第152話 西門の外
翌朝。
三人は西門から暮星城の外へ出た。
衛兵は依頼書を確認すると、三人の顔をもう一度見た。
「行方不明になった子供を捜す依頼か?」
アーガは頷く。
「はい」
衛兵は依頼書を返しながら、眉を寄せた。
「少し前にも、自分の子供を捜している者が来た。だが、俺たちは子供が町を出るところなど見ていない」
「夕方もですか?」
「見ていない」
衛兵は答えた。
「西門は人通りが少ないが、無人になるわけじゃない。七歳の子供が一人で町を出れば、必ず誰かが気づく」
「魔物が城門の近くまで来たことは?」
衛兵は首を横へ振る。
「最近はないな。山の麓から、小型の魔物が下りてくることはある。だが、本当に城門へ近づいたのなら、巡回隊がとっくに始末している」
アーガは、それ以上質問しなかった。
短く礼を言い、リナとイータを連れて城門を通り抜ける。
◇ ◇ ◇
町の外へ出ると、周囲は一気に静かになった。
石畳の道は、少し進んだところで土の道へ変わる。
荷車が通った轍が、西門から遠方まで真っすぐに伸びていた。
街道の両側には、背の低い野草が生えている。
さらに外側には、緩やかに起伏する山地が広がっていた。
夏の日差しが、草葉の表面へ降り注ぐ。
遠方に連なる山々は、薄い霧に覆われている。
最も高い雪峰には、今も僅かに白い雪を見ることができた。
イータは一度、後ろを振り返った。
西門の衛兵は、まだはっきり見える距離に立っている。
「もし、ノアがここから出てきたのなら、確かにすぐ見つかってしまいますね」
リナは前方を見つめながら言った。
「自分の足で、歩いて出てきたのでなければ別ですが」
アーガは答えなかった。
三人は、山の麓へ続く道を歩き始める。
城外の地形は、それほど複雑ではなかった。
暮星城に近いこの一帯は、普段から多くの者が通っているらしい。
道端には、車輪に踏み固められた跡が残っている。
冒険者が以前使ったものと思われる、古い焚き火の灰も何か所かに残されていた。
さらに進むと、道端の草が少しずつ高くなっていく。
柔らかな土の上には、時折小型魔物の足跡が残っていた。
イータは、その場へしゃがみ込んだ。
足跡を観察し、続いて鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。
「魔物の匂いがあります」
「どの程度の魔物だ?」
「とても弱いです」
イータは答えた。
「灰背蜥蜴と……地鼠の魔物が何匹かいると思います」
それから間もなく、三人は一匹目の灰背蜥蜴を見つけた。
それは岩の裏側へ身を隠していた。
体長は、大人の腕ほどしかない。
背中には、灰色をしたざらついた鱗が生えている。
三人が近づくと、灰背蜥蜴はすぐに背中を丸めた。
大きく口を開き、威嚇するような音を出す。
「シャアアッ!」
リナが片手を上げた。
草地から一本の蔓が伸び、灰背蜥蜴の尾へ巻きつく。
突然捕まった灰背蜥蜴は、何度か身体を捻って抵抗した。
だが、逃げられないと気づくと、すぐに威嚇するのをやめて小さく丸まった。
イータは、蔓に吊られた灰背蜥蜴を見つめる。
「この魔物が、子供を連れ去ることはできますか?」
アーガも一度だけ確認した。
「子供の靴すら、引きずれないだろうな」
リナが蔓を緩める。
地面へ落ちた灰背蜥蜴は、慌てて草むらへ飛び込み、姿を消した。
その後、三人は半日ほど周辺を調べ続けた。
小型の魔物は、確かにかなりの数が生息している。
草むらの中には、木を齧る地鼠の魔物。
小川の近くには、嘴の尖った鳥型魔物。
山の斜面では、木の実を盗み食いしている短尾猿を二匹見つけた。
どれも、普通の人間にとっては多少危険な存在ではある。
油断すれば、噛まれたり引っかかれたりするかもしれない。
しかし、一人の子供を誰にも気づかれずに連れ去るほどの力はなかった。
◇ ◇ ◇
昼頃。
三人は、日陰になっている大きな岩のそばで休憩した。
リナは水袋を取り出し、アーガへ手渡す。
「もっと強い魔物だった可能性はありませんか?」
アーガは水袋を受け取り、一口だけ水を飲んだ。
「可能性は低い」
「なぜですか?」
「強い魔物が城門へ近づけば、衛兵がまったく気づかないはずがない。ここは暮星城から近すぎる。毎日、商隊や狩人、冒険者が通っている場所だ。子供を音もなく連れ去れる魔物が周辺で活動しているなら、失踪者がノア一人だけで済むとは思えない」
