第179話 囮作戦
エイヴンも焚き火のそばへ腰を下ろした。
まずノヨンの様子を確認し、単なる魔力の使いすぎだと分かると、小さな魔力回復薬を一本取り出して差し出す。
「少し飲んでおけ」
ノヨンは無理をせずに受け取り、顔を上げて薬を飲んだ。
味はかなり悪かったらしい。
僅かに眉をしかめたが、何も言わなかった。
アイラの様子がおかしいことに気づいたエイヴンは、自分の上着を脱ぎ、彼女の前へ歩み寄った。
アイラは顔を上げ、戸惑ったように彼を見る。
「羽織ってくれ」
エイヴンは上着を差し出した。
「その服では薄すぎる」
アイラは一瞬固まった。
最初にしたことは受け取ることではなく、隣にいるはずの城衛を探すことだった。
しかし、この洞窟に城衛はいない。
いるのは焚き火と、同じように傷つき、疲れ切った冒険者たちだけだ。
エイヴンは彼女の迷いを見抜いたようだった。
その口調は、変わらず穏やかだった。
「今、君を監視している者はいない」
「少なくともこの山にいる間は、君も俺たちと同じ討伐隊の一員だ」
アイラの指先に僅かに力が入った。
しばらく黙ったあと、ようやく上着を受け取り、肩へ掛ける。
「ありがとう」
声はとても小さかった。
エイヴンはそれ以上何も言わず、軽く頷くと、今度はマシューの肩の傷を確認しに向かった。
マシューが歯を見せて笑う。
「隊長、この程度の傷なら何ともありませんよ」
「肩当てを外せ」
エイヴンが言った。
「そのまま傷口に凍りつけば、何ともあるかどうか分かるだろう」
マシューは口を閉じ、大人しく肩当てを外した。
セインは少し離れた場所に座り、自分の腕へ包帯を巻きながら呟いている。
「今日こんな化け物に出くわすと分かっていたら、昨日は酒を二杯も余計に飲まなかったのにな」
「二杯減らしたところで、竜魔獣より速く走れるわけじゃないだろ」
マシューが言った。
「少なくとも、吐く量は減る」
ノヨンが青白い顔で二人を見た。
「静かにしてもらえませんか? 頭が痛いんです」
二人は即座に口を閉じた。
その様子を見ていたイータの緊張した表情が、ようやく少しだけ和らいだ。
先ほどまで吹雪の中を逃げていたときは、全員がいつ死んでもおかしくないように見えた。
今、何の意味もない言い争いが聞こえてくることで、かえって全員がまだ生きているのだと実感できた。
アーガは自分の手を見下ろした。
最初の竜魔獣が倒されたとき、自分はほとんど何もしていない。
何もしたくなかったわけではない。
戦いへ入り込む余地がなかったのだ。
その仕草に気づいたエイヴンが、向かい側へ歩み寄って腰を下ろした。
「先ほどの判断は早かった」
エイヴンが言った。
「君が蔓で足止めをしてくれなければ、全員があの脇道へ入れたか分からない」
アーガはカードをケースへ戻した。
「ほんの一瞬、動きを止めただけだ。それほど大したことじゃないよ」
洞窟の外では、今も風雪が鳴り続けている。
焚き火の光がエイヴンの顔を照らし、ギルドにいたときよりも余裕が薄れ、疲労が浮かんでいるのが分かった。
それでも、声は変わらず落ち着いていた。
エイヴンが慌てていない限り、ほかの者たちも慌てる必要はない。
そう思わせる話し方だった。
「これから、どうするべきだと思う?」
エイヴンが尋ねた。
その言葉を聞き、洞窟にいた者たちが一斉にアーガへ目を向けた。
アーガは目を瞬かせる。
「俺に聞いているのか?」
「こういうときに意見を聞くため、君を山へ連れてきたんだ」
エイヴンが言った。
セインも身を乗り出す。
「そうだぞ。《晨星の家》の異変も、お前が最初に見つけたんだろう? こういう何かがおかしい状況は得意なんじゃないか?」
