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第114話 実力

昼間の白樺林は昨夜とはまるで別の場所に見えた。


枝葉の隙間から柔らかな日差しが差し込み、地面へ大小さまざまな光の斑点を落としている。


夜には不気味に揺れていた白い幹も、今は静かに陽光を反射していた。


アーガはリナとイータを連れ、昨夜戦った場所から少し離れた、比較的開けた空き地までやって来た。


周囲に人や魔獣の気配がないことを確かめ、足を止める。


「ここでいいだろう」


アーガは外套を脱ぎ、近くの木の枝へ掛けた。


リナとイータも、少し離れた場所で並んで立つ。


「二人とも、遠慮する必要はない」


アーガは軽く身体をほぐしながら言った。


「普段、自分たちが一番戦いやすい方法で来い」


イータは反射的にリナを見た。


リナは右手へ魔力を集め、細長い荊棘を作り出す。


大きく息を吸い、イータへ視線を向けた。


「イータ、準備はいい?」


「うん!」


イータが強く地面を蹴った。


最初に会った頃と比べれば、その速度は明らかに上がっている。


姿勢を低く保ち、地面すれすれを滑るように走る。


白い尻尾は身体の後ろへ伸び、左右へ細かく動くことで全身の均衡を保っていた。


まるで地を這う影のように、一直線にアーガへ迫る。


一方のリナは正面から向かわなかった。


イータが駆け出した直後に横へ移動し、荊棘を身体の前へ構えながら側面へ回り込む。


正面と横から二人で挟み込むつもりらしい。


アーガはその場から動かなかった。


イータが間合いへ入り、右手を伸ばした瞬間。


ようやく身体を僅かに傾ける。足を後ろへ滑らせ、イータの突進を最小限の動きだけで避けた。


「っ!」


イータは勢いを殺さずに着地する。


足先が地面へ触れた瞬間、尻尾を強く振り、身体の向きを変えた。


そのまま再びアーガへ食らいつく。


「悪くない」


アーガが小さく呟いた。


イータの動きには以前のような無駄な焦りがない。攻撃を外したあとも動きを止めず、次の行動へつなげている。


その直後。


横からリナの荊棘が突き出された。狙いはアーガの脇腹。


イータの動きへ意識を向けていれば、避けにくい角度だった。


アーガは左手を上げる。


淡い白色の霧が掌へ集まり、薄い氷の盾を形成した。


――キンッ!


荊棘の先端が氷盾へ衝突し、澄んだ音を立てる。


リナは力任せに押し込もうとはしなかった。


攻撃を防がれたと判断すると、すぐに荊棘を引き、後方へ下がる。


その動きによって、再びイータが攻撃できる空間が生まれた。


(連携も随分と自然になったな)


