第150話 E級依頼
翌日の午前。
アーガたち三人は、再び冒険者ギルドを訪れた。
今日の大広間は、普段よりも騒がしかった。
依頼掲示板の前には多くの冒険者が集まっている。
新しく貼り出された依頼書を見上げる者。
どの依頼が最も割に合うのか、声を潜めて言い争っている者もいた。
レックスたちは、いつもの長机で酒を飲んでいる。
一方、エイヴンは受付台のそばに立っていた。
手には、山道の巡回依頼が書かれた羊皮紙を持っている。
どうやら、受付嬢と巡回経路を確認しているらしい。
アーガは、すぐには受付へ向かわなかった。
まず、依頼掲示板の最下部へ目を向ける。
F級依頼は、相変わらず同じようなものばかりだった。
猫や犬の捜索。
荷物運び。
手紙の配達。
倉庫に入り込んだ小型魔獣の駆除。
報酬は、数枚の銅貨から銀貨一枚程度。
達成実績も、一件ずつ地道に積み重ねていくしかない。
アーガはしばらく掲示板を眺めた。
やがて、その眉間へ僅かに皺が寄る。
(このままでは遅すぎる)
暮星城で宿と食事を確保するだけなら、F級依頼の報酬でも何とかなる。
だが、三人はいつまでもこの街に留まるつもりはない。
猫や犬を捜し続け、その報酬だけで旅費を貯めるわけにもいかなかった。
価値のある依頼を受けるためには、最低でもE級まで上がる必要がある。
そのときだった。
受付台の奥から、受付嬢のよく通る声が響いた。
「緊急依頼です!」
大広間の喧騒が、僅かに静まる。
「行方不明になった子供一名の捜索」
「依頼主から提示された報酬は、金貨三枚です」
「依頼等級は、暫定的にE級とします」
「F級パーティーも受注申請が可能ですが、達成後にはギルドによる審査を受けていただきます」
その言葉を聞いた瞬間。
大広間にいた多くの冒険者が、受付嬢へ視線を向けた。
金貨三枚。
高位の冒険者にとっては、特別に高い報酬ではない。
しかし、F級やE級の冒険者にとっては、十分すぎるほど大きな金額だった。
さらに重要なのは――。
依頼等級が、暫定E級であること。
この依頼を達成できれば、《仮面戦隊》はそのまま昇級審査を申請できる可能性が高い。
受付嬢が依頼書を掲示板へ貼りつける。
その直後。
アーガはすでに、依頼書へ向かって歩き始めていた。
動きは速かった。
近くにいたほかの冒険者たちが反応するより先に、掲示板から羊皮紙を取り外す。
「ちっ、早いな」
誰かが小さく舌打ちした。
「見ない顔だな。新人か?」
「子供の失踪依頼なんて、簡単とは限らないぞ」
背後から聞こえる声を無視し、アーガは依頼書を持って受付台へ戻った。
受付嬢は、依頼書を持ってきたのがアーガだと気づくと、少し驚いた表情を見せた。
「ガイア様」
「こちらはF級の方でも申請できますが、危険がないという意味ではありません」
受付嬢は、依頼書へ目を落とす。
「失踪した原因は、まだ分かっておりません」
「魔物が関係している可能性もあれば、犯罪に巻き込まれた可能性もあります」
「分かっている」
アーガは答えた。
「俺たちが受ける」
リナが、アーガの持つ依頼書へ視線を向ける。
イータも隣から覗き込んだ。
『行方不明の子供』という文字を見て、白い耳が僅かに立ち上がる。
明らかに気になっている様子だった。
受付嬢が依頼の登録を始めようとした、そのとき。
ギルドの入り口付近で、小さな騒ぎが起こった。
アーガは振り返る。
エラが、冒険者ギルドへ入ってきた。
昨日着ていた白い長裙ではない。
今日は、身体を動かしやすそうな淡い緑色の剣士服を身につけている。
長い緑色の髪は、背中で一つに結ばれていた。
腰には、細身の剣が下げられている。
エラが姿を現した瞬間。
