第19話 王都の一面記事
アーガは新聞を脇へ置いた。
「貴族同士の付き合いって、本当に面倒だな……」
「アーガさん?」
看護師の声で、思考が中断された。
「何ですか?」
「先ほどお伝えしたでしょう? グルバート家の方が、すでに学院へ連絡してきています」
看護師は、アーガ本人よりも興奮しているようだった。
「あなたを取材したいそうです」
「僕を?」
「一昨日の事件だけではありません。入学試験での成績についても、すでにご存じです」
看護師は、新聞の後ろの紙面を指さした。
「あなたは赤の試験会場で七枚のカードしか使っていないのに、魔法部門の首席になりました」
「その後、新聞社が調査したところ、盗賊に誘拐されている間にも、ほかの色の基礎カードを使っていたことが分かったそうです」
「つまり、試験では本当の実力をすべて見せていなかったのではないかと考えているんです」
アーガは眉をひそめた。
「そんなことまで調べたんですか?」
「だって、ニュースですから」
看護師は当然のように答えた。
「身体が回復したら、グルバート家の訓練場で本格的な能力試験を受けてほしいそうです」
「あなたが、実際には何枚の基礎カードを使えるのか確かめたいんですよ」
「そこまでする必要がありますか?」
「もちろんです」
看護師は少し声を落とした。
「グルバート新聞社は、あなたを『この五年間で最も有望な魔法系新入生』として紹介するつもりらしいです」
「この五年間で最も有望……?」
アーガはその言葉を繰り返した。
「何を基準に決めるんですか?」
「五年前の魔法部門首席は、十四枚の基礎カードを自在に扱えたそうです」
看護師が説明する。
「そのうち十枚は、試験で『熟達』の評価を得ていました」
「もし、その記録を上回ることができれば、王都中で大騒ぎになるでしょうね」
アーガはしばらく黙り込んだ。
現在、発動できる基礎カードは十二枚。
しかし、本当に使い慣れていると呼べるものは、せいぜい九枚ほどだった。
「その人を超えるのは、簡単じゃなさそうですね」
「とりあえず、会って話を聞いてみればいいじゃないですか」
看護師は笑った。
「グルバート家の方は、三十分後にいらっしゃいます」
「そんなに早く?」
「あの新聞社は、仕事が早いことで有名ですから」
アーガは少し考え、最後にはうなずいた。
「では、ひとまず会ってみます」
看護師は病室を出る直前、振り返ってアーガへ片目をつぶった。
「頑張ってください。私も、あなたが本当にこの五年間で最強の新入生なのか、気になりますから」
扉が閉じられ、病室は再び静かになった。
アーガはベッドの背もたれへ寄りかかり、魔晶石の入った木箱を無意識に指先で叩いた。
窓から差し込む陽射しが、白いシーツの上に明るい光を作っている。
(グルバート家か……)
きっかり三十分後、扉を叩く音が響いた。
「どうぞ」
扉が開き、三人の男女が順番に入ってきた。
先頭に立つのは、三十歳ほどの男だった。
仕立てのよい濃紺の礼服をまとい、鼻には金縁の眼鏡をかけている。
顔に浮かべた笑みには、非の打ち所がなかった。
その後ろには、仕事のできそうな女性の助手が続いている。
手には記録帳と、小型の魔法撮影装置を持っていた。
最後に入ってきたのは、背の高い男だった。
何も話さず扉のそばへ立った様子から見て、彼らを護衛するための人物なのだろう。
「アーガ・ラインハルト殿」
先頭の男は病床の前で立ち止まり、軽く一礼した。
「グルバート新聞社で編集主任を務めております、ロイス・グルバートと申します」
「初めまして」
アーガは少し姿勢を正した。
ロイスは病床のそばにある椅子へ腰を下ろした。
「看護師の方から、すでに我々の希望は伝えられていると思います」
「取材と能力試験を、お引き受けいただけますか?」
「取材は構いません」
アーガは答えた。
「ただ、先に言っておきます。今の僕が発動できる基礎カードは十二枚だけです」
「そのうち、使い慣れていると言えるのは九枚くらいです。五年前の首席だった方には、まだ遠く及びません」
ロイスは落胆するどころか、笑みを深めた。
「問題ありません」
「アーガ殿にご協力いただけるのであれば、残りのことは我々へお任せください」
「任せる?」
アーガはわずかに眉を上げた。
ロイスは助手から一本のガラス瓶を受け取った。
