第162話 再びの対面
《晨星の家》の夕食は普通の孤児院と比べても静かだった。
長机の反対側で食事をしていた子供たちは、すでに食べ終え、侍女たちに連れられてそれぞれの部屋へ戻っている。
食堂に残っているのは、二人だけだった。
アイラは長机の端に座っていた。
緑色の長い髪が肩へ垂れ、目の前の皿には半分ほど料理が残っている。
今日は淡い色の長衣を身につけており、腰にレイピアも下げていない。その姿は、昼間よりもずっと柔らかな印象を与えた。
向かい側には、サミュエルが座っている。
濃灰色の礼服をまとい、袖口の留め具まで綺麗に整えられていた。
肉を切り分ける動作すら、ゆっくりとしている。
蝋燭の光が顔を照らし、穏やかで自制の利いた雰囲気を、よりはっきりと浮かび上がらせていた。
「今日はあまり食べていないね」
サミュエルが言った。
アイラは顔を上げる。
「そうかしら?」
「席に着いてから今まで、肉を三度しか切っていない」
サミュエルは小さく笑った。
「まだ、そんなことも覚えられないほど老いてはいないよ」
アイラも僅かに笑みを返す。
「少し疲れているだけよ」
「なら、明日は外へ出ない方がいい」
サミュエルはナイフとフォークを置いた。
「寄付を募る仕事はほかの者に任せればいい」
アイラは首を横へ振る。
「あなたも分かっているでしょう。あの人たちは、ほかの誰かを見に来ているわけではないわ」
「だからこそ、申し訳なく思っている」
サミュエルはアイラを見つめた。
「毎日、君をあの者たちの前へ立たせている」
「君の名前と名声で、子供たちの食料や衣服、薬を得ているんだ」
「本当なら、君はもっと穏やかで楽な暮らしを選べたはずなのに」
「感謝しているようには聞こえないわね」
アイラは杯の中の水を静かに揺らした。
「まるで、私に後悔してほしいみたい」
「後悔しているのかい?」
アイラは、すぐには答えなかった。
食堂の外にある廊下は静かだった。
遠くから子供たちの小さな話し声が聞こえてきたが、すぐに世話係から注意されたのか、声は低くなる。
孤児院の夜は、いつもこのようなものだった。
表面上は静かでも、それぞれの扉の向こうには、細かな物音が絶えず存在している。
アイラは視線を落とした。
「以前の私は、子供の世話をすることになるなんて考えたこともなかったわ」
サミュエルは黙って彼女を見ている。
「嫌いというわけではないの。でも、好きだったとも言えない」
「騒がしくて、弱くて、すぐに泣く。それに、簡単に誰かへ希望を預けてしまう」
「昔は、自分には向いていないと思っていたわ」
「今は?」
「今も、向いているとは限らない」
アイラは顔を上げ、サミュエルを見た。
「ただ、あなたがこの仕事をしているから」
サミュエルの眼差しが柔らかくなる。
アイラの声は落ち着いていた。
だが、その気持ちから目を逸らそうとはしなかった。
「私が最初に《晨星の家》へ興味を持ったのは、この子たちが理由ではないわ」
「あなたがいたからよ」
サミュエルは僅かに目を見開いた。
すぐに、その笑みが深くなる。
「その言葉を外の者たちに聞かれたら、アイラ様の高潔な印象に傷がついてしまうかもしれないね」
「なら、聞かせなければいいでしょう」
アイラは静かに言った。
「私から見れば、あなたは十分に立派な人よ」
蝋燭の火が揺れ、その光がアイラの瞳の中で小さく揺らめいた。
「私もあなたには感謝している」
「私が道に迷っていたとき、助けてくれたから」
サミュエルは軽く首を横へ振る。
「あれは大したことではないよ」
「いいえ。それだけではないわ」
アイラは続けた。
「暮星城へ来たばかりの頃、私はこの街に馴染めなかった」
「ここは北方とは違う。サン・ローランとも違う」
「誰もが私を見ていたけれど、どう話しかければいいのか、本当に分かっている人はいなかった」
「あなたは、私を珍しい飾り物のように扱わなかった、最初の人だったわ」
サミュエルはしばらく黙っていた。
