第132話 計画開始
衛兵隊長は椅子の背もたれへ身体を預け、改めてアーガを見つめた。
今度は、その目に年若い少年への侮りはなかった。
「分かった、小僧」
「俺に何をさせたい?」
「簡単だ」
アーガは答える。
「俺が大勢の前で、戦斧商会の罪を暴く」
「そのとき、お前は部下を率いて連中を制圧しろ」
衛兵隊長が目を細めた。
「戦斧商会と敵対しろと言うのか?」
「敵対するんじゃない」
アーガは平静に言った。
「功績を立てるんだ」
衛兵隊長は、すぐには答えなかった。
アーガは続ける。
「お前が重要な場面で立ち上がり、部下を率いてバルカンを倒す」
「そうすれば、戦斧商会が何年も続けてきた犯罪を、お前の功績へ変えられる」
「長年屈辱に耐え、反撃の機会を待ち続け、ついに黒槌町の害悪を一掃した衛兵隊長」
「そういう話にできる」
「はっ」
衛兵隊長は短く笑った。
「随分と勝手なことを言うな」
「言えるかどうかの問題じゃない」
アーガは真っ直ぐに男を見る。
「これが、お前の地位を守れる唯一の方法だ」
衛兵隊長の笑みが、少しずつ薄れていく。
アーガの声は静かだった。
しかし、一つ一つの言葉が、男の最も気にしている部分を正確に突いていた。
「今の地位を失いたくない」
「赤骸城へ送られるのも嫌だ」
「だから、お前は俺の提案を受け入れる」
衛兵隊長は長い間、アーガを見つめ続けた。
窓の外は、すでに明るくなり始めている。
詰所の火鉢から、薪が小さく爆ぜる音が聞こえた。
やがて。
衛兵隊長が口を開く。
「いいだろう」
アーガは驚かなかった。
衛兵隊長は人差し指で、机を軽く叩いた。
「お前の話に乗ってやる」
「だが、その後の計画も、お前が言ったとおりに進むことが条件だ」
「問題ない」
「俺を騙したら、真っ先にお前を殺す」
「順番を待ってくれ」
アーガは立ち上がった。
「俺を殺したい奴は、ほかにも大勢いる」
衛兵隊長の目元が僅かに引きつった。
アーガは写しを懐へ戻し、扉へ向かう。
扉の前まで来たところで、足を止めた。
「俺を疑うな」
「尾行もしない方がいい」
「そうすれば、お前はこれからも快適に暮らせる」
衛兵隊長は、アーガの背中を見つめた。
そして突然、尋ねる。
「お前、本当に十四歳なのか?」
アーガは振り返らなかった。
「何だ?」
衛兵隊長は少し黙ったあと、低い声で呟いた。
「……恐ろしい奴だ」
アーガは薄く笑っただけだった。
そのまま扉を開き、詰所の外へ出る。
◇ ◇ ◇
リナは、詰所の外壁のそばで待っていた。
アーガの姿を見ると、すぐに駆け寄ってくる。
「アーガ様」
「行くぞ」
「話はまとまったのですか?」
「大体はな」
リナは一度、アーガの顔を見た。
それ以上は尋ねず、そのまま隣を歩き始める。
二人は、すぐには宿へ戻らなかった。
アーガはリナを連れ、何本もの通りを回る。
わざと人の多い市場へ入り、雑貨店の裏口から抜けた。
さらに茶店、革製品店、木工店の周辺を何度も歩き回る。
誰にも尾行されていないことを確認してから、ようやく《樫木亭》へ戻った。
部屋へ入った頃には、空はすっかり明るくなっていた。
しかし、二人とも一晩中眠っていない。
戦斧商会への潜入。
衛兵隊長との交渉。
張り詰めていた緊張が解けると、強い疲労が一気に押し寄せてきた。
リナは扉を閉め、声を和らげる。
「アーガ様」
「少し休んでください」
アーガは、まだ計画を整理する必要があると言おうとした。
だが、寝台のそばへ腰を下ろした瞬間。
右脚の痛みと全身の疲労が、同時に身体へ圧し掛かってきた。
少し黙ったあと、ようやく頷く。
「少しだけ眠る」
リナは窓の布を閉めた。
室内が薄暗くなる。
アーガは寝台へ背中を預けた。
手には、まだ数枚の写しを強く握っている。
リナがその紙をそっと抜き取り、枕元へ置いた。
そこでようやく、アーガは目を閉じる。
しばらくして。
その呼吸は、ゆっくりと穏やかなものへ変わっていった。
リナはそばへ座り、青白い顔を見つめた。
そして窓の外で、次第に騒がしくなっていく黒槌町へ目を向ける。
町を覆っていた巨大な網には。
アーガの手によって、少しずつ裂け目が生まれ始めていた。
◇ ◇ ◇
翌日。
目を覚ましたアーガは、机の前へ座り、一枚の紙を広げた。
リナが不思議そうに尋ねる。
「アーガ様、何を書いているのですか?」
「手紙だ」
「どなたに?」
「トムへ」
アーガは筆へ墨をつけ、素早く数行の文章を書いた。
手紙の内容は短い。
三日目の夕方までに黒槌町へ来ること。
可能な限り、目立たないように行動すること。