瓶の中には鮮やかな緑色の液体が入っている。
液体の中では、細かな金色の光がいくつも漂っていた。
栓が閉じられているにもかかわらず、濃密な生命の魔力を感じ取ることができる。
「まだ傷が完全には治っていないと伺いました」
ロイスは瓶を枕元へ置いた。
「上級回復薬です。まずは、我々からのご挨拶の品としてお受け取りください」
アーガは瓶を手に取り、中身を観察した。
この等級の回復薬は、非常に高価だ。
セント・ローランであっても、一般人が気軽に購入できるものではない。
「取材をするだけで、こんな高価な薬を?」
「もちろん、取材だけが目的ではありません」
ロイスは金の装飾が施された名刺を取り出し、薬瓶の隣へ置いた。
「傷が治りましたら、こちらの住所までお越しください」
女性の助手も、持ってきた包みを開いた。
中に入っていたのは、一着の黒い衣装だった。
見た目だけなら、ごく普通の服に見える。
しかし、布地の内側には明確な魔力の流れがあり、一般的な衣服でないことはすぐに分かった。
ロイスはアーガへ一度だけ見せると、すぐに衣装を包み直させた。
「新聞社へいらした際には、こちらの衣装をお使いいただきます」
アーガは思わず笑った。
「薬だけ受け取って、僕が来なくなるのを心配しているんですか?」
「そのように受け取っていただいても構いません」
ロイスは悪びれることなく立ち上がった。
「薬は、今すぐ服用していただけます」
「医師から伺った傷の状態であれば、回復までの期間を一日か二日ほどに短縮できるはずです」
改めて一礼する。
「アーガ殿がお越しになるのを、楽しみにしております」
グルバート家の一行は、それ以上長居することなく病室を出ていった。
アーガは薬瓶を手にしたまま、長い間それを眺めていた。
紅薔薇盗賊団との事件。
学院の入学試験。
リサとの決闘。
そして今度は、自分を利用して大きな記事を作ろうとしている新聞社まで現れた。
この世界へ来てから、出来事の方が休む間もなく押し寄せてくる。
アーガは瓶の栓を抜いた。
濃密な生命の気配が、瞬く間に病室全体へ広がる。
それだけで、折れた肋骨の周辺に残る痛みが、わずかに和らいだような気がした。
瓶を口元へ運び、一気に薬を飲み干す。
冷たい液体が喉を通った。
直後、それは温かな力へ変わり、身体の隅々へ広がっていく。
折れた肋骨の周囲に、細かな痒みが生じた。
身体に残っていた打撲や傷口も、薬の魔力によって急速に修復されていく。
薬の効果が落ち着いた頃には、アーガの額に薄く汗が浮かんでいた。
試しに腕を動かしてみる。
これまでは少し身体を動かすだけでも激痛が走っていたが、今では軽い違和感が残る程度だった。
「上級回復薬って、本当にすごいな」
アーガは再びベッドへ横になり、天井を眺めた。
「これから、もっと忙しくなりそうだ」
◇ ◇ ◇
二日後。
アーガは華やかな装飾が施された建物の前に立ち、手にした名刺の住所をもう一度確認していた。
この二日間、新聞に掲載された記事の影響は、予想をはるかに上回っていた。
セント・ローランの街を歩いているだけで、何度も人から顔を知られてしまう。
「あの新聞に載っていた子供だ」と指をさす者もいた。
魔法撮影装置を持ち出し、一緒に写真を撮ってほしいと頼んでくる者までいる。
数人の熱心な市民からようやく解放され、グルバート新聞社へたどり着いた頃には、笑顔を作り続けていたアーガの頬はすっかり強張っていた。
正面の扉を押し開ける。
明るく広い玄関ホールでは、大勢の職員が慌ただしく動き回っていた。
完成したばかりの新聞の紙面を抱えて走る者。
魔法通信器に向かい、情報の確認をしている者。
大きな机を囲み、激しい口調で議論している記者たちの姿もある。
アーガは受付へ向かい、ロイスから受け取った名刺を差し出した。
「ロイスさんと約束しています」
受付の職員は、名刺に刻まれた魔法印を確認すると、すぐに立ち上がった。
「少々お待ちください」
彼女は足早に奥の部屋へ入っていった。
その頃、ロイスは編集室で、翌日の一面記事を確認していた。
受付からの報告を聞くと、手にしていた原稿を机へ置く。
「来ると思っていましたよ」
ロイスは襟元を整え、二人の助手へ声をかけた。
「第四応接室へ向かいましょう」




