第177話 最初の竜
竜魔獣が雪雲の中から急降下してきた瞬間、山道全体が巨大な影に押し潰されたように暗くなった。
最初に反応したのはエイヴンだった。
後退するどころか剣を抜き、そのまま正面から迎え撃つ。
刀身に淡い金色の魔力紋が浮かび上がり、足元の雪が爆ぜた。エイヴンの身体は、竜魔獣が落下する軌道へ沿うように一気に飛び出した。
「盾役は散開しろ! 一列に並ぶな!」
その声は風雪に引き裂かれながらも、前方まで届いた。
数人の冒険者が即座に左右へ退く。
次の瞬間、竜魔獣の鋭い爪が山道の中央へ叩きつけられた。
積雪と砕けた岩が同時に跳ね上がる。
先ほどまで誰かがその場に残っていたなら、地面へ叩き込まれていたに違いない。
アーガはイータの肩を掴み、背後の岩壁へ引き寄せた。
「前へ出るな」
イータの顔は青ざめていたが、それでもしっかりと頷いた。
無理に戦おうとはせず、前方を凝視しながら、竜魔獣の動きに合わせて耳を絶えず動かしている。
リナは細剣を抜き、アーガの斜め前へ立った。
彼女も飛び出そうとはしなかった。
行きたくないのではない。
行くことができないのだ。
その竜魔獣が放つ威圧感は、これまで三人が遭遇したどの魔物よりも強烈だった。
全身は暗灰色の鱗に覆われ、翼膜には砕けた氷がいくつも張りついている。
口を開けば、内側へ湾曲した牙が二列に並んでいるのが見えた。
まだ本気で力を振るってすらいない。
それでも、急降下によって巻き起こされた風だけで、後方の冒険者たちはまともに立っていられなかった。
エイヴンの剣光が先にぶつかった。
淡い金色の斬撃が風雪を斜めに切り裂き、竜魔獣の首の下へ正確に差し込まれる。
竜魔獣は頭を逸らさざるを得なくなり、そのまま爪をエイヴンへ振り下ろした。
エイヴンは身体を横へひねった。
剣の刃が爪の表面を滑る。
その力を利用して半歩だけ退き、すぐさま再び間合いを詰めた。
その一進一退は、あまりにも速かった。
アーガが剣光の位置を追えた頃には、竜魔獣の最初の突撃はすでにエイヴンによって軌道を逸らされていた。
――校尉級下位。
エイヴンが強いことは、以前から知っていた。
しかし、実際にその戦いを目にすると、抱く印象はまるで違った。
これは学院の試合ではない。
普通の冒険依頼でもない。
竜魔獣の動き一つ一つには、人間を容易く引き裂くほどの力が込められている。
それをエイヴンは、真正面から受け止めていた。
続いて、レックスの怒号が響く。
「邪魔するな!」
側面から飛び出したレックスの大斧は、赤い魔力に包まれていた。
一歩踏み込むたびに、足元の雪が深く崩れる。
エイヴンに動きを封じられた竜魔獣が再び飛び立とうとしたときには、レックスはすでにその脇腹の下へ跳び込んでいた。
大斧が勢いよく叩き込まれる。
鱗が砕ける音は風雪に掻き消されたが、黒みを帯びた赤い血が白い雪の上へ飛び散った。
苦痛に身をよじった竜魔獣が、尾を勢いよく横薙ぎに振る。
レックスは完全には避けきれず、斧の柄を胸の前に構えて受け止めるしかなかった。
その身体は数メートルも後方へ滑り、長靴の底が雪面に二本の深い溝を刻んだ。
「硬い皮しやがって」
レックスは歯を食いしばって悪態をついた。
それでも、退こうとはしなかった。
その隙を埋めるように、カロが前へ出る。
彼はそれまでほとんど言葉を発していなかったが、攻撃は正確だった。
幅広の剣へ灰色の魔力が浮かび上がる。
竜魔獣の重心が崩れた一瞬を狙い、後ろ脚の関節へ剣を叩き込んだ。
