第147話 依頼をこなす
西通り十七番地。
依頼主の名前は、グレン。
四十代半ばほどの男だった。
家の庭には、犬を飼育するための木造小屋が何列も並んでいる。
それぞれの小屋の前には、水を入れた器と餌皿が置かれていた。
依頼書を持ったアーガたちの姿を見ると、グレンはすぐに五頭の特徴を説明し始めた。
「黒い犬が二頭。黄褐色が一頭、灰白色が一頭。それから白い犬が一頭だ」
グレンは困ったように額を押さえた。
「白い奴は、右耳の先が少し欠けている」
「昨日の夕方、餌をやろうとしたら、どういうわけか全頭一緒に逃げ出してな」
「普段なら、あんなことは絶対にしないんだが……」
「首輪はつけているのか?」
アーガが尋ねる。
「ああ、全頭につけている」
グレンはうなずいた。
「首輪には、俺の名前も刻んである」
イータは庭の中央へ移動すると、その場へしゃがみ込んだ。
鼻先を僅かに動かし、周囲に残された匂いを嗅ぎ分けていく。
「いろいろな匂いが混ざっています」
しばらくして、顔を上げた。
白い耳が真っ直ぐ立っている。
「でも、犬たちの匂いは分かります」
イータは通りの先を指さした。
「あちらへ走っていったみたいです」
「なら、追うぞ」
三人は西通りを進み、五頭の犬の痕跡を追い始めた。
◇ ◇ ◇
一頭目の黒犬は、肉屋の裏路地で見つかった。
どこから盗んできたのか、大きな骨を口に咥えている。
イータたちに気づいた黒犬は、骨を咥えたまま勢いよく走り出した。
「逃げた!」
アーガが追いかけようとする。
しかし、それより先にリナが片手を上げた。
路地の隅に生えていた細い蔓が動き出す。
地面を這うように伸び、黒犬の前脚へ柔らかく巻きついた。
「ワンッ!」
黒犬は勢いを失い、そのまま地面へ転がった。
イータが急いで駆け寄る。
「捕まえました!」
暴れる黒犬を抱き上げると、首輪を確認した。
そこには、確かにグレンの名前が刻まれていた。
二頭目と三頭目は、使われなくなった古い馬小屋に隠れていた。
どちらもひどく警戒している。
アーガが入り口へ近づいた瞬間、二頭は壊れた扉の隙間から飛び出した。
「また逃げるのか……」
アーガはため息をついた。
指先を動かす。
地面から数本の蔓が伸び、二頭の正面へ回り込んだ。
同時に、リナの蔓が背後から伸びる。
前後を塞がれた二頭は、慌てて方向を変えようとした。
しかし、蔓が足へ巻きつく。
「ワン! ワンワン!」
二頭は必死に足を動かし、蔓から逃れようと暴れた。
リナは手元へ神経を集中させ、慎重に蔓の力を調整する。
「強く締めすぎないでください」
「怪我をしてしまいます」
「分かっている」
アーガも蔓を緩め、逃げられない程度に二頭の動きを止めた。
四頭目の黄褐色の犬は、簡単に見つかった。
走り疲れたらしく、広場の噴水のそばへ伏せ、水を飲んでいた。
イータが干し肉を取り出し、少しずつ近づく。
「おいで」
「怖くないですよ」
犬は鼻を動かした。
イータの手にある干し肉を見つめ、警戒しながらも近づいてくる。
最後には、何の抵抗もなく捕まった。
「これで四頭です!」
残るのは、あと一頭。
右耳の先が欠けた白い犬だった。
アーガは依頼書を開き、改めて内容を確認する。
「右耳が少し欠けている白犬」
「五頭の中で、一番足が速いらしい」
イータは通りの角へしゃがみ込んだ。
地面すれすれまで顔を近づけ、残された匂いを追う。
だが、次第に眉間へ皺が寄っていった。
「どうした?」
「こちらです」
イータは立ち上がり、西側へ続く道を見た。
「城の西側へ向かっています」
「城西か」
アーガも遠くへ目を向けた。
城西の通りは、中央通りと比べてずっと静かだった。
さらに外側へ進めば、低い民家と空き地が多くなる。
三人はイータの嗅覚を頼りに、白犬の痕跡を追った。
◇ ◇ ◇
それから、三十分ほど歩いた頃。
一軒の小さな施設の前で、ようやく白犬を発見した。
建物を囲う壁は低い。
門の上には、古い木製の看板が掲げられていた。
《暁星の家》
どうやら、孤児院らしい。
院内では、数人の子供たちが石や木製の球を使って遊んでいた。
白犬は門のそばにしゃがみ込んでいる。
身体は強く緊張し、喉の奥から低い唸り声を上げていた。
「あの犬です」
イータが声を潜めた。
「見つけました」
イータが近づこうとする。
その瞬間、白犬は顔を院内へ向けた。
子供たちを見ながら、激しく吠え始める。
「ワン!」
「ワンワン!」
突然の鳴き声に、遊んでいた子供たちは驚いた。
その中で、少し年上に見える少年が、恐る恐る門へ近づいてくる。
「お兄ちゃん」
少年はアーガを見上げた。
