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第139話 冷凍形態

声が響き終わった瞬間。


アーガの姿が、その場から消えた。


バルカンの瞳孔が僅かに縮む。


次の瞬間、数発の氷青色の弾丸が側面から飛来した。


バルカンは戦斧を持ち上げて防ぐ。


――ガガガンッ!


氷晶弾が斧の表面へ激突し、細かな霜を撒き散らした。


冷気が斧刃を伝って広がり、柄を握るバルカンの指まで僅かに硬直する。


「速度が上がっただけではない……」


「威力まで強くなったのか?」


言葉を続ける暇はなかった。


すでにアーガが、反対側から飛び出している。


再び、氷青色の弾丸が放たれた。


バルカンは戦斧を振り、弾丸を弾き飛ばす。


しかし、アーガの動きは一瞬たりとも止まらない。


撃つ。


方向を変える。


跳ぶ。


壁を蹴り、反対側へ跳ね返る。


狭い路地の中で、何度も屈折する影のように動き続けた。


バルカンは初めて、アーガの移動経路を捉えられなくなっていた。


「ふざけるな!」


怒号とともに、戦斧を前方へ投げ放つ。


巨大な戦斧は狭い路地を高速で回転し、アーガの進路を完全に塞ごうとした。


だが、今のアーガは先ほどよりも明らかに速い。


戦斧が軌道を変えるより先に、その攻撃範囲から跳び出していた。


同時に。


二発の氷晶弾が放たれる。


一発は、バルカンの肩。


もう一発は、ふくらはぎへ命中した。


傷そのものは深くない。


しかし、冷気が傷口から血肉の中へ入り込んだ。


バルカンの動きが、目に見えて僅かに遅れる。


アーガは暗がりへ身を隠し、荒い息を吐いた。


(残り四十秒)


《血怒化》の反動は、すでに現れ始めている。


腕が震えていた。


胸の内側を、何かに引き裂かれているような痛みが走る。


意識まで少しずつ遠のいていく。


アーガはすぐに自分の頭を叩いた。


(意識を失うな)


(急いで終わらせるんだ)


バルカンも、次第に焦り始めていた。


何度も続けて戦斧を投げる。


だが、砕けるのは壁や木箱、軒先ばかり。


アーガの身体には、まるで触れることができない。


アーガは路地の反対側へ回り込み、積まれていた木箱をわざと蹴り倒した。


――ガラガラッ!


木箱が地面へ転がり、中に入っていた雑多な品が散らばる。


バルカンは即座に音のした方角へ振り返った。


戦斧も、同時に飛んでいく。


――轟ッ!


木箱が戦斧によって粉々に砕かれた。


しかし。


そこにアーガはいなかった。


バルカンの顔色が変わる。


慌てて背後を振り向いた。


「遅い」


アーガは、すでにその背後へ回り込んでいた。


冷たい白霧が、狭い路地へ広がっている。


アーガは壁際で腰を落とし、右手を腰帯の左側にあるカードスロットへ伸ばした。


左側のスロットから、一束のカードが浮かび上がる。


迷うことなく。


一番上に置かれた、特別なカードを引き抜いた。


大王カード。


バルカンも、ようやく危険に気づいた。


巨大な身体を勢いよく反転させる。


空中を飛んでいた戦斧も、急速に旋回して持ち主のもとへ戻り始めた。


だが。


アーガはすでに、大王カードを右側のスロットへ差し込んでいた。


――カチッ。


右手で腰帯を強く叩く。


――ヴンッ!


