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第105話 白熱する戦い

厚い氷晶の装甲が、アーガの全身を覆っていた。


呼吸をするたび、口元から白い息が漏れ、空中で細かな氷の結晶へ変わっていく。


黒い魔力を噴き上げるヴァルガを前にしても、アーガとケイスは怯まなかった。


「ケイス!」


アーガは両手を床へ叩きつけた。


凄まじい冷気が波のように広がり、宴会場の床を瞬く間に凍結させる。


砕けた食器も、こぼれた葡萄酒も、すべてが透明な氷の下へ閉じ込められた。


床は磨き上げられた鏡のように滑らかになり、蝋燭の炎を歪んで反射している。


ケイスはその氷面へ身体を滑らせた。


指先で毒の短剣を回転させながら、ヴァルガの側面へ急接近する。


《感知魔法》によって強化された知覚は、相手のわずかな変化さえ見逃さない。


鱗が擦れ合う音。


翼の付け根で収縮する筋肉。


攻撃の直前に変化する呼吸。


それらを読み取り、次の動きを予測する。


「左目だ!」


ケイスが鋭く叫んだ。


身体を低くし、ヴァルガの左側へ滑り込む。


ヴァルガは巨大な翼を勢いよく振るった。


灼熱の風圧が宴会場を駆け抜け、氷の表面を白く曇らせる。


だが、その足元から数本の氷柱が突き出した。


翼膜と腹部を狙う鋭い氷の槍により、ヴァルガは地面を離れざるを得ない。


巨体が一瞬だけ宙へ浮かぶ。


その隙に、ケイスの短剣が左目へ迫った。


「甘い!」


――ギンッ!