派手な一撃ではない。
だが、その一撃によって竜魔獣の身体が明らかに沈んだ。
「左翼よ!」
アイラが突然叫んだ。
「あいつの左翼には古傷がある! 飛ばせないで!」
エイヴンは即座に指示を変える。
「弓手は左翼を狙え! 縄を用意しろ!」
後方にいた弓手たちが素早く散開した。
矢が次々と竜魔獣の左翼へ放たれる。
矢尻は翼膜へ突き刺さったものの、傷そのものは深くない。
それでも竜魔獣は何度翼を広げても、うまく飛び上がることができなかった。
ノヨンは隊列の中ほどに立っていた。
足元には淡い青色の魔法陣が展開されている。
周囲の風雪が一時的に弱まり、冒険者たちの視界がようやく少しだけ開けた。
彼女は片手で天候魔法を維持しながら、もう一方の手で治療術を発動し、先ほど飛び散った岩に当たった冒険者の出血を止めている。
「右側へ逃げようとしている!」
アイラは雪面の起伏を凝視していた。
「そっちは下が空洞よ! 深追いしないで!」
レックスは前へ踏み出そうとしたが、その声を聞いて無理やり足を止めた。
斧の柄で前方の積雪を突く。
雪が崩れ落ち、その下から雪に覆われていた亀裂が現れた。
「ちっ」
レックスはアイラを一度見たが、何も言わなかった。
アーガは後方に立ち、主力部隊の連携を見ていた。
指先が腰のカードケースへ触れる。
しかし、すぐにゆっくりと手を離した。
機会がない。
この戦いは、あまりにも速すぎる。
エイヴンが牽制し、レックスが瞬間的な火力を叩き込み、カロが側面を押さえる。
ノヨンが風雪を抑え、アイラは絶えず地形の危険を知らせていた。
全員がそれぞれの役割を果たしている。
余計な介入を一度でもすれば、かえってその流れを乱しかねない。
アーガは初めて、自分と彼らの間にどれほど大きな差があるのかを、はっきりと思い知らされた。
頭の良し悪しではない。
カードを数枚増やせば、すぐに埋められるような差でもない。
今の自分には、正面戦闘へ加わる資格すらなかった。
リナも同じことに気づいているようだった。
視線はずっと竜魔獣を追っている。
それでも、最後まで前へ飛び出すことはなかった。
イータが小声で尋ねる。
「アーガ様、私たちには何ができますか?」
アーガは前方を見たまま答えた。
「周囲を警戒しろ。後ろで何か起きないようにするんだ」
イータはすぐに頷いた。
目を閉じ、耳を僅かに動かす。
風雪と竜魔獣の咆哮が入り混じる中から、それ以外の音を聞き分けようとしていた。
前方の戦いは、間もなく終わりを迎えようとしていた。
竜魔獣の左翼は矢とレックスの攻撃によって裂け、もうまともに飛び立つことができない。
エイヴンはその隙を逃さなかった。
連続する剣光で頭部と首を押さえ込み、竜魔獣を後退させ続ける。
カロと数人の冒険者が縄を投げ、傷ついた翼の付け根へ引っかけた。
竜魔獣は激しく暴れた。
二人の冒険者が引きずられ、雪の上へ倒れ込む。
「岩柱へ回して!」
アイラが、そばに半分だけ露出している岩柱を指差した。
「あそこに固定するの!」
数人の冒険者が歯を食いしばりながら縄を引き、岩柱の周囲へ回り込む。
縄が一気に張り詰めた。
竜魔獣の身体が横へ傾き、首元が露わになる。
エイヴンはその機会を見逃さなかった。
竜魔獣の下顎へ向けて剣を振るい、強引に頭を上げさせる。
竜魔獣が怒りの咆哮を放った。
そのときには、レックスがすでに側面まで駆け込んでいた。
「死ね!」
赤い斧光が、上から下へ振り下ろされる。
血が空中へ噴き上がり、吹雪に巻き込まれて散った。