「この犬、お兄ちゃんたちの犬なの?」
「違う」
アーガは首を横へ振った。
「俺たちは依頼を受けて、逃げ出した犬を飼い主のところへ戻そうとしているだけだ」
別の小さな女の子が、白犬を興味深そうに見つめていた。
「可愛い……」
「触ってもいい?」
アーガは白犬の様子を見る。
白犬の視線は、子供たちから離れない。
尻尾は後脚の間へ巻き込まれ、身体は少しずつ後退していた。
鳴き声も、徐々に切迫したものへ変わっている。
襲おうとしているというよりも――。
何かに怯えているように見えた。
「俺は構わない」
アーガは言った。
「ただし、俺の犬ではない」
「触るなら気をつけろ」
女の子が、おずおずと手を伸ばす。
その瞬間。
白犬が再び大きく吠えた。
「ワンッ!」
子供たちは驚き、一斉に後ろへ下がった。
年上の少年が、慌てて女の子の腕を引く。
「やめておこう」
「この犬、僕たちのことが嫌いみたいだ」
子供たちは白犬を警戒しながら、すぐに院内へ戻っていった。
白犬は、子供たちが離れていった方向を見つめ続けている。
イータが干し肉を持ち、ゆっくりと近づいた。
しばらくすると、白犬の鳴き声が小さくなった。
「大丈夫です」
イータは白犬の前へしゃがみ、穏やかな声で話しかける。
「怖くありませんよ」
「飼い主さんのところへ帰りましょう」
白犬は干し肉の匂いを嗅いだ。
今度は逃げようとしない。
イータが首輪へ手を触れても、抵抗することはなかった。
アーガは孤児院の看板を見上げた。
続いて、院内で遊び始めた子供たちを見る。
「《暁星の家》か……」
「アーガ様?」
リナが声をかけた。
「いや、何でもない」
アーガは視線を戻した。
「先に依頼を終わらせよう」
◇ ◇ ◇
五頭の犬を西通り十七番地へ連れ帰ると、グレンは明らかに安堵した表情を見せた。
「良かった……!」
「全頭、無事だったか」
一頭ずつ首輪を確認し、身体に傷がないかを調べていく。
異常がないことを確認すると、グレンは依頼書へ署名した。
アーガは最後の白犬を引き渡しながら、何気なく尋ねる。
「この犬たちは、長く飼っているのか?」
「三頭は、子犬の頃から育てている」
グレンは一頭の黒犬の頭を撫でた。
「残りの二頭は、最近引き取ったばかりだ」
「引き取った?」
「ああ」
グレンは、右耳の欠けた白犬を指さす。
「特にこいつは、数日前に孤児院の近くで見つけた」
「右耳も欠けているし、随分と痩せていてな」
「可哀想だったから、うちへ連れてきたんだ」
アーガは白犬へ目を向けた。
白犬は庭の隅で小さく身体を丸めている。
もう吠えてはいない。
だが、耳は頭へ強く押しつけられたままだった。
リナも白犬を見た。
何も言わなかった。
グレンは署名した依頼書をアーガへ返す。
「助かった。ありがとう」
「報酬は、ギルドで受け取ってくれ」
「ああ」
三人はグレンの家をあとにした。
通りへ出ると、イータは依頼書を両手で大切そうに持ち上げた。
その表情は、明らかに嬉しそうだった。
「最初の依頼、達成しました!」
「犬を捜しただけだろ」
アーガが言う。
「それでも、達成したことに変わりはありません!」
リナが小さく笑った。
「今回は、イータのおかげですね」
「イータがいなければ、もっと時間がかかっていたと思います」
イータの尻尾が大きく揺れた。
褒められたことが嬉しいのか、口元の笑みを隠しきれていない。
◇ ◇ ◇
午後。
三人は、城北部にある農地へ向かった。
現地で確認したゴブリンは、依頼書に書かれていた数よりも少し多かった。
全部で六体。
四体は農家が収穫して干していた玉蜀黍を盗んでいる。
残る二体は、水路の中へ身を隠し、周囲を見張っていた。
何も知らないF級の新人が正面から近づけば、背後から襲われていた可能性が高い。
確かに油断できる相手ではない。
だが、アーガたちにとっては大きな問題ではなかった。
最初に、イータが水路に隠れている二体の匂いを察知した。
「二体います」
「あの水路の中です」
アーガはうなずく。
黄カード2《チーター》の力を発動した。
身体能力が一瞬で強化される。
アーガの姿が農道から消え、ゴブリンたちの背後へ回り込んだ。
同時に、リナが地面へ手を向ける。
何本もの蔓が伸び、林へ続く退路を塞いだ。
「ギャッ!?」
「ギギャアッ!」
水路に隠れていたゴブリンたちは、アーガの接近に気づくと慌てて立ち上がった。
甲高い叫び声を上げ、林の方へ逃げようとする。
しかし、すでに退路は蔓に塞がれていた。
アーガは剣を抜く。
刃ではなく、剣の平らな部分をゴブリンの頭へ叩きつけた。
――ゴンッ!
