第18話 騎士団長からの詫び
「おはようございます、アーガ・ラインハルト殿」
騎士はアーガから数歩離れた場所で足を止めた。
右手を胸へ当て、正式な騎士の礼を取る。
アーガは一瞬戸惑ったものの、反射的に同じように礼を返した。
「おはようございます。失礼ですが、あなたは……」
「ベルマン騎士団長の部下です」
騎士の口調は、穏やかで丁寧だった。
後ろにいた二人の護衛も十数歩離れたところで立ち止まり、それ以上近づこうとはしない。
「昨日の件については、すでに騎士団長閣下の耳にも入っております」
(ベルマン家の人間……?)
アーガの身体がわずかに強張った。
本能的に半歩後ろへ下がる。
その警戒に気づいた騎士は、すぐに説明を加えた。
「どうかご安心ください。私たちは責任を追及するために来たのではありません」
「むしろ、決闘を申し込んだのはリサお嬢様です。さらに我を失い、重傷を負わせかねないカードまで使用されました」
「騎士団長閣下は、この一件によってアーガ殿とラインハルト家へ、不要なご迷惑をおかけしたと考えております」
騎士は改めて頭を下げた。
「そのため、ベルマン家を代表し、私からお詫びを申し上げます」
アーガは何度か目を瞬いた。
てっきり、リサのことで責任を問いに来たのだと思っていた。
相手の方から謝罪されるとは予想しておらず、かえってどう答えればいいのか分からない。
「ええと……座って話しますか?」
アーガは医務室の外にある長椅子を指さした。
騎士はうなずき、アーガと並んで腰を下ろす。
二人の護衛は少し離れた場所へ残った。
騎士を守れる範囲でありながら、アーガへ威圧感を与えない距離を保っている。
アーガはしばらく黙っていたが、やがて我慢できずに尋ねた。
「リサさんって、普段からああいう性格なんですか?」
騎士はわずかに笑った。
「なぜ、あれほど負けず嫌いなのかというご質問でしょうか?」
「まあ、そんなところです」
騎士の視線は道の向こうへ移り、遠くにある噴水へ向けられた。
「その性格には、妹君のことが関係しているのかもしれません」
「妹?」
「騎士団長閣下には、もともと二人の娘がおりました」
「リサお嬢様は長女で、幼い頃から剣術と魔法の両方に、極めて高い才能を示していました」
「彼の妹は彼女と同い年です、性格はまるで違っていました。とても物静かな子だったそうです」
騎士はそこで一度、言葉を止めた。
「ですが、三歳のときに行方不明になりました」
アーガの表情が真剣なものへ変わる。
「誘拐されたんですか?」
「今も、確かな証拠は見つかっていません」
騎士は首を横に振った。
「ですが、騎士団長の娘が理由もなく姿を消すとは考えられません」
「犯人の目的が身代金であったのか、復讐であったのか。それとも別の何かだったのかは分かりませんが、衝動的な犯行ではなかったのでしょう」
「危険が大きいほど、成功したときに得られるものも大きい。貴族の子供が誘拐されたり、連れ去られたりする事件は、これが初めてではありません」
その話を聞き、アーガは幼い頃の出来事を思い出した。
「うちでも、似たような事件があったらしいです」
「僕も生まれて間もない頃、盗賊に連れ去られそうになったと聞いています」
騎士はアーガを一度見たが、詳しく尋ねることはなかった。
「次女が行方不明になってから、騎士団長閣下はリサお嬢様へ、以前にも増して注意を向けるようになりました」
「厳しく鍛える一方で、多くのことを許しすぎてしまったのです」
「それで、今の性格になったんですか?」
「そうとも言えるでしょう」
騎士は困ったような笑みを見せた。
「ですが、リサお嬢様は本当に横暴で、道理を理解できない方ではありません」
「ただ、何事も実力で証明することに慣れており、同年代の者に負けることを受け入れられないのです」
「昨日の件については、騎士団長閣下から厳しく叱責されております」
アーガは軽く手を振った。
「もういいですよ。命に関わる怪我ではありませんでしたし」
しかし、騎士の表情は真剣なものへ変わった。
「どうか、この件を軽く扱わないでください」
「アーガ殿は肋骨を二本折り、身体にも複数の傷を負っています」
「たとえ双方が合意した決闘であったとしても、我を失ったリサお嬢様には、その責任があります」
騎士は懐から、精巧な造りの木箱を取り出した。
それを両手で、アーガの前へ差し出す。
「こちらは、騎士団長閣下が用意されたお詫びの品です」
「どうかお受け取りください」
「そして今回の件が、ラインハルト家とベルマン家の関係に悪影響を及ぼさないことを願っております」
アーガは木箱を受け取った。
(お詫びというより、これ以上騒ぎを大きくしたくないんだろうな)
箱の蓋を開ける。
中には、透き通った魔晶石が二つ並べられていた。
深い色の敷布の上で、内部に極めて純度の高い魔力が流れている。
表面には、ほとんど不純物が見当たらなかった。
アーガはわずかに目を見開いた。
(上質な魔晶石……それも二つ?)