そして最後に、もう一文を加えた。
――リンタ村と陌狼村の争いの真相を知りたいのなら、必ず来てくれ。
書き終えると、紙を折って封筒へ入れた。
アーガは階下へ降り、宿の従業員を呼び止める。
銀貨を何枚か余分に渡し、信用できる者を使って、すぐにリンタ村まで届けるよう頼んだ。
すべてを終えて部屋へ戻った頃。
アーガの目元には、濃い疲労の色が浮かんでいた。
昨夜の睡眠は、あまりにも短い。
戦斧商会への潜入。
衛兵隊長への脅迫。
証拠の整理。
さらに、治っていない右脚の傷。
身体は、すでに限界へ近づいていた。
リナは扉のそばに立ち、静かに言った。
「アーガ様」
「もう少し眠ってください」
「ああ」
今度のアーガは、無理をしようとしなかった。
寝台へ腰を下ろす。
何かを言い残そうとしたが、その時点ですでに意識が重くなっていた。
「リナ」
「はい、ここにいます」
「煙幕弾と信号弾を買ってきてくれ」
アーガは目を閉じたまま言った。
「通りにいる者たちの注目を、十分に集められる物がいい」
「金は荷物の中にある」
リナはすぐに頷いた。
「分かりました」
「あまり遠くへ行くな」
「尾行にも気をつけろ」
「はい」
アーガは小さく返事をした。
そのまま寝台へ身体を預け、眠りに落ちる。
リナは眠ったアーガの横顔を、しばらく見つめていた。
やがて金袋を手に取り、音を立てないよう部屋を出た。
◇ ◇ ◇
三日目の夕方。
黒槌町の空には、暗赤色の夕焼けが広がっていた。
アーガが目を覚ましたとき。
リナはすでに、必要な物をすべて用意していた。
机の上には、円筒形の煙幕弾がいくつか並んでいる。
その隣には、油紙で包まれた二つの信号弾。
細い縄と火打ち石も、綺麗にまとめられていた。
「ご苦労だった」
アーガは一つずつ確認する。
問題がないことを確かめ、静かに声をかけた。
リナは首を横へ振る。
「この程度、大したことではありません」
「アーガ様は、よく休めましたか?」
「ああ、かなり楽になった」
そのとき。
――コンコン。
部屋の扉が、静かに叩かれた。
アーガとリナが同時に振り返る。
リナが扉を開けると。
そこには、古びた外套を羽織った老人が立っていた。
トムだった。
長い道のりを急いできたらしい。
靴には泥がこびりつき、顔には隠しきれない疲労が浮かんでいる。
部屋へ入ると、まずアーガを見る。
続いてリナへ視線を移し、僅かに眉を寄せた。
「手紙があまりにも切迫していたからな」
「もう死にかけているのかと思ったぞ」
アーガは小さく笑う。
「今のところ、まだ生きています」
トムは鼻を鳴らし、部屋へ入った。
外套を脱ぎ、近くの椅子へ掛ける。
「それで?」
「一体、何があった?」
アーガはすぐには答えなかった。
窓のそばへ歩き、通りの先にある戦斧商会の方角を見る。
「今夜」
「この事件の真相をお見せします」
トムの表情が僅かに変わった。
「真相だと?」
「リンタ村」
「陌狼村」
「子供たちの中毒」
「そして、魔晶鉱粉」
アーガは振り返った。
「すべての真相です」
トムの目が、一気に険しくなる。
「突き止めたのか?」
「ほとんどは」
アーガは机の上にある信号弾と煙幕弾を手に取り、上着の内側へ収めた。
「ですが、トムさんにも自分の目で見てもらう必要があります」
トムは数秒間、アーガを見つめた。
やがて、余計な追及はせずに尋ねる。
「俺は何をすればいい?」
アーガは時間を確認した。
「そろそろ、戦斧商会との取引の時間です」
窓を開き、戦斧商会の向かい側に建つ二階建ての建物を指さす。
「リナとトムさんは、あの建物の二階で待っていてください」
「俺が信号弾を撃っても、すぐには下へ来ないこと」
「通りに十分な人数が集まったのを確認してください」
リナは眉を寄せた。
「アーガ様は、一人で行くのですか?」
「ああ」
「危険すぎます」
「大丈夫だ」
アーガは答える。
「二人は、向かいの二階から周囲を見ていてくれ」
「俺が商会から出てきたら、追ってくる者を攻撃して足止めするんだ」
リナは唇を強く結んだ。
アーガは彼女の前まで歩き、髪を軽く撫でる。
「心配するな」
「必ず無事に出てくる」
リナは顔を上げ、アーガの目を見つめた。
「分かりました」
「アーガ様を信じます」
「ああ」
「約束する」
アーガは服装を整えた。
再び、鉱石商人の姿へ変わっていく。
暗い色の短い上着。
商人が使う小型の革袋。
肌の色を僅かに変え、顔の輪郭にも細工を施す。
最後に。
戦斧商会の鉄札を腰へ下げた。
すべての準備を終えると、アーガは一人で宿屋を出ていった。




