第205話 鉱夫
夕暮れ時、アーガは再び一人で山を登っていた。
今回は人目につかない山道を迂回するのではなく、第四城区へ続く通常の道を進んでいる。
山道には、大勢の人間が追い立てられるようにして歩いていた。道具を背負った鉱夫もいれば、『血祭』の構成員に連行されている労働者もいる。その中には、新しく雇われたばかりらしい余所者も数人混ざっていた。
アーガは彼らの列へ紛れ込み、顔を伏せたまま、できるだけ目立たないように歩いた。
鉱山の入り口へ到着すると、数人の『血祭』の構成員が一行を呼び止めた。
「新入りか?」
一人がアーガへ視線を向ける。
「お前もか?」
アーガは頷き、わざと声を低くした。
「仕事を探している」
男は疑うような目で、アーガの身体を上から下まで眺めた。
「その身体で?」
隣にいた別の男が鼻で笑う。
「弱そうだな。鉱山は、お坊ちゃんが遊ぶ場所じゃないぞ」
アーガは顔を伏せたまま、何も言い返さなかった。
男が片手を伸ばし、アーガの肩を乱暴に押す。
「お前には何ができる?」
アーガはそばに積まれていた、鉱石を満載した荷車へ目を向けた。
「鉱石の運搬、選別、仕分け。何でもできる」
『血祭』の構成員が片方の眉を上げる。
「選鉱ができるのか?」
アーガは頷いた。
男は僅かに興味を持ったらしい。
「なら、試してみろ」
すぐそばに積まれている、坑道から運び出されたばかりの粗鉱を指差した。
「この中から、使える魔晶鉱石を選び出せ。間違えたら、そのまま山を下りろ」
アーガは鉱石の山へ近づき、その場へしゃがみ込んだ。
積み重なった石を手で退けていくと、指先はすぐに淡い魔力を放つ鉱石へ触れた。
しかし、すぐには取り出さない。
まず粗鉱を色と表面の模様によって分け、それから数個の石を指先で軽く叩いた。返ってくる音を聞き、内部の構造を判断していく。
周囲の鉱夫たちも、いつしかアーガの手元へ目を向けていた。
『血祭』の構成員は、初めこそ彼が失敗するところを見物するつもりだった。
しかし、しばらくすると表情が変わった。
アーガの動きは速かった。
大量の粗鉱の中から、魔晶石の含有率が高い鉱石を次々と選び出していく。その一方で、見た目だけは綺麗でも実際には価値のない石を、迷うことなく脇へ投げ捨てた。
最後には、色こそ灰色にくすんでいるものの、明らかに強い魔力を宿した小さな鉱石まで見つけ出した。
『血祭』の構成員はそれを拾い、確かめるように眺めた。
その目が僅かに輝く。
「これまで見つけられるのか?」
アーガは顔を上げ、少し緊張しているような表情を作った。
「以前にもやっていた」
男は数秒間アーガを見つめたあと、突然笑った。
「なかなかやるじゃないか」
「少しは才能があるらしい」
アーガも小さく笑い、安心したような顔を見せる。
「ここで働いてもいいか?」
『血祭』の構成員は鉱石を箱へ放り込み、片手を振った。
「残っていい」
「今夜は第三採鉱班と一緒に働け」
「怠けるなよ。それと、勝手に歩き回るな」
アーガは素直に頭を下げた。
「分かった」
鉱夫たちの列に加わり、鉱山の奥へ歩いていく。
その顔には、最後まで従順そうな表情が浮かんでいた。
しかし心の中では、静かに息を吐いていた。
何しろアーガは以前、赤骸城でも鉱夫として働いていたことがある。
◇ ◇ ◇
同じ頃。
塔の中でリナがゆっくりと目を開いたとき、最初に感じたのは首筋から伝わる鋭い痛みだった。
意識はまだ朦朧としており、視界もはっきりしない。
しばらくしてようやく、自分が冷たい石の寝台へ横たわっていることに気づいた。
両手首と両足首には、魔導拘束具が嵌められている。
拘束具の表面には、淡い灰色の紋様が浮かんでいた。
体内の力を動かそうとするたび、その紋様が光を放ち、目に見えない鎖のようにリナの魔力を押さえ込む。
リナは唇を噛み、身体を起こそうとした。
しかし、身体にはほとんど力が残っていなかった。
自分の腕へ目を向ける。
細長い管が取りつけられており、そこを通った血液が、隣に置かれた透明な容器へゆっくりと流れ込んでいた。
血を抜かれている。
リナの顔色が僅かに青ざめた。
捕らえられているのは、彼女だけではなかった。
薄暗い部屋には、十数台の石の寝台が並べられている。
そのすべてに、拘束された人間が横たわっていた。
意識を失っている者もいれば、まだ目を開けている者もいる。
しかし、抵抗するだけの力が残っている者はほとんどいなかった。
部屋の中には、薄い血の臭いが漂っている。
リナの指先に僅かに力が入った。
「アーガ様……」
蔓を生み出そうと、体内の魔力を動かす。
しかし魔力が集まり始めた瞬間、手首の魔導拘束具が強い光を放った。
次の瞬間、集めた力が無理やり体内へ押し戻される。
胸の奥が詰まり、額から一気に冷たい汗が滲み出した。
「駄目……」
小さな声が漏れる。
この部屋を見張っている者たちは、それほど強くない。
少なくともリナが感じ取れる限り、数人いる『血祭』の構成員から恐ろしいほどの気配は感じられなかった。
この魔導拘束具さえなければ、全員を倒して逃げる機会は十分にある。
リナは改めて周囲を見回した。
塔の窓は灰色で、外から入ってくる光はごく僅かだった。
