第178話 洞窟
アーガは周囲を見回した。
レックスの小隊は反対側へ追い込まれ、カロたちの姿も風雪に遮られて見えなくなっている。
その一方で、エイヴン、ノヨン、アイラと二人の隊員は、アーガたちがいる山道へ押し流されていた。
アイラは後退しながら周囲の地形を確認し、突然叫んだ。
「主道は駄目! この先は開けた場所よ! そこへ出たら包囲される!」
エイヴンは竜魔獣の突進を一度受け流し、即座に答えた。
「脇道へ入る!」
「こっち!」
アイラが右側にある、雪に覆われた細い道を指差した。
アーガはイータの腕を引き、真っ先にそこへ向かう。
リナもすぐ後ろへ続いた。
エイヴンたちは戦いながら少しずつ後退する。
一頭の竜魔獣が側面から追いすがり、その爪が岩壁すれすれを掠め、大量の小石を削り落とした。
アーガはカードを引き抜いた。
「赤の三――草」
雪面から蔓が伸び、竜魔獣の前脚へ絡みつく。
竜魔獣は僅かによろめいただけだった。
次の瞬間には、蔓を力任せに引き千切る。
それでも、その一瞬があれば十分だった。
全員が曲がり角の向こうへ逃げ込む。
「止まるな!」
エイヴンは剣を振るって竜魔獣を退け、ノヨンとアイラを連れて細い道へ駆け込んだ。
背後では風雪がさらに激しくなっている。
竜魔獣の鳴き声が山々の間で反響し、奴らが実際にどこにいるのか、まるで判別できなかった。
イータは走りながら何度も後ろを振り返った。
耳が吹雪に押され、小刻みに震えている。
「後ろに、もう一頭います!」
リナが即座に振り返った。
細剣を振るい、雪の重みで曲がっていた枯れ枝を切り落とす。
枝が山道へ倒れ、一瞬だけ通路を塞いだ。
アーガはその隙に爆発のカードを投げる。
爆風によって雪煙と砕石が吹き上がり、追ってきた黒い影の動きが僅かに止まった。
アイラが前方の岩壁の下にある影を指差す。
「あそこに洞窟がある!」
洞窟の入り口は枯れた蔓と積雪に隠され、細い黒い隙間しか見えていなかった。
アイラが教えなければ、誰も見つけられなかっただろう。
エイヴンは迷わず命令した。
「入れ!」
一行は洞窟の入り口へ駆け込んだ。
リナとアーガが一緒に枯れ蔓を掻き分け、最初にイータを中へ入れる。
続いてノヨンとアイラ。
エイヴンは最後に洞窟へ入ると、近くにあった岩の欠片を押し動かし、入り口の一部を辛うじて塞いだ。
全員が息を潜めた。
洞内は狭く、空気も冷たく湿っていた。
それでも、少なくとも風雪は入り込んでこない。
その代わり、外の音は先ほどよりもはっきり聞こえた。
竜魔獣の爪が雪面を踏むたび、鈍い音が響く。
巨大な黒い影が、洞窟の入り口の前で止まった。
すぐには離れない。
鼻を動かして匂いを探る音が、すぐ外から聞こえてくる。
次の瞬間にも、頭を洞窟へ突っ込んでくるような近さだった。
イータの身体が硬直する。
アーガは手を伸ばし、彼女の口を塞いだ。
エイヴンも剣を構えたが、軽率に仕掛けようとはしない。
アイラは石壁に身体を寄せていた。
顔は青ざめ、呼吸音さえ聞こえないほど小さく抑えている。
長い時間が過ぎた。
遠くから竜の咆哮が響く。
洞窟の外にいた竜魔獣は頭を上げ、それに応えるように鳴いた。
爪で雪面へ数本の跡を残したあと、ようやく翼を広げて飛び去っていく。
それでも、誰も動かなかった。
雪幕の向こうから黒い影が完全に消えたことを確認して、ノヨンはようやく石壁にもたれ、その場へゆっくり座り込んだ。
顔色は恐ろしいほど白い。
声にも力がなかった。
「奴らは……連携して動いています」