やがて、低い声で答える。
「それは、私にとって光栄なことだ」
アイラは彼を見つめた。
サミュエルは席を立つと、彼女のそばへ歩み寄る。
そして、そっとその手を取った。
アイラの手の甲へ、静かに口づける。
「これほど美しい女性を妻に迎えられることこそ、私の人生で最大の幸運だ」
アイラの耳の先が、僅かに赤く染まった。
それでも、手を引くことはなかった。
「まだ妻ではないわ」
「来月には妻になる」
サミュエルは顔を上げ、優しい声で言った。
「だからもう少し機嫌を直してほしい」
「結婚式を迎えるまで、ずっと眉間に皺を寄せているわけにもいかないだろう?」
アイラは小さく鼻を鳴らす。
「あなたも最近ずっと忙しいでしょう」
「孤児院がようやく落ち着いたところだからね。処理しなければならないことはいくらでもある」
サミュエルは答えた。
「だが、毎日外へ出て子供たちのために寄付を募り、商人や貴族たちの視線に晒されている君と比べれば、私の忙しさなど大したことではない」
「彼らが私を見るのは、エルフ族の名声に金を払う価値があると思っているからよ」
アイラは言った。
「その金が最後にこの場所で使われるのなら、悪いことではないわ」
「君はいつもそうだ」
サミュエルが静かに呟く。
「口では好きではないと言いながら、誰よりも真剣に取り組んでいる」
アイラは答えず、窓の外へ視線を向けた。
庭には、いくつかの明かりが灯っている。
その下には白い壁と、綺麗に刈り揃えられた低木が見えた。
さらに、子供たちが昼間遊んでいた木馬や球も置かれている。
ここは、とても静かだった。
すべてのものが、あるべき場所へ正しく収められているような静けさだった。
◇ ◇ ◇
夕食を終えると、サミュエルはアイラを部屋まで送った。
廊下には分厚い絨毯が敷かれており、二人の足音はほとんど響かない。
アイラの部屋は二階の奥まった場所にあった。
窓からは中庭を見渡すことができる。
サミュエルは扉を開け、さらに寝台のそばにある小さな灯りへ火を点けた。
「早めに休むんだよ」
アイラは扉のそばに立ったまま、彼を見る。
「あなたも、遅くまで帳簿を見ていては駄目よ」
「君の言うとおりにするよ」
サミュエルは笑いながら、静かに扉を閉じた。
夜は少しずつ深くなっていく。
やがて、《晨星の家》は完全な静寂に包まれた。
アイラは身体を洗い、寝間着へ着替えた。
寝台の端へ腰掛け、しばらく本を読む。
紙の上に並ぶ文字は、はっきりと見えていた。
それなのに、頁を読む速度は普段よりも遅い。
本当に疲れているのかもしれない。
アイラは本を閉じると、枕元の灯りを吹き消した。
部屋が暗闇に沈む。
どれほど時間が経った頃だろうか。
窓の外から、ほんの僅かな音が聞こえた。
アイラは目を開ける。
すぐには動かなかった。
呼吸は眠っているときと変わらず、穏やかなままだ。
だが、片手はすでに寝台のそばに置かれたレイピアへ伸びていた。
次の瞬間。
窓が外側からゆっくりと押し開けられた。
一つの人影が音もなく部屋へ入り込む。
アイラは勢いよく身体を起こした。
レイピアが鞘から抜き放たれ、月光を反射した剣身が鋭い線を描く。
「誰?」
侵入者は窓のそばに立ったまま、それ以上近づこうとはしなかった。
月明かりが、その顔を照らす。
ジャヤ。
いや。
暮星城から追放され、自分が連行されていく姿を見届けた男。
アイラの眼差しが一瞬で冷たくなった。
「まだ戻ってくる度胸があったのね」
アーガは彼女を見た。
濃い色の外套を身につけている。
十日前よりも少し頬が痩せていたが、瞳は冴え、冷静だった。
「アイラ」
アーガは言った。
「一つ、見てみたくはないか?」
アイラは剣の柄を握り締める。
「あなたの嘘を?」
「それとも、二度目に私の部屋へ忍び込む方法を見せるつもり?」
アーガは、その言葉に怒ることはなかった。
「リナの傷を治療してくれたそうだな」
「お前が奴の共犯ではないことは分かった」