ヴァルガは顔を逸らさなかった。


鋭い牙で、迫ってきた短剣の刃を噛み止める。


ケイスの目が見開かれた。


直後、太い竜尾が横から振り抜かれる。


「ぐっ!」


ケイスの脇腹へ尾が直撃し、その身体を大きく吹き飛ばした。


ヴァルガは短剣を吐き捨て、さらに唾液を床へ吐いた。


牙や口内へ毒が残らないよう、即座に排出したのだ。


アーガはその間に距離を詰めていた。


氷の甲刃をまとった右手を真っすぐ伸ばす。


揃えた五本の指先が、細長い氷槍のようにヴァルガの胸へ突き出された。


しかし、命中する直前。


ヴァルガの右腕が異常な速さで伸びた。


巨大な竜爪が、アーガの手首をつかむ。


「その程度の小細工で!」


ヴァルガは狰獰な笑みを浮かべた。


「俺を倒せると思ったか!」


爪に力が込められる。


アーガの腕を覆っていた氷晶装甲に、無数の亀裂が走った。


手首の骨が、軋むような音を立てる。


今にも砕かれそうな激痛が、腕から肩へ突き抜けた。


それでもアーガは、後ろへ下がらなかった。


ここで退けば、ヴァルガの次の爪が胸を貫く。


痛みに耐えながら身体を近づけ、右膝を強く持ち上げた。


膝を覆う装甲から、鋭い氷の杭が伸びる。


「はっ!」


氷杭が、ヴァルガの腹部へ突き刺さった。


完全に鱗を貫くことはできなかったが、一点へ集中した刺突の衝撃が内部へ流れ込む。


ヴァルガの身体が僅かに浮いた。


つかんでいた手が緩み、数歩後方へ退く。


アーガはすぐに距離を取った。


砕けかけた右手首を左手で押さえ、荒い呼吸を整える。


離れた場所では、ケイスも床へ片膝をついていた。


口元の血を手の甲で拭いながら、氷青色の瞳でヴァルガの身体を観察し続けている。


「右翼の付け根!」


ケイスが叫んだ。


「三時の方向に古傷がある!」


「分かった!」


アーガは氷面を蹴った。


正面から踏み込んでは、ヴァルガの爪をかわして側面へ回る。


側面から手刀を突き出しては、反撃が来る前に氷を滑って離れる。


攻撃を当てることよりも、相手の注意を自分へ集めることを優先していた。


ヴァルガは何度も爪と尾を振るった。


だが、アーガは氷面を利用し、不規則に方向を変え続ける。


「ちょこまかと……!」


ヴァルガの額に血管が浮かび上がった。


「鬱陶しい虫けらが!」


翼を大きく広げる。


黒い魔力が翼膜の縁へ集まり、鋭い刃のような光を形成した。


「《斬鉄の翼》!」


ヴァルガが身体を激しく回転させた。


二枚の翼が巨大な刃となり、宴会場の空気を切り裂く。


アーガは腕を交差させて防御した。


しかし、翼の一撃は氷の装甲を大きく削り取り、そのまま身体を吹き飛ばした。


アーガは壁へ激突した。


背後の石材に亀裂が走り、肺から空気が押し出される。


ヴァルガは間髪を入れず、口を大きく開いた。


喉の奥へ、眩い白色の炎が集まり始める。


「《竜の吐息》!」


炎が放たれる直前、ケイスが動いた。


氷の上へ身体を伏せ、ヴァルガの真横へ滑り込む。


反転させた短剣を、下顎を覆う鱗の隙間へ突き刺した。


「ぐっ!」


ヴァルガの喉が詰まる。


吐き出された竜息は大きく軌道を逸らし、アーガの頭上を通過した。


白熱した炎が背後の石壁へ直撃する。


轟音とともに石が溶け、壁には焦げた巨大な穴が開いた。


アーガは身を屈めたまま、ヴァルガの死角へ踏み込む。


損傷した右翼の付け根へ狙いを定める。


右腕の氷晶が伸び、巨大な爪のような手刀を形成した。


「そこだ!」


鋭い指先を、鱗の隙間へ突き込む。


――ブシュッ!


氷の手刀が、古傷の残る皮膚を貫いた。


傷口から黒い血が噴き出し、氷の表面へ付着した瞬間に凍りつく。


だが、ヴァルガは後退しなかった。


むしろアーガの腕が深く刺さったことを利用し、相手の動きを封じる。


「捕まえたぞ!」


巨大な爪が、アーガの胸元へ叩き込まれた。


――ドンッ!


