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第108話 もう子供じゃない

「相手は強い。逃げ切るのは難しい」


アーガは枯れ木へ背中を預けたまま、腰のカードケースへ指を掛けた。


声は掠れ、呼吸もまだ安定していない。


(リナは遊侠級下位。イータは学徒級上位)


(相手は、おそらく遊侠級中位前後……二人だけでは厳しいな)


リナは頬へ張りついた金髪を振り払った。


後頭部で結んだ馬尾が、夜風の中で鋭い弧を描く。


「逃げられないのなら、戦いましょう」


指先へ、鮮やかな緑色の魔力が集まり始めた。


それに呼応するように、足元の地面が微かに震える。


「アーガ様」


リナはレイモンドから視線を逸らさないまま、静かに告げた。


「今度は、私たちがアーガ様を守ります」


イータも白い尻尾を高く立てた。


小さな爪の先へ、透き通った氷晶が次々と生まれる。


「だ、大丈夫です!」


緊張に声を震わせながらも、アーガへ力強い笑みを向けた。


「私たちは、もう子供じゃありません!」


レイモンドが鼻で笑った。


「口先だけなら、何とでも言える」


「なら、確かめてみればいいわ」


最初に動いたのはリナだった。


両手を勢いよく地面へ叩きつける。


「《硬化植物》!」


地面が大きく隆起した。


次の瞬間、棘に覆われた数十本もの蔓が土を突き破り、蛇の群れのようにレイモンドへ襲いかかる。


「無駄だ」


レイモンドは長剣を振るった。


月光を反射した刀身が、冷たい銀色の軌跡を描く。


「《反射魔法》!」


半透明の緑色を帯びた障壁が、彼の全身を覆った。


押し寄せた蔓が障壁へ激突する。


その瞬間、すべての力が進行方向を反転させられた。


蔓は根元から引き裂かれ、無数の枝と棘となってリナへ撃ち返される。


「リナお姉ちゃん!」


イータが即座に前へ飛び出した。


両腕を広げ、凍てつく魔力を解き放つ。


「《凍結の風》!」


白い寒風が、矢のように飛来する蔓の破片を飲み込んだ。


枝も棘も空中で凍りつき、白霜をまとったまま次々と地面へ落ちていく。


その間にリナは横へ跳び、地面を転がって攻撃範囲から脱した。


同時に新たな蔓を伸ばし、二人の前へ簡易的な防壁を形成する。


レイモンドの瞳に、僅かな驚きが浮かんだ。


二人がここまで息の合った連携を見せるとは、予想していなかったのだろう。


一方、彼を覆っていた反射障壁は激しく明滅していた。


光は急速に弱まり、間もなく完全に消える。


リナとイータは、一瞬だけ視線を交わした。


言葉を交わす必要はなかった。


二人は同時に攻撃を開始する。


「《氷錐刺突》!」


イータが右手を振るった。


三本の鋭い氷錐が三角形を描くように飛び出す。


狙いは、レイモンドの喉、心臓、そして右膝。


レイモンドは長剣を素早く返した。


一つ目を斬り砕き、二つ目を刀身の側面で弾く。


最後の一本も、身体を捻ってかわした。


だが、イータの氷錐は本命ではない。


「《荊棘の槍》!」


レイモンドの背後から、手首ほどの太さを持つ蔓が伸び上がった。


蔓は瞬時に硬化し、先端が金属のような冷たい光沢を帯びる。


巨大な槍となって、レイモンドの背中へ突き出された。


――ギィン!