誰も否定しなかった。
洞窟の外では吹雪が唸りを上げ、入り口の隙間から細かな雪が絶えず吹き込んでいる。
最初の一頭を倒したときに僅かに感じた勝算は、雪幕から現れた六つの黒い影によって完全に引き裂かれていた。
洞窟の中は、外よりも遥かに静かだった。
風雪は入り口の外で遮られ、隙間から低い唸り声のような風音だけが入り込んでくる。
その音は岩壁に沿って反響し、まるで何かが今も洞窟の外を歩き回っているように聞こえた。
イータは一番奥に座り、耳を立てたまま外の音を探っていた。
しばらくして、ようやく少しだけ身体の力を抜く。
「遠くへ行きました」
小さな声で言った。
アーガは、外から爪が雪を引っ掻く音が聞こえないことを確認してから、ゆっくりと手を下ろした。
エイヴンは洞窟の入り口近くに立ったまま、まだ剣を鞘へ戻していなかった。
しばらく耳を澄ませたあと、イータへ目を向ける。
「確かか?」
突然尋ねられ、イータは少し緊張した。
尻尾が僅かに縮こまる。
それでも、しっかりと頷いた。
「音が遠くなりました。少なくとも、さっきの一頭は洞窟の近くにはいません」
エイヴンはそこで初めて剣を鞘へ収め、長く息を吐いた。
「ひとまず休もう」
その言葉を聞き、全員がようやく先ほどまで止めていた息を吐き出した。
ノヨンは石壁にもたれたまま座っている。
顔は外の雪と変わらないほど青白かった。
彼女はここへ逃げ込むまで天候魔法を維持し続け、さらに負傷者へ何度も治療術を使っている。
魔力を大きく消耗していることは、誰の目にも明らかだった。
エイヴン小隊の残り二人も負傷していた。
一人はセイン。
加速魔法を使う魔法使いで、先ほど殿を務めていた際、飛んできた岩片によって腕を切っていた。
もう一人はマシュー。
円盾を背負った盾役で、肩当てが竜魔獣の爪によって引き裂かれ、今も荒い息を吐いている。
アイラも少し傷を負っていた。
手首にはもともと枷で擦れた赤い跡が残っていたが、洞窟へ入るときに岩へぶつけ、皮膚がさらに裂けている。
血が指の関節を伝い、下へ滴っていた。
本人は気づいていないのか、石壁へ寄りかかり、積雪で隠れた洞窟の入り口を俯いたまま見つめている。
アーガは鞄から火口箱と、乾燥させた火口を取り出した。
幸い、それらは油布で包んであったため、雪水に濡れていない。
数本の枯れ枝を積み上げ、さらに洞窟の入り口付近から、湿った折れ木を何本か引きずり込んだ。
リナが木を割り、内側の比較的乾いている部分を露出させる。
火がつくと、全員の表情が少しだけ和らいだ。
橙色の炎が洞壁を照らす。
岩の表面を覆っていた霜がゆっくりと溶け、水滴となって隙間を流れ落ちていった。
イータはそれまで自分の尻尾を抱きしめたまま座っていたが、我慢できずに焚き火へ少し近づいた。
「近づきすぎるな」
アーガが注意する。
「毛が燃えるぞ」
イータの動きが止まり、無言で少しだけ後ろへ下がった。
リナは震えている彼女の耳を見て、冷えきった手を取ると、両手で擦ってやった。
「こんなに冷たいじゃない」
「大丈夫です……」
イータが小声で答える。
「あなたが大丈夫と言うときは、大抵大丈夫ではないでしょう」
リナは自分の外套を半分、彼女の方へ掛けた。
イータは申し訳なさそうな顔をしたが、拒まなかった。
しばらくすると、再び小さな声で呼びかける。
「アーガ様」
「どうした?」
「少し寒いです」
アーガは焚き火へ薪を加えていた。
その言葉を聞き、イータへ目を向ける。
彼女は外套の中で小さく丸まり、耳を震わせていた。