「何でも知っている人間みたいに言うな」
アーガは答えた。
「竜魔獣を研究したことなんてないぞ」
「それなら、今の状況のどこがおかしいと思う?」
エイヴンが尋ねる。
アーガはしばらく黙り込んだ。
一本の枝を手に取り、洞窟内の土の上へ簡単な線を数本描いていく。
「普通、魔物は繁殖して数が増えても、必ずしも群れで人間を襲うわけじゃない」
「特に、あれほど身体の大きな魔物は、狩りをする範囲も広く、縄張り意識も強いはずだ」
アーガは枝先で線を区切った。
「単純に数が増えただけなら、互いに縄張りを奪い合う可能性の方が高い。さっきのように連携して動くとは考えにくい」
アイラが顔を上げた。
「確かに、さっきの竜魔獣たちは異常だったわ」
彼女が言った。
「南山には以前から竜魔獣の噂があったけれど、薬草採取をする人たちが遭遇したのは、ほとんどが単独の個体だった」
「人間を襲うことはあっても、特定の道へ追い込むような行動はしなかった」
アーガは頷いた。
「さっきの六頭は、ただ無秩序に突っ込んできたわけじゃない」
「上空から急降下してきた個体は隊列を崩し、地面を走った個体は側面を分断した」
地面の線を数か所、枝先で叩く。
「さらに、外側を回っていた一頭は、俺たちを脇道へ追い込もうとしていた」
「ただの狩りには見えない。何者かが指揮しているような動きだった」
マシューの表情が険しくなる。
「誰かが奴らを操っているということか?」
「人間とは限らない」
アーガが答えた。
「もっと強い竜魔獣かもしれない」
洞窟の中が静かになった。
イータが毛布を強く抱きしめる。
リナが眉を寄せた。
「群れを率いる個体ですか?」
「ああ」
アーガは頷く。
「群れを作って繁殖し、そのうえ集団で行動できるのなら、頭となる個体がいる可能性は高い」
「そいつ自身が毎回姿を見せるとは限らない。だが、ほかの竜魔獣は鳴き声や匂いを頼りに動いているのかもしれない」
エイヴンは地面に描かれた簡単な図を見つめた。
「つまり、その個体を倒せれば、残りの竜魔獣の連携が崩れる可能性がある」
「可能性があるだけだ」
アーガは訂正した。
「だが、一頭ずつ正面から倒すよりは現実的だ」
「最初の一頭は、人数と連携があったから勝てた。だが六頭が同時に現れた途端、隊列は簡単に分断された」
「このまま同じ戦い方を続ければ、最後には一人ずつ食われて終わる」
ノヨンは石壁にもたれ、弱い声で言った。
「私の天候魔法も、長くは維持できません」
「先ほどのような吹雪を抑えられるとしても、あと一度だけです。それも、今までより短い時間しか持たないと思います」
「それなら、もう集団を相手に正面から戦うことはできませんね」
リナが言った。
アイラは地面の線を見つめていたが、やがてその一か所を指差した。
「もし群れを率いる個体がいるなら、山の中腹にはいないかもしれない」
「南山の奥には、大きな洞窟がいくつかあります。薬草を採取する人たちは、普段そこへ近づきません」
アイラは僅かに表情を曇らせた。
「昔から、あの辺りは竜魔獣が巣を作る場所だと、老人たちが話していました」
エイヴンが尋ねる。
「場所は分かるか?」
「大体の方角なら」
アイラは答えた。
「でも、今は雪が激しすぎます。多くの道が雪に埋もれているから、道を間違えれば危険です」
レックスたちはここにはいない。
カロの小隊がどこへ流されたのかも分からなかった。
現在、洞窟にいるのは、エイヴン小隊の四人と、アイラ、アーガ、リナ、イータだけだ。
ここで待ち続ければ、竜魔獣に発見されるかもしれない。