壁も想像していたほど頑丈には見えない。
特に上層に近い部分には、石の継ぎ目へ粗雑な跡がいくつも残っていた。
この塔が急いで建てられたことは、リナにも分かった。
底部の基礎を除けば、それほど強固な造りではない。
力さえ取り戻すことができれば、壁を破り、脱出する機会を作れるかもしれなかった。
しかし、今はまだ動けない。
リナは一度目を閉じ、無理やり自分を落ち着かせた。
考えもなく行動すれば、見張りの警戒を強めるだけだ。
この部屋で血を抜かれている、ほかの人々まで巻き込む可能性もある。
機会を待たなければならない。
少なくとも塔の巡回規則と、この魔導拘束具の弱点を突き止める必要があった。
リナは再び目を開いた。
薄暗い天井を見つめながら、静かに歯を食いしばる。
◇ ◇ ◇
その後の二日間、アーガは第四城区の鉱山で働き続けた。
現在の彼は、新しく入ってきた鉱夫だった。
十五歳前後に見える、決して身体の大きくない少年。
しかし働かせてみれば、意外なほど役に立つ。
最初のうち、『血祭』の者たちはアーガを疑っていた。
鉱山での仕事は決して楽ではない。
鉱石の運搬、選別、荷車での輸送、廃石の処理。
どれも体力だけでなく、経験を必要とする作業だった。
新しく連れてこられた労働者の中には、初日だけで立てなくなる者も多い。
鉱石と廃石の区別すらつかず、『血祭』の者たちに鞭で半死半生になるまで打たれる者さえいた。
しかしアーガは違った。
目立たず、口数も少なく、仕事が速い。
何より鉱石について詳しかった。
ほかの者が長い時間をかけて探す魔晶鉱石も、アーガは手で触れ、模様を見て、軽く叩いた音を聞くだけで、おおよその価値を判断できた。
初日は、少し使える新人だと思われているだけだった。
二日目になると、鉱夫たちを監視している『血祭』の構成員まで彼へ注目し始めた。
「そこの新入り」
赤黒い服を着た男が鉱石の山のそばに立ち、目を細めてアーガを見ていた。
「お前、本当に以前も鉱夫をしていたのか?」
アーガは顔を伏せたまま、籠に入った砕石を選鉱台へ流し込んだ。
「少しの間だけ」
「どれくらいだ?」
「三年くらい」
男の顔に、僅かに納得したような色が浮かんだ。
「なるほどな」
アーガはそれ以上説明しなかった。
無口で従順な人間を演じている方が、相手も余計な疑いを持たない。
この二日間、アーガは鉱石を運ぶ機会を利用し、例の塔へ何度か入っていた。
しかし、入れるのは一階までだった。
塔の一階は、鉱石の一時保管と選別を行う場所へ改造されている。
内部には粗雑な木製の棚や、石造りの箱が大量に並べられていた。
鉱夫たちは鉱石を運び込むと、すぐに外へ追い出される。
上の階へ進む機会など、まったくなかった。
階段の前には『血祭』の構成員が立っている。
そこから先は、普通の鉱夫が入れる場所ではない。
アーガは荷車を押して塔へ入るたび、できるだけ顔を上げず、周囲を見回さないようにしていた。
しかし感知だけは、密かに広げ続けている。
一階には『血祭』の人間がいる。
二階より上には、さらに様々な気配が混ざり合っていた。
血の臭い。
そして魔導器によって押さえつけられたような、重く沈んだ魔力の波動。
おそらく、リナはあの中にいる。
だが、何階に捕らえられているのかまでは分からなかった。
この二日間でアーガは、一階の出入り口、見張りの交代時刻、鉱車が出入りする経路をすべて記憶していた。
しかし、まだ足りない。
リナがいる正確な場所を突き止めなければならない。
分からないまま行動すれば、自分まで捕まるだけだった。
二日目の午後。
坑道の奥に溜まった空気は蒸し暑く、呼吸をするだけで胸が重くなった。
アーガは数人の鉱夫と一緒に、第三坑道で砕けた岩を片づけていた。
頭上に吊るされた鉱山灯が不安定に揺れ、時折石壁から細かな灰が落ちてくる。
一人の老鉱夫が額の汗を拭い、小声で悪態をついた。
「今日の岩盤は硬すぎる。午後まで掘っているのに、ろくな物が出てこない」
隣にいた男も同意する。
「出るわけがないだろ。価値のある鉱石が、そう簡単に見つかるものか」
アーガは何も言わなかった。
そろそろ頃合いだと考え、目を閉じる。
体内にある魔晶石の流れへ意識を集中させると、やはり近くから反応が返ってきた。
アーガは誰にも気づかれないよう、僅かに口元を緩めた。
朝から目をつけていた場所だった。
周囲に怪しまれないよう少しずつ掘り進め、午後になるまで待っていた。
アーガが鉱石用のつるはしを振り下ろす。
やがて岩盤に細い亀裂が走った。
その隙間から、淡い深青色の光が漏れ出す。
アーガの手が僅かに止まった。
先ほどまで不満を漏らしていた老鉱夫も、視界の端にその光を捉えた瞬間、身体を硬直させた。
「待て……」
慌ててアーガのそばへ寄ってくる。
「この光は……」
アーガは動揺を見せなかった。
つるはしを使い、周囲の岩盤を慎重に削っていく。
間もなく、拳より少し小さな魔晶石が岩壁の中から姿を現した。
その色は深く、暗い。
しかし内部には極めて純粋な魔力が流れており、閉じ込められた星の光のように静かに輝いていた。
坑道の中が、一瞬で静まり返った。