命中する寸前、緑色の反射障壁が再び展開された。


荊棘の槍は障壁へ激突し、凄まじい勢いで弾き返される。


反転した槍は近くにあった大木へ突き刺さった。


太い幹が内側から破裂し、無数の木片が飛び散る。


レイモンドの額には、薄い汗が浮かんでいた。


呼吸も先ほどより荒くなっている。


反射障壁を連続して発動するには、相当量の魔力が必要らしい。


それでも、二人を見つめる目には余裕が残っていた。


「面白い」


呟いた直後。


レイモンドの姿が、その場から消えた。


先ほどまでとは比べものにならない速度で、イータとの距離を一気に詰める。


「イータ!」


リナが叫ぶ。


イータは慌てて後退した。


しかし、完全には間に合わない。


長剣の切っ先が肩口を掠め、衣服と皮膚を切り裂いた。


「きゃっ!」


鮮血が舞い、白い服が赤く染まる。


「イータ!」


リナの表情が変わった。


深青色の瞳へ、激しい怒りが浮かぶ。


両腕を大きく広げ、周囲へ魔力を解き放った。


「《蔓絞殺牢》!」


レイモンドの周囲で、地面が一斉に盛り上がる。


無数の蔓が四方八方から押し寄せ、彼の身体を中心に絡み合った。


瞬く間に、隙間一つない球状の牢獄が形成される。


「この程度で!」


レイモンドは怒鳴り、長剣を振るい続けた。


何本もの蔓が切断される。


だが、一本を斬れば、その隙間を埋めるように新たな蔓が伸びてきた。


すべてを切り払うことはできない。


イータは肩の痛みに耐え、蔓の表面へ小さな手を押し当てた。


「《永凍の拘束》!」


刺すような冷気が、イータの掌から蔓へ流れ込む。


緑色の牢獄は急速に白霜へ覆われ、巨大な氷の棺へ変化していった。


内部の温度が、一気に低下する。


レイモンドは歯を食いしばり、反射障壁を強制的に発動した。


――轟音。


凍結した蔓の牢獄が、内側から爆発する。


氷片と枝が四方へ飛び散り、その衝撃によってレイモンドも数歩後退した。


口元から、一筋の血が流れる。


「貴様ら……」


レイモンドは手の甲で血を拭った。


瞳の奥で、怒りが燃え上がっている。


リナとイータも、大きく息を切らしていた。


大量の蔓を生み出したリナは肩を上下させ、イータも傷ついた肩を押さえている。


二人とも、すでに少なくない魔力を消耗していた。


それでも、後ろへ下がろうとはしない。


再び並び、同時に攻撃姿勢を取る。


「もう一度よ!」


リナが声を上げた。


イータは両腕を広げ、頭上へ大量の冷気を集める。


「《氷晶千針》!」


無数の細い氷針が空中へ現れた。


一本一本は髪の毛ほどの細さしかない。


しかし、その群れは月光を反射しながら、鋭い針の豪雨となってレイモンドへ降り注いだ。


レイモンドは舌打ちし、大きく横へ跳ぶ。


長剣を激しく振るい、正面から迫る氷針を弾き落とした。


だが、すべてを防ぐことはできない。


数本の氷針が頬を掠め、細い傷を刻む。


その隙に、リナの蔓が地面すれすれを走った。


鞭のようにしなり、レイモンドの両脚を狙う。


レイモンドは跳び上がって回避した。


それでも、蔓の先端が脛を掠める。


衣服が裂け、赤い血が滲んだ。


「いい加減にしろ!」


着地と同時に、レイモンドが反射障壁を展開する。


周囲の蔓が一斉に弾かれ、空中で粉々に砕け散った。


再び距離が開く。


両者は荒い呼吸を繰り返しながら、互いの次の動きを窺っていた。


◇ ◇ ◇


アーガは枯れ木へ身体を預け、二人の戦いを見つめていた。


いつの間にか、その口元には微かな笑みが浮かんでいる。


(昔は、俺が守らなければ何もできなかった二人が……)


(ここまで強くなったのか)


かつてのリナは、誰かが大声を上げるだけで身体を震わせていた。


イータも、褒められた直後に殴られるのではないかと、いつも怯えていた。


だが、今の二人は違う。


格上の敵を相手に傷を負っても、互いを守りながら立ち向かっている。


(考えてみれば当然か)


(リナは俺と同い年だ)


(イータだって一つ年下なだけ……もう十三歳なんだな)


戦場の中央で、リナとイータが再び視線を合わせた。


二人は同時に三歩後退する。


リナが左手を差し出し、その上へイータが右手を重ねた。


二人の周囲へ、性質の異なる魔力が立ち上る。


リナの鮮やかな植物魔力。


イータの淡い氷の魔力。


本来なら異なる性質を持つ二つの力が、互いを拒絶することなく混ざり始めた。


リナの足元から、大量の蔓が螺旋状に伸び上がる。


先端には鋭い棘が生まれ、月光の下で冷たい輝きを放っていた。


同時に、イータの周囲へ無数の氷青色の星光が浮かび上がる。


極寒の冷気が半円状に広がり、地面を透き通った霜で覆っていく。


空気中の水分さえ凍結し、小さな六角形の氷晶へ変わった。


蔓が氷晶を巻き込む。


緑色の植物表面を、青白い氷が覆っていく。


二種類の魔力が絡み合い、これまでにない一つの魔法へ変化しようとしていた。


アーガは驚きを隠せなかった。


「異なる属性を、そのまま……」


目の前で起きている現象を見つめる。


「融合させたのか……?」


「まずい!」


レイモンドの瞳孔が大きく縮んだ。


二人が強力な合体魔法を放とうとしていることに気づいたのだ。


「させるか!」


長剣を構え、地面を強く蹴る。


狙いは、魔力の集中によって動けない二人だった。


アーガの目つきが鋭くなる。


負傷した身体で正面から割り込む代わりに、懐から煙幕弾を取り出した。


レイモンドの進路へ向かって投げつける。


――ボンッ!