胸部を覆っていた氷晶装甲が、内側から破裂する。


砕けた氷片と血が宙へ飛び散った。


アーガの身体は大きく吹き飛び、鏡のような氷面を十数メートル滑っていく。


「アーガ!」


ケイスは三本の毒短剣を続けて投げた。


それぞれが異なる軌道を描き、ヴァルガの目、喉、翼の付け根へ迫る。


しかし、竜尾が一度振るわれただけで、すべて床へ弾き落とされた。


ヴァルガは肩へ突き刺さっていた氷の手刀をつかみ、力任せに引き抜いた。


血に濡れた氷刃を握り潰す。


「遊びは終わりだ」


低く冷たい声が響いた。


◇ ◇ ◇


宴会場の天井へ、突然星空のような光景が広がった。


昼夜の区別を失った無数の光点が、天井一面に浮かんでいる。


光は渦を巻きながら、ヴァルガの身体へ集まり始めた。


黒かった竜鱗が、少しずつ透明な結晶へ変化していく。


結晶化した鱗は七色の星光を反射し、異様な美しさを放っていた。


「これは……」


ケイスの表情が変わる。


ヴァルガは巨大な爪を持ち上げた。


星光が、その指先へ凝縮されていく。


そして、床へ向かって力任せに振り下ろした。


――轟音。


凍結していた床が、中心から一斉に崩壊した。


氷だけではない。


その下にある厚い石床まで、何層にも分かれて砕け散る。


凄まじい衝撃波が、宴会場全体へ広がった。


アーガとケイスは身体を宙へ投げ出され、反対側の壁際まで吹き飛ばされた。


「本当に……」


ケイスは瓦礫の間で血を吐きながら、立ち上がろうとした。


「厄介な怪物だな……」


しかし、その胸元へ巨大な足が降りた。


ヴァルガがケイスを踏みつける。


体重と魔力を加えられ、ケイスの背中の下で石材が細かく砕けた。


「ぐあっ……!」


「安心しろ」


ヴァルガは右の爪をゆっくりと掲げた。


指先へ、星光が再び集まる。


「貴様らの骨は、一本も捨てたりしない」


「最も芸術的な形に並べ、城主府へ飾ってやる」


鋭い爪が、ケイスの頭部へ振り下ろされようとした。


その瞬間。


遠方から、立て続けに爆発音が響いた。


一度ではない。


二度、三度と、夜空を震わせる鈍い音が続く。


ヴァルガの動きが止まった。


直後、東門の方角から赤い光が打ち上げられた。


特殊な信号弾が、夜空を一直線に駆け上がる。


赤骸城の上空で炸裂し、目を焼くほど強烈な紅光を放った。


爆発音は街の反対側まで届き、城内の建物が僅かに震える。


「ロックが成功した!」


アーガは口元から血を流しながら、目を見開いた。


計画が、次の段階へ進んだことを示す合図だった。


迷っている時間はない。


アーガは腰のカードケースから小ジョーカーを引き抜き、腰帯のスロットへ差し込んだ。


四種類の魔力が、再び激しく流れ始める。


冷気が、傷ついた全身から右腕へ集中した。


氷は肩から肘、手首へと広がり、最後には揃えた指先へ集まっていく。


空気中の水分が急速に奪われた。


細かな白霜となって、アーガの周囲へ無数に浮かび上がる。


揃えた五本の指が、巨大な氷の槍へ変化した。


「霜凍――」


アーガは姿勢を低くした。


右腕を後方へ引き、指先をヴァルガへ向ける。


足元の氷面が、蜘蛛の巣のように砕けた。


次の瞬間。


アーガの身体が、放たれた矢のように飛び出す。


氷晶によって形成された手刀は、ヴァルガの右翼に残る古傷へ向けられていた。


高速で突き進む指先から、肉眼でも見える白い軌跡が伸びていく。


「受けてみろ!」


ヴァルガはケイスから足を離し、アーガへ向き直った。


結晶化した鱗が前方へ集まり、巨大な竜鱗の盾を形成する。


アーガの手刀が、その中心へ突き刺さった。


「《永劫穿刺》!」


――カチッ。


最初に響いたのは、あまりにも小さな音だった。


髪の毛よりも細い氷青色の光が、ヴァルガの盾の中央へ走る。


光は結晶化した鱗を貫き、その奥にある右翼の傷口へ到達した。


一瞬の静寂。


その直後――


「轟ッ!」


圧縮されていた冷気と刺突の魔力が、一斉に解放された。


竜鱗の盾が、中心から崩壊する。


無数の亀裂が周囲へ広がり、星光をまとった鱗が次々と砕け散った。


空間そのものが一点へ引き裂かれたかのように、氷と魔力が渦を巻く。


ヴァルガの右翼が根元から裂けた。


防御しようと伸ばした右爪も、肘から先を巻き込まれて砕け飛ぶ。


さらに頭部を覆う片側の竜角まで折れ、空中へ放り出された。


傷口から血が噴き出す。


しかし、飛び散るよりも早く極寒の冷気に包まれ、紅色の氷晶へ変わった。


「グオオオオオッ!」


ヴァルガの絶叫が、城主府を揺らした。


暴走した魔力は、それだけでは収まらなかった。


刺突の衝撃がヴァルガの身体を貫き、そのまま背後の柱と壁へ到達する。


――轟隆!