大広間にいた多くの冒険者が、会話を止めた。
昨日、街中で見た反応とよく似ている。
さすがに冒険者たちは、一般市民のように彼女を取り囲みはしなかった。
それでも、多くの視線が自然とエラへ集まっていた。
エラは周囲の反応を気にすることなく、真っ直ぐ依頼掲示板へ向かう。
何列かの依頼書へ視線を走らせたあと。
その目が、アーガの手にある羊皮紙で止まった。
「その依頼書は――」
エラが静かに尋ねる。
「行方不明になった子供を捜す依頼ですか?」
受付嬢がうなずいた。
「はい、エラ様」
「ですが、すでにこちらのガイア様が受注を希望されています」
エラはアーガへ目を向けた。
その瞳は穏やかだった。
だが、相手を静かに見定めるような色が含まれている。
敵意ではない。
すでにアーガたちを、この依頼には相応しくないと判断しているような目だった。
「その依頼は、私たちへ任せるべきです」
エラは言った。
アーガは、すぐには答えなかった。
「私は孤児院で暮らしています」
エラは言葉を続ける。
「これまで、多くの身寄りのない子供たちとも接してきました」
「子供が失踪した場合、必要になるのは単純な武力だけではありません」
「家族を落ち着かせ、子供の普段の行動や性格を聞き出すこと」
「その子がどこへ行く可能性があるのか、慎重に判断する必要があります」
エラはアーガたち三人を見た。
「あなた方は、暮星城へ来たばかりでしょう?」
「この街のことを、まだよく知らないはずです」
口調は荒くなかった。
むしろ、十分に言葉を選んでいる。
しかし。
だからこそ、その内側にある揺るぎない優越感が、より明確に伝わってきた。
アーガはエラを見返した。
「依頼書を取ったのは俺だ」
エラの眉が僅かに寄る。
「依頼を譲ってくださるのであれば、一定の補償金を支払います」
「断る」
「なぜですか?」
「この報酬が必要だからだ」
アーガは平然と答えた。
「それに、この依頼を達成すれば、俺たちはE級へ上がれる可能性がある」
周囲の空気が、一瞬だけ静まった。
エラの眉間に、先ほどよりも深い皺が寄る。
「お金のためだけに、この依頼を受けるのですか?」
「金は理由の一つだ」
アーガは答える。
「昇級も理由の一つ」
「もちろん、受けた以上は真剣に捜す」
エラがアーガを見る目が、僅かに冷たくなった。
「子供が行方不明になっているのですよ」
「家族は今頃、心が壊れそうなほど苦しんでいるはずです」
「それなのに、あなたが最初に考えるのは報酬と昇級ですか?」
アーガの声は変わらない。
「冒険者が依頼を受けるのは、報酬を得るためだろう」
エラの表情から、微笑みが完全に消えた。
「下劣ですね」
冷たい声だった。
「吐き気がします」
イータの耳が勢いよく立ち上がった。
リナも顔を上げる。
二人の瞳へ、はっきりとした冷たさが浮かんでいた。
しかし。
アーガは片手を上げ、二人が口を挟まないよう制した。
そのまま、エラを静かに見つめる。
「俺を下劣だと思うのは、お前の自由だ」
「だが、依頼は俺たちが受ける」
エラの手が、腰に下げられた剣の柄へ触れた。
指先へ、僅かに力が込められる。
受付嬢はそれに気づき、慌てて口を開いた。
「エラ様」
「ギルドの規則では、依頼書を掲示板から外し、正式な登録を申請した方に優先権があります」
「ガイア様が自ら辞退しない限り、ほかの方が強制的に依頼を譲らせることはできません」
エラは、しばらく何も言わなかった。
やがて、剣の柄から手を離す。
「本当に、その子を見つけられることを願っています」
エラはアーガを見つめた。
「金貨三枚のことだけを考えるのではなく」