一体目が、その場へ倒れる。
続けて身体を回転させ、二体目も殴り倒した。
玉蜀黍を盗んでいた四体が騒ぎに気づいた。
破損した短刀や錆びた刃物を掲げ、アーガたちへ突進してくる。
リナが指を動かす。
地面から伸びた蔓が、二体の足首へ絡みついた。
「ギャアッ!」
二体は勢いよく地面へ倒れ込む。
残る二体の側面へ、イータが飛び込んだ。
小さな掌の前へ、無数の氷の針が形成される。
「《氷晶千針》!」
氷の針が一斉に放たれた。
二体のゴブリンへ降り注ぎ、その身体を貫く。
ゴブリンたちは悲鳴を上げ、その場へ崩れ落ちた。
最後に残った一体が、慌てて玉蜀黍畑の中へ逃げようとした。
だが、アーガが横から蹴りを放つ。
「逃がすか」
――ドンッ!
ゴブリンは畑から蹴り出され、畦道の上へ転がった。
戦闘は、短時間で終わった。
農家の者たちは、倒されたゴブリンと周囲の状況を確認する。
これ以上、農地へ被害が出る可能性が低いと判断すると、依頼書へ署名した。
これで二つ目の依頼も達成となる。
◇ ◇ ◇
夕方。
三人は暮星城の冒険者ギルドへ戻った。
受付嬢は二枚の依頼書を確認すると、少し驚いたように三人を見た。
「初日に、二件とも達成されたのですか?」
「運が良かっただけだ」
アーガは平然と答えた。
受付嬢は依頼書へ達成済みの印を押し、報酬を机の上へ並べる。
「猟犬五頭の捜索依頼。報酬は銅貨三十枚」
「ゴブリンの排除依頼。報酬は銀貨一枚と銅貨二十枚です」
「二件の達成記録は、すでに登録しました」
イータは机の上に並べられた硬貨を見て、目を輝かせた。
アーガは報酬をまとめ、金袋へ入れる。
決して多くはない。
だが、少なくとも今日の食費と宿代は確保できた。
三人が受付を離れる。
レックスたちが座っていた長机からは、もう笑い声は聞こえなかった。
三人が本当にゴブリンの依頼を終えて戻ってきたことを知り、何も言えなくなったらしい。
一方、エイヴンは離れた席から三人を見ていた。
目が合うと、笑いながら杯を軽く掲げる。
アーガも僅かにうなずき、それに応えた。
◇ ◇ ◇
冒険者ギルドを出る。
通りはすでに薄暗くなり始めていた。
「アーガ様」
イータが小さな声で言った。
「冒険者の依頼は、思っていたほど難しくないのですね」
「今日はF級だったからだ」
アーガは即座に答える。
「調子に乗るなよ」
イータはすぐに耳を立て、真剣な表情でうなずいた。
「はい」
リナは暗くなり始めた街道を見た。
店先では、次々と魔法灯や油灯がつけられている。
「ですが、最初の日としては順調でしたね」
アーガは懐の金袋へ触れた。
そして、暮星城に灯り始めた無数の明かりへ目を向ける。
「ああ」
少なくとも――。
今のところは、順調だった。