赤カード5《氷》。


黄カード2《チーター》。


青カード2《血怒化》。


緑カード2《射術》。


そして、大王カード。


五枚のカードが持つ力が、同時に一つへ集束する。


アーガの右腕を覆う装甲が展開した。


内側から、銃口のような構造がせり出してくる。


膨大な魔力が一気に集まり、極限まで圧縮された氷の弾丸を形成した。


冷気が限界まで凝縮された氷晶弾。


まだ発射されていないにもかかわらず。


周囲の空気が白く凍り始める。


壁。


地面。


砕けた木箱。


あらゆるものの表面へ、薄い霜が広がった。


バルカンは理解した。


この距離では、もう回避できない。


「おおおおおっ!」


雄叫びを上げる。


両手で、飛び戻ってきた戦斧をつかんだ。


そして、巨大な斧を盾のように胸の前へ構える。


アーガの銃口が、バルカンへ向けられた。


「《氷獄・急凍射撃》」


極限まで圧縮された氷晶弾が、銃口から撃ち出された。


その速度は、目で軌道を追うことすらできない。


空中に残ったのは、細かく舞う白い霜の筋だけだった。


――カキンッ。


バルカンが構えた巨大な戦斧。


その中心へ、一本の亀裂が走った。


亀裂は瞬く間に広がっていく。


同時に、斧の表面を氷霜が覆い尽くした。


長年にわたり、バルカンとともに戦い続けてきた巨大な武器。


それが。


バルカンの信じられないという眼差しの前で、正面から撃ち抜かれた。


氷晶弾は戦斧を貫通する。


そのまま。


バルカンの胸へ命中した。


――ブシュッ。


鮮血が飛び散る。


バルカンの身体が、激しく硬直した。


目を大きく見開いている。


最後の瞬間まで。


自分が一人の小鬼に敗れるなど、信じられなかったのだろう。


戦斧が二つに割れた。


左右の破片が、重い音を立てて地面へ落ちる。


続いて。


バルカンの巨大な身体が、ゆっくりと後方へ倒れた。


完全に意識を失っている。


――ズンッ。


地面が僅かに揺れた。


アーガは路地の端に立っていた。


身体を覆っていた氷青色の装甲が、少しずつ光の粒子へ変わっていく。


次の瞬間。


激しい虚脱感が全身へ押し寄せた。


アーガは一歩よろめく。


咄嗟に横の壁へ手をつき、どうにか倒れずに踏みとどまった。


地面に倒れたバルカンを見下ろす。


そして。


血の味が混ざった息を、ゆっくりと吐き出した。


「俺の勝ちだ」


◇ ◇ ◇


アーガは深く息を吸った。


壁に手をつきながら、路地の外へ向かって歩き始める。


ここで立ち止まるわけにはいかない。


戦斧商会での戦いは、すでに終わっている。


リーインは間違いなく、アーガたちを捜すために衛兵を送り出すだろう。


今、最も重要なのは休息ではない。


一刻も早く黒槌町を離れること。


陌狼村へ戻り。


イータと、毒に苦しむ子供たちを救うことだった。


アーガは青カード1《治癒体》を再び使用し、傷を少しずつ回復させる。


同時に、主通りを避けながら細い路地を進んだ。


遠くでは、今も炎が揺れている。


衛兵たちの怒鳴り声。


商会員たちの悲鳴。


それらが入り混じり、耳障りな音となって夜の町へ響いていた。


アーガは顔を伏せる。


建物の陰を伝い、南門へ向かった。


南門へ到着した頃には。


空は完全に暗くなっていた。


城門の脇に、一台の馬車が止められている。


その前には、二人の狼人族が立っていた。


一人は落ち着かない様子で、何度も同じ場所を歩き回っている。


路地から現れたアーガを見つけると、すぐに駆け寄ってきた。


「その傷は……!」


「どうされたのですか?」


「大丈夫だ。それより、馬車は用意できているか?」


「はい」


狼人族は慌てて頷いた。


「ご指示どおり、準備してあります」


アーガも小さく頷く。


だが、その視線はすぐに周囲へ向けられた。


リナの姿がない。


アーガの表情が一変する。


「リナは?」


二人の狼人族は顔を見合わせた。


そろって首を横へ振る。


「我々はずっとここで待っていましたが……」


「リナさんの姿は見ていません」


アーガの指が、強く握り締められた。


(まだ来ていない?)


