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第143話 休養

それから十数日間。


アーガたち三人は、陌狼村に滞在することになった。


すぐに出発したくなかったわけではない。


単純に。


身体がそれを許さなかったのだ。


アーガとリナの傷は、どちらも決して軽くない。


一人は黒槌町で、バルカンを相手に長時間戦い続け。


最後には《血怒化》まで強引に使用した。


もう一人はグレイソンと単独で戦い。


その後も、追ってきた衛兵たちを足止めしている。


「アーガ様」


「今日は訓練をしてはいけません」


「勝手に出歩くのも駄目です」


イータは寝台のそばに立っていた。


白い耳を真っ直ぐに立て。


とても真剣な表情をしている。


その隣には、薬湯の入った器を持つリナが座っていた。


「そうです」


「今のアーガ様には、休養が必要です」


目の前にいる二人を見て。


アーガは困ったように息を吐いた。


「少し外の空気を吸いたいだけなんだが」


「駄目です」


二人の声が、ほとんど同時に重なった。


「……」


アーガは何も言えなくなった。


扉のそばへ寄りかかっていたケインが。


堪えきれずに笑い声を上げる。


「人間」


「お前にも、そんな日が来るんだな」


アーガは冷たい目でケインを見る。


「随分と暇そうだな」


「まあな」


ケインは肩をすくめた。


「族長から、お前が死んでいないか確認してこいと言われた」


「それはどうも、ご心配いただき感謝するよ」


ケインは部屋へ入ると。


持っていた包みを、机の上へ置いた。


中には、干し肉が入っている。


「お前たちにだ」


「村の連中から預かってきた」


アーガは干し肉の包みを見る。


それから。


ケインへ視線を向けた。


ケインは少し居心地が悪そうに、頭を掻いている。


この数日間で。


陌狼村の雰囲気は、明らかに変わっていた。


以前。


村の狼人族たちがアーガを見る目には、少なからず警戒と拒絶が混じっていた。


しかし今では。


そうした視線は、かなり減っている。


道でアーガと出会えば。


頭を下げて礼をする者もいた。


中には。


不器用そうに、短く感謝を伝える者さえいる。


中毒していた獣人の子供たちも。


順調に回復していた。


長い間、魔晶鉱粉の毒に苦しめられていたため。


まだ身体は弱っている。


それでも。


すでに寝台から降り、自分の足で歩けるようになっていた。


気の強い子供たちは、こっそり家の外へ出てくることもある。


アーガを見つけると。


最初は扉の陰へ隠れ、顔だけを出して様子を窺っていた。


だが。


やがて両親に背中を押され。


おずおずと前へ出て、礼を言う。


アーガは毎回。


こういう場面にどう対応すればよいのか分からなかった。


結局。


ただ頷き。


「ゆっくり休め」


と答えることしかできない。


イータは、とても嬉しそうだった。


彼女自身も。


陌狼村で、これほど多くの者に囲まれたのは初めてだったらしい。


目を覚ました子供たちは。


イータの周囲へ集まり、次々と質問を投げかけた。


アーガと一緒に、たくさんの場所を旅したのか。


外の町には、本当に美味しい物がたくさんあるのか。


イータは一つ一つ。


とても真剣に答えていた。


赤骸城でのこと。


黒槌町でのこと。


そして。


焼き肉の屋台のこと。


焼き肉の話になると。


その尾は、明らかに先ほどよりも速く揺れていた。


そばで聞いていたリナが。


思わず小さく笑う。


アーガは軒下へ身体を預け。


その光景を静かに眺めていた。


心が穏やかになるのを。


久しぶりに感じていた。


だが。


その平穏は、長くは続かなかった。


◇ ◇ ◇


三日目の夕方。


リンタ村から、人がやって来た。


訪れたのは、二人の若い村人だった。


トムとリンタ村の族長からの伝言を携えている。


リンタ村も。


黒槌町と戦斧商会が、二つの村の対立を煽っていたことを知った。


陌狼村の子供たちが中毒した件も。


陌狼村の自作自演などではなかったと、すでに理解している。


リンタ村の族長は。


改めて、両村で話し合いの場を設けたいと望んでいた。


賠償についてではない。


責任を追及するためでもない。


これから。


互いにどのように付き合っていくか。


そのことを話すためだった。


陌狼村の族長は、伝言を聞き終えたあと。


長い間、何も言わなかった。


やがて。


自ら二人の村人を迎え入れた。


アーガは、その話し合いへ深く関わらなかった。


ただ。


少し離れた場所から、しばらく様子を眺めていただけだ。


順調に進めば。


書き写しておいた贈賄の証拠は、暮星城へ送られる。


リーインは。


黒槌町に残っている証拠を、すべて燃やしたつもりだろう。


だが。


自分を本当に追い詰める証拠が、すでに黒槌町の外へ運び出されているとは。


おそらく想像もしていない。


(暮星城の連中が、少しは役に立ってくれればいいが)