アーガは依頼書を受付嬢へ差し出した。
「登録してくれ」
「……承知しました」
受付嬢は依頼内容を登録し、羊皮紙へギルドの印章を押した。
アーガは、正式に受理された依頼書を受け取る。
エラは、まだ受付台のそばに立っていた。
改めてアーガを観察するように、その姿を見つめている。
しかし、その瞳に信頼はほとんどない。
浮かんでいるのは、不満と警戒心だった。
アーガは依頼書を折り畳み、外套の内側へ収めた。
「行くぞ」
リナとイータが、すぐにあとへ続く。
三人がギルドの出口へ向かう間。
大広間のあちこちから、小さな話し声が聞こえてきた。
「あの新人、度胸があるな」
「エラ様と依頼を取り合うなんて」
「金のために子供を捜す依頼を受けるっていうのは、聞こえが悪いよな」
「冒険者が金のために働かないなら、何のために働くんだ?」
「壁に飾る名誉徽章のためか?」
「いや、そう言われればそうなんだが……」
アーガは振り返らなかった。
◇ ◇ ◇
冒険者ギルドを出ると、眩しい陽光が街道へ降り注いでいた。
西区には多くの人々が行き交っている。
馬車と歩行者が同じ通りを進み、遠くからは鐘楼の音も聞こえてきた。
しばらく歩いたところで。
イータが、とうとう我慢できなくなったように口を開いた。
「アーガ様」
「あの人、酷いことを言いました」
「ああ」
「私たちだって、真剣に捜すつもりなのに……」
「あいつは、それを知らない」
リナが静かに言う。
「エラ様は、子供のことをとても大切にしているようですね」
「だから、怒ったんだろう」
アーガは前を見たまま答える。
「あいつにとって、こういう依頼を受ける人間は、最初に善意や同情を示すべきなんだ」
「金が必要だから受ける、とは言ってほしくなかったんだろうな」
イータは納得できないように眉を寄せた。
「でも、私たちがお金を必要としているのは本当です」
「だから、エラも完全に間違っているわけではない」
アーガは言った。
「俺たちが、この依頼の報酬を必要としているのは事実だ」
リナがアーガを見る。
「アーガ様……」
「だが、受けた依頼は必ず終わらせる」
アーガの声に迷いはなかった。
「金のためでも、子供のためでも」
「最後に判断されるのは、結果だ」
リナは静かにうなずいた。
イータも、それ以上は何も言わなかった。
◇ ◇ ◇
三人は、白楡通りへ向かった。
白楡通りは、西区の北側に位置している。
昨日、犬を捜している途中で通った道からも、それほど離れていなかった。
目的地へ近づくほど、通りは静かになっていく。
建物の間隔も、中央通りほど狭くはない。
道端には何本もの古い楡の木が植えられていた。
枝葉が作る影が石畳へ落ち、風に吹かれるたび、ゆっくりと揺れている。
白楡通り二十三番地。
そこには、二階建ての小さな家があった。
玄関の前に、一人の女性が立っている。
顔色は青白い。
両手で前掛けの端を強く握り締めていた。
目は赤く腫れ、何日もまともに眠っていないように見える。
アーガたちが近づくと、女性はすぐに駆け寄ってきた。
「冒険者ギルドの方ですか?」
アーガは外套の内側から、依頼書を取り出した。
「固定パーティー《仮面戦隊》だ」
「ノアを捜す依頼を受けた」
女性の唇が震えた。
溺れかけた者が、ようやく掴まる物を見つけたような表情だった。
「どうか……」
女性は消え入りそうな声で言った。
その言葉には、縋りつくような必死さが込められていた。
「どうか、あの子を見つけてください」
アーガは女性の顔を見つめた。
そして、静かにうなずく。
「まず、教えてくれ」
依頼書を持つ手へ、僅かに力を込めた。
「ノアは、どこで姿を消した?」




