第186話 アイラ
アーガは使える薬草を石ですり潰し、先にアイラへ差し出した。
「足にも塗っておけ」
アーガの服は、すでに見る影もないほど破れていた。血と雪解け水、薬草の汁が混ざり合い、あちこちに染みついている。
アイラも似たようなものだった。元々着ていた囚人服は雪崩によって何か所も裂け、その上に羽織っていた外套も半分しか残っていない。露出した肩や脚には、氷や岩に切られた傷がいくつも残っていた。
ぼろぼろになった服を見下ろし、アイラは反射的に裂けた布を身体の前へ引き寄せた。
アーガはその仕草に気づいた。
「誤解するな」
低い声で言う。
「俺はお前の身体に興味はない」
アイラは一瞬呆けたあと、顔を上げて彼を見た。
あまりにも直接的な言い方だったため、怒ればいいのか、笑えばいいのか分からない。
「私を欲しがる人は、たくさんいるのよ」
アーガは《赤の一――火》のカードを指に挟み、焚き火をつけ直そうとしていた。その言葉を聞いても、ただ「ああ」と返しただけだった。
平然とした彼の横顔を見つめているうちに、アイラの口元に浮かんでいた僅かな笑みが消えていく。
「利用しようとする人も、たくさんいたわ」
カードから放たれた魔力によって、火が再び燃え上がった。
アーガは半乾きの木片を何本か火へ載せ、炎が安定するのを待った。それから、凍りついた木の実と、どこかから掘り出してきたらしい塊茎を石板の上へ置いて焼き始める。
「お前の婚約者もか?」
アイラは長い間、答えなかった。
氷の谷には、焚き火の小さな爆ぜる音だけが響いている。
「私は、一族に命じられて外へ出たわけではないの」
やがて、低い声で語り始めた。
「自分で勝手に抜け出してきたのよ」
アーガは口を挟まなかった。
アイラは炎を見つめていた。その瞳は、遥か遠くの何かを見ているようだった。
「エルフの時間は長いわ。しきたりも、それと同じくらい長い。私が生まれる前から決められていたことが、たくさんあるの」
「これから何を学ぶのか。誰と付き合うのか。どこへ行くのか。結婚するのかどうか。一族の利益のために、どんな人間になるべきなのかまで、すべて誰かが私の代わりに考えていた」
アイラは小さく笑った。
しかし、その瞳には少しも笑みが浮かんでいなかった。
「私は、そんなふうに生きたくなかった」
だから、一族の土地を離れた。
最初は、外の世界が自由な場所だと思っていた。森の外には街があり、人間の市場があり、見たこともない食べ物や音楽があった。
だが、すぐに気づいた。
エルフの容姿や長い寿命は、多くの人間にとって祝福などではない。
値段をつけられる商品だった。
「一度、騙されたことがあるの」
アイラは静かに言った。
「一族の土地を出たばかりで、何も知らなかった頃よ。ある人が、安全な街まで連れていってくれると言った。でも本当は、私を貴族へ売るつもりだった」
アーガが僅かに目を上げ、彼女を見る。
アイラは視線を落とした。
「逃げることはできた。でも、それから人間をあまり信用できなくなった」
その後、彼女は南山の近くで道に迷った。
負傷していたうえに、人間の街へ続く道にも詳しくなかった。二日間も山中を彷徨い、危うく魔物に追いつかれそうになった。
そのときに現れたのが、サミュエルだった。
彼は自分を、暮星城で慈善事業を行っている者だと名乗った。帰る場所のない人々を何人も見てきたことや、多くの子供たちを引き取って育てていることを話した。
行く場所がないのなら、ひとまず晨星の家に住めばいいとも言った。
「彼は私に、とてもよくしてくれた」
アイラの声がさらに小さくなる。
「最初は、本当に優しかったの」
サミュエルは彼女のために部屋を用意し、薬草を買い与えた。アイラが作る薬なら、多くの子供たちを救えると褒めてくれた。
彼女を売ろうとした者たちのように、耳や顔をじろじろと見ることもなかった。すぐに何かを要求してくることもない。
いつも穏やかに笑っていた。
誰かがアイラを疑えば、必ず庇ってくれた。
「今度こそ、違うと思ったの」
アイラはそう言うと、膝の上にある破れた布を少しずつ握り締めた。
「その後、彼に結婚を申し込まれて、私は受け入れた。ようやく、信じられる人に出会えたと思ったのよ」
だが、晨星の家の地下には牢が隠されていた。
子供たちは、そこに閉じ込められていた。
救った人も、信じた人も、これからの人生を託そうとした人も、すべてが笑い話へ変わった。
アイラは目を閉じた。呼吸が僅かに震えている。
「昨日、エイヴンが私の枷を外してくれたときも、私はまた……」
それ以上は言えなかった。
公会の前で枷を外し、「俺たちには君の力が必要だ」と言ってくれた男は、最後には彼女を竜王の前へ突き飛ばした。
炎がゆらりと揺れた。
アイラは俯き、ついに涙を落とした。
声を上げて泣くことはなかった。ただ肩が小さく震え、手の甲へ落ちた涙が、氷の谷の冷気によってすぐに冷えていく。
アーガはしばらく彼女を見ていた。
やがて、比較的きれいな布を一枚取り、差し出す。
アイラは受け取らなかった。
アーガは小さく息を吐くと、自ら手を伸ばし、彼女の頬に流れた涙を拭った。
慣れた動作ではない。むしろ少しぎこちなかった。
それでも、触れ方はとても軽かった。
アイラは呆然と彼を見つめた。
「俺の名前はアーガ・ラインハルトだ」