アーガは内心で二人を評価する。


以前は、互いに相手の動きを意識しすぎて、攻撃の邪魔をすることも多かった。


今は言葉を交わさなくても、相手がどこへ動くのかをある程度理解している。


だが、まだ足りない。


アーガはイータの腕を軽く受け流し、そのまま重心を崩す。


「わっ!」


イータの身体が前へ傾く。倒れる前にアーガは肩を支え、横へ押し出した。


そこへリナが追撃を仕掛ける。


しかし、アーガは氷盾を消すと同時に身体を沈め、荊棘の下をくぐった。


リナの懐へ入り込む。


「近づかれたら、どうする?」


「っ……!」


リナは慌てて後退しようとした。


だが、アーガの手はすでに彼女の肩へ届いている。


軽く押されただけで、リナは数歩後ろへよろめいた。


その隙に再びイータが背後から迫る。


アーガは振り返らなかった。


イータの足音と、風を切る尻尾の動きだけを頼りに上半身を傾ける。


伸ばされた腕が、僅かに外れた。


「どうして分かったんですか!?」


「尻尾だ」


「えっ?」


アーガは答えながらイータの手首を取り、その勢いを利用して横へ流す。


イータの身体が空中で半回転し、柔らかな草の上へ転がった。


「まだ終わってない!」


イータはすぐに起き上がる。


リナも荊棘を構え直し、再び二人でアーガを囲んだ。


訓練は昼を過ぎても続いた。


アーガは火と氷で攻撃を防ぎ、草の蔓で二人の動きを制限した。


時には黄カード2《チーター》の速度を使い、二人の視界から一瞬で消える。


黄カード1《棕熊》の力を使う際には、直接殴るのではなく、地面を打って衝撃だけを与えた。


リナとイータは何度倒されても立ち上がった。


次第に動きは鈍くなり、息も荒くなっていく。


それでも、互いに声を掛け合いながら攻撃を続けた。


◇ ◇ ◇


夕日が白樺の梢へ沈み始めた頃。三人とも全身を汗で濡らしていた。


イータはついに限界を迎え、その場へ座り込む。


「もう駄目……」


そのまま背中から草地へ倒れた。白い尻尾も力なく地面へ広がっている。


「本当に、もう動けません……」


リナも近くへ腰を下ろした。


額へ張りついた金髪を指で払い、何度も深い呼吸を繰り返す。


身体は疲れ切っているものの、その瞳は充実感に輝いていた。


アーガも少し離れた場所に立ち、呼吸を整えていた。


普段より息は重い。


それでも、以前とは明らかに違う。


アーガは自分の掌へ視線を落とした。


一日を通して何度もカードの力を使ったことで、身体の変化をはっきりと感じ取ることができた。


魔力の流れが安定している。


火、氷、草、チーター、棕熊。


異なる性質の力を連続して切り替えても、以前のように身体の中で魔力が乱れることはなかった。


力を使った直後に襲ってきていた、身体の内側が空になるような感覚も軽い。


むしろ、ようやく身体がカードの力へ順応し始めたように感じられる。


「これで、ほぼ間違いないな」


アーガはゆっくりと息を吐いた。


「また少し、実力が上がったらしい」


リナが顔を上げた。


疲れた表情の中に、嬉しそうな笑みが浮かぶ。


「おめでとうございます、アーガ様」


イータも草地へ倒れたまま、勢いよく片手を上げた。


「アーガ様、おめでとうございます!」


「お前は起き上がってから言え」


アーガは苦笑する。


二人は、本人であるアーガ以上に嬉しそうだった。


その様子を見ていると、自然と口元が緩んでしまう。


「ただ、正確な実力は分からない」


アーガは掌を閉じた。


「今度、どこかで魔力測定球を使って確認する必要があるな」


魔力の感覚だけでは、自分がどの段階へ到達したのかを断定できない。


実戦能力と魔力量も、必ずしも完全に一致するわけではなかった。


「それより、俺のことばかり祝っている場合じゃない」


アーガはイータの前まで歩いた。


「お前たちも、かなり良くなっている」


イータが勢いよく上半身を起こす。


「本当ですか?」


「ああ」


アーガはイータの動きを思い返す。


「速度も反応も悪くない。最初の頃とは比べものにならない」


イータの耳が嬉しそうに立ち上がった。


「ただし、動きが分かりやすすぎる」


耳がすぐに伏せられる。


「分かりやすい……?」


「次に何をするのか、身体が先に教えている」


アーガはイータの尻尾を指さした。


「特に尻尾だ」


「お前は方向を変える直前に必ず尻尾が先に動く」


