第203話 血祭の四鬼
アーガがティルの家へ戻った頃には、すでに深夜近くになっていた。
扉を開けた瞬間、部屋にいた者たちがほとんど同時に顔を上げる。
「アーガ様!」
真っ先に立ち上がったのはアイラだった。
イータもすぐにアーガへ目を向ける。
「リナは?」
アーガは答えなかった。
扉の前に立つ彼の服は夜風に吹かれ、ひどく乱れていた。肩や腕には治療されていない傷が残っている。
どれも致命傷ではなかったが、乾いた血が服にこびりつき、出ていったときよりも遥かに痛々しい姿になっていた。
ティアはアーガの身体についた血を見て、顔色を変える。
「怪我をしたの?」
アーガはそれにも答えず、後ろ手で扉を閉めると、一歩ずつ部屋の中へ入ってきた。
薄暗い灯りがアーガの身体を照らす。
全員の視線が、その動きに合わせて移動した。
アイラの顔に浮かんでいた心配が、少しずつ不安へ変わっていく。
「アーガ様、リナは?」
もう一度尋ねられても、アーガは何も言わなかった。
机のそばまで歩き、片手を机についたまま長い間黙り込む。
次の瞬間、突然拳を握り締め、机へ強く叩きつけた。
ドンッ!
机の上に置かれていた灯りが激しく揺れる。
「くそ……」
押し殺した声は、はっきりと震えていた。
「俺のせいだ」
アイラは呆然と立ち尽くした。
イータもその場から動かない。
アーガは歯を食いしばり、悔しさに満ちた目で机を見つめた。
「宿へ戻ったとき、リナはまだ二階にいた」
「俺を見つけて、ずっとそこで待っていたんだ」
そこまで話したところで、アーガの声が途切れた。
窓辺に立ち、自分へ手を振っていたリナの姿が、再び脳裏へ浮かぶ。
あのときは、まだ何事もなかった。
「宿の下で吸血鬼に出くわして、戦いになった。リナは俺を援護するため、二階から飛び降りてきた」
アイラの顔から、一気に血の気が引いた。
「吸血鬼?」
「何人ですか?」
イータが低い声で尋ねた。
アーガはしばらく黙ったあと、ゆっくりと答える。
「最後には、四人いた」
部屋の中が一瞬で静まり返った。
ティアとティルの表情も変わる。
「勝てなかった」
アーガは俯いた。
「全員が戍佐級だった。リナは俺を逃がすため、残っていた最後の力で奴らを食い止めた」
指先が少しずつ強く握り込まれていく。
「吸血鬼に噛まれた」
「そのまま……連れ去られた」
アイラは勢いよく手を握り締めた。
イータの瞳孔も僅かに縮まる。
ティアは口元を手で覆い、顔を青ざめさせた。
ティルは何も言わなかった。ただアーガを見つめる眼差しが、重く沈んでいた。
「最初から、リナを宿の外へ連れ出していればよかったんだ」
アーガは再び机へ拳を叩きつける。
「くそっ!」
「アーガ様、違います」
アイラはすぐにアーガのそばへ歩み寄った。
その声も僅かに震えている。
アーガは顔を上げなかった。
「アーガ様が戻ったのは、リナが心配だったからでしょう?」
アイラは必死に言葉を続ける。
「私たちが無事だと伝えたかっただけです。リナを一人で宿に残して、ずっと心配させたくなかったから……」
「アーガ様のせいではありません」
イータも真剣な表情で言った。
「敵の数が多すぎました。それに、相手は吸血鬼です」
ティアも小さな声で続ける。
「あなたが戻らなかったら、リナはきっとずっと待っていたと思う。あの人はあなたをとても大切にしているから、皆の無事が分からなければ、もっと心配していたはずよ」
ティルはアーガを見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「あなたが彼女を危険な場所へ追いやったわけではない」
「危険は最初から、この街の中にあったのよ」
アーガは依然として黙っていた。
皆の言っていることは理解できる。
だが理解することと、それを心から受け入れることは別だった。
以前、暮星城の地下道でも、リナは殿を務めるために残り、一度敵に捕らえられている。
そして今回も、敵の手に残されたのはリナだった。
アーガは目を閉じた。
胸の上に、巨大な石を載せられているように感じる。
そのとき、ティアが何かに気づいたように顔色をさらに悪くした。
「今、四人の吸血鬼が現れたと言ったわよね?」
アーガは目を開き、ティアを見る。
「ああ」
「四人とも、魔力は同じくらいだった?」
アーガは頷いた。
ティアは続けて尋ねる。
「その中に、不意打ちを得意とする者もいた?」
アーガの目つきが僅かに変わった。
「奴らを知っているのか?」
ティアの表情が完全に沈んだ。
「四人で行動していたのなら、おそらく彼らよ」
ティルがティアに代わって答える。
ティアは四つの名前を静かに口にした。
「ホワイト、グルン、セル、ライド」
部屋の空気が、さらに重くなる。
「全員が吸血鬼の女王に仕える側近よ。実力も高く、非常に危険な存在なの」
「どんな能力を持っているんですか?」
イータが尋ねた。
「血の魔法よ」
ティアは答えた。
「使い方の自由度が非常に高い魔法。ただ幸いなことに、彼らはまだその力を十分に使いこなせてはいないわ」
「血の魔法……」
アイラは眉をひそめた。
「街の人たちは陰で、彼らを『血祭の四鬼』と呼んでいる」
ティアは深く息を吸った。