アーガは、そう考えた。


もっとも。


大きな期待はしていない。


ここまでの旅で。


アーガは、あまりにも多くの「統治する者」を見てきた。


赤骸城も。


黒槌町も。


こうした場所ほど。


規則が勝手に正しく働くことなどない。


それでも。


証拠は残っている。


リーインが、いつまでも安心して眠れることはないだろう。


◇ ◇ ◇


四日目。


アーガの傷は、ようやくかなり回復していた。


リナも。


普通に歩ける程度まで、ふくらはぎの傷が治っている。


まだ長時間走ることはできないが。


日常の動きには、ほとんど問題がなかった。


イータは完全に元気を取り戻し。


再びケインへ、訓練を頼み始めていた。


最初。


ケインは露骨に嫌そうな顔をした。


「治ったばかりだろ」


「もう殴られたいのか?」


イータは木の棒を抱え。


真剣な表情で頷いた。


「はい」


「もっと強くなりたいです」


ケインは一瞬、言葉を失った。


やがて。


鼻を鳴らす。


「分かった」


「それなら、来い」


そして。


イータは、再び地面へ叩き伏せられた。


少し離れた場所に座っていたアーガは。


その光景を見て、思わずため息をつく。


リナが、そばから水の入った杯を差し出した。


「アーガ様」


「イータは、本当に頑張っていますね」


「ああ」


アーガは。


何度倒されても起き上がるイータを見つめた。


「もう遊侠級には届いているように見える」


リナもイータへ視線を向け。


静かに頷く。


「とてもよいことだと思います」


◇ ◇ ◇


五日目の朝。


アーガは、陌狼村を出発することを決めた。


すでに。


十分な時間を費やしている。


次の目的地である聖ロラン城へ向かうには。


このまま北へ進み続けなければならない。


そして。


聖ロラン城へ到着する前に。


必ず通ることになる次の町が。


暮星城だった。


出発を告げても。


陌狼村の族長は、無理に引き止めようとはしなかった。


アーガが。


いつまでも、この村へ留まる人間ではないと分かっていたのだ。


村の入口には。


族長と数人の隊長たちが、見送りに集まっていた。


ケインも、その中に立っている。


腕を胸の前で組み。


相変わらず、少し腹の立つような表情を浮かべていた。


イータは小さな荷物を背負い。


アーガのそばへ立っている。


時折。


村の方角を振り返っていた。


イータもまた獣人だ。


少しずつ自分を受け入れてくれた陌狼村へ。


複雑な親近感を抱いているのだろう。


いざ離れることになると。


その表情には、寂しさが浮かんでいた。


族長が、イータの前へ歩み寄る。


「イータ」


イータは顔を上げた。


「族長……」


族長は彼女を見つめる。


その声は。


普段よりも、ずっと穏やかだった。


「これからもアーガと一緒に」


「しっかり生きろ」


イータの耳が。


僅かに震えた。


「はい」


族長は続いて。


アーガへ視線を向ける。


「その獣人の子供を、きちんと守ってやってくれ」


アーガは頷いた。


「必ず守ります」


イータは顔を伏せる。


その目元が、少し赤くなっていた。


キャサリンが前へ出る。


小さな布包みを、イータの腕へ押し込んだ。


「道中の食べ物よ」


「薬も少し入れてある」


イータは布包みを抱き締め。


力強く頷いた。


「ありがとうございます、キャサリンさん」


ケインも歩いてくる。


イータを見て。


次に、アーガを見た。


「まあ」