柱が折れた。


天井を支えていた梁が崩れ、巨大な石材が次々と落下する。


城主府全体が、地鳴りのような音を立てて傾き始めた。


「崩れるぞ!」


ケイスの叫び声と同時に、宴会場の天井が崩落した。


石壁が内側へ倒れ込み、城主府の一部が大量の瓦礫となって地面へ沈んでいく。


夜空へ、濃い粉塵が舞い上がった。


◇ ◇ ◇


崩壊した城主府の中。


アーガは、自分の身体へ覆いかぶさっていた太い梁を両腕で押し上げた。


傷ついた筋肉が悲鳴を上げる。


全身の力を振り絞り、梁の下から這い出した。


融合変身は、重傷によって自動的に解除されていた。


強化薬を長時間使用した反動も始まっている。


筋肉と魔力回路へ強烈な痛みが走り、脚にはまともに力が入らない。


特に、限界を超えて使用した《狂暴強化》の反動は大きかった。


アーガは瓦礫へ手をつき、どうにか身体を起こす。


「ケイス!」


不遠处的废墟中传来石块滚落的声音。


やがてケイスも、倒れた石壁の隙間から姿を現した。


右腕を垂らし、額から血を流している。


それでも、自分の足で立っていた。


「行くぞ!」


アーガは東門の方角を指さした。


「ロックと合流する!」


その瞬間。


少し離れた瓦礫の山が、内側から爆発した。


巨大な石材が四方へ吹き飛ぶ。


「逃がすと……思うか?」


低い竜の声が、粉塵の向こうから聞こえた。


半竜化したヴァルガが、瓦礫を押し退けて立ち上がる。


右翼は根元から大きく損傷し、右腕の爪も半分以上失われていた。


片方の竜角も折れている。


それでも、黄金色の瞳に宿る殺意は、以前よりも強くなっていた。


「貴様らを……」


ヴァルガは血を吐きながら、一歩踏み出す。


「必ず八つ裂きにして――」


「今だ!」


ケイスが叫んだ。


アーガは腰の袋から煙幕弾を取り出した。


足元へ力任せに叩きつける。


――ボンッ!


弾丸が破裂し、濃い紫色の煙が一気に広がった。


瞬く間に、城主府の廃墟全体が煙に覆われる。


視界は完全に失われ、目の前に立つ者の姿さえ確認できなくなった。


しかし、ケイスには関係なかった。


《感知魔法》によってアーガの呼吸と心音を捉え、正確に腕をつかむ。


「こっちだ!」


二人は煙の中を駆け出した。


ヴァルガの反応も速かった。


残された左翼を大きく振り、紫煙を吹き飛ばそうとする。


凄まじい風が廃墟を通り抜けた。


だが、右翼を失ったことで、以前ほどの風圧は生み出せない。


煙が完全に晴れたときには、アーガとケイスの姿はすでになかった。


「グオオオオオオオッ!」


ヴァルガの咆哮が、赤骸城の夜空へ響き渡る。


音の衝撃によって、周囲に残っていた窓硝子が一斉に砕け散った。


「おのれ……!」


今のヴァルガの周囲には、親衛隊が一人も残っていない。


すべて鉱脈の暴動を鎮圧するため、外へ向かわせていた。


怒りのまま、竜爪で近くの花崗岩を握り潰す。


「赤骸城を隅々まで掘り返してでも、必ず見つけ出してやる!」


ヴァルガは翼を広げた。


損傷していない左翼を強く振り、崩れた城主府から飛び立つ。


右翼の力をほとんど失っているため、飛行は大きく不安定だった。


身体を傾けながら、最も近い衛兵の監視塔へ向かう。


石塔へ近づくと、ヴァルガは半ば落下するように着地した。


巨大な爪が石床へめり込み、監視塔全体が大きく揺れる。


衛兵たちは突然現れた半竜の姿を見て、顔を青ざめさせた。


「捜索を続けろ!」


ヴァルガが怒鳴る。


黄金色の竜眼には、燃えるような怒気が宿っていた。


「すべての兵を動員し、東門を封鎖しろ!」


「不審な者は、問答無用で拘束しろ!」


「抵抗した場合は、その場で殺して構わん!」


衛兵たちは震えながら命令を受けた。


すぐに警戒を告げる角笛が吹き鳴らされる。


その音は監視塔から監視塔へ伝わり、瞬く間に街全体へ広がった。


赤骸城のあらゆる通りで、無数の足音が響き始める。


兵士たちが掲げる松明の光が、夜の街へ一本の長い炎の列を作っていた。


◇ ◇ ◇


城主府から少し離れた、使われていない倉庫。


アーガは湿った石壁へ背中を預けていた。


胸が大きく上下し、呼吸をするたびに強い痛みが走る。


ケイスは窓のそばへ低くしゃがみ、外の様子を監視していた。


氷青色の瞳孔が細く収縮する。


建物の隙間から、街を走る兵士たちの足音や呼吸を捉えていた。


「兵士たちは東門へ向かっている」


ケイスが小声で言った。


「ヴァルガも生きている。街全体へ捜索命令を出したらしい」


「予想どおりだ」


アーガは荒い呼吸を整えながら、口元へ冷たい笑みを浮かべた。


「今のところ、計画は順調に進んでいる」


「むしろ、予想していたよりもうまくいった」


ケイスは窓から離れ、アーガのそばへ戻った。


破れた服を裂き、胸元の傷へ応急処置を施し始める。


「次も、予定どおりに動くのか?」


「ああ」


アーガは小さくうなずいた。


指先で、懐に隠していた硬い物の表面を静かに撫でる。


「そろそろ――」


暗い倉庫の奥へ視線を向けた。


「“あの男”に出てきてもらう時間だ」


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