第14話 一体も残さず 本文
試験官の声と、最後の木製標的が地面へ倒れる鈍い音は、ほとんど同時に響いた。
舞い上がっていた土埃が、ゆっくりと地面へ降りていく。
広大な訓練場は、一時、完全な静寂に包まれた。
試験を待っている子供たちも、場外で結果を記録している試験官たちも、辺り一面に散らばる木片を見つめたまま、すぐには声を出せなかった。
やがて、抑えきれなくなったざわめきが人々の間から一気に広がった。
「五つの元素……今、五種類を同時に維持していたぞ!」
「分裂した火球も、一つ一つが手のひらくらいの大きさだった」
「最後には風と土まで使った。本当に赤の基礎カードを七枚も扱えるのか?」
「百体全部だぞ……一体も残っていない」
リサは人混みの最前列に立ち、訓練場の中央にいるアーガを見つめていた。
自分の素性すら知らなかった地方出身の子供。
リサは、アーガが自分の百体への挑戦を見て、一時の勢いで真似をしようとしただけだと思っていた。
しかし、アーガは百体すべてを破壊した。
しかも、その攻撃精度はリサの想像をはるかに上回っていた。
リサは雷で身体能力を強化し、圧倒的な速度と剣術によって八十三体を斬り倒した。
一方のアーガは、最後まで魔導師としてその場に立ち続けた。
そして、最も基礎的な七枚の赤カードだけで、訓練場全体に散らばる百体の標的を残らず破壊してみせたのだ。
リサは無意識に唇を引き結んだ。
金髪の下に隠れた耳が、わずかに赤くなっている。
七歳の子供に、周囲の視線をすべて奪われた。
その事実を素直に認めるつもりなど、もちろんない。
だが、腹立たしさとは別に、胸の奥では見慣れない感情が芽生え始めていた。
突然現れたあの子は、どうやら本当にただ者ではないらしい。
試験官たちは、すでに慌ただしく記録を始めていた。
主任試験官は筆を取ろうとした際、手元のインク瓶を倒してしまった。
黒いインクが机の上へ広がっていく。
しかし、それを拭くことさえ忘れ、アーガの評価欄を凝視していた。
七枚の異なる基礎カード。
五種類の術式を並行して維持。
魔法形態の変化。
複数目標への精密制御。
そして、同年代を大きく上回る魔力量。
訓練場の中央では、アーガが苦しそうに息をしていた。
複数のカードを同時に維持したことで、大量の魔力を消耗している。
昨夜から蓄積していた疲労も、再び一気に押し寄せてきた。
額には細かな汗が浮かび、魔力を使いすぎた指先が小さく痺れている。
主任試験官は、ほかの試験官たちと記録を確認したあと、アーガへ顔を向けた。
「見事だ」
普段の厳しい口調には、隠しきれない称賛が混じっていた。
「下がってよろしい」
アーガはカードを片づけ、周囲から向けられる複雑な視線の中、訓練場をあとにした。
驚き。
羨望。
そして、自分がこの直後に試験を受けなければならないことへの焦り。
さまざまな感情が、受験生たちの表情に浮かんでいる。
アーガはそれらを気にすることなく、人混みを抜け、静かに休める場所を探そうとした。
実際のところ、アーガが扱える基礎カードは、先ほど使用した七枚だけではない。
体調が万全であれば、四色すべての試験会場を回ることもできただろう。
だが、昨夜の戦闘と誘拐、そして酒蔵からの脱出で、あまりにも多くの体力を使ってしまった。
一度の実技試験を終えた今は、両脚にほとんど力が入らない。
口を開くことさえ面倒に感じていた。
赤の試験会場を出たところで、背後から澄んだ声が飛んできた。
「ちょっと!」
アーガが振り返る。
リサが人混みをかき分け、こちらへ向かって歩いていた。
足取りは速く、後ろで束ねた金髪も動きに合わせて揺れている。
あとを追おうとした数人の子供たちは、リサに一度睨まれただけで足を止め、遠くから見守るしかなかった。
「何か用?」
アーガが尋ねる。
その声には、疲労がはっきりと滲んでいた。
リサは目の前で立ち止まり、両腕を胸の前で組んだ。
「どうやったの?」
「何が?」
「さっきの魔法よ」
リサは少し苛立ったように言った。
「どうして火球が、飛んだあとに分裂したの? 水槍術も、どうすればあれほど多くの標的を同時に攻撃できるの?」
どうやら彼女は、人へ教えを乞うことに慣れていないらしい。
質問しているにもかかわらず、口調には命令するような響きが残っていた。
しかし、今のアーガが望んでいるのは、魔法談義ではなく一台のベッドだった。
「普通に練習しただけ」
それだけ答え、再び歩き出す。
「疲れたから、先に休むね」
リサはその場で固まった。
これまで、彼女と話す者は誰もが恭しく答えるか、必死に機嫌を取ろうとしてきた。
聖イース学院の上級生でさえ、これほど適当な態度で彼女をあしらう者はほとんどいない。
リサはすぐに我へ返り、アーガを追いかけた。