「縁があれば、また会おう」


イータは顔を上げ。


明るく答えた。


「はい!」


「また会いましょう!」


最後に。


族長がアーガの正面へ立った。


「暮星城は、黒槌町よりも遥かに大きい」


「そして、ずっと複雑な場所だ」


静かに言葉を続ける。


「向こうへ着いても」


「表面上の規則を、簡単に信用するな」


アーガは頷いた。


「分かっています」


族長は少し黙ったあと。


再び口を開く。


「リンタ村が本当に証拠を暮星城へ送れば」


「黒槌町の件にも、すぐ動きがあるだろう」


「だが、それは」


「まだ捕まっていないなら、リーインも必ず手を打つということだ」


「おそらく俺を捜すでしょう」


アーガは言った。


「皆さんも、気をつけてください」


「お前たちもだ」


族長は、真っ直ぐアーガを見る。


アーガは小さく頷いた。


リナはアーガの後ろに立ち。


二人の会話を聞いていた。


リーインの名が出た瞬間。


その目が冷たく細められる。


黒槌町での、あの夜。


リナは忘れない。


アーガも。


決して忘れることはない。


◇ ◇ ◇


簡単な別れを終え。


三人は、ようやく陌狼村をあとにした。


朝の光が、木々の隙間から差し込んでいる。


淡い光が。


土の小道を照らしていた。


イータが中央を歩き。


リナは右側。


アーガは荷物を背負い、少し前を進んでいる。


陌狼村を囲む木柵が。


背後で少しずつ遠ざかっていく。


イータは、何度も後ろを振り返った。


リナが、優しく尋ねる。


「名残惜しいですか?」


イータは少し考える。


それから。


小さな声で答えた。


「少しだけ」


「それなら」


「いつか、また戻ってくればいいです」


イータは頷いた。


「はい」


そして。


前方へ視線を戻す。


「でも、暮星城にも行ってみたいです」


アーガが振り返った。


「暮星城へは、遊びに行くわけじゃないぞ」


イータは真剣な表情で答える。


「分かっています」


リナが、小さく笑った。


「でも」


「黒槌町よりは賑やかな場所なのでしょうね」


「賑やかなのは間違いない」


アーガは言った。


「その分、面倒事も多いだろうが」


そう言いながら。


北の方角を見る。


この森林地帯を抜け。


さらに北へ進めば、暮星城がある。


黒槌町よりも大きく。


聖ロラン城にも、より近い。


正式な城防軍が駐留し。


王国から派遣された統治者もいる。


貴族。


商人。


冒険者。


集まる者の数も、黒槌町とは比べものにならない。


トムたちが無事に証拠を届ければ。


暮星城も、すぐに黒槌町の事件へ巻き込まれるだろう。


そして、アーガたちも。


そこで物資を補給し。


聖ロラン城までの道を調べなければならない。


アーガは肩へ掛けた荷物の帯を握り直す。


そして。


ゆっくりと息を吐いた。


「行こう」


リナとイータが。


同時に、そのあとへ続いた。


三人の影が、朝日の中で長く伸びる。


やがて。


木々の影が。


背後にある陌狼村の姿を、静かに覆い隠していった。


ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

この黒槌町編はこれで終わりです。

もし面白いと思っていただけましたら、コメントやブックマークをいただけると、それが更新の励みになります。

どうぞよろしくお願いします。

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