つめ、迷いながら尋ねた。
「計画が成功したら、あなたたちはここを離れるの?」
アーガは顔を向けた。
「ああ。リナを助けたあと、俺たちは嵐湾城に残ることはできない」
「そうよね」
ティアは静かに頷いた。
以前から答えは分かっていたようだった。
しかし実際にアーガの口から聞くと、その表情には複雑な感情が浮かんだ。
「あなたたちは、元々この街の人ではないものね」
ティルは隣に立ち、両腕を胸の前で組んでいた。
「あなたたちは本当に勇敢ね」
アーガを見つめる。
「『血祭』の人間を相手に、正面から逆らおうとするなんて」
「勇敢だからじゃない」
アーガは首を振った。
「それなら、どうして?」
アーガは机の上に広げられた、粗雑な地図へ目を向けた。
その声は小さかったが、言葉には迷いがなかった。
「自分の仲間を諦めたくないからだ」
部屋の中が一瞬で静かになった。
ティアは呆然とアーガを見つめている。
アイラとイータにも、その言葉は聞こえていた。
アイラは顔を伏せ、口元へ小さな笑みを浮かべる。
イータの後ろでは白い尾が何度も左右へ揺れていた。明らかに嬉しそうだった。
しばらく黙っていたティルが、突然言った。
「私たちには、それができない」
アーガは彼女へ目を向けた。
「私たちの両親は殺された」
ティルの声は変わらず落ち着いていたが、普段よりも低かった。
「誰が殺したのかも知っている。そいつらが第四城区にいることも分かっているわ」
顔を上げ、窓の外に広がる暗い夜を見る。
「でも私たちには力がない」
「復讐したいと思っても、それさえできない」
ティアは姉の隣に立ったまま、顔を伏せていた。
何も言わなかった。
アーガも、二人へどのような言葉を掛ければよいのか分からなかった。
このような問題は「いつか必ずよくなる」と言うだけで、本当に解決できるものではない。
少しの間考えたあと、アーガはゆっくりと口を開いた。
「リナとイータも、最初は同じだった」
イータが顔を上げ、アーガを見る。
「二人にも、以前は今のような力がなかった」
アーガは続ける。
「反抗したくないわけじゃない。そもそも、反抗する方法がなかったんだ」
ティアがゆっくりと顔を上げた。
「そのあと、俺が二人へ力を与えた」
「二人は少しずつ勇気を持てるようになり、自分の運命へ立ち向かい始めた」
その言葉を聞いた瞬間、ティアとティルが同時に目を見開いた。
「あなたが……二人へ力を与えたの?」
ティアは驚いたように尋ねる。
ティルもアーガをじっと見つめていた。
その目には初めて、はっきりとした変化が浮かんでいる。
「どういう意味?」
アーガは自分の能力をすべて説明することはせず、片手を上げた。
一枚のカードが指の間へゆっくりと現れる。
表面には淡い光が流れていた。
眩しいほどではない。
しかし、その場にいる者の目を引きつけるには十分だった。
「これが俺の能力だ」
「カードを通して、ある力をほかの人間へ渡すことができる」
ティアは呆然と、そのカードを見つめた。
ティルも黙り込んでいる。
姉妹は何かを言おうとしていた。
しかし言葉が口元まで出かかったところで、二人とも同時に止まった。
部屋の灯りが静かに揺れている。
ティアは顔を伏せ、無意識に服の裾を握り締めた。
ティルは変わらずアーガを見つめていたが、その眼差しも複雑なものへ変わっていた。
この瞬間、二人の心の中で何かが確かに動いた。
アーガも姉妹の変化に気づいていた。
しかし、答えを急かすことはしなかった。
ただ指の間に浮かんでいたカードをしまう。
「まずはリナを助ける」
ティルは少し黙ったあと、静かに頷いた。
ティアも続いて頷く。
窓の外には、今も深い夜の闇が広がっていた。
彼らが実際に行動を始める夜明け前までは、まだ少し時間が残されていた。