濃密な紫色の煙が爆発的に広がった。


レイモンドの身体が、一瞬で煙の中へ飲み込まれる。


(イータの嗅覚なら、煙の中でも相手の位置を見失わない)


レイモンドは急停止した。


すぐに後方へ跳び、煙幕の範囲から抜け出す。


「その程度の小細工で!」


長剣を構え直し、煙の動きを睨む。


直後。


紫煙の中から、小柄な人影が飛び出した。


イータだった。


両腕には氷で覆われた荊棘が巻きつき、鋭い刺突刃を形成している。


そのまま、レイモンドの喉元へ飛びかかった。


「死ね!」


レイモンドは狰獰な笑みを浮かべ、反射障壁を展開した。


氷荊棘が緑色の障壁へ激突する。


反射された力によって、荊棘もイータの身体も粉々に砕け散った。


しかし、血は流れない。


砕けた身体は無数の氷片となり、空中へ溶けるように消えていった。


「何だと……?」


レイモンドの顔から、笑みが消えた。


「分身体か!」


煙の中で、イータが冷気によって作り出した氷の分身体だった。


反射障壁は、すでに無駄撃ちさせられた。


再び発動できるようになるまで、僅かな空白が生まれる。


その一瞬こそが、二人の狙いだった。


「遅いわ!」


煙幕の左右から、リナとイータが同時に飛び出した。


二人の重ねた手の間で、緑と青の魔力が激しく輝く。


「《極寒荊棘――双生絞殺》!」


リナの蔓へ、イータの氷晶が幾重にも巻きついた。


青緑色の巨大な槍が、空中へ次々と形成される。


一本ではない。


無数の氷荊棘が、前後左右、そして頭上からレイモンドへ襲いかかった。


「さっきの分身体は、あの狐の氷魔法か!」


レイモンドは、ようやく二人の狙いを理解した。


だが、すでに遅い。


反射障壁は、まだ再発動できない。


レイモンドは長剣を正面へ構え、迫る槍を必死に防ごうとした。


一つ目を斬る。


二つ目を受け流す。


三つ目を剣の腹で止める。


しかし、四本目以降を防ぐ余裕はなかった。


「ぐっ――!」


何本もの氷荊棘が、同時にレイモンドへ命中した。


――轟音。


青と緑が入り混じった衝撃波が、接触点から爆発する。


空気が布のように引き裂かれ、目に見える環状の衝撃が周囲へ広がった。


半径五メートル以内に落ちていた枯れ葉が、一瞬で粉々に砕ける。


レイモンドの身体は地面から浮き上がり、背後の大木へ激突した。


太い幹が大きく揺れる。


口から大量の血を吐き、そのまま力なく地面へ崩れ落ちた。


手にしていた長剣も、傍らへ転がる。


◇ ◇ ◇


アーガは枯れ木から身体を離し、ゆっくりと倒れたレイモンドへ近づいた。


指先では、青色のカードを軽く回している。


「相手を侮るのは、戦いでは最も危険なことだ」


意識を失った親衛隊長を見下ろす。


「そうだろう、隊長殿?」


レイモンドが完全に動かなくなると、森はようやく静けさを取り戻した。


リナは大きく息を吐いた。


緊張が解けた瞬間、すぐにアーガのもとへ駆け出す。


金色の馬尾が、背後で楽しそうに跳ねていた。


「アーガ様!」


頬を紅潮させ、興奮した声を上げる。


「成功しました!」


アーガの口元が緩んだ。


「リナ、イータ」


「二人とも、よくやった」


リナの頭へ手を置き、金色の髪を優しく撫でる。


「二つの属性を融合させるとは思わなかった」


「魔力の流れを主導したのは、リナだろう?」


「大したものだ」


リナの顔が、一瞬で真っ赤になった。


「そ、そんな……」


何かを答えようとしたものの、言葉がうまく出てこない。


隣では、イータが口元を押さえて小さく笑っていた。


白い尻尾も、嬉しそうに左右へ揺れている。


「それに、イータも」


アーガは今度はイータへ手を伸ばした。


柔らかな狐耳の間を撫でる。


「今日の戦いを見る限り、二人とも十分に一人で戦えるほど強くなった」


イータの耳が敏感に動いた。


琥珀色の瞳が、星のように輝く。


「ほ、本当ですか?」


「ああ」


アーガは珍しく、穏やかな笑みを浮かべた。


「確かに、もう子供じゃないな」


その言葉を聞いたイータは、胸を張った。


「だから、最初からそう言ったんです!」


「そうだったな」


アーガは小さく笑った。


「ただし、喜ぶのはあとだ」


倒れているレイモンドへ視線を向ける。


「こいつを見つかりにくい場所へ隠したら、すぐに出発する」


リナとイータは同時にうなずいた。


三人はレイモンドの身体を茂みの奥へ運び、枯れ枝と蔓で覆い隠した。


月の残光が、森を進む三人の影を長く伸ばしている。


リナとイータは、アーガを挟むように左右を歩いていた。


身体には疲労が残り、衣服も傷と泥にまみれている。


それでも二人の瞳には、自分たちの力で勝利をつかんだ誇らしい光が宿っていた。


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