リナは小さく頷いた。
イータは二人のそばへ座り、周囲の音を聞くように耳を何度か動かした。
「でも、町の中にも手掛かりはありませんでした」
「だから厄介なんだ」
アーガは答えた。
懐から依頼書を取り出す。
そこに書かれた内容を、もう一度最初から読み返した。
ノア・フォスター。
七歳。
二日前の夕方、西区の草地で行方不明になった。
一緒に遊んでいたダニーによると、ノアは木の裏へ飛んだ球を拾いに行った。
そして、そのまま姿を消した。
西門の衛兵は、子供が町の外へ出る姿を見ていない。
町の外では、強力な魔物が活動している痕跡も見つからない。
すべての情報を並べても、答えには近づかなかった。
それどころか、考えられる道が一つずつ塞がれていくだけだった。
リナはアーガを見る。
「アーガ様、次はどうしますか?」
アーガは顔を上げた。
遠方に浮かぶ山影へ目を向ける。
昼間に手掛かりが見つからないのなら、夜の様子を調べるしかない。
「今夜は、町へ戻らない」
イータが顔を上げた。
「外で夜を過ごすんですか?」
「ああ。見つかりにくい場所に野営地を作る。夜になってから、城門へ近づく魔物がいないか、あるいは怪しい人間がこの辺りを通らないか確認する」
「何も起きなかったら、どうするんですか?」
イータが尋ねた。
「少なくとも、一つの可能性は消せる」
◇ ◇ ◇
午後。
三人は、さらに捜索範囲を広げた。
アーガは特に、普段は見落としそうな細い道を一本ずつ確認していく。
山の麓へ続く道、林の奥へ伸びる道。
狩人や薬草採取者が何度も通ることで作られた、細い獣道のような道もあった。
イータは、いくつもの場所で人間の匂いを見つけた。
しかし、どれも複雑に混ざり合っている。
古い匂いも多く、誰のものなのかまでは判断できなかった。
夕方になる前。
三人は低い丘の裏側で、野営に適した場所を見つけた。
街道からは、それほど離れていない。
だが、岩と灌木に囲まれており、外から直接三人の姿を見ることは難しかった。
数歩前へ進めば、西門の外へ続く街道をはっきり観察できる。
リナは蔓を操り、地面の草や小石を退かして野営できる空間を作った。
イータは近くを歩き、落ちている乾いた枝を集めてくる。
アーガは大きな火を焚かなかった。
岩の陰に、小さな焚き火を一つ作っただけだった。
炎の光は岩に遮られ、遠くから野営地の位置を見つけることはできない。
やがて、空が少しずつ暗くなっていく。
暮星城の城壁は、夕日に照らされて深い赤色へ染まっていた。
西門の上では、松明が一つずつ灯されていく。
衛兵も交代した。
夜の帳が完全に下りる前、大きな城門が閉じられる。
その隣にある小さな通用門だけが残され、夜間の巡回隊が出入りできるようになっていた。
山から吹く風は、町の中よりも少し冷たかった。
イータは焚き火のそばで、両膝を抱えるように座っている。
白い耳は休むことなく動き、周囲の音を聞き続けていた。
リナはアーガの隣に座った。
片手の指先を地面へ軽く触れさせている。
異変が起きれば、いつでも蔓を伸ばせる姿勢だった。
アーガは岩へ背中を預け、遠くの街道を見つめる。
夜は、少しずつ深くなっていった。
何匹かの小型魔物が、草むらの中を走り抜けた。
だが、イータが早い段階で気づいたため、どの魔物も三人へ近づくことなくその場を離れていく。
夜も半ばを過ぎた頃。
一組の巡回隊が、西門の通用門から姿を現した。
数人の衛兵が松明を持ち、山の麓へ続く道を一通り確認していく。
しばらくすると、何事もなく再び町の中へ戻っていった。
それ以外には、何も起こらなかった。
子供の泣き声も聞こえない。
大型の魔物も現れない。
怪しい人影が、街道を通ることもなかった。
やがて、空の端が薄い灰色へ変わり始める。
遠方の雪峰も、朝日の光を受け再び白く輝き始めた。
それでも、西門の外は最初から何も起きていなかったかのように静かなままだった。
イータは眠そうに目を擦る。
「アーガ様、何もありませんでしたね」
アーガは、明るくなり始めた街道を見つめた。
しばらくの間、何も言わない。
やがて、静かに頷いた。
「ああ」
最初の夜。
何事も起こらなかった。




