第198話 血祭組織
夜の帳が嵐湾城を完全に覆っていた。
昼間は大勢の人々で賑わっていた通りも、今では薄暗い街灯に照らされているだけだった。店はすでに扉を閉ざし、家々の窓も固く閉められている。
時折窓の隙間から淡い黄色の明かりが漏れていたが、家の中から話し声が聞こえてくることはなかった。
アーガは一人で、街の通りや路地を歩き回っていた。
「アイラ!」
「イータ!」
その声は人のいない通りへ響き、すぐに夜の闇へ呑み込まれていく。
返事はなかった。
アーガはすでに宿の周辺にある通りをいくつも捜し、何軒かの家では扉越しに二人のことを尋ねていた。
しかし大半の住民は扉を開けようともしない。
僅かに返事をする者がいても、扉の向こうから「知らない」と慌ただしく答えるだけで、その後は何を聞いても沈黙したままだった。
アイラとイータを見た者はいない。
そして夜の街で、見知らぬ人間と長く話そうとする者もいなかった。
アーガは通りの中央へ立ち止まり、誰もいない街を見渡した。
眉間の皺が次第に深くなる。
「この街は、一体何を隠しているんだ?」
それ以上に奇妙なのは、住民全員が何かを避けているように見えることだった。
空が暗くなった途端、人々は慌てて家へ戻り、事情を尋ねられても一言さえ多く話そうとしない。
アーガは細い路地の前で足を止め、奥をしばらく見つめた。
路地の中には明かりがなく、濃い闇だけが広がっている。
「一体何が起きている……本当に吸血鬼なのか?」
答える者はいない。
アーガはすぐに視線を戻し、再び二人を捜して歩き始めた。
その足が止まることはなかった。
◇ ◇ ◇
その頃、アイラとイータはようやく第二城区へ戻ってきたところだった。
二人は第一城区で楽しい時間を過ごしていたため、最初のうちは通りの変化をそれほど気にしていなかった。
ただ、少し妙だとは感じていた。
先ほどまで賑わっていた通りが、どうして少しずつ静かになっているのか。
なぜ店が一軒、また一軒と扉を閉めていくのか。
太陽が完全に沈み、空に残っていた最後の光まで消えたとき、二人はようやく本当の異変へ気づいた。
アイラは店を閉めようとしている老人を見つけ、すぐに近づいた。
「少しよろしいですか?」
老人の手が止まる。
「何だ?」
「どうして皆、もう帰っているんですか?」
アイラは周囲を見回した。
「まだ、それほど遅い時間ではありませんよね?」
老人は顔を上げ、二人を見た。
地元の人間ではないと気づいた瞬間、その顔色が明らかに変わる。
「お前たち、まだ外にいたのか?」
アイラは目を瞬かせた。
「え?」
「早く帰れ」
老人は声を潜めた。
「夜の通りには残るな」
「どうしてですか?」
イータが尋ねた。
しかし老人は答えず、強く首を振るだけだった。
「いいから、早く行け」
そう言い残すと老人は急いで店の扉を閉め、窓際の明かりまで消してしまった。
アイラとイータは閉ざされた扉の前に立ち、互いの顔を見た。
「変ね」
「はい」
アイラは完全に暗くなった空を見上げる。
「ひとまず宿へ戻って、アーガ様を捜しましょう」
二人はそれ以上留まらず、橋を通って第二城区へ戻り始めた。
しかし宿へ近づくほど、周囲の様子はますます異常なものへ変わっていく。
通りを歩く人の姿が、急速に減っていた。
最初は急ぎ足で家へ向かう者を何人か見かけたが、やがてその姿さえ完全に消えてしまう。
昼間は無数の音に満ちていた通りに、今は二人の足音しか響いていなかった。
ぱた。
ぱた。
靴底が石畳を踏む音が、異様なほどはっきりと聞こえる。
アイラはゆっくりと足を止め、周囲を見回した。
「ここ……」
その先を口にすることはなかった。
だがイータには、アイラが何を言おうとしたのか分かっていた。
静かすぎる。
人の話し声はない。
店を閉める音もない。
近くの家々からさえ、物音一つ聞こえてこなかった。
空気の中には言葉で説明できない冷たさが混じり、本能的な不快感を与えてくる。
アイラは剣の柄を握った。
表情に大きな変化はないが、警戒はすでに最大まで高まっている。
「少し急ぎましょう」
「はい」
二人は歩調を速め、宿へ向かって進んだ。
そのとき。
背後から突然、足音が聞こえてきた。
二人は同時に足を止め、素早く振り返る。
通りの先に広がる暗闇から、二人の男がゆっくりと歩いてきていた。
二人とも同じ形の赤黒い服を身につけ、胸元には特殊な印が刺繍されている。
何らかの組織に属している者たちのようだった。
アイラは僅かに眉を寄せる。
「あなたたちは誰?」
男の一人が笑みを浮かべた。
「こんな夜に、まだ外を歩いているとはな」
「それはいけないなあ」
アイラはすぐには剣を抜かなかった。
平静な声で答える。
「私たちは宿へ戻るところです。何か誤解があるのなら、話し合いましょう」
「宿へ戻る?」
もう一人の男が笑い、一歩前へ出た。
「今になって帰ろうとしているのか?」
その顔に浮かぶ笑みが、次第に深くなっていく。
「もう遅い」
アイラの表情が冷たくなる。
「どういう意味?」
男は舌を伸ばし、自分の唇を舐めた。
「お前たちの血を置いていけ。一割で十分だ」
「俺たちが持ち帰り、吸血鬼様へ捧げてやる」
通りが突然静まり返った。
「血?」
アイラは剣の柄を強く握る。
「それは無理ね」
男は声を上げて笑った。
「やはり余所者は面倒だな。まあ、構わない。直接捕まえて連れ帰っても同じことだ」
「話し合うつもりはないみたいね」
アイラはゆっくりと長剣を引き抜いた。
次の瞬間、向かいに立つ二人が同時に攻撃を仕掛けてきた。
イータは即座に片手を上げ、氷青色の魔力を周囲へ放つ。
「氷壁!」
轟音とともに巨大な氷の壁が地面から立ち上がり、二人の前を塞いだ。
しかし次の瞬間、一つの黒い影が氷壁へ勢いよく激突する。
砰!