「ライド以外の三人は戍佐級下位。ライドはさらに強く、すでに戍佐級中位へ達しているわ」
「血祭の四鬼……」
アイラは小さな声で繰り返した。
アーガは突然机から離れると、そのまま仰向けに床へ倒れ込んだ。
ドン、と重い音が響く。
木の床に横たわり、薄暗い天井を見つめながらも、その歯は強く食いしばられたままだった。
「リナはどこへ連れていかれる?」
ティアはそんなアーガの姿を見て、胸が苦しくなるのを感じた。
「第四城区よ」
アーガが顔を横へ向ける。
「第四城区?」
「ええ。山の上にある第四城区」
ティアが頷いた。
アーガはゆっくりと上体を起こす。
「鉱脈の近くか?」
「そうよ」
ティルが答えた。
「元々、第四城区は鉱脈を採掘しやすくするために造られた場所なの。鉱山に近くて道も険しいから、暮らしていたのは主に鉱夫や鉱山の護衛、それに魔晶石の運搬に携わる人たちだった」
一度言葉を止める。
「吸血鬼が嵐湾城へ現れてからは、第四城区に自分たちの根城を築いたわ」
「今では普通の人が上へ行くことも、ほとんどなくなったの」
ティアが補足する。
「昼間でさえ、あそこへ近づこうとする人はほとんどいない。今の第四城区は、もう昔の鉱山街ではないわ」
アーガは机の上で揺れ続ける灯火を見つめ、ふと低い声で呟いた。
「この街が、ここまで変わっていたなんてな」
アーガは子供の頃、本で嵐湾城について読んだことがあった。
本の中に描かれていた嵐湾城は、湖と鉱脈によって発展した、美しく繁栄した街だった。
第一城区は商いで栄え、第二城区は静かで暮らしやすく、第三城区には多くの旅人が行き交い、第四城区には鉱山灯が連なっている。
特に夜になると、二つの湖が街中の灯りを映し出す。
遠くから見れば、水面に浮かぶ宝石のように見えると書かれていた。
その文章は、とても美しかった。
アーガもいつか機会があれば、自分の目で見てみたいと思ったことがある。
だが実際に訪れた彼が目にしたのは、昼間だけどうにか繁栄を保ち、夜になれば完全な死の静寂へ沈む街だった。
「子供の頃に本で見た姿とは、まるで違う」
しばらくして、アーガは顔を上げてティルを見た。
「連れていってくれないか?」
ティアは僅かに目を見開く。
「第四城区へ?」
「ああ」
アーガは床から立ち上がった。
「まずは道を知っておきたい」
ティアは眉を寄せる。
「夜に行くのは、少し……」
その先を口にすることはなかった。
しかし、その場にいる全員が意味を理解していた。
夜の嵐湾城は、山の下でさえこれほど危険なのだ。
吸血鬼が根城としている第四城区なら、なおさらだった。
今も『血祭』の構成員たちが通りを巡回している。
血祭の四鬼も、つい先ほど姿を現したばかりだ。
この状況で山へ向かうことは、死にに行くのとほとんど変わらない。
ティアの表情を見て、アーガも自分が焦りすぎていたことに気づいた。
しばらく黙ったあと、低い声で言う。
「すまない」
ティアは首を振った。
「気持ちは分かるわ」
アーガは再び腰を下ろす。
「なら、明日だ」
その声は低かったが、強い決意が込められていた。
「明日、第四城区へ続く道を見せてくれ」
ティルは長い間アーガを見つめていた。
やがて、静かに頷く。
「昼間なら、旧鉱道の近くを迂回して行けるわ。危険がないわけではないけれど、少なくとも夜よりは安全よ」
「ああ」
アーガは小さく頷いた。
「今夜はここまでにする」
そう口にしたときも、アーガの顔色は依然として悪かった。
それでも、すぐに外へ飛び出そうとはしなくなった。
アイラもようやく、僅かに息を吐く。
アーガが今、誰よりも強くリナを助けに行きたいと思っていることは分かっていた。
だからこそ、すべてを顧みず、一人で第四城区へ乗り込んでしまうのではないかと心配だった。
「アーガ様、リナは今すぐ危険な目に遭うことはないと思います」
アイラはアーガのそばまで歩き、小さな声で言った。
アーガが顔を上げる。
アイラは唇を噛んだあと、続けた。
「本当にリナの血だけが目的なら、すぐに傷つけることはないはずです。あの吸血鬼も言っていたでしょう? リナの血はとても純粋で、貴重だって」
そう話すアイラ自身も、胸が張り裂けそうなほど苦しかった。
連れ去られたことと、すぐには殺されないことは、まったく別の話だ。
それでも今は、この理由でアーガを落ち着かせるしかなかった。
隣にいたイータも頷く。
アーガはすぐには答えなかった。
二人が自分を慰めようとしているだけだと分かっている。
だが同時に、それが今の自分たちに残された唯一の希望であることも事実だった。
「分かった」
それ以上、誰も口を開かなかった。
ティアは三人が一時的に休める部屋を用意した。
決して広くはなく、設備も整っていなかったが、少なくとも安全ではあった。
窓は分厚い布で覆われ、扉の後ろには太い横木も渡されている。外を誰かが通りかかっても、中に人が隠れているとは気づきにくい。
アイラとイータは部屋の隅に座っていたが、二人とも眠る気にはなれなかった。
ティアはティルと小声で明日のことを話し合い、どうすれば通りにいる『血祭』の構成員たちを避けられるか考えているようだった。
その夜も、嵐湾城は変わらず静まり返っていた。