尻尾も胸元へ強く抱え込んでおり、このまま毛布の中へ完全に縮こまってしまいそうだった。
アーガはしばらく黙っていたが、最後には溜息をついた。
「こっちへ来い」
イータが目を瞬かせる。
「えっ?」
「寒いんだろう?」
イータはリナとアーガを交互に見た。
頬が僅かに赤くなる。
それでも、ゆっくりとアーガの方へ移動した。
アーガは手を伸ばして彼女を引き寄せ、そのまま胸元へ凭れかからせる。
さらに自分の上着を広げ、イータの身体と尻尾をまとめて包み込んだ。
イータの全身が一瞬硬直した。
「ア、アーガ様……」
「動くな」
アーガは声を潜めた。
「これ以上震えていたら、本当に病気になるぞ」
そう言いながら、イータの髪を軽く撫でる。
さらに冷えきっていた耳の付け根を、指先で優しく数回擦った。
イータの耳が小さく震え、毛布の中で尻尾も僅かに揺れる。
最初のうちは身体を硬くしたまま、手をどこへ置けばいいのか分からない様子だった。
しかし、アーガの胸元は焚き火のそばよりも暖かかった。
上着が洞窟の入り口から吹き込む冷気を遮り、痛むほど冷えていた耳先も、少しずつ温まっていく。
イータは俯いたまま、顔を次第に赤くしていった。
「まだ寒いか?」
アーガが尋ねる。
「さ、寒くありません……」
声は小さかったが、先ほどより明らかに軽くなっている。
毛布の中で、尻尾が再びこっそりと揺れた。
アーガは彼女を見下ろした。
「尻尾が動いているぞ」
イータはさらに深く顔を伏せる。
「動いていません……」
「俺の手に当たっている」
「そ、それは……暖かくなったからです……」
イータは小声で言い訳した。
しかし、耳は柔らかく垂れ下がり、身体も先ほどほど強張ってはいない。
その様子を見ていたアーガは、思わず白い髪を数回優しく撫でた。
さらに耳の付け根にある柔らかな毛を、ゆっくりと揉む。
イータの身体から、はっきりと力が抜けた。
「うぅ……」
最初は、ごく小さな声だった。
その直後、喉の奥から細かな「ごろごろ」という音が漏れ始める。
撫でられて心地よくなった小動物のような音だった。
決して大きくはない。
だが、静かな洞窟の中では、あまりにもはっきりと聞こえた。
アーガの手が一瞬止まる。
イータも自分が出した音に気づいた。
顔が一気に真っ赤になり、垂れていた耳が勢いよく立ち上がる。
「わ、私、今、変な声なんて出していません!」
隣に座っていたリナが、笑いを堪えながら言った。
「私は何も言っていませんよ」
アーガはイータを一度見たあと、再び耳の付け根を優しく揉んだ。
「なかなか可愛い音だったぞ」
「アーガ様!」
イータは毛布の中へ顔を埋めた。
それでも、尻尾は中で小さく揺れ続けている。
焚き火の光が、赤くなった耳先を照らしていた。
先ほどまで洞窟に満ちていた寒気さえ、その小さな音によって僅かに和らいだように感じられた。
アイラは少し離れた場所に座り、枷によって赤く擦れた手首を俯いて撫でていた。
しかし、その光景を目にすると、ゆっくりと手を止めた。
アーガがイータを胸元へ包み込む姿。
リナが、それを見慣れているかのように二人の外套を整える姿。
アイラは呆然と彼らを見つめ、しばらく言葉を失っていた。
それは、誰かに見せるための優しさではない。
他人へ聞かせるために語られる善意でもなかった。
ごく自然で、当たり前のことだった。
まるで彼らは、最初からこうして互いに寄り添い、温め合うのが当然であるかのようだった。
アイラは俯いた。
その指先が、僅かに強く握り締められた。