ラインハルト家は魔晶石鉱山を所有している。
そのためアーガも、この品質の魔晶石がどれほど希少なのかを知っていた。
通常の鉱脈から一年に何個見つかるかは、ほとんど運次第だ。
ラインハルト家の鉱山でも、何年続けて採掘しても、一つも発見できないことがある。
上質な魔晶石は、魔力を素早く補充できる。
さらに上級カードや魔法装備の製作、大規模術式の中核にも利用される。
箱に収められた二つは、普通のお詫びとして渡すには、あまりにも価値が高かった。
アーガは静かに蓋を閉じた。
「騎士団長閣下へ、お礼をお伝えください」
騎士は小さくうなずいた。
「承知いたしました」
「また、今後リサお嬢様が行き過ぎた行動を取られた場合は、直接我々へご連絡ください」
(また決闘を申し込まれるのを心配しているのか)
(それとも、僕が今回の件を利用してベルマン家へ付きまとうのを警戒しているのか……)
アーガは小さく笑った。
「もう、同じことはしないと思います」
騎士は立ち上がり、もう一度正式な礼を取った。
「それでは、一日も早いご回復をお祈り申し上げます」
二人の護衛も向きを変える。
三人は間もなく、学院の石畳の道を歩いて去っていった。
アーガは長椅子に座ったまま、指先で木箱を軽く叩いた。
(上質な魔晶石が二つ……)
(単に騒ぎを収めたいだけなら、一つでも十分なはずだ)
(どうして、こんなに急いでいるんだ?)
アーガが考え込んでいると、医務室の扉が突然開いた。
一人の若い看護師が新聞を手に、足早に外へ出てくる。
「アーガさん?」
アーガは顔を上げた。
「僕です」
看護師は彼の前まで来ると、新聞を差し出した。
「今日の一面を見てください」
アーガは新聞を受け取り、紙面へ目を落とした。
その表情が、一瞬で固まる。
一面には、鮮明な魔法写真が大きく掲載されていた。
写真の中で、アーガは酒蔵の壁へ寄りかかっている。
服には土埃と血がついていた。
少し離れた場所にはセシが立ち、周囲では王城衛兵たちがモルハン兄弟を連行している。
写真の上には、ひときわ大きな見出しが載っていた。
【七歳の少年、知略で盗賊の潜伏先を突き止める――ウィンスロー先生と王城護衛隊による紅薔薇盗賊団員の逮捕に貢献】
「何ですか、これ……?」
アーガは二度、三度と紙面を見返した。
それでも、すぐには信じられなかった。
看護師が笑った。
「一昨日の夜にあれだけの事件を起こしておいて、新聞に載るとは思わなかったんですか?」
「僕は誘拐されただけです」
アーガは新聞を開き、記事へ素早く目を通した。
記事は、モルハンが魔晶石を盗んだところから始まっていた。
セシが変装魔法を見破った経緯。
モルブがアーガを人質にして逃走したこと。
そしてアーガが匂いから酒蔵の存在を推測し、街道へ文字の手掛かりを残したことまで、詳しく書かれている。
記事の最後には、『危機に際しても冷静沈着』『才能と知性を兼ね備えた少年』などという言葉まで並んでいた。
読んでいるうちに、アーガの口元が引きつる。
(あのときは、本当に気絶する寸前だったんだけど……)
(どうして最初から全部計画していたみたいに書かれているんだ?)
さらに記事を読み進め、別の問題にも気づいた。
「どうして僕の名前が、セシ先生より前に出ているんですか?」
看護師は肩をすくめた。
「ウィンスロー先生は、目立つことがお好きではありませんから」
「以前も王城護衛隊の作戦へ協力していましたが、新聞社が先生を中心人物として報じることは、ほとんどありませんでした」
「それに、あなたは昨日の魔法試験で首席になったのでしょう?」
看護師は新聞の見出しを指さす。
「七歳の首席入学者が盗賊の逮捕にも関わった。その方が、すでに名の知られている学院教師よりも、一面の記事には向いています」
アーガは新聞を持ち上げ、掲載された写真を指さした。
「この写真は、誰が撮ったんですか?」
「グルバート新聞社の者でしょうね」
「グルバート?」
「セント・ローラン最大の新聞社は、グルバート家が所有しています」
看護師が説明する。
「王城護衛隊とは長い間協力関係にあり、衛兵の巡回に魔法写真師を同行させることも多いそうです」
「一昨日の夜は、あれほど大きな騒ぎになりました。近くに新聞社の人間がいても不思議ではありません」
アーガは、もう一度手元の木箱へ視線を落とした。
ベルマン家の使者が早朝から学院を訪れたのは、おそらくこの新聞を見たからだ。
もし、何の名もない小貴族の子供がリサに重傷を負わされたというだけなら、簡単に騒ぎを抑えられたかもしれない。
しかし、今のアーガは『盗賊逮捕に協力した少年』として、王都最大の新聞の一面に載っている。
アーガが公の場でリサを非難すれば、人々は今回の件を、単なる学生同士の決闘とは見ないだろう。
魔法試験で負けた王国騎士団長の娘が、七歳の少年を医務室送りにした。
そう受け取られるに違いない。
(だから、上質な魔晶石を二つも渡してきたのか)
(お詫びというより、新聞に続きを書かれる前に、僕の口を塞いでおきたいんだな)