彼女の方で何かあったのか。


それとも。


リーインの衛兵たちに、行く手を塞がれたのか。


アーガはすぐに身体を翻し、町へ戻ろうとした。


そのとき。


遠くの街角から、激しい足音が響いてきた。


アーガが顔を上げる。


薄暗い通りの奥から、リナが現れた。


片腕に、木箱を抱えている。


服には血が付着し、金色の長い髪も、埃で乱れていた。


それでも。


こちらへ向かって、懸命に走っている。


「リナ!」


アーガはすぐに彼女の方へ駆け出した。


しかし、数歩も進まないうちに。


別の通りから、複数の足音が響く。


一隊の衛兵が、二人を追って現れた。


「いたぞ!」


「アーガと、あの女だ!」


「二人とも南門にいる!」


先頭の衛兵が、大声で叫んだ。


「門番に知らせろ!」


「南門を閉じろ!」


アーガの顔色が変わる。


「リーインの野郎……!」


すぐに城門へ目を向けた。


門を守っていた数人の衛兵も声を聞き、すでに動き始めている。


重い城門を閉じるため、門扉へ手をかけていた。


アーガは迷わない。


黄カード2《チーター》の力を、再び爆発させた。


身体が、影のような速度で飛び出す。


「おい、何を――」


門番が言い終えるよりも先に。


アーガは痛みを押し殺し、その腹へ拳を叩き込んだ。


「ぐっ……!」


門番はその場で身体を折り曲げる。


声すら出せないまま、膝から崩れ落ちた。


もう一人の衛兵が長刀を抜こうとする。


だが、アーガの蹴りが先に手首へ命中した。


長刀が手から離れ、宙を舞う。


続けて、アーガは肩から衛兵へぶつかった。


男の身体が吹き飛び、地面へ転がる。


三人目の衛兵が、警鐘を鳴らそうとした。


アーガは右手を向ける。


一発の氷晶弾が飛び、警鐘のそばに立てられていた木製の支柱を撃ち折った。


衛兵が驚き、動きを止める。


その隙に。


狼人族の戦士が横から飛び込み、拳の一撃で衛兵を殴り倒した。


南門周辺は、一瞬で混乱に陥った。


「馬車に乗れ!」


アーガが振り返って叫ぶ。


二人の狼人族が、すぐに馬車へ飛び乗った。


一人が手綱を握る。


もう一人は短刀を抜き、荷台の後方で追手を警戒した。


リナも、ようやく馬車のそばまで走ってきた。


アーガが手を伸ばす。


「リナ、早く乗れ!」


しかし。


リナはすぐには馬車へ乗らなかった。


胸元に抱えていた木箱を、アーガへ向かって強く投げる。


アーガは反射的に受け止めた。


「何をしている?」


リナは答えない。


突然、片手を持ち上げた。


掌から蔓が飛び出し、馬の尻へ強く叩きつけられる。


驚いた馬が、大きく嘶いた。


次の瞬間。


馬車は城門の外へ向かって、一気に走り始めた。


アーガの瞳孔が縮む。


「リナ!」


リナは、その場に立ったままだった。


顔色は僅かに青ざめている。


それでも顔を上げ、遠ざかっていくアーガを見つめた。


「アーガ様」


「私の傷は、それほど深くありません」


そして。


こちらへ迫る衛兵たちへ振り返る。


「追手を止める者が必要です」


「馬鹿なことを言うな!」


「早く乗れ!」


アーガは馬車から飛び降りようとした。


だが、身体を動かした瞬間。


胸の傷が強く引きつった。


「ぐっ……!」


力が抜け、危うく荷台へ跪きそうになる。


リナは、その姿を見て僅かに目を揺らした。


それでも。


一歩も後ろへ下がらない。


「アーガ様は、ここに残ってはいけません」


声には焦りがあった。


だが、それ以上に強い決意が込められていた。


「イータさんが待っています」


「毒に苦しんでいる子供たちも、あなたを待っています」


「お前も一緒に連れていける!」


「もう間に合いません」


リナが両手を持ち上げる。


地面から何本もの蔓が伸び、迫ってくる衛兵たちの前へ立ち塞がった。


その間にも。


馬車は城門を抜け、黒槌町の外へ出ていく。


アーガは必死にリナへ手を伸ばした。


だが。


その指がつかんだのは、冷たい夜風だけだった。


二人の距離が、急速に広がっていく。


リナの姿は、炎の光と衛兵たちの影に遮られた。


風に舞う、金色の長い髪だけが見える。


アーガは奥歯を噛み締めた。


爪が食い込むほど、強く拳を握る。


戻りたい。


今すぐ馬車を止めて、リナのもとへ戻りたかった。


しかし。


今の身体では、それすらできない。


そして、リナの言葉は正しかった。


イータと。


毒に苦しむ子供たちが。


今も、アーガの帰りを待っている。


アーガは遠ざかる城門を睨み続けた。


その名を、歯の隙間から絞り出す。


「リナ……!」


リナが一度だけ、こちらを振り返った。


アーガは深く息を吸う。


残った力のすべてを使い、夜の町へ向かって叫んだ。


「必ず、生きて帰ってこい!」


リナは答えなかった。


ただ。


小さく、一度だけ頷いた。


次の瞬間。


馬車は完全に夜の闇へ飛び込んだ。


黒槌町を覆う炎の光が背後へ流れ。


少しずつ。


遠く、小さくなっていった。


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