氷壁全体が一撃で砕け、大量の氷片が周囲へ飛び散った。
イータの瞳が僅かに細くなる。
「力が……」
男の腕が、まるで骨を持たないかのように急速に伸びた。
飛び散る氷片の間を突き抜け、そのまま二人へ襲いかかる。
「伸縮魔法?」
アイラは素早く剣を振り抜いた。
「旋風斬!」
回転する風の刃が剣先から放たれ、伸びてきた腕へ斬りかかる。
男は即座に腕を引き戻し、正面から飛んできた風刃を避けた。
「ほう?」
男はアイラを見た。
その顔に浮かぶ笑みが、さらに楽しそうなものへ変わる。
「少しはやるようだな」
もう一人の男は同時に両脚を曲げていた。
身体が圧縮されたバネのように沈んだ直後、一気に前方へ跳び出す。
その速度は瞬間的に大きく上昇していた。
「バネ魔法?」
アイラは慌てて身体を横へ動かした。
砰!
男はアイラが立っていた場所へ勢いよく着地した。
足元の石畳に、何本もの亀裂が走る。
「イータ!」
「はい!」
二人はすぐに連携を取った。
イータが両手を上げると、大量の氷晶が周囲へ急速に集まっていく。
「氷晶千針!」
無数の氷針が、二人の男へ一斉に放たれた。
一人は素早く後方へ退く。
伸縮魔法を使う男は腕を勢いよく伸ばし、道端に立てかけられていた木板を掴んだ。
そのまま自分の正面へ引き寄せる。
砰砰砰!
大量の氷針が木板へ突き刺さり、次々と砕け散った。
「悪くない」
「だが、まだ足りないな」
男は無数の穴が開いた木板を、無造作に道端へ投げ捨てた。
イータの表情が次第に険しくなる。
相手の実力は、二人が最初に想像していたものより遥かに高い。
少なくとも戍佐級には達していた。
アイラも長剣を握り直す。
青色の魔力が急速に剣身へ絡みついた。
「風の穿刺!」
鋭く尖った風の刃が、前方へ一気に突き出された。
バネ魔法を使う男は再び両脚を曲げ、身体を横方向へ弾き飛ばして攻撃を避ける。
同時に、もう一人の腕が側面から急速に伸び、アイラへ襲いかかった。
アイラは即座に身体の向きを変え、長剣を正面へ構える。
砰!
凄まじい力が剣身へ叩きつけられた。
衝撃に耐えきれず、アイラは何歩も後方へ押し戻される。
「アイラ」
イータはすぐに片手を上げた。
「凍結球!」
氷青色の球体が掌から飛び出す。
男は避けることができず、伸ばしていた腕を厚い氷霜に覆われた。
しかし次の瞬間、男は腕へ一気に力を込め、凍りついていた氷を直接砕いた。
「氷か?」
男は腕を軽く動かし、馬鹿にするような声を出した。
「大したことはないな」
アイラとイータは何も答えなかった。
目の前にいる二人が、簡単に倒せるような普通の敵ではないことを、すでにはっきりと理解していた。
人の消えた通りに、風の音だけが響く。
赤黒い服を身につけた二人の男が、一歩ずつ距離を詰めてきた。
「安心しろ。あまり苦しませるつもりはない」
「吸血鬼様も、お前たちの血をきっと気に入る」
アイラは長剣を強く握った。
イータの周囲にも、再び大量の氷晶が集まり始める。
二人の目つきが鋭く変わった。
大人しく捕まるつもりなど、最初からなかった。