「右へ曲がるときは左へ、左へ曲がるときは右へ大きく振る」


「お前の動きに慣れた相手なら、それを見ただけで進む方向を予測できる」


イータは慌てて自分の尻尾を両手で抱えた。


「そ、そんなに分かりやすいんですか?」


「かなりな」


「尻尾を動かさないと転びます……」


「動かすなとは言っていない」


アーガは笑う。


「相手に読まれることを理解した上で使え」


「わざと逆の動きを見せることもできるだろう」


イータは腕の中の尻尾を見つめ、真剣に考え込んだ。


続いて、アーガはリナへ視線を向ける。


「リナも、周囲を見る能力は高い」


「さっきも、イータが危なくなったときに何度も援護していた」


「それは長所だ」


リナは嬉しそうに微笑んだ。


しかし、続く言葉を待つように姿勢を正す。


「ただ、お前は仲間を守ることへ意識を向けすぎている」


「攻撃できる場面でも、イータの安全を優先して動きを止めていた」


リナは僅かに唇を噛んだ。


「イータが怪我をするのが怖くて……」


「それは分かる」


アーガは穏やかに答えた。


「だが、戦いでは守るだけでは足りない」


「本気でイータを守りたいなら、敵にお前を無視できないと思わせろ」


リナが顔を上げる。


「お前が攻撃してこないと分かれば、敵は警戒しなくなる」


「そして、お前を無視してイータだけを狙う」


「守るためには、自分も危険な存在になる必要がある」


リナはしばらく考え込んだ。


やがて、真剣な表情で頷く。


「分かりました」


「次は、自分から攻撃することも意識します」


「それでいい」


◇ ◇ ◇


夕日は完全に山の向こうへ沈み、白樺林の中へ薄暗い影が広がり始めた。


遠くでは、巣へ帰る鳥たちが翼を羽ばたかせている。


風が木々の梢を通り抜け、湿った土と草の匂いを運んできた。


アーガは枝へ掛けていた外套を取り、肩へ羽織る。


まだ地面へ座り込んでいる二人を見た。


「今日はここまでだ」


「やったぁ……」


イータは再び草地へ倒れ込んだ。


リナが苦笑しながら手を差し出す。


「帰ってから休みましょう」


「ここで寝たら身体が冷えますよ」


「リナ、背負って……」


「自分で歩いてください」


「足が動かない……」


「さっきまで元気に攻撃していたでしょう?」


二人の小さな言い争いを聞きながら、アーガは先頭を歩き始めた。


胸の奥にあった重い感覚が少しだけ軽くなっている。昨夜から続く面倒な出来事を一時だけ忘れられた気がした。


◇ ◇ ◇


村へ戻る頃には空はすっかり暗くなっていた。


白樺林は背後へ遠ざかり、細長い木々の影が薄闇の中へ溶けていく。


リナはアーガの横を歩いている。


イータは反対側で訓練用の木の棒を抱え、重そうに足を進めていた。


尻尾も力なく左右へ揺れている。


しばらく歩いたところで、リナが顔を上げた。


「アーガ様」


「どうした?」


「私たちは今……強いのでしょうか?」


イータの耳も、すぐに立ち上がる。


「そうです!」


「私たちなら、もう多くの人に勝てますか?」


アーガは足を止めた。


二人の顔を見る。どちらも冗談ではなく、真剣に答えを待っていた。


アーガは少し考えたあと、思わず笑った。


「赤骸城や、その周辺にいる者はそれほど強くない」


「だから、あの場所を基準にすれば、自分たちが強くなったように感じるのも当然だ」


「えっ?」


二人の声が重なった。


「まあ、それも仕方ない」


アーガは再び歩き始める。


「お前たちは、ほとんど赤骸城の外を知らないからな」


リナとイータは口を挟まず、真剣に話を聞いている。


「俺たちがいる国は、《灰崖王国》という」


アーガは暗くなり始めた空を見上げた。


「国力は中程度だ」


「大陸で最も強い国というわけではないが、周辺国に簡単に滅ぼされるほど弱くもない」


「灰崖王国……」


リナは、その名を確かめるように小さく繰り返した。


「ああ」


「地形にも恵まれている」


「領土の東部と北部には山が多い。特に東部には、大軍が通れるような道がほとんど存在しない」


イータは首を傾げた。


「道がないと、どうなるんですか?」


「大人数の兵士や馬、物資を運べなくなる」


アーガは説明する。


「山が続いていれば、敵は好きな場所から攻め込めない」


「通れる道が少なければ、その場所だけを守ればいい」


イータは何度も頷いた。


「なるほど……」


リナは少し考えたあと、尋ねる。