アイラの表情は和らがない。
「彼女のことを口にしないで」
「なぜ口にしてはいけない?」
アーガは言った。
「ずいぶんとサミュエルを信じているんだな」
アイラの目に鋭い光が宿る。
「私が彼を信じているのは、彼という人間を知っているからよ」
「証拠を何一つ出せないあなたが、何度も彼を中傷しているだけでしょう」
「だから今、お前のところへ来た」
「なぜ?」
「今の俺は誰からも信用されていないからだ」
アーガは静かに答えた。
「俺が何を言っても、誰も信じない」
「冒険者ギルドも、衛兵も、暮星城の人間もだ」
アイラが冷笑する。
「だから、私には信じてほしいと?」
「信じろとは言っていない」
アーガは言った。
「自分の目で見ろ」
アイラは何も答えなかった。
「真実を見たあと、お前自身の口から話せ」
「そうすれば、暮星城の人間たちも信じる」
「お前は《晨星の家》で暮らしている。お前はアイラだ」
「この街の誰もがお前を知り、お前の言葉なら信じようとする」
アイラの顔が、少しずつ険しくなる。
「私の名声を利用するつもりなのね」
「サミュエルはすでにそうしている」
レイピアが一瞬で持ち上がった。
切っ先が、アーガの喉元へ向けられる。
「黙りなさい」
アーガは後退しなかった。
「奴はお前の名声を使い、《晨星の家》へ清潔な外皮を被せた」
「お前がいるから、誰も孤児院を疑わない」
「お前が奴を信じているから、全員が奴を信じる」
アイラの声には、押し殺した怒りが滲んでいた。
「私の婚約者をそれ以上侮辱しないで」
「なら、俺と一緒に見に行け」
「もうあなたの戯言を聞くつもりはないわ」
二人の間に、短い静寂が落ちた。
開いた窓から夜風が吹き込み、薄いカーテンを揺らす。
遠くに見える中庭の灯火も、風を受けて僅かに揺れていた。
まるで、何かが声もなく二人を見つめているようだった。
アーガは顔を僅かに伏せ、ゆっくりと息を吐く。
「どうやら、戦いは避けられないらしい」
アイラはレイピアを身体の前へ構えた。
「もっと早く気づくべきだったわね」
アーガは右手を上げる。
その掌に、一つのベルトが現れた。
ベルトは彼の腰へ巻きつき、金属製の留め具が澄んだ音を立てて閉じる。
アイラの眼差しが、僅かに変化した。
アーガは彼女を見ず、四枚のカードを順番に取り出した。
赤カード1《火》。
黄カード1《棕熊》。
青カード2《血怒化》。
緑カード1《穿刺》。
四枚のカードが、アーガの指の間で順番に輝く。四つの光が顔を照らし、その表情を明滅させた。
アイラは剣を握る指へ、さらに力を込める。
アーガの身体を巡る魔力が、変化し始めたのを感じ取ったからだ。
もはや、単一の基礎カードから生じる魔力ではない。
複数の低階級能力を強引に重ね合わせた、複雑な振動。
決して華やかな力ではなかった。
だが、危険だった。
四枚のカードが、すべてベルトへ差し込まれる。
アーガが中央のバックルを押し込んだ。
「融合――変身」
四つの光が同時に爆発する。
そして次の瞬間、そのすべてがアーガの身体へ押し戻された。
灼熱の気流が足元から広がり、カーテンが激しくはためく。
床板から、小さな焦げる音と亀裂が走った。
赤い紋様がアーガの両腕へ浮かび上がる。
肩と背中が一回り大きくなり、指の関節は暗色の硬質な装甲に覆われた。
胸元には、燃え上がる炎を骨組みの中へ閉じ込めたような、灼熱のカード紋が刻まれる。
さらに、棘のように尖った魔力が前腕の外側から伸び、その縁には危険な冷たい光が宿っていた。
ベルトの中央で、四枚のカードを示す紋章が順番に点滅する。
『炎熱形態――121号』
アーガが顔を上げた。
その瞳には、赤い炎が映り込んでいる。
「アイラ」
低く、重い声が響いた。
アイラはレイピアを構え直す。
緑色の長い髪が、熱風を受けて大きく舞い上がった。
「私の手で、あなたを衛兵へ引き渡すわ」
アーガが一歩、前へ踏み出す。
足元の床板に細い亀裂が走った。
「なら、やってみろ」