だからといって不用意に外へ出れば、吹雪の中で再び群れと遭遇する可能性がある。
焚き火がぱちりと鳴った。
焼けて折れた枝が火の中へ落ちる。
突然の音に、イータの耳がびくりと動いた。
しかし、すぐに俯き、何も起きなかったような顔をした。
アーガは彼女を一度見たあと、焚き火の薪を奥へ押し込んだ。
「とにかく、今は外へ出ない方がいい」
アーガが言った。
「竜魔獣の群れは、まだ近くにいる」
「雪が少し弱まるか、ノヨンの魔力が回復するまで待とう」
「そのあと気流魔法で天候を少し緩和し、ほかの小隊がどこにいるか確認する方法を考える」
エイヴンは頷いた。
「ああ」
洞窟の外に広がる白い雪幕を見つめ、しばらく沈黙する。
「本当に群れを率いる個体がいるのなら、何とかして引きずり出す必要があるな」
◇
洞窟の焚き火は、先ほどよりも安定して燃えていた。
焼けた枝が折れて火の中へ落ち、細かな火の粉が舞い上がる。
イータの身体もかなり温まっていた。
アーガの胸元へ収まったまま、尻尾まで毛布に包まれており、先端の白い毛だけが僅かに覗いている。
頬の赤みはまだ完全には消えていなかったが、耳はもう震えていなかった。
セインは石壁にもたれ、包帯を巻き終えた腕を休ませていた。
地面の簡単な図を見ながら、堪えきれずに尋ねる。
「それで、俺たちは今から、その群れを率いる奴を探すのか?」
「探すんじゃない」
アーガは枝先で地面を軽く叩いた。
「こちらから姿を現させる方法を考えるんだ」
マシューが眉を寄せる。
「出てこなかったらどうする?」
「その場合は、先に普通の竜魔獣の数を減らす」
アーガが答える。
「さっき奴らが連携できたのは、数が多かったからだ」
「六頭が同時に襲ってくれば、誰にも止められない」
「だが、一度に一頭だけ誘き寄せることができれば、少なくとも勝てる可能性はある」
エイヴンがアーガを見る。
「どうやって誘き寄せる?」
アーガはすぐには答えず、洞窟の入り口の外に広がる雪を見た。
「さっき襲われた者たちには、一つ共通点がある」
ノヨンが顔を上げる。
「何ですか?」
「混乱していたことだ」
アーガは言った。
「最初に負傷して戻ってきた者たちも、竜魔獣に追われて逃げていた」
「さっき隊列が分断されたあとも、奴らは叫び声を上げている者や、孤立した者、慌てて走り回る者を優先して襲っていた」
「ただ人間を見つけ次第、無差別に飛びかかっていたわけじゃない」
「一番混乱している獲物を狙っていたんだ」
セインが目を瞬かせる。
「つまり、逃げる人間を追うのが好きなのか?」
「少なくとも、優先的に狙う」
アーガが答えた。
「狩りをする魔物なら、珍しい行動じゃない」
「最も騒がしく、最も怯え、最も追いやすい獲物は、先に注意を引く」
リナは地面に描かれた線を見ながら言った。
「誰かを外へ出して、わざと注意を引かせるということですか?」
アーガは頷いた。
「一番足の速い者が洞窟の外へ出る」
「大きな音を立て、慌てて逃げているように見せるんだ」
「誘き寄せたのが普通の竜魔獣なら、俺たちが待ち伏せし、できるだけ早く仕留める」
アーガは一度言葉を切った。
「もし群れを率いる個体が来たら、今の人数では戦えない。そのときは逃げるしかない」
エイヴンはすぐには否定しなかった。
眉を寄せたまま、作戦を考えている。
しかし、マシューの表情は大きく変わった。
「それは、人を囮にするということじゃないか?」
洞窟の中が静まり返った。
聞こえのいい言い方をすれば、敵を誘き寄せる作戦。
だが、乱暴に言ってしまえば――。
一人を外へ放り出し、竜魔獣に追わせるということだった。