「それなら、灰崖王国が一番警戒しているのは西側ですか?」


「正解だ」


アーガは感心したようにリナを見る。


「理解が早いな」


「東と北は山によって守られている」


「北部には大軍が通れる重要な山道が二か所あるから、そこには常に兵が置かれている」


「だが、長い国境を持ち、最も強い圧力を受け続けているのは西部だ」


「王国の主力部隊も、西側へ集中している」


「南はどうなんですか?」


イータが尋ねた。


「南は海に面している」


アーガは少し肩をすくめる。


「ただし、土地は痩せていて、気候も悪い」


「農業にも商業にも向いていない」


「赤骸城があるのも、王国の最南部だ」


リナが僅かに目を見開いた。


「赤骸城はそんな場所にあったんですね」


「ああ」


「環境が悪く、他の都市からも離れている」


「だから、罪人を流刑にするには都合がいい」


イータが瞬きをする。


「流刑……?」


「罪を犯した者を、王都や故郷から遠く離れた場所へ送ることだ」


アーガは答えた。


「灰崖王国の南部には、主な流刑都市が二つある」


「赤骸城は、そのうちの一つだ」


「送られてくる者の多くは、当然まともな人間ではない」


アーガは一瞬だけ言葉を切った。


「中には、罪を着せられただけの運の悪い者もいるがな」


リナは視線を落とした。


赤骸城がどのような場所なのか、彼女は嫌というほど知っている。


イータは興味深そうに尋ねた。


「二つの流刑都市は、何が違うんですか?」


「収容する者の実力だ」


アーガは以前読んだ資料を思い出す。


「囚人が暴動を起こしたとき、鎮圧できなければ意味がない」


「だから、実力ごとに送る場所を分けている」


「学徒級と遊侠級の罪人は、主に赤骸城へ送られる」


「では、それより強い人は?」


リナが尋ねる。


「戍佐級と校尉級は、もう一つの流刑都市へ送られる」


「あちらは赤骸城より管理が厳しく、駐屯する兵士の数も多い」


「その段階になると、普通の衛兵だけでは簡単に押さえ込めないからな」


イータの尻尾が止まった。


「城主級の罪人は、どこへ行くんですか?」


「は?」


アーガが横目で見る。


イータは首を縮めた。


「ちょっと気になっただけです……」


アーガは小さく笑った。


「城主級は基本的に流刑にはならない」


「力が強すぎて、何をするか分からないからだ」


「そんな者を辺境の都市へ送れば、他の囚人をまとめて暴動を起こすかもしれない」


「最悪の場合、都市そのものを奪われる」


リナが声を落として尋ねる。


「では、どうなるのですか?」


「その場で処刑されるか」


アーガの口調は平静だった。


「王都サン・ローラン城の監獄へ収容される」


「サン・ローラン城は、王国の中央にあるんですよね?」


「ああ」


「灰崖王国で最も安全で、最も栄えている都市だ」


「王族や有力貴族、騎士団本部、大商会の本拠地も集まっている」


イータはアーガを見上げた。


「アーガ様が向かっている場所ですね」


「そうだ」


アーガは否定しなかった。


「王都へ行き、兄と、以前俺を守っていた護衛のラスティを捜す」


声が少しだけ低くなる。


「二人が生きているかどうかも、今は分からない」


リナはアーガの横顔を静かに見つめた。


イータも、珍しく何も言わなかった。


「それでも、行かなければならない」


アーガは前方へ目を向ける。


「俺を陥れた者たちに、必ず責任を取らせる」


夜道に、三人の足音だけが響いた。


しばらくして、リナが静かに口を開く。


「アーガ様は以前、前線の戦争がもうすぐ終わると言っていましたよね」


「ああ」


アーガは頷く。


「クロードたちは前線で戦果を広げるために派遣された」


「今は凛冬王国の軍が少しずつ撤退を始めているらしい」


「完全に戦争が終われば、前線へ送られていた兵士や騎士も、順番に王都へ戻るはずだ」


兄やラスティが前線にいるのなら、サン・ローラン城へ向かうことで手掛かりを得られる可能性は高い。


もちろん、すべては彼らが生きていればの話だった。


話しているうちに、林塔村の木柵が見えてきた。


村の家々には明かりが灯り、夕食の煙が夜空へ細く昇っている。


三人はそのまま静かな村道へ入り、トムの石屋へ向かって歩いていった。


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