竜魔獣の巨大な身体は数度痙攣し、最後には雪面へ重く倒れ込んだ。
その衝撃で、地面までもが揺れた。
数人の冒険者が、ついに歓声を上げる。
「倒したぞ!」
「一頭目を仕留めた!」
レックスは竜魔獣の首から斧を引き抜き、荒い息を吐きながら言った。
「こんなのがあと何頭も来たら、本当に命がいくつあっても足りねえぞ」
その言葉が終わった直後、ノヨンの顔から血の気が引いた。
アーガは、彼女の足元にある魔法陣の光が薄れていることに気づいた。
一度は抑えられていた風雪が、再び激しく降り始める。
細かな雪の粒が顔へ当たり、その密度は急速に増していった。
エイヴンが彼女のそばへ近づく。
「まだ維持できるか?」
ノヨンは空を見上げた。
唇が僅かに動く。
「雪を……抑えられません」
その言葉が終わると同時に、吹雪が再び山道へ襲いかかった。
すべては一瞬だった。
先ほどまで二十歩、三十歩先の岩壁が見えていたはずなのに、今では白一色の世界しか残っていない。
山道の先から風が吹き込み、南山に積もった雪をすべて押し流してきたかのようだった。
エイヴンが即座に叫ぶ。
「全員、集まれ! 散開するな!」
しかし、その声さえ風雪に飲み込まれていった。
南山の奥から、二つ目の竜の咆哮が響いた。
続いて三つ目。
四つ目。
五つ目。
その声は、すべて異なる方向から聞こえてくる。
高所から響くもの。
谷底から響くもの。
中には、隊列の背後から聞こえてくるような声さえあった。
無秩序に鳴いているのではない。
互いに呼応している。
まるで最初の竜魔獣が倒されるのを、ずっと待っていたかのように。
イータが勢いよく目を開いた。
その顔色が一瞬で変わる。
「たくさんいます……一方向だけじゃありません!」
アーガは迷わなかった。
イータとリナを連れ、岩壁の方へ退く。
「壁沿いに動け!」
次の瞬間、黒い影が上空から雪幕を引き裂いた。
先ほどまで歓声を上げていた数人の冒険者へ、真っ直ぐに襲いかかる。
盾が吹き飛ばされた。
一人の男は悲鳴を上げる暇すらなく、爪で肩を掴まれ、そのまま雪の中へ引きずり込まれた。
別の竜魔獣が山道の下から駆け上がってくる。
四肢を地面へつけ、獣のような姿勢で側面部隊へ突っ込んだ。
カロが人を連れて穴を埋めようとする。
しかし、頭上から三つ目の黒い影が通り過ぎた。
長い尾が雪の重みで曲がっていた木をへし折る。
倒れた木が人混みへ落ち、隊列は無理やり分断された。
「六頭だ!」
吹雪の中から、レックスの声が聞こえた。
「少なくとも、あと六頭いる!」
誰も答える余裕はなかった。
竜魔獣たちは、ただ無秩序に突進しているのではない。
一頭が上空から圧力をかけ、冒険者たちに盾を構えさせる。
一頭は地面すれすれを走って噛みつき、孤立した人間だけを狙う。
さらに別の一頭は外周を回り、すぐには殺そうとせず、隊列をより狭い山道へ追い込もうとしていた。
この場所では、人数の多さがかえって足枷になっていた。
山道が狭すぎる。
風雪が強すぎる。
前にいる者には後方の命令が聞こえず、後ろにいる者からは前方の合図が見えない。
それまで互いに支援し合っていた小隊は、瞬く間にいくつもの集団へ分断された。
アーガは、一人の冒険者が吹雪に押され、亀裂の縁へ追い込まれているのを見つけた。
声を上げようとしたときには、すでに竜魔獣の尾が振り抜かれていた。
男は足元の雪ごと白い霧の中へ転がり落ちた。
その声は、すぐに聞こえなくなった。