「普通に練習した、では分からないでしょう? 少なくとも、一日にどれくらい練習しているのかとか、術式をどう制御しているのかとか――」
アーガは諦めたように足を止めた。
リサもその背後で立ち止まり、不満そうに彼を見つめる。
そのとき、アーガの顔から突然疲れた様子が消えた。
真剣な表情へ変わり、リサの肩越しにその背後を見つめる。
そして、丁寧に頭を下げた。
「先生、おはようございます」
リサの身体が硬直した。
反射的に後ろを振り返る。
しかし、そこにいるのは行き交う受験生たちだけだった。
学院の教師など、どこにもいない。
同時に、リサの横を一筋の風が通り抜けた。
背後に生じた魔力の気配を察知し、すぐに振り返る。
しかし、そのときにはすでに、アーガは赤の四《風》の力を利用して人混みを抜け、十数歩先まで逃げていた。
「あなた――!」
リサの頬が怒りで赤く染まる。
「止まりなさい!」
だが、アーガは止まるどころか、さらに速度を上げた。
そのまま廊下の角を曲がり、あっという間に姿を消す。
リサはその場に立ち尽くし、アーガが消えた方向を睨みつけた。
両手を強く握り締める。
「入学したら、絶対に一度勝負してもらうんだから!」
◇ ◇ ◇
中央ホールへ戻ったアーガは、隅に空いている長椅子を見つけた。
そのまま全身を沈み込ませ、長く息を吐く。
彩色ガラスを通った陽射しが身体へ降り注ぎ、目を開けていられないほど温かかった。
(ようやく振り切れた……)
ホールの中は、相変わらず騒がしい。
各試験会場の番号が次々と読み上げられている。
試験を終えた子供たちは集まって結果を話し合い、立ち入り可能な区画では、多くの保護者が不安そうに我が子の帰りを待っていた。
だが、それらの音は少しずつ遠ざかっていった。
疲労が潮のように全身を包み込む。
アーガは目を閉じると、間もなく意識を失った。
眠りへ落ちる直前、頭の中には一つの曖昧な考えだけが残っていた。
(入学したあと、面倒なことになりそうだな……)
再び目を開けたとき、ホールに差し込む光はすでに変わっていた。
午後の日差しが斜めに入り込み、先ほどまで混雑していたホールも、かなり人が減っている。
アーガは目をこすりながら身体を起こした。
その直後、腹の中からはっきりとした音が鳴る。
ぐうぅ――。
腹へ手を当て、それから壁に設置された魔法時計を見上げた。
「もう二時?」
近くには、ほかの試験を待っている受験生が数人残っていた。
カードを見ながら復習している者もいれば、アーガと同じように長椅子へもたれ、眠っている者もいる。
ノエルの姿は見当たらなかった。
おそらく、まだ黄色か緑の試験会場にいるのだろう。
アーガは立ち上がり、凝り固まった肩を動かした。
まずは何か食べることにする。
ホールの外にある分かれ道には、大きな魔法地図が設置されていた。
アーガが地図上の『食堂』という表示へ指を触れる。
すると淡い青色の線が地図上に現れ、現在地から食堂までの道順を示した。
その案内に従い、二棟の校舎の間を抜けていく。
道の両側には、淡い光を放つ魔法植物が植えられていた。
昼間であるにもかかわらず、葉の間には青色の小さな光が漂っている。
ときおり、学院の制服を着た生徒たちが横を通り過ぎた。
胸元につけられた徽章は、陽射しを受けてそれぞれ異なる色に輝いている。
彼らを見ているうちに、アーガはヴィエンのことを思い出した。
(兄さんは、今は二年生のはずだ)
(僕たちが今日試験を受けることを知っているのに、どうして姿を見せないんだろう?)
少し迷ったあと、アーガは本を抱えて歩いていた一人の生徒を呼び止めた。
「すみません。二年生の生徒たちは、今日はどこにいるんですか?」
呼び止められた生徒は足を止め、眼鏡を押し上げた。
「二年生?」
「先週から、城東の冒険者ギルドへ実習に行っているよ。しばらくは学院へ戻ってこないと思う」
「そうだったんですね。ありがとうございます」
アーガは相手が去っていくのを見送り、ようやく疑問が解けた。
学院の食堂は、巨大な丸屋根を持つ建物だった。
すでに昼食の時間は過ぎていたが、料理を提供する窓口は今も開いている。
中には煮込み肉や焼きたてのパン、香辛料が混じり合った匂いが漂っていた。
アーガは煮込み料理と数切れのパン、それに果汁を一杯受け取り、窓際の席へ座った。
(冒険者ギルドでの実習か……)
食事をしながら、ヴィエンが学院の制服を着て、冒険者たちとともに王都を出ていく姿を想像する。
二年生といっても、まだ年齢はそれほど高くない。
学院が本当に危険な依頼へ参加させるとは思えなかった。
おそらく、正式な冒険者のそばで行動を観察し、仕事の流れを学ぶ程度なのだろう。
ただし、ヴィエンの性格を考えると、黙って後ろから眺めているだけでは満足しないかもしれない。
遅い昼食を終える頃には、アーガの体力もかなり回復していた。