アーガが言った。
「ガーヤでもなければ、前にお前が適当に呼び間違えた名前でもない」
アイラは目を瞬かせた。
睫毛には、まだ涙が残っている。
「覚えていたの?」
「記憶力は悪くない」
アイラは顔を伏せ、ごく小さな声で呼んだ。
「アーガ」
「ああ」
「あなたを信じてもいい?」
アーガは布を彼女の手へ戻した。
「それを決めるのはお前だ。俺には関係ない」
アイラは黙って彼を見る。
アーガは石板の上にある塊茎を裏返した。口調は、いつもと変わらず淡々としている。
「俺はお前の身体に興味はない。お前がエルフだからといって、何かを手に入れようとも思わない」
「それから、助けたからといって、以前のことを許したわけでもない」
アイラの指が、布をゆっくりと握り締めた。
決して優しい言葉ではなかった。
それなのに、胸の中でずっと宙に浮いていた何かが、ようやく地面へ降りたように感じた。
サミュエルは、いつも耳触りのいい言葉を口にしていた。
エイヴンも、誰の前でも穏やかで優しい人間を演じることができた。
アーガの言葉は硬く、不器用だった。
すぐに「気にするな」と言うこともない。何も気にしていないふりもしない。彼女が最も弱っているときに、美しい慰めの言葉を並べることもしなかった。
それでも、昨日は命を懸けて彼女を救った。
今日も全身に傷を負いながら、薬草と食料を探しに出ていった。
その事実は、どんな優しい言葉よりも重かった。
塊茎が焼けると、アーガは小刀で小さく切り分け、先にアイラへ差し出した。
アイラは受け取ろうと手を伸ばしたが、弱りきった指が震え、危うく雪の中へ落としそうになる。
アーガは彼女を一度見た。
「口を開けろ」
アイラは目を見開いた。
「自分で食べられます……」
「今のお前は、座っているだけでも精一杯だろ」
アイラの頬に僅かな赤みが差した。
それでも、もう強がろうとはしなかった。
アーガは柔らかく焼けた塊茎を、彼女の口元へ運ぶ。
味は酷く苦く、僅かな渋みまであった。それでも、一日中何も食べていない者にとっては十分な食事だった。
アイラはゆっくりと飲み込んだ。目元には、まだ赤みが残っている。
アーガは長く彼女を見つめることはなかった。
数口食べさせたあと、木の実を潰して少量のぬるま湯へ混ぜ、彼女へ渡す。
「食べ終わったら少し眠れ」
「あなたは?」
「外にある木を何本か運んでくる」
アーガは立ち上がったが、途中で僅かに動きが止まった。
「夜中に火を絶やすわけにはいかない」
アイラはその背中を見つめた。
「アーガ」
彼が足を止める。
「ありがとう」
アーガは振り返らなかった。
「礼は、生き延びてから言え」
そう言い残し、風雪の中へ歩いていった。
それからの日々は、ひどくゆっくりと過ぎていった。
アイラは足を負傷していたため、長い間、遠くまで歩くことができなかった。アーガは毎日外へ出て、食料や薪、使えそうな薬草を探してきた。
薬草の知識がないため、見つけた葉や根、苔を種類に関係なく持ち帰り、アイラに見分けさせる。
食べられるものは残し、傷の治療に使えるものは乾燥させた。使えないものは誤って触れないよう、遠くへ捨てる。
《赤の一――火》は、二人にとって毎日欠かすことのできない存在になった。
それがなければ、湿った薪へ火をつけるのは難しい。氷の谷の夜を満たす寒さは、簡単に二人の体温を奪ってしまう。
アーガは毎日、夕方になるとカードで火を起こした。用が済めばすぐにしまい込む。
まるで、小さいながらも決して失ってはならない太陽を、大切にしまっているようだった。
最初の頃、アイラにできたのは焚き火のそばへ座り、傷ついた身体を引きずりながら動き回るアーガを見ていることだけだった。
やがて足首の状態が少しよくなると、薬草を整理し、アーガの包帯を交換するようになった。食べられる木の実と毒のあるものを見分ける方法や、煮なければ食べられない草の根についても教えた。
さらに時間が経つと、氷壁へ手をつきながら、ゆっくりと数歩なら歩けるようになった。
アーガは近くで動くことを許したが、焚き火から離れすぎないことと、氷の亀裂へ近づかないことを厳しく言いつけた。
アイラは素直に返事をした。
しかし、初めて少し遠くまで歩いたその日に、雪で覆われた穴へ落ちかけた。
アーガに引き戻されたあと、彼の顔色は長い間険しいままだった。
「向こうに薬草がないか、見てみたかっただけです」
アイラは小声で弁解した。
「薬草は逃げるのか?」
「逃げません」
「なら、なぜ急ぐ?」
アイラは何も言い返せず、顔を伏せた。
しばらくしてから、我慢できずに尋ねる。
「さっき、私のことを心配していたのですか?」
アーガは彼女を一度見た。
「お前が落ちたら、また助ける方法を考えなければならないからな」
アイラは小さく笑った。
氷の谷へ来て以来、苦さの混じらない笑みを浮かべたのは、それが初めてだった。
やがて、冬が完全に氷の谷を覆った。
頭上に見える空は日に日に狭くなり、雪はさらに深く積もっていく。外にいる魔物の気配も、以前より頻繁に感じるようになった。
最初は、夜になると遠くから低い唸り声が聞こえるだけだった。
しかしそのうち、アーガが昼間に食料を探している最中にも、氷の亀裂へ潜む小型の魔物と遭遇するようになった。
彼はもう、ただ逃げるだけではなくなった。




